11/12/16 14:24:52.32 0
「トヨタ・クラブW杯」は、一昨年のUAE開催を除き、第1回から取材を続けている。
第1回大会は2000年にブラジルで開催され、レアル・マドリード(スペイン)や
マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)など豪華なクラブが集まったが、
決勝戦はブラジル同士の顔合わせとなった。個のタレントやボール保有率、
さらには創造性で上回ったのはヴァスコ・ダ・ガマだったが、優勝したのはコリンチャンス。
チームを指揮していたのは、今季限りで鹿島を退任したオリベイラ監督だった。
第2回はスペイン開催が予定され、磐田の参加も決まっていたが中止。
2005年からは、日本開催で再スタートを切ることになった。
テレビで見る限り、日本開催は特に問題がないように映るかもしれない。
だが実際に現場で取材をしていると、やはりサッカー文化の立ち遅れた部分が運営面にも影響を及ぼしている。
例えば、豊田スタジアムでの準々決勝終了後には、アジア代表のアルサド(カタール)に敗れた
アフリカ代表エスペランス(チュニジア)のサポーターが暴れた。至近距離から見ていたカメラマンによると、
日本の警備員は曖昧に柔和な表情を変えず、顔面にパンチも受けていたそうだ。
これでは秩序も一般観客の安全も守れない。今回はサポーターの数も限られていたが、
もし本格的に暴徒化したら、しっかりと威嚇し、場合によってはたたきのめす術を持たないと対処できない。
>>2-3あたりに続きます
URLリンク(www.zakzak.co.jp)