12/04/20 19:15:19.47 Tvcd8Yl0
よくわからんけど「太極旗」が三色三つ巴旗に似てるんじゃなかろうか
751:マンセー名無しさん
12/04/20 21:13:03.01 l4HgrFto
三つ巴紋と太極旗に何の関係があんの?
752:マンセー名無しさん
12/04/20 21:32:55.89 UyPjk58E
>>750
あれで似ているなら、蟹座のマークやペプシも太極旗だな
753:マンセー名無しさん
12/04/21 09:11:28.27 YzyGS/Ni
お祭りの提灯や団扇にも三つ巴のマークあるよ
御神輿の屋根部分とかも。
754:マンセー名無しさん
12/04/21 17:05:00.37 8dauyKba
>>740
>日本国へ「種子島」伝来の100年前に琉球王国には明から「火矢」が。
何かこの「火矢」、やたら強調されるけど、
実用された証拠は一切無いんだよねww
①1470年に琉球に漂着した朝鮮人金非衣は礼砲としての用法しか報告してない。
1466年の足利義政に対しても礼砲として用いられてる。
②考古学的にも現物が一丁も見つかってない。つまり数が全然ない。
③これはハンドキャノンと言われてるがそもそも何の根拠もない話。
以上の使い方を見る限り爆竹の一種と考えるべき。
755:マンセー名無しさん
12/04/21 17:10:04.20 8dauyKba
また上原兼善は、1592年の謝名一族の反乱で「火矢」が用いられたとしている。
しかし原文は次のとおり「火を矢に繋ぎて彼の屋上に射るに、
倏然として、火姻大いに起り、房屋を燼す。」
どうみても火をつけた矢ですwww
つーか当時曳光弾があったと言う話もないから、
ただの鉛球で点火するなんて無理www
学者はバカすぎww
756:マンセー名無しさん
12/04/21 17:16:11.25 8dauyKba
また考古学的に土弾や石弾も見つかってるから
中世琉球には火砲があったとも言う。
裏を返せば、考古学は火砲そのものは一切発見してないww
人力やバネの力で投石するのにも土弾や石弾は有用です。
またグスクに銃眼があるから火砲があったとも言う。
ちなみに矢狭間も同じ形をしている。
琉球征伐では琉球側は一切火器を使用していない。
上里が大好きな大石火矢は、
「琉球入ノ記」という軍記物にしか登場しない。つまりデタラメ。
757:マンセー名無しさん
12/04/21 17:22:31.46 8dauyKba
>>740
>わずか11日で薩摩に降伏は間違いですよ!1ヶ月はかかってます。
確かに間違いだな。正しくは僅か10日www
25日酉の刻本島着。
4月4日尚寧王下城
5日首里城接収。
758:マンセー名無しさん
12/04/22 07:00:14.76 0Frdda6Y
>>757
沖縄本島の事だけだよね。
面白いことに、どんな資料(ネット)を含めて琉球軍の総数は沖縄本島の4000人だけで、奄美群島民の兵力は省かれているね。
侵攻3年前に来ていた冊封使も、薩摩の噂を聞いて、琉球側ののんびりした雰囲気に呆れていたらしい。
その冊封使が、琉球に軍事訓練を施したり、帯同職人に軍備の整備をやらせたり、なんだかねえ。
あと、琉球王が明に送った書簡には、薩摩に属地(多分奄美のこと)を割譲すれば琉球は安泰と書かれていたらしいが。
759:マンセー名無しさん
12/04/22 08:26:42.53 3yDmWc9B
>>754
爆竹の一種とかも妄想でしょ? 証拠あるの? 根拠出せないならお前も妄想。
760:マンセー名無しさん
12/04/22 08:53:22.53 rkQFq83A
>>759
>①1470年に琉球に漂着した朝鮮人金非衣は礼砲としての用法しか報告してない。
>1466年の足利義政に対しても礼砲として用いられてる。
どう見ても実弾を発射するタイプではない。
音を鳴らすだけのオモチャ。
761:マンセー名無しさん
12/04/22 08:58:08.70 rkQFq83A
>>758
本島4000人ってのは学者どもの最大の詐欺行為だよ。
琉球征伐に関しては二つの一次史料がある。
薩摩の中堅武士、市来孫兵衛の「琉球渡海日々記」と
琉球側の茶人喜安の「喜安日記」
このいずれにも4000人もの大軍団なんぞ影も形も見られない。
喜安日記によれば琉球側は26日に早くも「無為和睦」の使者を派遣している。
初めから一貫して土下座路線なんだよ。軍隊は召集してない。
戦っても死ぬだけだし、ぶっちゃけ兵士が集まるかも疑問。
何と言っても「物呉ゆしどぅ我が主」だからなwww負け犬は見捨てられるだけ。
762:マンセー名無しさん
12/04/22 09:04:49.22 rkQFq83A
>>758
それはさくほう使の夏子陽の話だが、
真に受けるのはやめた方がいい。話の経緯は次のとおり。
①日本が攻めてくるらしいけどお前ら大丈夫?
②そんな気配はないし琉球には神様がいるから大丈夫です。
③・・・と言ってるバカな野蛮人に、
ウリが職人に命じて鋭利の器械を作ってあげました。
軍事訓練を施したという話はあなたの勘違い。
この話には致命的な問題点がある。
①薩摩に対抗するには鋭利の器械が3000は必要なんだけど
職人を何人連れてきてたの?
②鉄材はどこから調達したの?夏子陽の管理下にあるのは、
琉球が他の使い道を考えてたはずで勝手に使われちゃ困るんだけど?
③つーか中国剣じゃ日本刀には対抗できない。
その上向こうには鉄砲がある。明人なんぞ何の助けにもならない。
763:マンセー名無しさん
12/04/22 09:15:37.86 rkQFq83A
>>758
実際の琉球征伐時に夏子陽の鋭利の器械が役にたった気配はないし、
役立てようとした気配もないし、
以上の如くそもそも役に立つわけがない。
ここから有力に推測できるのは
①琉球は薩摩軍が攻めてきたら土下座するつもりだった。
②でも明人に「薩摩に土下座するので大丈夫です」とはいえないので、
「いやぁ来るわけないですよ」と言い訳した。
③夏子陽はこれ幸いと蛮人に恩を施す明人ぶってみせた。
④琉球人は「マジうぜぇコイツ。お前ただのパシリだろ」
と思いつつ、自分の立場をわきまえてへらへらお世辞を言って済ませた。
・・・という事だね。いずれにせよ中身のある話じゃないね。
「喜安日記」に見る王府は充分現実的だよ。
無駄な抵抗せずに速攻土下座決定してるからね。
764:マンセー名無しさん
12/04/22 09:30:59.17 3yDmWc9B
>>760
現代でもそうだけど、礼砲も本物で空撃ちしてるんでしょ? まさか足利義政向け
て実弾放つわけないよね? 頭大丈夫?
要するに、外交儀礼で「琉球にはこんな武器もあるですよ~」って見せただけ
なんだから。
765:マンセー名無しさん
12/04/22 09:32:40.87 rkQFq83A
>>758
>あと、琉球王が明に送った書簡には、薩摩に属地(多分奄美のこと)を割譲すれば琉球は安泰と書かれていたらしいが。
原文は全く違う。
>日本甼摩州の倭酋他魯済・呉済等鳩党して海島に流毒し、属地に蔓
>肆し、進貢行程を阻滞するを致す。
用は王国の土地に好き勝手に押し寄せてきたって話。
土地を割譲するとかいう話ではない。
766:マンセー名無しさん
12/04/22 09:33:01.63 3yDmWc9B
>礼砲(れいほう)とは、国際儀礼上行われている、大砲を使用した、軍隊における
>礼式の一種である。空包を発射し、敬意を表明する。かつての大砲(先込め砲)
>は連射ができなかったため、敵意のないことを示すために行われたのが起源と
>いわれている。英語では「Gun Salutes」という。
実弾放つ馬鹿どこにいるの?
空砲だから武器じゃないとか、トンデモ理論ですよ。
767:マンセー名無しさん
12/04/22 09:35:08.83 rkQFq83A
>>764
琉球の「礼砲」は現代の礼砲とは違う。
実弾を発射した証拠が一切ない。
その証拠を出してから言うべきだね。さもなきゃただの妄想www
768:マンセー名無しさん
12/04/22 09:36:06.61 3yDmWc9B
>>763
戦前の日本人だって、竹槍訓練してましたけど。竹槍でB29に対抗できるわけ
ないのに。
769:マンセー名無しさん
12/04/22 09:37:11.01 rkQFq83A
>>766
そもそも琉球の「鉄砲」が実弾を発射できた証拠は一切ありません。
大きな音を出せる道具で、儀礼的に用いられた、
という史実が確認されてるだけ。
トンデモはあなたですwww
770:マンセー名無しさん
12/04/22 09:37:54.81 3yDmWc9B
>>767
礼砲向けの礼砲って、鉄が貴重な時代にそんな贅沢する可能性はないと思うけど?
普通に考えれば、実戦用の武器を空砲したってことでしょ。
771:マンセー名無しさん
12/04/22 09:39:32.79 3yDmWc9B
琉球使節が鉄が貴重な時代に、足利義政驚かすために火薬で音を鳴らすおもちゃ
を製作してたなんて、あり得ないし、もしそうなら証拠示さないと。
772:マンセー名無しさん
12/04/22 09:40:55.26 D8Bp0w81
>>768
話のつながりが全く見えません。
琉球は竹槍訓練すら一切行ってません。
太平橋の琉球士族は戦果ゼロで速攻逃げましたwww
773:マンセー名無しさん
12/04/22 09:44:02.78 D8Bp0w81
>>770-771
鉄砲一丁作るのに鉄は大していりませんし、
そもそも鉄でできていた証拠もありません。
>普通に考えれば、実戦用の武器を空砲したってことでしょ。
あなたの普通は世間の非常識。根拠を示してから言ってください。
>足利義政驚かすために火薬で音を鳴らすおもちゃを製作してた
足利義政を驚かすためではなく儀礼全般に用いるためです。
朝鮮人金非衣も同じ儀礼を観察しています。
774:マンセー名無しさん
12/04/22 09:44:50.86 3yDmWc9B
>>773
>礼砲(れいほう)とは、国際儀礼上行われている、大砲を使用した、軍隊における
>礼式の一種である。
775:マンセー名無しさん
12/04/22 09:46:04.38 D8Bp0w81
>>774
当時の国際儀礼と今の国際儀礼は違います。
776:マンセー名無しさん
12/04/22 09:54:03.65 3yDmWc9B
>>775
どうちがうの? 足利義政に向けて実弾発射するなんて考えられないけど?
鉄が不足して刀すら日本から大半輸入してた琉球が鉄のおもちゃ作ったの?
