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元服後の清盛が烏帽子も被らずに京の街をうろついていたばかりか、その状態で白河法皇の御前にまで
出てきたのには大笑いした。
平安時代には貴族であれ平民であれ男は髻を隠すために必ず烏帽子などの被り物をしていた。
被り物をかぶらなくて良いのは牛飼いと呼ばれる特殊階層と子供だけだ。
人前で髻をさらしているのはパンツ一枚でいるのと同じことで、喧嘩などをして相手に烏帽子などを
取られて髻をさらした状態の男たちが両手で髪を隠して慌てて逃げ去る様子が絵に描かれている。
平安時代においてはこれはまさに赤っ恥をさらしているのと同じことで、平家の御曹司ともあろう
清盛がそんなことが出来るはずが無い。