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(>>1からの続きです)
2008年11月。渋谷の居酒屋で、沢田、森本、一徳と38年ぶりの再会。
瞳の顔を見ると、森本は「会いたかった」といって、いきなり泣きだしたという。
2011年、沢田が中心になって、沢田が毎年行っているツアーに元のメンバーが参加することを企画。
8月から、週5日、1日5時間にも及ぶ本格的な練習をスタートさせた。
コンサートの初日まで3週間に迫った8月中旬、瞳とメンバーの仲をとりもった元マネジャーの中井さんが病死した。
ザ・タイガースの復活を置き土産にしたかのような最期。メンバーは悲しみに打ちひしがれながらも、
「中井さんのためにも、ステージを成功させよう」とより結束を強めた。
森本、一徳、そして瞳がゲストとして参加した沢田のツアーは、全国38公演。
沢田は「全員揃ってのタイガース」にこだわり、四郎にも最終日への参加を呼びかけた。
一徳は弟の健康を気遣って最初は反対していたが、「四郎も目標を持つことで元気になる」と
沢田に説得され、納得したという。
そして1月24日、冒頭のように、四郎もステージに上がり、ザ・タイガースは一夜限りの“復活”を遂げたのだった。
森本は次のように語った。「シロー(岸部四郎)は歩くのもやっとで、体調を崩したら、
当日来られるかどうかもわからない状態でした。だから、シローが登場したときは
『体は大丈夫か』『ちゃんと歌えるのか』と心配で心配で…シローがしっかり歌いだしたときはホッとしましたね。
ピー(瞳)も実は2009年に脳溢血で倒れている。ドラムはものすごくハードだから、
38公演すべて最後までやりきってくれたのは、本当に嬉しい」(>>3以降に続きます)