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(>>1からの続きです)
■ネットで可視化
「翼をください」(1971年、赤い鳥)や「ff(フォルティシモ)」(85年、ハウンドドッグ)、
「愛は勝つ」(90年、KAN)など、名曲と呼ばれるものも含めて、紋切り型の歌詞は、実はいつの時代にもあった。
東京経済大の山田晴通教授(メディア論)は「紋切り型が悪いわけではない。むしろ多くの人に
支持されるフレーズだからこそ、繰り返し使われてきた。最近、紋切り型が増えたように感じるのは、
ネット利用の広がりで、紋切り型に対する批判が以前より可視化されやすくなったからではないか」と分析する。
■歌との関係希薄に
音楽評論「耳をふさいで、歌を聴く」執筆のために、段ボール3箱分のCDを聴いたという
文芸評論家の加藤典洋さんは、歌詞が劣化したというより、歌と歌詞の関係性が希薄化した、と考えている。
「西野カナやGReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズらは、歌詞が出来合いのファストフードみたい。
西野の場合など、歌詞の連ごとに意味がバラバラで入れ替え可能。手や目だけのパーツの人体模型のようだ」。
楽曲をパーツごとに切り売りする着うたの流行も、この「希薄化」の表れ、との見方だ。
大阪市立大大学院の増田聡准教授(音楽学)は「Jポップは、旧来の歌謡曲に代わる
新たな枠組みとして登場した。紋切り型批判が起こるのは、『Jポップは最先端でなければならない』という信仰が
いまだに生きていることの裏返し。若い女性の心情を類型的な言葉で表現した『ギャル演歌』だと思えば、
西野カナの画一性も気にならないのでは」と指摘する。(>>3以降に続きます)