12/02/02 20:33:14.97 P
(>>1からの続きです)
「ビリ(最下位)の地位が翔子の役割なのだ、ということを発見したんです。
ビリがいるとクラスも社会も落ち着く。翔子はその役割を引き受けるのだと」
ありのままの翔子さんを受け入れるようになった泰子さん。
競争社会から外れ、落ち着いた環境で、2人きりで書に向きあう日々を続けた。
20歳のときに中央区銀座で開いた書の個展をきっかけに、翔子さんは神奈川県鎌倉市の建長寺、
京都市の建仁寺など歴史ある寺院で個展を開く機会に恵まれた。次々と書籍も出版された。
「知的障害を持つ翔子は、学歴や社会的地位、名誉などの観念が理解できませんから、
有名になりたいとか、お金持ちになりたいとかの思いは全くありません。ただ母親の私や目の前の人に
喜んでもらいたくて書いています。翔子の書を見て涙を流される方がたくさんいます。
無心な姿に感動していただいているのかもれません」
あるとき、翔子さんから「お母様が大好きだから、
私はお母様の元に生まれてきたよ」と語りかけられたという。
「翔子は私を決して疑わず、私も翔子に絶対的な信頼を置いている。
そんな私は本当に幸せな母親です」と、穏やかな表情をのぞかせた。(了)