証拠は? ぜんぶ妄想だよね? 自信あるなら学会で発表してみたら?
777:マンセー名無しさん
12/04/22 09:58:32.12 D8Bp0w81
>>776
>足利義政に向けて実弾発射するなんて考えられないけど?
そもそも実弾発射できたかどうかが怪しいですねww
>琉球が鉄のおもちゃ作ったの?
そもそも鉄でできていた証拠もありません。
>証拠は? ぜんぶ妄想だよね?
琉球の「鉄砲」が兵器だったという
あなたの話が何の根拠も無い妄想ですねww
>自信あるなら学会で発表してみたら?
あなたが機会を作ってくれたら喜んで応じますよww
778:マンセー名無しさん
12/04/22 09:59:47.31 3yDmWc9B
「一、火筒、其の大小及び体制は本国の制の如し。」(李朝実録)
↑どうみても武器だと思うけど? おもちゃ? この一文のあとに「一、弓矢、桑木を
以て弓を為り……」って続いて、ずっと琉球の武器の話が続いているけど?
おもちゃ? 李朝実録ぐらい目を通しているよね? え、読んでないの?
779:マンセー名無しさん
12/04/22 10:03:00.98 D8Bp0w81
>>778
初期の火薬兵器は実弾を発射するものとは限りません。
当時の中国朝鮮には火槍という武器がありましたが、
これは単なる爆竹に毛が生えた代物です。
780:マンセー名無しさん
12/04/22 10:13:54.85 D8Bp0w81
私が琉球の「鉄砲」の正体と推測するのがまさにこの「火槍」ですね。
史実として確認される儀礼的な使用例、
「音は出るが実害はゼロ」にも合致します。
おもちゃと変わらないので兵器としては用法が限られており、
琉球に使いこなせたとは思えません。
私の推測は、「古琉球では火器の実用例が一切ない」
という史実と完全に符合します。
781:マンセー名無しさん
12/04/22 10:17:06.12 3yDmWc9B
>>779
『李朝実録』の火筒の箇所の前後は全部、琉球の軍制や武器の話が書いてあるけど?
火筒だけおもちゃなの? 古文書の読み方として、とても考えられないと思うけど、もし
その解釈に自信があるなら学会で発表してみたら?
武器だけど性能は低かった、なら可能性はあると思うよ。それは否定しないよ。でも、
最初からおもちゃ? あり得ないと思うけど? 自信があるなら学会へどうぞ。
782:マンセー名無しさん
12/04/22 10:19:52.84 D8Bp0w81
>>781
元軍も「てつはう」なる火薬兵器を実用しましたが、
効果はほとんどありませんでした。
投石や弓矢の方が遥かに威力が高いです。
しかしそう言った「おもちゃ」をコツコツ使い続けて、
火縄銃まで進化したのです。
しかし琉球には「おもちゃ」をコツコツ改良するような
余裕も能力もありません。儀式に使って終わりでした。
783:マンセー名無しさん
12/04/22 10:22:41.34 D8Bp0w81
>>781
>火筒だけおもちゃなの? 古文書の読み方として、
>とても考えられないと思うけど、
「火筒」が実弾を発射できたとか、実戦で使われたと書いている古文書は
一切ありません。
あなたの読み方のほうが考えられません。
あなたの妄想まみれの読み型は、誰が教えたものですか?
784:マンセー名無しさん
12/04/22 10:25:19.93 3yDmWc9B
>>783
そもそも古琉球期の史書がないけど? 最初の史書は中山世鑑で17世紀ですよ。
古琉球期は石碑とかしかないですよ。
785:マンセー名無しさん
12/04/22 10:28:41.03 3yDmWc9B
火筒の使用例がない? そりゃそうでしょう。三山統一以後、ろくに戦闘がないんだから。
おまけに最初の史書は17世紀。
しかし、使用例がないから武器じゃないって、トンデモ理論ですよね。
武器の使用例がないと武器ではない、は別論理。サルでもその違いは分かります。
786:マンセー名無しさん
12/04/22 10:28:58.82 BjmFeFai
>>784
学者どもの妄想よりも史書が描く古琉球の方が真実に近いです。
また考古学的にも火砲は一切見つかっておりません。
繰り返しますが、あなたのお粗末な古文読解は誰から教わったものですか?
787:マンセー名無しさん
12/04/22 10:32:52.92 3yDmWc9B
>>786
人に説教する前に、『李朝実録』くらい読みましょうよ。あれ読めば、武器だって分かる
から。だって、前後の話が全部武器なんだから。
文献も読まずに学者批判とかして、アマチュア以下ですよ。
788:マンセー名無しさん
12/04/22 10:34:30.67 BjmFeFai
>>785
アカハチの乱には46艘の軍船と公称3000人の大軍団が出動しています。
これは紛れもなく琉球史上最大の軍事行動です
また三度にわたる大島征伐も行われています。
碌な軍事行動がない、というあなたの考えは明らかに間違いです。
>しかし、使用例がないから武器じゃない
そんな事は一言も述べておりません。その辺の石ころでも武器になりますし、
元軍のてつはうや中国の火槍ですら一応、こけおどし程度ながら
武器として使われています。
私は、琉球は「鉄砲」を武器ではなく儀礼上の道具としてのみ使っていた、
という「史実」を確認しているだけです。
789:マンセー名無しさん
12/04/22 10:37:37.80 BjmFeFai
>>787
武器というカテゴライズと、実用性とは必ずしも関係しません。
琉球は史料上、
「鉄砲」を大きな音を出す爆竹としてしか使っておりません。
790:マンセー名無しさん
12/04/22 10:44:50.46 BjmFeFai
>>787
>文献も読まずに学者批判とかして、アマチュア以下ですよ。
そのアマチュア以下の人間にあっさり論破される気分はいかが?www
学会出してくれたら
お前の大好きなトンマな学者どもも全員論破してやるんだけどなぁww
791:マンセー名無しさん
12/04/22 10:54:56.52 BjmFeFai
>>784
>古琉球期は石碑とかしかないですよ。
そういや石碑絡みで面白い話がある。
1554年の屋良座森城の碑文には、
「一旦緩急あるときには首里城、那覇、
垣花・屋良座森城の三点を守れ」って指示がある。
上里隆史は歴代宝案の裏づけとしてこれを使用している。
この通りにしたから那覇港の戦いが生じたというわけ。
歴代宝案も上里もデタラメなのは既に説明したけど、
そもそも50年前の指示を真に受けるわけねーだろwww
状況が全然違うわなwwwつーか薩摩相手に分散するなんて自殺行為www
王府はこんなの無視して太平橋に虎の子の100人送ってる。
学者はバカ過ぎなんだよねwww
792:マンセー名無しさん
12/04/22 10:58:07.69 BjmFeFai
そもそも1522年の真珠橋碑文にはまた別の首都防衛計画が指示されている。
ここでは「全力で垣花を守れ」と指示されている。
見ての通り屋良座森城の碑文とは全然違うwww
碑文そのものが碑文システムに従うことの馬鹿らしさ、
つまり状況の変化に対応できない、という事実を証明してるんだけど、
学者どもは馬鹿だから気付いてないんだよねwww
793:マンセー名無しさん
12/04/22 11:00:35.44 3yDmWc9B
>>788
だから、礼砲の定義出しましたよね? 武器を儀礼用として使うのと、武器じゃない
はイコールじゃないんですよ。
礼砲ってそもそも武器を空撃ちしてるんだから。
794:マンセー名無しさん
12/04/22 11:02:20.35 3yDmWc9B
>>790
>学会出してくれたら
>お前の大好きなトンマな学者どもも全員論破してやるんだけどなぁww学会出してくれたら
推薦状あれば、学者でなくても学会に入れますよ。あなたの説を誰か沖縄学の教授に
でも書いておくって、「ぼくの説は画期的だから学会で発表したいです」って伝えて、
推薦状書いてもらえば?
795:マンセー名無しさん
12/04/22 11:06:32.45 BjmFeFai
>>793-794
あなたの「礼砲」の定義は史料上の琉球の「鉄砲」とは一致しません。
琉球の「鉄砲」は「大きな音を出す爆竹」としての性質しか確認できません。
あなたが口ぞえしてください。
「ネットで馬鹿な事を言ってる奴がいるのですが
ウリは論破できません!是非先生方、ガツンと言ってやってください!」
ってねwww
彼らは火器がらみ以外でも馬鹿げた妄想を山ほど吐いているので、
私としても望むところですよwww
796:マンセー名無しさん
12/04/22 11:27:32.24 BjmFeFai
学者どもの妄想↓
古琉球にはハンドカノンがあった!
現実↓
①琉球の「鉄砲」がハンドカノンだった証拠はない。
②実戦で使われた証拠も一切ない。
③「大きな音は出るが実害ゼロで儀礼的に使用された」という史実はある。
バカの推測↓
ハンドカノンを空砲で撃っただけニダ!絶対ハンドカノンだったニダ!
俺の推測↓
ハンドカノンより更に原始的な
「火槍」という爆竹に毛が生えたおもちゃだったんじゃね?
