【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】at HOBBY
【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】 - 暇つぶし2ch2:165
12/05/27 11:40:59.59
できたおー 2ゲット

3:165
12/05/27 12:00:14.46
【スレッドを見失う方へ】
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お気に入りに入れて、頻繁にチェックしましょうw

今年こそは、現地調査を含めたオフ会をしたいと真剣に考えております。

飲み会には必要ありませんが、【ここでメンバーを集め現地調査をする方々】は、
成年・未成年は問いませんが、免許証・パスポートなど顔写真入りの身分証明書及び、連絡先をご提示いただける方に限らせていただいたほうがよろしいと思います。
これは、現地調査等で事故にあわれた時の連絡や警察・消防等へ問い合わせのためです。
私自身もバイクに乗っているため、免許証のほかに緊急連絡先、血液型等を書いた紙をパウチして常に携帯しています。

4:983
12/05/27 12:27:01.15
165さん
 新スレ立ち上げ、ありがとうございます。

5:165
12/05/27 19:59:35.78
早速来ていただいてありがとです。

前にも書きましたが、遊女であろうと花魁であろうと、あったとすれば村の女性が滑落して死んだ程度の話で、
淵の上に演舞台を作って躍らせて、台ごと葬り去ってのは難しいと思いますね。
どう考えたって、まとめて切り殺したほうが手っ取り早いでしょう。

河童とか妖怪の類もそうですが「戒め」「注意喚起」で、その場所に近づいたらダメよという警告のためではないかと思います。
その場所とは、荒らされたくない場所、危険が多い場所が多いですね。
確かに谷川とか危険がいっぱいです。
また、近づかれたくないので伝承を残している場合も多いです。古墳などね。
埋蔵金があるかはわかりませんが、なるべく近づくなって場所なんだと思います。

6:165
12/05/27 20:32:46.49
前スレで
>畠山氏の記述は意図的に場所を変えてたりは考えられないですか?
>私はある意味での作為的なものを感じますけど。

とありますが、地図や交通が発達した世の中で、ちょっと調べればわかりそうなもんなんですが・・・。
畠山氏は、ほかの著書でも橋の名前を間違えたりもしています。
作為的にではなく、意外と緻密ではないんじゃないかと思います。それでも頼らざるを得ないですがね。

おいらん淵が間違えなのか、柳沢川が間違えなのかはわかりませんが、前スレで書いたように
一之瀬川を柳沢川と間違え、その合流地点をおいらん淵と間違えた可能性「も」ありますね。
地図等を含めた現状から見るに「一之瀬川と龍喰川の合流地点」がしっくりきます。
ですが、なんか違う気がしてならないのです。

龍喰川を間違えてる可能性のほうが、一之瀬川を柳沢川に間違え、合流地点をおいらん渕に間違える(2点の間違え)より現実的です。
地図を見ると、おいらん淵の近所に鶏冠山より流れ込む川があります。
国土地理院の地図にも記載されていないし、古地図に河川名が書かれていないけど、川?沢?がありますね。A川としましょう。
「柳沢川とA川が合流するおいらん淵近くの山中を」のほうがしっくりきます。

ですが、龍喰川という変わった名前の川を間違えるでしょうか?
あ 河川名じゃないや 正確には、龍喰谷と大常木谷ですね。

7:165
12/05/27 20:43:28.76
やはり、龍喰谷と大常木谷を丹念に調べるしかなさそうです。
そしてA川 枯れてしまったんでしょうか?現在の地図に載ってません。

龍喰谷と大常木谷、A川を丹念に調べるとなると一苦労ですね。
もちろん沢登りが活発なので、沢から見える場所にはないでしょうし。
果たしてどこなのでしょうか。。。

8:983
12/05/29 14:40:47.84
「武田の宝」を読んでますが、花魁淵の件は「平八郎長者の埋蔵金」らしいとあります。
黒川=武田の埋蔵金とは無関係なんでしょうか?
それから高橋某の野宿跡も転落場所から僅か離れてるだけ。
「宇沢某が通った花魁淵近くの道」って旧旧道を指すのなら、165さんの先記に矛盾しますね。

