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「横取りではありません、井川が楽天入りを拒否したのです」と言うのは、ある球界関係者だ。
「井川は星野監督のことをよく思っていない。そもそもが、気持ちで投げろとか、
鉄拳制裁という、いわゆる体育会系の監督が大嫌いなんです。
しかも、星野監督がこれまで発してきた数々の井川批判も耳にしてきましたからね」
井川が20勝して最多勝のタイトルを獲得した03年は、阪神がぶっ千切り優勝。
星野監督は日程が緩くなった最後の5試合に井川を3度も先発させて20勝に届かせた。
すると、「オレのバックアップがあった勝ち星やろ。あれはつくられた20勝や」と言った。
そんな声を耳にしたのか、井川は、すでに辞任を表明していた星野監督が
選手の家族のために主催したパーティーを欠席。豪州へのV旅行もトレーニングを理由に不参加。
星野監督を激怒させた。
井川は04年オフから入札制度でのメジャー行きを球団に直訴すると、
当時の星野シニアディレクター(SD)は「ポスティングは選手の権利じゃない」
「今の井川は行ってもダメ(通用しない)」と語り、ヤンキース入りしてからマイナー生活が続くと
「オレの言ってた通りやろ」と周囲に漏らしていたという。
そういう声のすべてが井川の耳に届いていた。
井川はこの日の会見で、「高校を出てからファームと一軍でずっと知っている方。
恩師のもとでやりたかった」と述べ、自身のHPでも、「(岡田監督は)07年にメジャーへ行くまで、
自分が最も長くご指導いただいた指導者です。メジャー挑戦という夢を応援してくださり、
快くアメリカへ送り出してくださいました。そんな岡田監督のもとで再びプレーできることを、
とてもうれしく思っております」と語った。これは星野監督への皮肉にも取れる。
井川の獲得に失敗した星野監督。オフの補強はオリックスに完敗だ。
昨年、自らが取ってきた岩村、松井稼が期待を裏切り、432得点はリーグワーストタイ。
就任1年目は5位でシーズンが終わると「4番」探しに動いた。
>>3以降に続く