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山師のルーツは古く、基本的に世襲だった。
6世紀、朝鮮半島から渡って来た技術者が元で、
祖先は天皇家とともに新羅から渡って来たと信じられていたようだ。
岩見は灰吹き法という朝鮮由来の技術が無ければ銀の採掘はほぼ不可能で、その点でも尊敬されていた。
日本古来の方法では銀と不純物との分離が出来ないからだ。
新羅三郎がその名の通り、新羅王族の末裔であるという理由で格別の尊崇を受けたように
日本が半島人を尊崇していたのは紛れも無い事実だった。
鎌倉武士はみな、半島由来である事を喧伝している。
山師達は、刀に古代の天皇の名を刻んだ刀を持っていたという。
それは、実際に正倉院や各地の神社にあるものと同じで、半島由来の諸刃直刀だ。
実を言うとこの刀は、江戸時代に流行した考古学の影響でつくられたもので、
野鍛冶の副業として大量に濫造された一種の土産物であったという。
山師は半島人を祖先に持つものの挟持として、そして部下に対するはったりとして、
これらの刀を身に帯びていたのではあるまいか。
無知な労働者は信じただろう。
里で人にあった時、商売のため、またはある種の自己防衛のため、
自分たちは新羅からやって来た最も古い一族の末裔(の部下)であると語っただろう。