9:165
12/05/29 19:17:03.24
あ 失礼失礼 まぎらわしかったですね。

おいらん淵の件は、平八郎長者の埋蔵金です。
畠山氏の日本の埋蔵金「武田の秘宝 甲州武田氏秘宝」章のを順におっていっているだけです。
修二郎の話の最後に「すると、「部落の老人の中から、それはきっと、平八郎長者の宝を探しあてたにちがいない」と、いいだすものが出てきた。
となり、平八郎長者伝説につながっています。

平八郎長者伝説は昔話であり、滑落した修二郎の話のほうが埋蔵金メモの話もあるので、地図の解説も含めて連投してました。

また、同じ著書の中に「信玄『牛の金鉱』」の章があり、信玄の軍費の話、黒川千軒になっていきます。
その章の中にも「柳沢川と龍喰川の合流地点である『花魁淵』だ、といわれている。」と書いてあります。

10:165
12/05/29 19:59:43.05
そこで、まず「誰の埋蔵金かは、おいといてw」修二郎がどこで見つけたのかを考えていたんです。

まずは、畠山氏が2度も間違えている「花魁渕」の位置と、修二郎の滑落場所についてを抑えておきたいと思っています。

上にも書きましたが、整理すると
<花魁淵はどこだったのか?畠山氏は河川の名称の間違いなのか?>
 ①一之瀬川を龍喰川と間違えたのか? → 一之瀬川と柳沢川の合流地点=現在の花魁淵で正解。
 ②一之瀬川を柳沢川と間違えたのか? → 一之瀬川と龍喰川の合流地点=本当の花魁淵???

<宇沢某の話 部落の連中以外にはめったに足をふみ入れない場所とは?>
 ①花魁淵近くの山中→現在の花魁淵は青梅街道沿い → 現在の青梅街道は新道だった → 旧道は馬車道だった → 馬車道になる前の旧旧道もしくは、馬車道になれなかった旧旧道があるのではないか?
 ②逆を返せば、『二ノ瀬』部落の連中が足をふみ入れる場所→部外者はめったに足をふみ入れない場所→街道の脇道(二ノ瀬部落方面へ)なのか?→当時の脇道はどこなのか?

<滑落場所はどこか?>
 ①金塊を持った人が、青梅街道沿いに野営するとは思えないが、帰り道だった → 青梅街道筋の脇道ではないか?横に柳沢川もあるし

<混合>
 ①畠山氏が勘違いして、一之瀬川と龍喰川の合流地点を花魁淵としてしまった → 一之瀬川と龍喰川の合流地点の周辺が怪しい → 二ノ瀬に近いし、川沿いで滑落
 ②畠山氏が勘違いして龍喰川と書いてしまっただけで、一之瀬川と柳沢川の合流地点(現在の花魁淵)である → 部落の連中も行き来するし、花魁淵の周辺で滑落

11:165
12/05/29 20:46:14.77
いずれにしろ、川沿いで人目に付きにくい場所ですね。

明治時代の地図にも龍喰川も一之瀬川も書いてあるのに・・・。
しかも、花魁淵の位置を2回も書いているのに・・・地図見なかったんか?

滑落した場所がわかればその周辺が怪しい。
その周辺って言っても、埋蔵場所から早朝に出立して、滑落した場所(野営地)まで歩ける範囲。
埋蔵場所が川沿いなどと一言も書かれていないから、山中を含めたいたるところ。
でも帰り道だと思われるので、花魁淵の近所の青梅街道に「出よう」としたかもしれないし、
街道に出たので、一旦、山中の脇道にそれて一泊したのかもしれない。

その滑落した場所が、部落の連中以外はめったにふみ入れない場所の川沿い。
川はいくつかあるり、花魁淵は川の合流点だが、近くの山中と書かれており、龍喰川や柳沢川とは書かれていない。

いったいどこなのだろう?