どっちが正しいかは個々人で判断すれば良いこと。
797:マンセー名無しさん
12/04/22 11:36:14.17 BjmFeFai
あと上原兼善は「火砲の存在が琉球統一を早めた」とも述べている。
これには史料的根拠が一切ない、という事実はさておき、
ハンドカノンは銃身が短く視線と銃身も一致しないので、命中精度がうんこで
有効射程は10m未満。攻撃兵器としては使用不能。
ハンドカノンが実在しても統一を早める力にはなりません。
また琉球士族は琉球征伐を見れば分かるとおりタマなしなので、
敵を目前までひきつけて撃つような芸当ができるとも思えませんww
びびって早撃ちして明後日の方向にタマを飛ばすのがオチだろww
798:マンセー名無しさん
12/04/22 12:12:19.79 BjmFeFai
>>758
>奄美群島民の兵力は省かれているね。
あれを「琉球軍」と見なすかは微妙なところだからね。
省く人の気持ちは分かる。
琉球の主権者は尚寧王だけど、
奄美群島で薩摩と戦った集団は尚寧王とは無関係だからね。
ガリバルディはイタリア王国のために戦ったが、
ガリバルディ軍をイタリア軍とは普通言わない。
イタリア王国軍は別にいるから。
この件に関しては上里隆史あたりが悪辣なミスリードを試みてるから、
「琉球軍」の定義については慎重になるべきだと思う。
少なくとも奄美諸島軍を「琉球軍」と言う場合には、
在地豪族の有志が王府とは無関係に立ち上がった事を注釈すべきだと思う。
799:マンセー名無しさん
12/04/22 12:20:58.92 BjmFeFai
いや、やっぱ俺は奄美群島民は琉球軍から外すべきだと思う。
例えば宮古軍も加わった対アカハチ軍を
「琉球軍」と一まとめに形容するのはアリだが、
その後に与那国を征服した宮古軍を「琉球軍」と表現するのは
やっぱ違うよね。
鬼虎征伐は王府の命令なんだけど、
戦費も計画も宮古の自前だからね。琉球軍と表現したら凄く誤解を招く。
やっぱ宮古軍と表現すべき。
ましてや奄美群島の軍事勢力は王府の命令すら受けてないんだから、
琉球軍とは表現すべきではない。
800:マンセー名無しさん
12/04/22 12:23:59.90 BjmFeFai
4000の琉球軍なんてデタラメである以上、
琉球征伐時の「琉球軍」は太平橋の100人だけだね。
物を呉れない君主に味方してくれる琉球士族はそんだけって事ですよwww
801:マンセー名無しさん
12/04/22 13:14:06.95 0Frdda6Y
>>798
奄美に正規軍が来ないから、仕方なく地元民が手弁当で薩摩にたち向かったで良いじゃね。
奄美側歴史家の解釈もそんな感じだし。
802:マンセー名無しさん
12/04/22 13:18:50.29 0Frdda6Y
>>799
>>758の解説、ありがとう。
803:マンセー名無しさん
12/04/22 13:27:16.46 BjmFeFai
>>801
まあそうだね。
ただ奄美諸島軍の規模の点については再度確認しておきたい。
本島の学者どものホラを真に受けてる奴がまだいるから念のため。
①大島について
「渡海日々記」は戦いを一切報告してない。
また「笠利氏家譜」はむしろ薩摩側に味方して島人を降参させたと述べる。
「前里家家譜」も薩摩軍に補給物資を供給したと述べる。
大規模な戦いは確認できないだけでなく、
有力豪族はむしろ薩摩側に回っており、大規模な軍隊は形成不能。
地元の伝承によれば抵抗はゼロでは無かったようだが、
同時代史料と照合すれば些少なものと見なすべき。
「琉球入ノ記」の3000人の大親軍などマトモに取り合うべきではない。
804:マンセー名無しさん
12/04/22 13:53:20.92 BjmFeFai
②徳之島について
「渡海日々記」はこれまた戦いを一切報告していないが、
市来孫兵衛が徳之島(秋徳港)についたのは20日であり、
その時点で戦いはとっくに終っており矛盾しない。
渡海日々記によれば16日に徳之島に出発した13艘があるが、
これが薩摩側交戦兵力。肝付家文書ともぴったり合う。
(カナグマについたのが二艘、湾屋についたのが8艘、
秋徳についたのが2、3艘。合計12~13艘)
徳之島の戦いについて最も信頼すべき肝付家文書によれば、
「公の船及び白坂式部少輔の船唯二艘、徳之島の内カナグマに着す。
此間18里。従者の船(肝付衆は全部で3艘なのでこれは一艘のみ)は
同島の内ワイナ(湾屋?)に着す。
共に着する船七艘なり(つまり湾屋に着いたのは全部で8艘。
琉日戦争は足し算をサボってる)。ここにて敵一千ばかりかけ来たり、
通夜舟の辺を囲居るの際、翌18日、各船より下りて鉄砲を放ちかくれば、
暫も支えず崩れ行を追い打ちに首50ばかり討ち取りけり。
同20日、同嶋の内あき徳に到る。味方の舟二三艘此所に着けるに、
敵寄せ来りしをここかしこに追詰、二三十人討取しと云々」
805:懐疑主義者 ◆E/9nfHuGUg
12/04/22 14:18:54.69 KO6wWh55
さて、ハンドキャノンですが、
「図解古銃事典」(所荘吉著・雄山閣刊)と言う本に、
(ISBNコード ISBN4-639-00641-X C3572 \5800 )
中国及び朝鮮の"手銃"と言う武器についての項目があります。
〔銃筒〕とか〔銅銃〕と言う言い方もされているようだ。
「至正型銅銃」、「洪武型銅銃」「永楽前期/後期型銅銃」と分類されている。
朝鮮式のものは〔銃筒〕と言うらしい。
これは「勝字銃筒」、「地字銃筒」、「黄字銃筒」「四字銃筒」と分類されているようだ。
文字通り、「銅」や「鉄」で出来ているパイプ状の筒型の銃である。
で、それがどういうものだったのか、書いて有ったから引用する。
>手銃の点火方法は指火式であって、
>当初は弾丸を発射するというよりも、
>爆発の音と火光をもって敵をおそれさすのが目的であったので、
>兵器としてはさほど有効なものとはいえなかったが
>中国人はこれを神器と称して尊崇した。
>この形式の銃は鋳造技術の進歩にともない、
>後には各種の大型火器を作ることが出来るようになった。
朝鮮の銃筒がいつ頃から有ったのかと言うと、
>高麗朝恭愍五五年(1356)に明から伝わって以来、
>李朝正宗の末期1800年ごろまで450年の長い間製作されたため、
>数種の様式が生まれている。
また、銃筒の項目の最初には、
>朝鮮の火器は、初め明に範を取って模製したが、時代と共に朝鮮式の形式に進展し、
>日本の鳥銃が伝わるまでは、主要兵器として様々の形状のものが作られた。
とあるな。朝鮮に伝えた位だから、時間的余裕はともかく、琉球にも伝えただろう。
・・・・・・・・兵器として使えるかどうかは疑問だが。
806:マンセー名無しさん
12/04/22 14:19:39.68 UnYWk51Q
珍しく半島人種が大人しく発言しなくなったのは、
これら琉球諸島域に比べて
半島は近隣に仕掛けた戦が小紛争ばかりで返り討ちにあっていて
ろくな戦果がない半島戦史の自慢できる点が無いから?
807:マンセー名無しさん
12/04/22 14:38:23.71 BjmFeFai
>>805
解説サンクス。
まぁ「琉球には火縄銃より前に火薬兵器があった!」
とか誇らしく言ってる連中に俺が聞きたいのは、
そんなものがあったら何なの?どんな得があったの?
って事だねwww役に立つなら日本人だって使うだろうさww
火縄銃は大いに役立ったけど、
琉球のハンドカノンが戦争で役立った事例なんて一例も無いからねww
役に立たないハンドカノンよりは掟兄弟の棍棒の方が遥かに上等だろwww
808:マンセー名無しさん
12/04/22 15:28:43.89 BjmFeFai
>>801
あなたは奄美の歴史業界に詳しいのかな?
「琉日戦争」は奄美の在地研究者にはどう受け止められてるんだろ?
809:懐疑主義者 ◆E/9nfHuGUg
12/04/22 15:44:32.01 KO6wWh55
>>807
確かにそうでしょうね。銃とは言っても、敵に混乱を巻き起こす為の物ですから。
前出の「図解古銃事典」には、
発射後、棍棒のようにして使う「三眼銃」と言うのが有ったと言う事です。
これは、中国の武器で、
>三本の銃身が、三または四個の箍で固定され、
>袋柄の尾筒があるもので、
>銅銃のように薬室の膨らみはなく、同じ外形の銃身である。
>火門は三本の銃身に対して一つであるから、
>薬室部は連結されており、
>点火すれば、三銃身同時に発火するようになっている。
>『神器譜』や『兵録』でみると、
>騎兵が用いたもので、発射後、
>悶棍の代わりにこれを振って敵を搏撃するのに用いたもののようである。
となっているので、琉球のハンドキャノンも、長い柄が付いているのでしょうから、
撃った後は棍棒代わりにしていたのではないかと。それで敵軍に突進していったのでしょう。
810:マンセー名無しさん
12/04/22 16:05:43.71 tZcjJSoY
このスレ見てると琉日戦争って日本の戦国時代のように
刀身銃弾相乱れる戦闘というものでなく
架空戦記物みたいに思った方がいい気がしますね。
811:マンセー名無しさん
12/04/22 16:18:37.57 0Frdda6Y
>>808
そんなこと無いよ、奄美の歴史研究者の人たちが書く本を愛読してるだけなんで。
でも一人だけ名刺交換したかな。
それで「琉日戦争」に付いてのコメントはまだ見たことも聞いたこともないんだけど、
沖縄と違って、政治がらみなことには関わりに成りたくないという意見はよく見かけるよ。
812:マンセー名無しさん
12/04/22 16:23:25.96 BjmFeFai
>>810
全くもってその通りですww
琉球は戦う気ゼロ、一貫して「無為和睦」を乞うており、
そもそも軍隊の召集すらしていません。
小競り合いはゼロではないが、
大規模な戦闘は一切ありません。
「琉日戦争」は、一次史料を無視し、
創作性の高い軍記物を優先し、さらに独自の改ざんを加えたトンデモ本です。
つーかあの本の経過の一部は物理的にあり得ませんwww
例えば「喜安らの船は、運天を3月29日夜半に出発、
牧港に4月1日午前四時に到着、上陸して夜更けに首里城着!」
運天から牧港までは80kmはあるので、
エンジンでもついてない限り四時間では着きませんw
また4月1日の夜更けには何もかも終ってますww
事実は次の通り
「29日早朝運天発。酉刻運天着。亥刻牧港着。夜更けに首里城着」
これだけではありませんww
ていうか上里の根拠の無い妄言は数え切れません
813:マンセー名無しさん
12/04/22 16:29:42.01 BjmFeFai
>>811
まあ歴史学は本来そうあるべきだよね。
>政治がらみなことには関わりに成りたくない
現代の政治観、自分の政治思想は
研究の際にはスイッチオフしないと、歴史的真実には辿り着けないよ。
814:マンセー名無しさん
12/04/22 17:00:14.94 BjmFeFai
琉日戦争読んでると、
コイツは本島の地理を知ってるのか?算数や国語はできるのか?
って心配になるわww
まぁ上里だけならまだしも、アレの言ってる事は大半が
高良クラキチからの受け売りだからなwww
算数もできないバカでも教授になれるんだから
歴史学ってのはボロい商売だわww
815:マンセー名無しさん
12/04/22 17:05:02.67 hwB2soTL
武器が日本のほうが優れていたからと言って
日本人が人種的に他民族より優れているとは
ならないと思うよ。
好戦的がそうじゃないかでしょ。
816:マンセー名無しさん
12/04/22 17:21:52.96 BjmFeFai
ところでこれは他の人の意見も聞きたいんだけど、
学者どもの共通認識として「薩摩軍は短期決戦を目指していた」
ってのがある。ところがその根拠である「覚」にはこうある。
「いつれのみちにも利運に相済み候ハハ、少しも逗留無く、
早々軍衆六、七月の比は引き取る可き事」
つまり「幸運にも事が済んだらさっさと帰ってこい」
という話であって、不運にも事がすまなかったらその限りじゃないわけww
この時点で学者どもの考えはまたしてもバイアスがかかった妄想なんだが、
そもそも薩摩は3月4日に山川を出発してるわけだから、
幸運な場合でも3~5ヶ月の期間が見積もられてるわけよ。
この時点で短くなくない?むしろ余裕があるだろ。
沖縄戦も三ヶ月、インパール作戦は四ヶ月続いたけどこれらは短いか?
