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明治期は経済構造も激動期だったから、中期には大量の失業者がでた。
非鉄金属採掘は特にそれが厳しく、外国人指導者の導入により地質学の専門家を育成し、
山師と呼ばれる、山を巡り歩いて鉱脈を探し当てる人々はお払い箱となった。
そもそも山師も鉱山労働者もその帰属は請け負い業者にある。
彼らは一つの職場で働いていても、組ごとに分かれていて雇用条件は一様ではない。
その多くは幼少時に売られて来た貧農の次男・三男坊だ。身よりもない。
外国人指導者は、この請負業者の存在が著しい生産の非効率化を招いてるとして解体させた。
つまり彼らはその組ごと、流浪の民になった。
山師は彼らのステータスシンボルであったからその頭領となっただろう。