12:165
12/06/03 10:03:58.64
過疎ってしまうw

13:名無しの愉しみ
12/06/03 17:55:55.92
花魁淵に関する武田家の埋蔵金の件。
ことこの件に関する限り、埋蔵金はない。
武田家は、金山のありかがよそに知られるのを防ぐために花魁を殺したのではなく、
金が枯渇し、金山が閉ざされるのをよそに知られることを恐れて殺したのが
真実だからだ。
枯渇した中でも、残ったわずかな金を埋蔵したという確たる資料があるなら別だが。

14:名無しの愉しみ
12/06/03 18:01:33.91
>>13
もし埋蔵金があるなら、噂は噂を呼び、武田家縁の者達の間を
駆け巡るであろうから、
武田家旧臣で後に佐渡金山の開発・運営にも携わった大久保長安などが
放っておかなかったろう。
しかし、彼が武田家埋蔵金を探索したなどという話は寡聞にして聞かない。

15:983
12/06/03 20:33:06.53
>>13
いやぁ~いきなり凄い新解釈ですね。

>武田家は、金山のありかがよそに知られるのを防ぐために花魁を殺したのではなく、
金が枯渇し、金山が閉ざされるのをよそに知られることを恐れて殺したのが
真実だからだ。

確かに一理ありますね。金の枯渇=財力の低下、つてことですよね。
周りの国主にすれば侵略するいい機会になり得る訳だし。
勝頼が天目山で自刃した際にも埋蔵したらしい話もありますけど。


16:983
12/06/04 04:47:33.37

>>13
新解釈は驚きましたが、「花魁淵の件=黒川金山埋蔵金」との根拠って???
983にも書いたのですが、No8・9にもあるように「花魁淵の件=平八郎長者の埋蔵金」では?
事実、“ぶつ”を持ってた高橋某なる遺体も見つかってますからね。
もしかすると既に掘り出されていて無いかも知れませんが。。。

17:165
12/06/05 00:08:18.02
どもども^^

私の書き方が悪くて、「花魁淵の件=黒川金山埋蔵金」となってしまってるようですが、
上でも書きましたが、「花魁淵の件=平八郎長者の埋蔵金」です。

ただ、畠山氏の著書で、修二郎の話の最後に「すると、「部落の老人の中から、それはきっと、平八郎長者の宝を探しあてたにちがいない」と、
いいだすものが出てきた。 となり、平八郎長者伝説につながっています。

実際、修二郎が見つけたお宝は、誰の埋蔵金なのかはわかっていません。

鶏冠山はもとより、岩岳、牛王院平も怪しいと思っています。
ただ、武田氏の金山が枯渇してっていうのは違うみたいです。
黒川周辺には、まだまだあったみたいですよ。

大久保長安は、埋蔵金などを探すより、金山奉行としての地位や賄賂だけで十分潤っていたでしょう。
なので、大久保長安の埋蔵金の話や、徳川家が激怒して大久保家を蹂躙したんでしょう。


18:165
12/06/09 16:46:12.07
さてさて
どうしましょうか?

19:165
12/06/14 19:25:43.97
過疎ってきましたw

20:名無しの愉しみ
12/06/15 18:34:16.06
新幹線に乗って外を眺めてるときに、埋蔵金が埋まっているところも知らずに通過してるんだろうなぁ。
なんてたまに思います。
埋蔵金ってロマンですよね(^O^)

21:名無しの愉しみ
12/06/16 18:16:57.56
こんにちは。
以前>>13>>14で書いたたわけです。

ここで語られている花魁淵関連の埋蔵金って武田家の金山関係の埋蔵金じゃないんですか。
そりゃ失礼しました。
花魁淵=武田家=金山っててっきり思い込んでました。
どうりで、武田家関係で埋蔵金なんて聞いたことないのになぁと。
ちゃんと読めとツッコまれるかもしれませんが、中身が難しいためスルーすることが多く、
雰囲気だけで誤解していました。
そういうことなので、金探しに今後とも頑張ってください。
ちなみに、その平八郎って人の埋蔵金ってことですが、その人はそもそもどこで
それを手に入れたんですかね?
その元を辿ると、やっぱり武田家の金山関係じゃないんですかね?
それも書いてある!とツッコまれるなら、私の怠け心のせいでございます。

22:165
12/06/17 14:59:02.77
どもども

ヤフオクなどで畠山氏の日本の埋蔵金などを買われると、もっとワクワクしますよ。
昔と違って、上下巻で5千円ほどでしたので手が届く範囲だと思います。

平八郎ってのは、金鉱脈を発見して成金になった人です。
個人的には、あまり信じられない話です。

上に書いた滑落者の修二郎の話は、「あるなら」武田のではないかと思っています。


23:165
12/06/17 15:43:58.02
さてさて どうしたもんかね?