皆はどう思う?
817:マンセー名無しさん
12/04/22 17:49:19.35 BjmFeFai
史実上の琉球王国は全く無抵抗だったんで、
事実上琉球征伐の労力=3000人を移動させる労力なんだけど、
それで一ヶ月かかった。
対して3~4ヵ月見積もってるって事は相当の余裕があると思うww
琉球士族が史実とは真逆で、掟兄弟クラスが普通っていう
勇者集団だったとしても、こんだけ粘れるとは思えんww
818:マンセー名無しさん
12/04/22 20:34:30.91 bBHe9Lp5
「琉日戦争」の那覇港3000の問題点は
一次史料に一切出てこないって事だけじゃなく、
物理的にも存在し得ないってことww上里いわく
「午後2時、那覇港で薩摩軍と交戦。その後何事もなく首里城に移動した」
ちょっと待てとww首里城は薩摩軍が包囲してるんだが、
どうやって何事も無く移動するんだww
或いは薩摩軍が包囲を解いて那覇に移動を始めてから入るわけか?
3000と3000がすれ違うって事か?
首里・那覇間で悪夢的な大混雑が生じるぞwww
これは琉球史だけの問題じゃないんだけど、
日本史学者はすべからく軍事に無知なんだよね。
戦争の難しさをさっぱり理解してない。
戦う以前にまず軍隊を移動させる事の難点からして分かってない。
3000人もの大部隊やオンボロ帆船が頻繁に瞬間移動する琉日戦争・・・
ありえませんからwwww
819:マンセー名無しさん
12/04/22 21:33:12.39 3yDmWc9B
李朝実録も読んでないド素人が、一次史料がどうとか連呼しても全然説得力ない。
だいたいまともな一次史料の読み方もしらなくて、ただネットで閲覧できるのだけを
つまみ読みしただけの馬鹿たれのようだし。
どっちにしろ、こんな2ちゃんなんかで匿名で批判しても、何の説得力もない。学者
連中は見てもせせら笑うだけ。
820:マンセー名無しさん
12/04/22 21:50:44.96 oOTRNzFX
>>819
李朝実録を読んで得た解釈を書いてみたら?
821:マンセー名無しさん
12/04/22 22:43:24.02 SrkSytuk
>>819
ああ李朝実録ねww上里隆史がまた面白い事やらかしてるんだよww
上里曰く「だが忠清道のチクサンで明・朝鮮軍の反撃にあって
ソウル再侵入を断念」
李朝実録に見る「明・挑戦軍の反撃」の実態↓
「大賊衝斥, 將迫都城, 天兵寡弱, 我軍潰散, 今日之事誠可痛哭。」
爆笑wwwどう見ても惨敗してますwwww
とりあえず上里大先生は李朝実録を読んでないのが確実ww
上里はド素人のようですねww
ちなみにソウル侵入しなかったのはそういう計画だからですw
822:マンセー名無しさん
12/04/22 22:45:57.97 SrkSytuk
2ちゃん来てる人には周知の事実だと思うけど、
朝鮮征伐研究はウソまみれだからww
ネット上の暇人の研究の方が遥かにマトモ。遥かに進んでる。
上里はアホだからそれが分からないんだねww
史料を読まずに「先学」の妄言ばっか聞いてるから
こういう醜態さらすわけww
823:マンセー名無しさん
12/04/22 23:05:08.24 SrkSytuk
俺は元寇や朝鮮征伐と同様に、
琉球征伐研究もウソまみれだって事を皆に分かってもらいたい。
或いは俺の言ってる事で間違ってる部分があったら訂正してもらい、
琉球征伐の真実に近づきたい。
琉球征伐研究の歪曲を始めたのは、
つまり琉球の軍備を誇大化し始めたのは
高良クラキチって言うウヨ学者。上里の直接の師匠。
これは勝手なレッテルじゃない。奴は保守系の政治活動してた時期がある。
琉球征伐研究に関しては高良以前のサヨ学者の方が意外に正しい。
コイツらは一次史料「喜安日記」を尊重してたから。
まぁ多分コイツらは史料の信頼性で判断したんじゃなくて
「琉球平和国家説」の裏づけに都合いいから
尊重してただけだろうがwww
824:マンセー名無しさん
12/04/22 23:42:34.43 oOTRNzFX
保守と保守なら手を握りやすいわな
関係ないけど沖縄には噂の真相の岡留編集長みたいな胡散臭い鹿児島血筋もけっこう入り込んでるんだね
825:マンセー名無しさん
12/04/23 00:08:25.35 qMKRt3UX
歴史学者以前に政治活動家である事を恥じない高良が
歴史の真実に対して如何なる背信行為を働いてきたか、を見ると
>>811の奄美の研究者の態度は非常に良心的で正しいものに思えてならない。
826:マンセー名無しさん
12/04/23 00:10:53.14 GfONrV2N
しかし薩摩はなんで琉球に侵攻したのか?
従来通り交易してたほうが薩摩の利益に
なっただろうに。
827:マンセー名無しさん
12/04/23 00:24:01.25 j0+V2x/j
URLリンク(373news.com)
<102>~<114>島津氏の琉球侵攻400年
828:マンセー名無しさん
12/04/23 00:26:54.33 qvjZ9m6e
>>826
糸割符制度の間隙を突けただけでも大儲けだろ。
他にも色々と抜け荷ができることだし、最終期のように
贋金作りだって強要できる。どれもこれも、琉球が
独立を保っていればできないこと。薩摩以外にも
交渉相手は見つけられただろうし。
それに、琉球本体と直轄占領地の奄美からも搾れる
ことになって。皮肉にも琉球が自国の窮状を救う為に
導入してった救荒作物や、商品作物や、手工業品の
おかげで割が悪くなることもない。
829:マンセー名無しさん
12/04/23 08:30:44.62 XzNrw/r0
>>826
徳川家康公に使者を送らなかったから。
これは薩摩側史料、及び琉球の「喜安日記」「球陽」
つまりあらゆる史料が一致して述べている第一の要因。
家康公に使者を送った場合、次のような話をすることになる。
すなわち島津義弘公の1609年2月の手紙(≒最後通告)には
次の四点をあげて、返事がないのは「沙汰の限りにあらず」と述べている
①亀井武蔵守の琉球出兵計画を薩摩が邪魔した件
②朝鮮出兵の軍役を薩摩が肩代わりした件
③奥州に漂着した琉球船を家康公が送り返してやった件
④明と日本の商売往来を仲介しろっていう件
そしてさらに続けて、家康公の朱印状は下ったし
兵船の準備もしたけど「大明日本通融の儀」を整えれば、
義弘がお前らの手柄を家康公の口ぞえしてやるよ、と述べている。
ここから一番重要視されていたのは④であることが分かる。
830:マンセー名無しさん
12/04/23 08:34:30.56 XzNrw/r0
>>826
>従来通り交易してたほうが薩摩の利益に
>なっただろうに。
これは本島人なら勘違いするのも仕方ないと思うが、
琉球はショボい貧乏国家だって言うのを自覚しないといけない。
琉球と交易したって何の利益もない。
本島を直轄支配してもやはり利益はない。むしろ赤字を抱え込む事になる。
一番の目的は明との民間貿易。
朝貢貿易ではない。朝貢貿易ではやはり利益があがらない。
831:マンセー名無しさん
12/04/23 08:39:43.34 XzNrw/r0
>>828
抜け荷が良かったのには俺も同意。それが一番の旨み。
薩摩が望んでいた明の「正規の」民間貿易はどだい無理な話だった。
これは琉球ですら望んで許可されてないのに、
ましてや日本が許可されるわけがない。この辺は日本の見通しが甘い。
しかし琉球は(明にはバレていて文句言われてたけど)
こっそり明と密貿易してたし、薩摩も琉球船を隠れ蓑にやってた。
本島絡みの権益では抜け荷が一番重要だろう。
832:マンセー名無しさん
12/04/23 08:46:21.90 smmMaA3F
>>828
>どれもこれも、琉球が
>独立を保っていればできないこと。薩摩以外にも
>交渉相手は見つけられただろうし。
しかしこれは明らかな間違い。
独立を保ちたければ薩摩と戦って勝たねばならない。
薩摩以外と交渉してどうにかなるという考えは甘っちょろい。
薩摩を倒さないと第三の選択は開けない。
薩摩と戦うか、土下座するか、今はこの二択しかない。
先島八重山もかつて同じ二択を迫られた。
琉球と戦うか、土下座するか、
アカハチは前者を選び、仲宗根豊見親は後者を選んだ。
今や琉球自身が同じ立場にたつときが来た、それだけの話。
833:マンセー名無しさん
12/04/23 08:54:38.52 smmMaA3F
>>828
>それに、琉球本体と直轄占領地の奄美からも搾れる
>ことになって。皮肉にも琉球が自国の窮状を救う為に
>導入してった救荒作物や、商品作物や、
王府の薩摩への年貢は米。米が要求されてる。
救荒作物や商品作物は全然関係ない。
米が要求された事が、離島の搾取がとんでもないレベルになった
重要な原因の一つ(唯一の、ではない)
基本的に沖縄で米の栽培ができる土地は限られてるから、
百姓は自宅から離れた田んぼに働きに出る羽目になった。
あと、奄美は直轄支配したのに本島は直轄支配しなかった。
この違いが出た要因をもっと良く考察すべきだな。あなたも俺も、皆が。
両者を一緒くたにすべきではない。両者には明らかに違いがある。
834:マンセー名無しさん
12/04/23 09:02:35.28 smmMaA3F
>>826
じゃあ何で徳川家康公に使者を送らなかったのか?
となると、「喜安日記」「球陽」によれば
「謝名親方のせい」となっている。
しかし具体的に謝名親方がどういう事を言って
王様を説得してたのかは分からない。
薩摩と戦っても勝てるわけがないのは誰が見ても分かるし、
王府自身も承知していたのは、速攻土下座という対応が示している。
おそらく戦争と土下座以外に、第三の選択がある、と
妄言を吐いていたに違いないんだけど、どういう物かは分からないね。
現代でもそういう妄言吐いている人はいるから、
それが参考にできるかも。
835:マンセー名無しさん
12/04/23 11:02:29.70 9kCQ+8lS
>>768
こういうのはいつまでも消えないよねw
竹槍では鳥も落とせないのは明白なのに。
竹槍は撃墜した敵パイロットへと、本土決戦での心構えだよな。まあ建て前がどっか変な方向の
精神論へ行っちゃうのは日本でよくあることだけど・・
沖縄戦での米兵死傷者がどれくらい竹槍で刺されてたかっての。
でもそういう元ネタも確かにある
竹槍三百万本論
URLリンク(ja.wikipedia.org)
竹槍事件
URLリンク(ja.wikipedia.org)
836:マンセー名無しさん
12/04/23 11:18:52.53 6WMWElwS
>>835
バトル・オブ・ブリテンのイギリスでも竹槍づくりはやってる。
あっちは鉄パイプを加工したもの。
戦意が高い民族が危機に陥ったときは普通にやる事だよ。
無論、有効な兵器を製作するのが一番だよ?
