12/05/02 06:44:18.97 P
(>>1からの続きです)
“生きるため”に働き始めたのは、小学4年生の時。
最初は、新聞配達やスーパーの掃除の手伝い。中学に入ると、土木作業もやるようになった。
小6で自転車を父親にプレゼントされたことがきっかけで、競輪選手を目指そうと、
高校で自転車部に入部。しかし、働かなければならなかった塩谷は、家庭の事情を
学校側に理解してもらえず、結局高校を中退してしまったという。
■境遇を呪い、両親や社会を憎んだ
自分の境遇を呪い、両親や社会を憎んだという塩谷。
心に怒りを抱えつつも、近所の人々が与えてくれた“無償の愛”のおかげで、
「何があっても生きていかなきゃいけない」と前を向けたようだ。
大きな転機が訪れたのは、15歳の時。ゲームセンターのプリクラの画像で審査する
オーディションで合格し、芸能事務所に声をかけられ、役者の道を進むことを決心したという。
あまりにもつらすぎる子供時代。特に母親の愛情を知らずに育ったことが、
その後の対人関係の築き方に何らかの影響を及ぼしたのかもしれない。
とはいえ、2人の女性を傷つけてもいいという理由にはならないのだが・・・。(了)