ユーチューブで、武田の埋蔵金(龍バミ川支流)と、結城の埋蔵金(中久喜城跡)の動画がありますね。
この動画をアップしている人は、邪馬台国の話もしているので、ちょっと遠くへいちゃってる感じで
す。

ネットでいろいろ見ているけど、謎の「日本の埋蔵金」研究所さんと、八重野氏の「日本トレジャーハンティングクラブ」さんしか
埋蔵金を専門に扱っているところはない。
謎の「日本の埋蔵金」研究所さんは、各地の埋蔵金伝説の紹介と更新はされているものの、活動内容が不明です。
「日本トレジャーハンティングクラブ」さんは、八重野氏のクラブなんで、本格的に現地発掘などをしている。
メンバーも募集しているが、現地発掘もしているので土木等の特技がないと敷居が高そう。

赤城本命さんみたいにホームページでも作るかね?

24:165
12/06/17 15:52:38.16
また過疎化が進むと、お酒のつまみに文章が書けなくなるので、休日の余暇を持て余してしまう。

まぁHP作るとなると文章だけでは面白くないので、現地の画像や動画も必要になるな。
以前に調査したときの画像はあるものの、記念撮影になってしまっているので撮り直す必要もあるね。
赤城と武田に絞ってもいいが、武田は山歩きになるんでつらいな。山歩きなんかしたことないもん。
結城?ありゃーダメありそうにもない。あるなら中久喜だね。現地行けばわかるけど、大岡越前が掘ったり他の人が大々的に掘って出ないんだもの。
結城城跡じゃないだろうね。まぁ三種の和歌ぐらいが見どころかな。

他は遠すぎ

25:梅雪
12/06/22 21:50:28.10
はじめまして。
前の「埋蔵金発掘が趣味の人」が閉じてから、誰か後をついでやってくれる
人がいないかなと、ずっと待っていました。165さん有難うございます。
ここで再開していることを知らない人が多いと思います。私自身も、掲示板
を偶然に覗いてみて、たまたま発見しました。

私の現在の関心は主に梅雪の埋宝ですが、竜喰谷にも2,3回行ったことが
あるので、次回、畠山清行氏の本の「武田の秘宝」の一部を整理して数日中
に書き込ませて頂きます。


26:梅雪
12/06/24 21:42:45.90
埋蔵金のバイブル「日本の埋蔵金」の著者畠山清行氏は、埋蔵金研究者であると同時に、
作家でもあるので、若干の創作や脚色があると思われます。まずは素直に信じて読み、
どこか辻褄が合わないところは自分なりに修正解釈するのがよいと思われます。
山梨県一之瀬高橋近辺、高橋修二郎が発見した埋蔵金に関連して、時系列的に整理してみます。
(1)黒川金鉱開掘の少し前  黒川谷(高柳村)平右衛門、信玄の軍費の一部、黄金の延棒、
   平右衛門は三河→甲府→高柳村へ移住。 [三河にいる時情報入手か。]
(2)天保11年、黒川金鉱の開掘、地元高柳村の名主、次郎左衛門と倅善蔵、開掘失敗。
    [金鉱開掘に名を借りた埋蔵金探しか。]
(3)明治8年、辺見正順と家来10人、埋蔵金発掘失敗。
(4)明治40年9月末、高橋修二郎、棒金発見、転落死。二の瀬部落の宇沢某遺体発見。
   花魁ぶち近くの山中。修二郎のメモから3か所に埋蔵。少なくとも1ヵ所は川沿い。
   メモにはのべ板もあると記されていた。場所は高橋・・・に、とある。
(5)大正元年、帝国電灯社員金沢猪作、大菩薩登山途中、道に迷い弓削一司郎と埋蔵金に
   遭遇。砂金2壷、朱1壷。 [朱があったとすれば、朱が砂金と同じくらい貴重だった
   大昔の埋蔵金か。こちらこそ時代も知れない平八郎長者伝説のものか。] 

私は、高橋修二郎(の発見した)埋蔵金は3か所あり、1ヵ所位は未発掘で、川沿いの洞穴
ということで、その川を竜喰川と推定して2,3回行ったことがあります。川違いだったかも
知れません。皆さんはどう思いますか?宇沢某は地元の人間で遺体発見現場の川とメモも
見ていること、小埋蔵金と思われるので、既に発掘されている可能性も否定できません。
とにかくその川はどの川か、探索するなら、候補の川を絞ってつぶしていくほかないと思
われますが・・・


