11/04/02 05:31:18.32
>少なくとも江戸時代に朝鮮からの流民が日本で生活するなんてありえんだろう。
いや?普通に沢山いたよ。
いわゆるエタの何割かは朝鮮からの移住者で、近隣住民とのトラブルが多発していたのは
同和問題の文献に多く記載されている。
ただ、多くの流民は部落にもはいれず、仮の身分である非人扱いされ
その多くは都市部の河原に市などを立てていたようだ。
その由来も諸説あり、済州島の流刑者、あるいは朝鮮出兵の際に連れてこられた奴隷兼船の重り、
通信船の密航者、銀山労働者(銀山開発の技術は全て朝鮮経由)の連れてきた奴隷の子孫、などなど。
どの文献で読んだか忘れたが、川の河口から上流までびっしりと彼らの小屋が立っていたと言う話もある。
この時代にはサンカは必ずしも「山で暮らす」という定義はなかったらしい。
また、非人はエタと違い指定地域への定住が義務づけられておらず、
金さえ在れば普通に町内で暮らす事も出来た。
しかし現実は厳しく日本人と同じ生活は難しかっただろうから、
盗みを働いたり無断越境し罪人になり、いつしか山に隠れ住んだと考えてもおかしくはない。
>>43
別に土蜘蛛=サンカって話じゃないよ。
だったらペクチョンの話なんか出るわけ無いじゃん。枝が何たらってきかれたからそういう話をしただけ。
ただ、同書は主にアイヌと大和政権の関わりの歴史や、大和民族とアイヌの言語形態の類似点を列挙しているが、
その際に西日本の先住民族に触れ、サンカとは言っていないものの類例が近代にまで存在している事を書いている。
著者のは巻末に柳田と映ってる写真を誇らしげにして、民俗学についても語っている。
同著は民俗についても触れている部分は多いよ。アイヌのだけどね。
ムーの話は知らん。