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23日、大田市内のカフェで会った金泰均は、日本での挑戦を投げ出したことについて
「全く後悔はありません。今は本当に幸せ」と言った。
記者が「まだ納得できないファンが多い」と言うと、金泰均は重い口を開いた。
「地震は日本を離れることになった理由のごく一部です。僕はただ、ずっと好きだった野球
が嫌になりそうで、それが怖かった。こう言うと、またいろいろ言う人がいるでしょうが、
入団契約後、初めて日本の空港に着いた瞬間から息が詰まりました」
「僕は自由に楽しむタイプ。僕とは全く違う日本の野球のムードに慣れるのは難しかったんです」。
金泰均は日本での1年目に4番打者で打率2割6分8厘、21本塁打、92打点を上げた。
1年目としては無難な成績だ。前年リーグ5位だった千葉ロッテは、その年の日本シリーズで優勝
も果たした。しかし、金泰均は優勝の感激を全く感じなかったそうだ。
「(チームで)誰も僕に『よくやった』『苦労したな』と肩をたたいてくれる人がいませんでした。
傭兵はチームの成績に関係なく、とにかく自分の成績で結果を出さなければなりません」
このころからストレスが雪だるま式に増え始めた。
「野球をしていて、いつも『チームの成績は個人よりも優先』と考えてきましたが、それを一瞬にして
変えるのは簡単ではありませんでした」。打席でも楽しさを感じなかった。
日本の選手がホームランを打つとコーチたちがハイタッチを求めてくるが、自分が打つと
「傭兵だから当然」とでもいうように手も出さなかったという。
「僕はとても気が小さく敏感な性格なので、小さな音が聞こえても眠れません。
小さなことが積もり積もって、僕のすべてをささげた野球がだんだん嫌になりました」
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