でもお前らは鉄砲作れるか?鉄砲作れない上に、
竹槍づくりは馬鹿にしてやらないという連中は、
太平橋の琉球士族どもみたいに戦果ゼロで
戦友まで見捨てて逃げ出して醜態晒すのがオチ。
徳之島の百姓は竹槍で薩摩兵何人か殺してるし、
イサンドルワナの戦いでは長槍のアフリカ人が
2000人のマスケット銃装備のイギリス兵を全滅させてる。
837:マンセー名無しさん
12/04/23 11:29:04.10 6WMWElwS
何の技術も無い凡人でも作れるのが竹槍。
祖国が危機に陥ったとき、竹槍しか作れない奴は
まず竹槍作れ。まず気合を見せろ。そういう話なわけ。
それすら賢者ぶってサボる奴は、
いざ鉄砲渡したところでびびって逃げ出すのがオチ。
838:マンセー名無しさん
12/04/23 12:16:44.60 9kCQ+8lS
言いたいことはわかる。
こっちが言いたかったのは、B29落とせると思ってたわけじゃないだろってことw
そんなんばっかでもなんだから
『明実録』によれば、1644年、李自成軍に宮廷まで攻めいられた崇禎帝は、三眼槍で自ら戦おうとしたという話がある。
この時期にはもう日本式の火縄銃も入って軍に取り入れられているから、手元に旧式のものしか残ってなかったと考えるべきのようです。
三眼槍は嘉靖年間(1521-1566)に発明され、主に騎兵によって使用された。柄は長く(2mくらい?)重さは36斤(約21.5キロ)。
この前のNHKの番組でも出てきたけど、沖縄の三眼銃は柄が短いよね。
あとは、あれって伝世品(王家や旧家の倉にしまわれてたもの)じゃなさそうだから、発掘調査での推定年代はいつなんだろう?
839:マンセー名無しさん
12/04/23 12:30:30.60 MwLOQdem
URLリンク(youtu.be)
琉球使節が室町将軍に披露した火筒はこういうものだったんだろ。
命中精度は低くても、この爆音聞いたら、確かに驚くだろう。戦場で使用したら、敵軍
が音に驚いて潰走することだってありえたはず。鉄砲伝来以前の日本なら。
840:マンセー名無しさん
12/04/23 13:04:07.02 6WMWElwS
>>839
元寇のときのてつはうでびびって潰走した奴はいない。
応仁の乱でも、それ以後も、幾つか銅銃が使われた記録があるが、
そんなんでびびって潰走した奴はいない。
広まりもしなかった。
考えが甘いよ。
841:マンセー名無しさん
12/04/23 13:05:41.44 6WMWElwS
1409年, 1419年: 対馬において小銅銃が試射される。 『李朝実録』より
1466年 (文正元年) 7月 琉球の官人が京都で「鉄炮一両声」をはなち人々を驚かす。 『蔭涼軒日録』より
1468年 (応仁二年) 正月: 応仁の乱の営中にて、“和州之匠”が“発石木”を造り、石を飛ばして見せた。 『碧山日録』より
1468年 (応仁二年) 10月: 応仁の乱の東軍・細川成之の営中に火槍が準備されていた。 『碧山日録』より
1510年(永正七年): 唐国渡りの小銅銃が使用される。 『北条五代記』より
842:マンセー名無しさん
12/04/23 13:14:32.94 6WMWElwS
フス派軍はハンドカノンを活用したと言われてるが、
敵の突撃を阻止する戦力として用いた。
すなわち荷車を用いて簡易馬防柵をつくり、
手前でスピードを落とした敵騎兵を、
柵の中からボウガンや大砲や初期のハンドカノンで撃ちまくり、
突撃力を完全に粉砕した後、脱穀棹や大鎌を装備した歩兵が
逃げ遅れた騎士を撲殺するという戦術。
ハンドカノンは後の火縄銃と比べると形状や機構が原始的なために
命中精度が無きに等しかったので、使い道は相当限られてしまう。
843:マンセー名無しさん
12/04/23 13:25:06.53 NMN7uru2
フス派軍はめちゃめちゃ強くて、
十字軍をボコボコにしまくってたので、
第五回対フス十字軍は総勢13万いたと言われるが、
フス派軍が歌う賛美歌を聴いただけでびびって潰走した(実話)
しかしハンドカノンを最も活用したフス派ですら
賛美歌で敵を撃退した事はあるが、
ハンドカノンの轟音で敵を撃退した事は一度も無い。
844:マンセー名無しさん
12/04/23 13:27:05.22 9kCQ+8lS
>>842
ぐぐればわかるかもしれないが、日本じゃマイナーなネタなんだから、15世紀初めの東欧ってくらいは書いといてもいいんじゃない。
845:懐疑主義者 ◆E/9nfHuGUg
12/04/23 16:14:54.46 cZhOIeBt
>>838
情報提供していただいて、有難うございます。
おお。沖縄にも「三眼槍」(「三眼銃」)が有りましたか。
中華帝国の冊封を受けていたから、伝わっているとは思っていましたが。
846:マンセー名無しさん
12/04/23 16:33:26.05 9kCQ+8lS
中華帝国に冊封受けてたからなんて言ったって、朝鮮軍では使用されてないよ?(朝鮮の役の明軍は使用したようだけど)
付き合いがあれば全て伝わってるなんてこたない。
>>725の番組とか上里氏の本(琉日戦争)なんかを見てるの前提で話ししてる部分もあるから、氏のサイトは読んどいたほうがいいんじゃないか。
上里氏のサイトで、史料の読み方について書いてるページはここかな
URLリンク(okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com)
847:マンセー名無しさん
12/04/23 17:14:50.09 NMN7uru2
>>846
石火矢については既に繰り返したとおりだが、
「琉球入ノ記」という軍記物にしかない話しだし
そもそも「運天到着前に那覇港偵察をやり、そこで撃たれた」という話で、
4月1日では有り得ない。学者どもの最大の詐欺行為。
848:マンセー名無しさん
12/04/23 17:18:50.96 9kCQ+8lS
>>847
文体と内容でだいたいわかるけど、そろそろトリップつけてくださいよw
849:マンセー名無しさん
12/04/23 17:24:08.59 NMN7uru2
>>846
>つぎに琉球の軍事組織が、16世紀に奄美・先島を征服したような規模で
>維持されておらず(つまり軍隊としての能力が100年間で
>縮小したということでしょうか)、
>港を守る程度の組織で島津侵攻軍を迎え撃った、
>というディスカッションでの結論ですが、
>史料には琉球での軍事組織の改変・縮小を示すような事実が全くないうえに、
>1571年には尚元王が奄美反乱の鎮圧のため軍隊を派遣しており
>(『中山世譜』)、外征能力を依然として備えた軍事組織を持っていた
>と考えたほうが妥当です。
ここが最大の問題だな。上里に経済観念が欠如しているのが分かる。
対アカハチ軍や対大島軍が維持されてるなんて有り得ない。
30年に一回しか使わない大軍を維持するなんて金の無駄。
間違いなくこの規模の軍隊の基礎は臨時召集される「間切軍」だよ。
真珠橋碑文にある「間切ごとの軍隊」秋徳勢も然り。
遠征に使う船は貿易船とかそれに順ずる航洋船をレンタルして使う。
民間船利用は現代の軍隊でも普通の手段。
そして召集は行われなかったから、琉球征伐時には
「港を守る程度の組織」しか無かったんだよ。
ていうか実際には首里城職員の寄せ集めだろう。
850:マンセー名無しさん
12/04/23 17:27:00.14 NMN7uru2
>>846
>『喜安日記』にも「若き公卿・殿上人は(略)一戦せんとぞ申しける。
>去程に、夜も漸く明行侭、那覇へ下りぬ」とあります。
>これまでこの一節は見逃されてきましたが、
>『歴代宝案』の記述と合致することから、那覇に防衛軍が派遣されたのは
>間違いないでしょう。
この一節の主語はどう見ても喜安です。
喜安は筆者だから主語の第一候補。しかも喜安たち菊隠使節団は
樺山と「那覇で和睦の話をする」と約束しているし、
実際喜安も和睦に同席している。
上里って古文読めないんだろうね。
851:マンセー名無しさん
12/04/23 17:30:50.20 NMN7uru2
>>846
>なぜ港に兵力を集中させたかというと、80隻もの島津軍船が
>安全に停泊・上陸できる場所は、サンゴ礁で囲まれた沖縄島には
>那覇・運天など限られた場所しかなかったからです。
>実際に島津軍の船団は港として使用できる運天・那覇をめざし、
>那覇に防御網があることを知った島津軍は、
>途中、大湾渡口から上陸しています。
ここから分かるのは上里が本物のバカって事。
もちろん大船が着ける港が三つあるなら、三つ全部監視すべき。
那覇港守ればいいと考えるのはただのバカ。
実際「喜安日記」を読めば、薩摩軍の運天到着も大湾からの侵攻ルートも
琉球側はちゃんと把握してる
852:マンセー名無しさん
12/04/23 17:36:56.72 NMN7uru2
>>846
>ドイツ国境沿いに140キロにわたって構築された一大要塞網の
>マジノ線を頼みに、総兵力・戦車数ともにドイツと対等以上だった
>フランスは、部隊を配置していないアルデンヌの森を
>突破されて背後をつかれ、一気に崩壊します。
>フランスは第一次大戦時の装備とほぼ変わらない状態であり、
>ドイツとの装備・兵器運用面の差は歴然だったのですが、
ここから分かるのは上里が歴史に嘆かわしいほど無知って事。
大学の歴史学科では何を教えてるんだろうね?
