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朝鮮通信使:『筆談唱和集』が示す江戸時代の韓日交流
日本側の態度、受容型から誇示型へ…両国の筆談集に変化
朝鮮通信使が国書伝達のため漢陽(現在のソウル)を出発し、釜山を経て江戸に向かう間、
日本では知識人たちが競って漢文筆談を求めた。これに関する詳細な記録は『筆談唱和
集』として伝えられ、日本で出版されたこともある。通信使たちが残した朝鮮使行録と合わ
せて、韓日交流史の主要な研究資料だ。
筆談唱和集は、これまで日本をはじめ複数の国に散在し、これに基づいた通信使研究が
それぞれ進められた。許敬震(ホ・ギョンジン)延世大学教授らのチームは筆談唱和集を
集大成するという目標を掲げ、2008年から韓国研究財団の支援を受けて、筆談唱和集の
収集および原文入力、翻訳事業を行ってきた。通信使が持つ多層的な意味を、より立体
的・客観的に研究するため、漢文学者のほかに史学者、元外交官が諮問委員として参加
している。現在、日本や米国、英国、ロシアの図書館などで収集した唱和集178種(200字
詰め原稿用紙で約3万枚に相当)は、原文入力と翻訳をほぼ終えた状態にある。来週には、
事業チームがこれまで収集した関連論文37編をまとめ、全5巻の研究叢書を出版する予定
だ。
特に目を引くのは、時期によって、両国知識人の対話内容や主導権が変化した過程だ。延
世大学国学研究院のキム・ヒョンテ研究教授は「日本の医師たちは当初、さまざまな植物を
持って来て朝鮮の使臣たちに見せ、“あなたの国にもこのようなものがあるか。何と呼ぶの
か”と尋ねるレベルだった。しかし後期になるにつれ、“君たちの国では解剖をするのか。私
たちが解剖をしてみたところ、臓器は既存の解剖学の知識とは異なっていた”というように、
自分たちのレベルを見せつける様子が見られた」と語った。当時の日本は、開港した長崎