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12月8日、自身のブログでメジャー挑戦を表明した日本ハムのダルビッシュ有(25)。
日米球界を巻き込んだ移籍劇に、海外メディアの報道も過熱するなど、その去就に関心が集まっている。
プロ7年で93勝(完投は55試合)、沢村賞1回、2年連続の最多奪三振と最優秀防御率など、
獲得したタイトルは数知れず。だが、彼がここに至るまでに、いくつもの“タブー”を乗り越えてきたことは、
日本でもあまり報じられてはいない。「やせっぽちの少年」だった彼が、「球界の至宝」と呼ばれるまでの
波瀾万丈の軌跡を追った―。
ダルビッシュが白球と出会ったのは小学2年のとき。じつは、それ以前にはアイスホッケーのチームに参加。
すでに体も大きく、将来が有望な存在として期待されていたが、練習がきついとの理由で、
あっさりとスティックをバットに持ち替えた。大阪の『羽曳野ボーイズ』では肩の強さを見込まれ、
捕手として野球人生をスタートさせた。
ところが、明らかに周囲と違う容姿、頭一つ抜けた身長に少年は悩む日々が続く。そして、ついに
母・郁代さんに思いの丈をぶちまけた。
「なぜ僕はイラン人なの?」
小学4年のときだった。
「いじめまではいかなかったけど、何かと色メガネ的な見方をされていたのは事実。野球以外はみんなと
遊ぶより、家で読書したり、レゴブロックで遊ぶのが好きだった」(小学校時代の友人)
それから10年余。かつてメジャー行きについて聞かれたダルビッシュは、意を決したようにこう語っていた。
「もしメジャーに行くぐらいやったら野球をやめる。ハーフで生まれてきて…
『お前は日本人じゃない。何かが入っている』と否定されつづけて。
日本の野球に執着して、俺は日本人だっていうアピールをしつづけていきたい」
さらには父・ファルサさんがイラン国籍ということで、9・11のテロ以降、イスラム諸国への偏見が根強い
米国行きを拒否していた時期もあったのだ。
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