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「ただ試合に出るのではなく、自分のプレーを貫いて結果を出す。チームメイトから頼りにされたいし、広島時代のような感触を取り戻したい」
プレースタイルを度外視するなら、ドイツ国内から複数のオファーを受けていた。ただ、下位のチームで超守備的なプレーをすることでは自分の良さが発揮されない。どうしたら良いか、考える中で浮上してきたのが浦和だった。
「(ミハイロ・)ペトロビッチが熱心にオファーしてくれて。最初は日本に帰るなんてないと思っていたけれど、もしかしたら良いかもしれないなと思えてきた。
ドイツ国内の移籍も良かったかもしれないけれど、それはそれでリスクがある。自信と、自分のプレーを早く取り戻すためにどうしたら良いかを考えた」
次いで、取り戻さなくてはならないのは、ゲーム体力だ。
昨年10月、キリンチャレンジカップのベトナム戦で起こした両足けいれんで、実戦不足なのを日本中にさらすこととなってしまった。
「あのときは、両足だけじゃなくって、いろんなところがつっちゃった。やっぱりあれで、移籍するなりして試合にでなくちゃって思った」
移籍を考えるひとつの契機となった。
■2年後のブラジルW杯を見据えての決断に、迷いはない。
ただ、ドイツで成功したいという志半ばでの帰国ではある。
当たり前に悔しさも、気恥ずかしさのようなものも感じる。
当然のことながら、周囲の批判的な声も耳に入ってくる。絶対欧州に残れと助言する仲間もいた。だが、本人の中では長いサッカー人生と、2年後に迫るブラジルワールドカップを見据えた選択であり、そこに迷いはない。
「浦和には広島と違う難しさが必ずあると思う。ペトロビッチも選手層が厚い浦和では無条件に中心にしてくれるわけじゃないと思う。それに、ケルンからのレンタル移籍っていう見られ方もするかもしれない。
それに1年で日本に戻るケースも珍しいとは思う。でも、まだまだ夢も目標もあるし、今はとにかく試合に出て、活躍しなくちゃいけないんだと思う」
槙野は、夢への道半ば。チャレンジは、まだまだ続く。