140kmの対ドイツ国境には確かにマジノ線があるけど、
620kmの対ベルギー国境にはマジノ線なんてないし、
シュリーフェンプランではベルギー北部からドイツ軍は侵入したし、
WWIIでも同じルートで侵攻すると見られていた。
マジノ線が頼みにされていたのは、ドイツ軍主力を北で阻止した後の事だ。
北では膠着し、南部はマジノ線で守られており、
ドイツは手の打ちようがなくなるという算段だった。
853:マンセー名無しさん
12/04/23 17:40:23.20 NMN7uru2
>>846
アルデンヌの森に部隊が配置されてないというのは
上里の完全な誤り。バトルオブフランスは
琉球征伐とは比較にならないほどメジャーで、
作戦図はその辺に山ほど転がっているのに上里は全然確認してない。
すなわちアルデンヌの森の正面にはフランス第9軍と第2軍が存在したし
実際交戦している。
854:マンセー名無しさん
12/04/23 17:46:06.00 NMN7uru2
>>846
>フランスは第一次大戦時の装備とほぼ変わらない状態であり、
フランスの装備はWWIと変わらないものもあれば
戦間期レベルのものもあれば、WWIIレベルに到達していたものもあった。
そんなのはドイツ軍も一緒。フランス軍の装備は普通。
一部兵器はドイツ軍のそれを凌駕している。
フランス軍のB1bis戦車は当時のドイツ軍戦車では撃破不能。
855:マンセー名無しさん
12/04/23 17:52:54.83 TfClr7DL
>>846
>まず軍事的な視点から史料を分析することを第一に行なう必要があります。
>それは、たとえば石高制の問題について研究する際に、
>まず経済史の視点をふまえて分析するのと同じことではないでしょうか。
軍事的な視点から分析したければこの低能はまず、
軍隊の物理的な容積と速度的限界を勉強すべき。
さらに自分の「琉球軍」の規模を経済的視点から検討すべきだね。
バカバカしい事この上ない。
856:マンセー名無しさん
12/04/23 17:59:38.76 TfClr7DL
琉球の軍事制度について上里曰く
『1522年の「真珠橋碑文」には「1000人の里主部家来赤頭」とあり
常備軍「ヒキ」の構成員である里主部・家来赤頭が1000人規模で
存在した事が分かる』
「球陽」によると家来赤頭の数は尚豊王治世5年に194人、
尚敬王17年に88名。
1522年に1000人ってあり得ません。そんなスペースも予算も首里城にはない。
そもそも常備軍とは「平時・戦時を問わず常に編制されている軍」の事であり、
お城の事務員のパートタイム軍隊に用いるのは日本語の間違い。
琉球征伐時に確認できる琉球側軍事力は太平橋に送られた100人のみ。
隊長は越来親方で隊員は城間親雲上。
つまりこの100人が「1000人の里主部家来赤頭」の実態だよ。
857:マンセー名無しさん
12/04/23 18:01:12.26 uAXJmHx0
何も知らない素人ですがフランスは空軍って存在してたのですかね?
戦争映画とか見ていると戦闘機によるドイツ軍とフランス軍の空中戦
とか見た事無いもんで。
858:マンセー名無しさん
12/04/23 18:06:28.44 TfClr7DL
>>857
バリバリ存在してました。
主力機はMS406。外見は普通だがフルモノコックではなく一部がフレーム構造。
ハリケーンみたいな過渡期の機体だね。性能はMe109に比べると見劣りする。
次期主力機とみなされていたのがD520。スペック上は一流機だが少なすぎた。
これを補うためにアメリカから買ったのがP36。
まあ普通の機体。信頼性が命で特長がないのが特徴。
859:マンセー名無しさん
12/04/23 18:20:00.50 TfClr7DL
そして上里が琉球の軍事制度とみなしている「庫裏・ヒキ制度」
これこそ高良クラキチ最大の詐欺行為。
「琉球国由来記」に見るヒキはあくまで家来赤頭の統制組織。
軍事的意義もあったかもしれないが、
いずれにせよ最大規模の琉球軍からすればハナクソみたいなもの。
ヒキでは那覇港の三重城と屋良座森城守れればいい方だよ。
ちなみにこの城、定員100人くらいじゃね?
もちろん上里が言う3000人なんてとても入らない。
860:マンセー名無しさん
12/04/23 18:22:40.70 TfClr7DL
そして庫裏!問題点は四つ。
①これらが上級官衙だという高良の推測には史料的根拠が一切ない。
②そもそも官衙であるという推測にさえ史料的根拠は一切ない。
なお、家譜の編纂者は高良より遥かに多くの辞令書を参照したのが確実だが、
「こおり」を完全に無視している。この史実は「こおりは全然重要じゃない」
という可能性を強く示唆している。
③庫裏の字を当てているの高良の独断に過ぎない。
史料では「こおり」と表記されており漢字表記は不明。
下庫裏はしちゃぐいと発音とする。
すなわち「庫裏」の発音に「お」の母音が紛れ込んだ形跡は一切ないので、
「こおり」に庫裏を当てるのはおそらく間違い。
④つーかⅩ庫裏って何?
861:マンセー名無しさん
12/04/23 18:27:44.87 TfClr7DL
真珠橋碑文には「南部諸間切軍」とかいうのが登場する。
琉球の軍事制度の根幹は100%こっちの「間切軍」だよ。
軍隊は使うときだけ作る。
常備軍とか当時の琉球王国の経済水準を完全に超越してますから。
862:マンセー名無しさん
12/04/23 18:43:13.18 TfClr7DL
>>846
>フランスは、部隊を配置していないアルデンヌの森を
>突破されて背後をつかれ、一気に崩壊します。
何でアルデンヌの森が攻撃線に選ばれたかといえば、
フランス軍が配置されてないからじゃない。
実際には配置されていた。
フランス北部を攻撃線にすると、まずオランダを通るが
ここは運河だらけでスピードが落ちる。
さらにフランス北部にようやく入ってもこれまた人口稠密で人家だらけ。
スピードは全然出せない。待っているのは泥沼の塹壕戦。
対してアルデンヌの線は、森を抜けてムース川を渡りさえすれば、
その先には戦車兵の天国、平坦地が一面に広がっている。
パリを一気につくこともできるし、
フランス軍も両断できるし、やりたい放題。
863:マンセー名無しさん
12/04/23 18:51:06.16 TfClr7DL
琉球征伐を例えるならバトル・オブ・フランスじゃなく
チェコ併合が適切だな。
チェコは琉球とは比べるのも失礼な先進的な工業国だけど、
第三帝国には戦わずに土下座した。
ましてや弱小後進国の琉球がそうするのは当たり前。
つーか併合は免れたんだから、
王府の悪運と外交手腕はむしろチェコより上と言えるな。
864:マンセー名無しさん
12/04/23 19:01:26.36 MwLOQdem
で、このキチガイみたいにここで毎日連投してる馬鹿は、李朝実録くらい読んだの?
ネットで閲覧できる一次史料だけ読んで、専門家に一次史料の読み方の講釈垂れ
ているが、高良も上里も草書、変体仮名、漢文の古文書読めるように専門的訓練
積んでいるよ?
このキチガイは王府辞令書の草書とか読解できるの?
865:マンセー名無しさん
12/04/23 19:03:37.33 MwLOQdem
高良とか、学生の頃から毎日数時間、古文書の草書体ずっと読んで訓練してきて
るんだよ? 喜安日記は楷書のほうが読みやすいとかヘタレな泣き言言っている馬
鹿に高良らを批判する資格があるのか?
866:マンセー名無しさん
12/04/23 19:09:40.02 TfClr7DL
>>864
バロスwww
読解できてないから突っ込まれてるんだよwww
ちなみに高良はともかく上里は草書体は読めないよwww
あのバカは那覇市史の「喜安日記」しか読んでないからなwww
草書体の伊波本読めば那覇市史の間違いはすぐ分かるがなww
高良も上里も古文読解力のないマヌケなんだよwww
867:マンセー名無しさん
12/04/23 19:11:47.93 TfClr7DL
>>865
>喜安日記は楷書のほうが読みやすいとかヘタレな泣き言言っている
もちろん伊波本は草書体もご用意してありますよ?>「喜安日記」
是非上里大先生は、「那覇市史」ではなく草書体の伊波本を
読みこなしてもらいたいものですねwww
868:マンセー名無しさん
12/04/23 19:14:35.44 TfClr7DL
>>865
「毎日数時間、古文書の草書体ずっと読んで」る高良大先生のお説
・古琉球には「X庫裏」があったニダ!
→いつから琉球はアルファベット使うようになったんですかwww
・「こおり」は庫裏の事ニダ!
→庫裏は「くり」と読みますww
高良は古文の前に現代文の訓練積んだほうがいいなwww
869:マンセー名無しさん
12/04/23 19:25:28.74 MwLOQdem
だから、高良や上里が馬鹿だというのなら、何で学会で発表しないの? 2ちゃん
みたいな場所で匿名で学者批判しないで、堂々と学会に出れば?
870:マンセー名無しさん
12/04/23 19:28:28.81 TfClr7DL
いかに「専門家」の古文漢文読解力がお粗末かって例は、
高良と上里については山ほど挙げたが、別の例↓
中山世譜に次の一節がある
「賊首堀川原赤蜂首出搦戦」
これを琉大卒の諸見友重ってバカは
「アカハチが首を出して戦を挑んできた」と訳してる。
もちろん、「首出」と書かれている以上、
「首」が「出す」の目的語になる事は有り得ない。
これは「首めて(はじめて)出てきた」つまり「最初に出てきた」
と読むべきなんだよ。
上里然り、諸見然り、高良にはマトモな教育能力が無いようだなwww
871:マンセー名無しさん
12/04/23 19:30:03.96 TfClr7DL
>>869
お前が話しを通してくれたらいつでも出ますよ?www
学会に「アイゴー!高良や上里の間違いを指摘しまくってる奴がいるから
先生方、成敗してくれニダ!」ってお願いしてよwww
872:マンセー名無しさん
12/04/23 19:42:16.93 TfClr7DL
まぁ高良の古文読解力は正直知らんが、
上里隆史、あいつの読解力はほんとひどい。高校生未満。
平気で文法捻じ曲げたり言葉入れ替えたりするからね。
ゴミだよゴミ。
あいつは書いてある事ではなく、
書いてあってほしい事を読み取る能力の持ち主。
諸見然り。高良の弟子は文法をマトモに分かってない。
高良は文法をちゃんと教えてるのか?
873:マンセー名無しさん
12/04/23 20:01:18.08 TfClr7DL
>>865
>喜安日記は楷書のほうが読みやすいとかヘタレな泣き言言っている馬
>鹿に高良らを批判する資格があるのか?
大天才上里隆史は「那覇市史」しか読む気がない。その結果↓
「喜安らは29日夜半運天発、不明時大湾着。4月1日午前4時牧港着。
夜更けに首里城着」
もちろん誰が見てもおかしな話ですが上里先生は気付きませんでしたww
岡山大学教授の上原兼善先生も気付きませんでしたww
草書体の伊波本には正しく書かれてありますが、
学者どもは草書を読むのが面倒くさいようで
照合する手間はかけませんでしたwww
874:マンセー名無しさん
12/04/23 21:14:11.44 MwLOQdem
で、李朝実録は読んだ? ネットにない文献は読まないの?
875:マンセー名無しさん
12/04/23 21:15:30.55 MwLOQdem
李朝実録に琉球に火筒という武器があったという記載があるけど? あなたのいう
おもちゃだったという証拠は見つかった? おもちゃで礼砲するの?
