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現実的に彼らの生活形態を観ても、それが太古からの形態ではあり得ない事も解る。
彼らの存在で、最も大きな矛盾点はその人口数だ。
例えば一般的に採集民とみられているアイヌも、農耕も山と民族相手の交易もやっていた。
そして、膨大な遡上鮭と冬季の狩猟が彼らの人口を支えていた。
その総数、全国で3万ないし5万、とみられている。
中国地方は、北日本のような手つかずの豊かな自然は無い。
農耕も貿易もせずに、狩猟採集だけではアイヌよりもずっと少ない人間しか生きていけない。
しかし、現実には10数万、あるいは30万とまで言われたサンカが存在していたとされる。
それはつまり、それだけの数の人間の生活を支えていた、高収益をもたらす大規模な産業の存在があった事を物語っている。
中国圏では、それは製鉄以外に考えられない。
ならば、なぜ、サンカの人々が製鉄従事者であった事を語らないのか。
そこには幾つかのの理由があると考えられる。
一つは、彼らは一種の奴隷であり、非差別民であった事。
一つは、何ら連携ももたない、各地の民衆や犯罪者の寄せ集めであった事。
一つは、明治期に興った労働者の社会保障/人権問題に過敏になった政府が、
その権力者のお膝元でる山口のサンカ事情に憂慮し
政治的理由からサンカという大失業者の問題を徹底的に隠蔽し、記録を消去し
本人達も弾圧による身の危険や国に対する従属心から表立った活動をしなかった事。
で、あろうと思われる。