12/08/14 22:32:51.78
>>35
別に断定したわけではない。ただオホーツク文化とトビニタイ文化の継続性
が曖昧なことから、両方が存在したと思われる13世紀が一番適切だと思った
だけのこと。
そもそもアイヌに文字が存在しないことから、周辺国の文献に頼らざるを
えない。もちろん曖昧な部分や誤差も生じるだろう。ただ俺的には13世紀
は特別な時代だったと思う。
まず元寇。当時、アイヌは中国の文献では骨鬼と呼ばれており、ギリヤーク
(今の二ヴフ)と対立していた。ギリヤークは元に頼み、アイヌを掃討しよ
うとしていた。13世紀はまさに激動の時代だったと言っていい。
アイヌの歴史は縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ→現代と言われる。
君の言う3世紀はちょうど内地では弥生時代に当たる。北海道ではその頃は
まだ縄文時代であり、オホーツク文化人の流入はあったにせよ、それほど
勢力が強かったとは思えない。
やはり13世紀が分岐点だったと思う。色んな文献にも13世紀という数字は
目にするし、縄文人とオホーツク人の文化を受け継ぐアイヌが誕生する直前
という意味でも意義深い。
ちなみにアイヌのイオマンテ(熊送り)は元々はオホーツク文化人の風習
らしい。またアイヌには縄文人のD2の他にオホーツク文化人のC3も検出さ
れることから、アイヌが縄文人とオホーツク文化人を土台にした存在だと
言えると思う。