876:マンセー名無しさん
12/04/23 21:16:37.90 MwLOQdem
まともに一次文献も読まないくせに、学者を批判して、学会にも出ずに、ハングル
版で匿名でシコシコ批判って、どんな情け無い人間なんだw
877:マンセー名無しさん
12/04/23 21:29:57.39 j0+V2x/j
>>864
李朝実録からの提起があれば、ぜひソース付きでどうぞ
李朝実録=(正式名称)朝鮮王朝実録
URLリンク(sillok.history.go.kr)
琉球のハングル表記は現在
琉球=류큐
が一般であるが、ネットで公開されている朝鮮王朝実録ハングル版では
유구국(琉球国)となっているので유구국で検索
878:マンセー名無しさん
12/04/23 21:32:18.59 j0+V2x/j
>>877
リンクが류구국になっていたので유구국に修正
URLリンク(sillok.history.go.kr)
879:マンセー名無しさん
12/04/23 21:47:43.34 TfClr7DL
>>877-878
結構ひどいなアンタwwwハングルは無理だろww
このサイト実は漢文も読めるんだけど、
あのアホはたどり着けないだろうなwww
>命中精度は低くても、この爆音聞いたら、確かに驚くだろう。戦場で使用したら、敵軍
>が音に驚いて潰走することだってありえたはず。鉄砲伝来以前の日本なら。
琉球士族と薩摩隼人を一緒にすんなwww
880:マンセー名無しさん
12/04/23 22:12:23.81 MwLOQdem
で、読んでないの? ネット以外の文献は無理? 引きこもりか。地元の図書館
すらいけないのかw
881:マンセー名無しさん
12/04/23 22:29:53.61 TfClr7DL
>>880
俺が琉球大学図書館で読んだもの
・薩藩旧記雑録「琉球渡海日々記」「琉球入ノ記」
・那覇市史「喜安日記」
・中山世鑑(さいたく本)
あなたとはレベルが違いますwww
あなたは古文漢文もロクに読めない
高良クラキチや上里隆史のご本でも
ありがたがっとけばいいんじゃないかなwww
882:マンセー名無しさん
12/04/23 22:32:34.52 TfClr7DL
信者の妄言www↓
>高良も上里も草書、変体仮名、漢文の古文書読めるように専門的訓練
>積んでいるよ?
現実の上里隆史は草書体も漢文も読めませんwww残念でしたwww
883:マンセー名無しさん
12/04/23 22:34:08.80 TfClr7DL
ちなみに上里は歴代宝案も那覇市史所収の書き下し文しか読んでませんww
漢文の本文と比べると大分省略されてるからバレバレwww
884:マンセー名無しさん
12/04/23 23:00:47.39 MwLOQdem
>>881
> ・中山世鑑(さいたく本)
> あなたとはレベルが違いますwww
中山世鑑? 中山世譜の蔡鐸本じゃなくて? 基本文献すら読んでないのがもろバレ。
そりゃ、あなたとはレベルは違うようですね。私の方が遙か上だw
885:マンセー名無しさん
12/04/23 23:11:38.50 TfClr7DL
>>884
こりゃ失敬ww
>私の方が遙か上だw
それは勘違いだな、低能クンwww
あなたがバカなのは、あなた以外の誰もが分かってますww
886:マンセー名無しさん
12/04/23 23:15:58.46 TfClr7DL
俺は以上の史料を全て読み込んだ上で、
根拠を逐一あげつつ、高良や上里の詐欺行為をたくさん山程証明している。
それに引き換えあなたは「アイゴー!李朝実録読むニダ!」連呼www
中身ゼロwwwあなたの知性の欠如がバレバレですww
私は朝鮮王朝実録の朝鮮征伐関連の部分は読みましたwww
あなたが興味ある部分があるなら原文を引用して
論じていただけるとうれしいですねwww
あなたにできれば、の話ですがwwww
887:マンセー名無しさん
12/04/23 23:18:33.30 TfClr7DL
高良が草書体読めたらなんなの?って感じwww
大切なのは君自身が何ができるか、だよね。
まあ何もできないだろうけどwwwバカだからwww
888:マンセー名無しさん
12/04/23 23:21:23.92 TfClr7DL
ちなみに俺が、さいたく本中山世譜を読んだ証拠を再度引用しよう。
あのバカはどうせタイトル知ってるだけで読んでないだろうなぁwww
>中山世譜に次の一節がある
>「賊首堀川原赤蜂首出搦戦」
>
>これを琉大卒の諸見友重ってバカは
>「アカハチが首を出して戦を挑んできた」と訳してる。
>もちろん、「首出」と書かれている以上、
>「首」が「出す」の目的語になる事は有り得ない。
>これは「首めて(はじめて)出てきた」つまり「最初に出てきた」
>と読むべきなんだよ。
889:マンセー名無しさん
12/04/23 23:28:09.65 TfClr7DL
あ、ごめん。文法わかんねーバカは諸見じゃなくて原田 禹雄だったわww
諸見さんごめんなさいwww
890:マンセー名無しさん
12/04/23 23:47:26.11 ZvY13l4L
なんかプロレスを見てるような激闘ですた。
両者ともお疲れの様なので、ここらでブレイク・タイムを。
891:マンセー名無しさん
12/04/23 23:52:16.84 TfClr7DL
>>890
りょーかいっすww
ただあのアホのお陰で一つ重要な点を思い出したww
上里隆史は「那覇市史」しか読んでないってことww
誤記のある東恩納本「喜安日記」
「歴代宝案」の省略だらけの書き下し文
これしか読んでないwww
草書体の伊波本とか、漢文の歴代宝案台湾大学本は一切読んでないww
学者どもの仕事がいかにいい加減かってことだねwww
892:マンセー名無しさん
12/04/23 23:58:57.65 TfClr7DL
那覇市史はダメだねアレは。
ネットに上がってる史料の方が遥かに質がいい。
ネットでは伊波本がPDFで見れるし、
歴代宝案は台湾大学本を画像で見れるからね。
もう那覇市史の歴史的使命は終わってる。
それを2009年にもなって使ってる上里は頭おかしいわwww
つーか何のために琉球大学は、
税金使って伊波文庫をネットにあげてるんだww
当の学者が使わないと意味ねーだろwww
893:マンセー名無しさん
12/04/24 01:42:21.02 8ZoepknC
【社会】 掲示板 「2ちゃんねる」 リンクで名誉毀損・・・発信者開示を命令
スレリンク(newsplus板)
894:懐疑主義者 ◆E/9nfHuGUg
12/04/24 02:16:37.36 Ehg02WbP
>>893
おや。皆さんにそんなに琉球王国研究学者とその姿勢を批判されたのが、
おまいには気に入らなかったのかい ? そんなリンク貼って。(失笑)
895:マンセー名無しさん
12/04/24 02:48:51.18 udBSrmR/
>>894
お前は嫌みしか言えんのか性格最悪だな
896:すも
12/04/24 02:54:07.27 RW6XAsfM
>>843ー844
「フス」って、「ボヘミアのフス」ですか?
897:マンセー名無しさん
12/04/24 07:31:08.85 ojEoMgY8
> 那覇市史はダメだねアレは。
> ネットに上がってる史料の方が遥かに質がいい。
> ネットでは伊波本がPDFで見れるし、
> 歴代宝案は台湾大学本を画像で見れるからね。
> もう那覇市史の歴史的使命は終わってる。
こんな荒い議論、学会ではまったく通用しません。各写本の年代や記述の変遷
の経緯を学究的に論じてはじめて意味がある。
ネットで閲覧できる史料だけ見て、学者批判するとか、ぶっちゃけ学部生レベル。
一度大学院にでも行ってしごかれてこい。毎年こういう勘違いのうぬぼれ君は院
に何人もはいってくるから。で、大半は脱落していくから。
898:マンセー名無しさん
12/04/24 09:02:32.81 q4vMDqAH
>>897
琉球大学琉球史の院生来ましたwwwww
「各写本の年代や記述の変遷の経緯を学究的に論じて」いる大先生のお告げ↓
「喜安らは29日夜半運天発、不明時大湾着。4月1日午前4時牧港着。
夜更けに首里城着」
・29日夜半→「琉球渡海日々記」からの引用。東恩納本では「25日早天」
・「午前4時牧港着。夜更けに首里城着」→東恩納本からの引用。
都合の悪い所はあっさり無視。全然別の史料からの引用と合体www
お陰で物理的に全く有り得ない話になってしまいましたwww
「学究的」に論じた気配がさっぱり見られませ~ん(失笑
つーか「琉球入ノ記」みたいな「軍記物」を、史実として扱うなんて、
今どき本土の学者はやらんぞwww
アホな日本史学者の中でも一際低レベルなのが高良クラキチ一派ですわwww
899:マンセー名無しさん
12/04/24 09:09:59.47 q4vMDqAH
>>896
その通りです。
既に他の人が指摘していましたが、フス戦争は日本ではマイナーですね。
百年戦争にも劣らぬ規模なのに非常に残念な事です。
実は戦域はチェコに留まらず広大だし(フス派の遠征Beautiful Rideは
バルト海まで打通している)、国民戦争の先駆け、
歩兵用小火器の初めての集中使用という軍事史的意義、
ヤン・ジシュカという世界的名将の存在・・・
琉球征伐がマイナーなのは残念ながら当たり前ですが、
フス戦争がマイナーという現状は解せませんね。
900:マンセー名無しさん
12/04/24 09:28:21.42 q4vMDqAH
もう一つ面白い「記述の変遷」を提示しようww
徳之島島民の死者数について
①「肝付家文書」によれば、湾屋で50人、秋徳で20~30人が死んだ。
②「本多正純書状」によれば、徳之島で200~300人が死んだ。
③「樺山譜中」によれば、徳之島で数百人死んだ。
④上里隆史大先生曰く、秋徳だけで数百人死んだ(笑)
学究(笑)
上里は万事この調子ww
俺はもちろん、肝付家文書を信用すべきだと思います。
湾屋の戦いは当事者だし、
秋徳の戦いも2、3日後に現場で聞き取りしてるわけだからな
901:マンセー名無しさん
12/04/24 09:52:31.32 q4vMDqAH
ちなみに上里は肝付家文書を都合よく切り貼りするだけでなく、
まともに読むことすらできてないww
「公の船及び白坂式部少輔の船唯二艘、徳之島の内カナグマに着す。
此間18里。従者の船は同島の内ワイナに着す。
共に着する船七艘なり」
↓
上里大先生曰く「湾屋には船7艘が着いた!」
(笑)肝付衆と「共に着いた」のが七艘なんだから絶対それ以上ですww
ちなみに肝付衆の船は全部で3艘。うち二艘はカナグマに着いたわけだから、
湾屋についたのは1艘。
つまり湾屋に着いたのは全部で8艘ですww
このスレ初めから読めばわかるけど、これだけじゃないからね?
