12/03/21 02:03:38.55 Ovb+Zxsr
>>613
時は1592年(文禄元年)
老いて狂想を抱いた太閤秀吉公が、大陸の明帝国をめがけ朝鮮に出兵するという暴挙にでる。
いわゆる 「文禄の役」 である。
日本軍は小西行長率いる第1軍、加藤清正の2軍、そして 黒田長政の3軍という、日本最強の
先鋒隊がに三路に分かれて朝鮮半島に上陸し、連戦連勝を重ねた。
このとき、加藤清正軍 (一説では小西行長軍) の先鋒隊長の 「沙也可」 なる武将が
日本軍の侵攻に 「大儀なし」 と自軍 (3千人) を率いて朝鮮王国に寝返った。
「沙也可」 将軍は、朝鮮軍に当時なかった鉄砲を伝授し、彼の率いる精鋭100名の鉄砲隊の活躍により
豊臣軍は撃破されたと言われている。
この戦功により、「沙也可」 将軍は、時の宣祖王に臣下として迎えられ、
正憲太夫の位と金海金氏を名乗るよう賜り、名を金忠善と改名したという。
その後、慶尚北道の友鹿に領土を与えられ、朝鮮の臣として湖族鎮圧等で活躍しその生涯を閉じた。
URLリンク(www.youtube.com)