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現役引退後苦節22年、ついに悲願だった“監督”の座を射止め、2月のキャンプインを目前にしている
横浜DeNA・中畑清監督(58)。アテネ五輪日本代表指揮、参院選落選など波瀾万丈の道のりの真相、
キヨシの素顔を、35年間付き合いを続けている親友の東京・調布市議、渡辺進二郎さん(69)が明かす。
(聞き手・宮脇広久)
--ついに悲願成就
「中畑さんが監督になれてうれしい。横浜DeNAを躍進させてほしい。ただ、本人がどう思っているかは
わかりませんが、周りにいる僕らは正直言って遅いと思っていますよ。ぜいたくを言えば、中畑清ほどの
人材を放っておいた野球界を、見返してほしい気持ちもあります」
--2004年アテネ五輪では日本代表ヘッドコーチ。長嶋茂雄監督が脳梗塞で倒れた後は、ヘッドの
肩書のまま指揮を執り銅メダルに終わった
「正式に監督として全権を任されていれば、別の戦い方があったのではないか。それに、少なくともメダルは
獲った。われわれの素人目だけれど、あの異常事態の中でメダルを取ったことは、もっと評価されていいと
思いますよ。中畑さん本人は、不満をひとつも言わないけどね…」
--そして同年オフ、V逸した巨人から助監督就任要請を受けたが、固辞。あの時に引き受けておけば、
当時の堀内恒夫監督の後、禅譲で念願の巨人監督になれていただろうに-と指摘する読売グループ幹部もいる
「私も当時、助監督を引き受けるべきだと思った。“じっと我慢して、堀内さんの後を待てばいいんじゃないか”
と。しかし中畑さんは“堀内さんとは野球観が違う。監督と助監督で意見が合わないんじゃ、チームにマイナス”
と断った。あの人には利己的な計算というものがないんですよ」
--結局、堀内監督の後は原辰徳監督が再登板し、リーグ3連覇、日本代表監督としても世界一に輝いて
長期政権へ。これで“巨人・中畑監督”誕生は遠のいた
「ハラタツなあ、なんて言ってた(笑)」
--オヤジギャグですか…。
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