上里の誤読、歪曲、捏造は。山ほどありますwww
902:マンセー名無しさん
12/04/24 11:04:41.91 viaf6KDq
学会に顔を出してニヤニヤ愛想笑いしながら
「今日はちょっと厳しく突っ込ませて頂きますからね先生」
『いやー、お手柔らかに頼みますよー』
なーんてやり取りが出来るようになって初めて歴史を解釈する大人として認められるんですね分かります。
ま、そっちはそっちでやってればいいじゃないすか?
何でこんな場末の掲示板の便所の落書きにまでご足労されて
『おめぇ一度うちらの集まりに面出せよ』
なんて権威ぶる必要があるんすか?
李朝実録、李朝実録、言っても何に対する何の指摘なのか一向に明らかにしない。
書かなくてもいいですが、ここではあんたが社会的地位のある何者かということが大事なのではなく、何が話し合われてるかが重要な場なんだよなぁ
903:マンセー名無しさん
12/04/24 11:18:20.23 q4vMDqAH
>>902
俺より表現うまいですねwww
代弁していただきありがとうございますwww
ただ俺としては学会でも何でも出させていただきたいですねww
あのバカがマジで院生なら是非ともお招きいただきたいものですww
上里はともかく、クラキチは税金で歴史研究してるわけだから
奴らのデマゴーグはすなわち県民への背信行為。
厳しく糾弾されるべき。
904:マンセー名無しさん
12/04/24 11:28:19.94 3vimc+I4
【迎恩門】【守礼門】
905:マンセー名無しさん
12/04/24 11:33:32.90 q4vMDqAH
つか一番問題なのは、クラキチ、上里、上原兼善が揃って、
琉球の先人をバカ扱いしてる事。
上里の次の妄言に集約されてるが、学者どもは全員同種の事言ってる。
「琉球の高官たちは、強力なフォースを持つ聞得大君をはじめとした
神女たちが電撃ビームで島津軍の兵士たちを次々と倒していく光景を
想像していたかのかもしれませんね。」
もちろんこれは何の根拠も無い妄想。
神は自ら助けるものを助ける。
カエサルは不滅の神々の力は大いに頼っていたが、
フォースで敵が倒せるとは考えてない。
島津義久公はくじ引きは頼ったが、フォースなんぞ頼ってない。
同様に王府も頼ってない。フォースで作物は育たないし獲物は取れない。
観察力があればそんな妄想には囚われない。
「理性的」な学者どもは違うようだがなwww
俺は王府は嫌いだけど、それでも奴らは充分賢いと思う。
弱者の生き延び方を知ってたからな。
絶体絶命の政治的危機に晒されたのに、
離島を好き放題搾取する権利は無傷のまま、安全に生き延びた。
ましてや琉球王国を愛する人なら、学者どもの中傷に対してもっと怒るべき。
琉球人は普通程度には賢い。少なくとも学者どもよりは遥かに賢いよ。
906:マンセー名無しさん
12/04/24 11:37:38.00 ekdea04G
中郡由人は守礼門を「くじゃくもん」と読んだ文盲知ったかぶり坊や。
三邊康雄は「浩彰」を音読みしようとして「こうえい」と読んだ文盲。
907:マンセー名無しさん
12/04/24 12:01:25.25 q4vMDqAH
>>758
で挙げられてる夏子陽の記述を俺が批判するのは、
この記述が王府批判に利用されてきたからだよ。
王府は平和ボケって事だ。
しかし俺に言わせれば夏子陽こそ平和ボケだ。
あいつの文明人ぶって後進国民を見下す態度こそ平和ボケ。
薩摩は琉球の数倍の国力を持ってる。
例え鋭利の器械を3000本に揃えたところで無駄。
向こうにはまず鉄砲と日本刀持った3000がいるし、
さらにもう7000は出せる。薩摩は概算で2万の壮丁がおり、
一万は遠征させる事ができる。
薩摩と戦って勝ちたいなら国民軍を作らないとダメだね。
士族に頼る限り数の差が全然埋まらない。
908:マンセー名無しさん
12/04/24 12:11:53.76 q4vMDqAH
薩摩と戦っても勝ち目はない。それが現実だ。
上里はそうじゃないと言ってるが、あいつはアホで甘っちょろい。
王府は素直に家康公に挨拶しに行くべきだった。
初めから土下座すべきだった。結局同じ事する羽目になったんだから。
しかも王様本人が。
しかし王府は確かに初動でミスはしたが、
最後の最後では正しく行動した。つまり雑魚の立場をわきまえて土下座した。
最悪の状況の中でベストの判断だよ。
それは結果が証明してるだろう。
王府は結局全くもって安泰という結果に終ったんだから。
909:マンセー名無しさん
12/04/24 12:37:13.70 q4vMDqAH
上里隆史や豊見山和行は、
ゲリラ戦やれば薩摩軍を撤退に追い込めたとか言ってる。
これは全く悪辣なすり替えだよ。
こいつらにまともなゲリラ戦計画がたてられると思うか?
有り得んだろ。こいつらはウソをついてる。
実際には薩摩と戦う事は死を意味する。
こいつらの本心は、琉球人は戦って死ねと言ってるんだよ。
あっさり土下座する先祖なんて誇りに思えないから
名誉のために死ねって言ってるんだ。
上里や豊見山にそんな度胸があるなら結構な事だ。
しかし他人にそんな事を押し付ける権利は誰にもないね。
910:マンセー名無しさん
12/04/24 12:43:54.89 udBSrmR/
守礼門
911:マンセー名無しさん
12/04/24 12:59:30.66 q4vMDqAH
何故王府は、薩摩軍が出撃してから慌てて土下座したのか?
実態は分からない。ただ「謝名親方のせい」とだけ言われている。
恐らくその辺の詳細を明らかにしたら尚寧王にも責任が及ぶからだろう。
決めたのは尚寧王だからな。
しかしこのような例は歴史に多い。すなわち
危機が迫ったとき、人間は現実よりも都合の良い空想を信じてしまう。
実際に危機に陥らないと眼が覚めない。
ソ・フィン戦争開戦前夜のフィンランド政府の有様は、
琉球征伐前夜の王府とほとんど重なるだろう。
912:マンセー名無しさん
12/04/24 13:11:55.10 q4vMDqAH
すなわち、
①ソ連の無法な要求を、政府は敢然と突っぱねたが、
それは「ソ連は戦争する気はない」という単なる期待に基づいたものだった。
②しかしマンネルハイム将軍は「戦争回避の努力は全てすべき。
条約を結ぶべき」「自分が国民の批判の矢面にたっても良い」
とまで言った。
③しかしは政治家は将軍を嘲笑した。「虎だった将軍はいまや猫になった」
「何のための国防予算か」
結果はご存知のとおり。フィンランドは勇戦敢闘したが、
結局当初の条件よりさらに悪い条件で講和を結び、
カレリア全土を喪失。継続戦争へとつながって行く。
913:マンセー名無しさん
12/04/24 13:14:46.21 q4vMDqAH
・・・フィンランド政府の対応は真っ二つに割れた。最強硬派は外相
エルッコであった。「正義は我々にある。ソ連は全世界の注目の中、
我が国との不可侵条約を守るであろう。」彼はフィンランドが毅然とした
態度を取ることが、ソ連に領土的野望を放棄させるために必要と
考えた。首相カヤンダーもこれに同調した。
マンネルヘイムは、これに懐疑的であった。彼は、ソ連は実力を
行使してでも、彼らの要求を達成するだろうと考えた。「我が国の
人口は370万。レニングラードの人口と大差ない。国力の差は
歴然としている。軍事衝突を避けるためには出来ることは全て
しなければならない。」
「フィンランド湾の島々は交渉のカードに使うべきだ。場合によっては
イノ要塞も諦めねばなるまい。」
「政府は甘く考えているがソ連は本気だ。最近、ポーランドにいた
1個師団がレニングラード軍管区に現れた。東カレリアには、
少なくとも2個師団と支援部隊が増強されている。」マンネルヘイムの
言葉に政治家達は不満を漏らした。「これでは何のための国防
予算だったのだ。」マンネルヘイムは怒りのあまり押し黙った。
彼ら政治家の無知により、フィンランドは国防力不備のまま、国家
存亡の危機を迎えたのだ。
914:マンセー名無しさん
12/04/24 13:16:02.76 q4vMDqAH
フィンランド政府内では議論が紛糾していた。「ソ連が譲歩を示すのは、
戦争の意思がないからだ。堂々と正論を貫こう。」政府首脳は主張した。
割譲の対象となっているカレリア地峡には、重要な産業施設と共に
フィンランドの人口の1割近い住民がいる。来るべき選挙を考えると、
国民の猛烈な反発を受ける領土問題の譲歩を纏め上げようとする
者はいなかった。
一方マンネルヘイムは、ドイツとソ連が同盟している状況での開戦に
断固として反対した。「勝てる見通しが無ければ、戦争は避けるべきだ。」
彼は、国民の批判の矢面に立つ覚悟まで表明した。
「かつて勇猛な虎のようだった元帥は、今や猫になってしまった。」
対ソ強硬派は、妥協を唱えるマンネルヘイムを弱腰と罵った。
915:マンセー名無しさん
12/04/24 13:19:18.10 3KW9kbFo
>>877-878
ここは漢文でも全文閲覧できて、検索機能も便利だからねー。
でも以前の報道で
<丶`∀´> <漢文ページの誤字脱字がちょっと多すぎたニダ(テヘペロ☆
っていうのがあったから注意が必要w
916:マンセー名無しさん
12/04/24 13:44:16.04 udBSrmR/
4月25日(水)
NHK総合午後4時05分~
歴史ヒストリア
「美しき海の国~
琉球王国の450年」再放送
917:マンセー名無しさん
12/04/24 14:23:52.61 viaf6KDq
>>916
> 4月25日(水)
>
> NHK総合午後4時05分~
> 歴史ヒストリア
> 「美しき海の国~
> 琉球王国の450年」再放送
この番組も残念な内容だったわ。
歴史番組なのにタイトルからして『美しき海の国~』みたいなキャッチを入れることで喜ぶのは商売人と観光客だけさ。
歴史と美しい海はまったく別。
報道は報道バラエティになって歴史番組も歴史観光PRビデオ化してる。
918:マンセー名無しさん
12/04/24 16:19:34.58 udBSrmR/
>>917
薩摩が琉球を侵略征服してその後
搾取した史実には触れていたよ
鹿児島擁護者は薩摩は琉球を属国化したが搾取は
一切してないと言うがそれが嘘だということの証です。
919:マンセー名無しさん
12/04/24 21:11:02.26 3vimc+I4
【テコンV】【マブヤー】