12/02/26 11:35:26.69 Pdi4wQ8W
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(毛沢東の八路軍に関して)
私は陸軍の参謀として支那派遣軍総司令部におりましたとき、いろいろ見聞しました。例えばキリスト教の宣教師が山奥に入り、
伝道に努めている。あるいは、当時、日本軍が相手としていました中国共産党の八路軍が北方の太行山脈などで日本軍と
対峙していまして、岩山なのですが、どこからか土を運んできて農耕をしていました。日本軍は中国の民衆に対していろいろ問題
を起こしていたわけですが、八路軍は婦女子に対する軍規が厳正でした。キリスト教の宣教師の情熱といい、八路軍の軍規厳正
なることといい、そのおおもとはどこからくるのだろうかと、いつも考えておりました。
○第一線の指揮官が、「従来は攻めていくときに、みんなの家を焼いていたので、後ろから見ていても、
自軍の第一線がどこまで進んだかわかった。ところが新しい方針が出て、家を焼いてはいけないという
ことになったので、自分の部下がどこまで進んだかわからない」などと話していました。こういったことが結局、
反日思想を培ったので、日本軍の従来のやり方を改めなければいけないと、日本政府が新しい方針を出したのです。
私はその直後に南京に赴任しました。支那派遣軍総司令官は、中国全土の日本軍を指揮するので、私は参謀として
各方面に行きまして、新方針を伝えました。中国人に対する軍規を厳正にしなくてはいけないということを申し上げたわけです。