27:165
12/06/25 23:06:50.70
はじめまして

上にも書きましたが、畠山氏は2度もおいらん淵の場所を間違えています。
おいらん淵の場所(龍バミ川と柳沢川の合流)が創作なのか、
単に間違えたのか(一之瀬川と柳沢川の合流)のかは、今となっては謎です。

もし、候補を挙げるとしたら、龍バミ川(上流に埋蔵金伝説があります。)
宇沢某の記述によるならば、青梅街道を越えて黒川山方面ではない気がします。
黒川山には金鉱山があったことからも、候補地としては捨てきれません。

しかし、高橋修二郎が帰り道だったことも考えれば、畠山氏がいうおいらん淵と、現おいらん淵を中心とした
片道半日の半径内でしょう。

28:165
12/06/26 22:17:49.53 fHtj3qIu
あげてみる

29:梅雪
12/06/26 22:52:31.48
高橋修二郎の残したメモから推理すると、
(1)「高橋(以下十字不明)・・・に」から、一之瀬高橋から片道半日の半径以内の場所。
(2)「・・・口は川について下って三つ目の(一字不明)のほらあなから入る」から、
  険しい渓谷の川で、大岩か滝が三つ以上あり、その近くにほらあながある所。そしてその川は、
  「下って」が間違いなければ、河口からはさかのぼるようには近づき難く、川の中流か上流から
  川に下りて、下流方面へ「下って」行く方が到達しやすい地形の川。(例 渓谷の対岸が河口の川)
ということになると思います。
竜喰川上流に埋蔵金伝説があるのは知りませんでした。差し支えなければその内容を教えて
下さい。私は行ってみて、竜喰川はその名前ほど険しい川でなく、この川ではなさそうとの
印象を持ったので、大常木川あたりかなと思いつつも、ターゲットを梅雪に変えました。

30:梅雪
12/06/28 20:44:12.67
穴山梅雪の埋宝について何か意見がある方はいませんか?

31:165
12/06/29 11:53:55.05
すいません すいません
忙しくて書き込み遅れました。

将監峠(しょうげんとうげ)は、奥秩父東部の峠である。
埼玉県と山梨県の県境に位置し、龍喰(りゅうばみ)山と牛王院平(ごおういんだいら)の最低鞍部である。

かつての将監峠は、大洞川の最低鞍部「井戸沢のタル」とは異なった場所に位置していたようである。
牛王院平周辺には、武田氏が金鉱を採掘した遺跡がある。(wiki参照)

牛蒡金採掘ノ跡ともいい、或いは平賀源内採鉱ノ跡ともいう。
一方明和年間平賀源内は中津川に信玄の遺鉱について採鉱に従事したという確定した事実があるから、中津川もここも信玄公の遺跡について再掘をしたと考えるのが妥当であろう。
しかも中津川においては大規模にやっただけ失敗も大であったというから、恐らくここはその以前極めて地味にやったものではあるまいか。

これは恐らく寺院の存在を伝える名称であると思うが、梓山の奥には常楽院、入川の奥には清光寺と、いずれも仏教の信仰篤き信玄公が、
採鉱当時、遊女屋軒を並べるという本能満足の設備の一方に、又霊的救済の施設を講じたことも賭易き事実である。
ここもその一例と思うが、まだ遺跡を発見した事はない。
国志には御王院とあるが、古老にはギウワウヰンと発音する人もあり、その点から考えてみればやはり牛の字が正しいと思われる。
出典:昭和十年七月 朋文社発行 原全教著

この地域に武田の埋蔵金伝説がありますが、だれがいつ?などは不明です。
金鉱=埋蔵金から派生したのかもしれませんね・

32:梅雪
12/06/29 21:16:27.19
>>31
詳しい回答を有難うございました。参考になりました。
黒川谷の埋蔵金については秘文、秘図がないので、やるなら足でかせぐしかないですね。

33:165
12/06/30 12:04:57.80
武田の埋蔵金にうといので、いろいろ見てみると

川沿いってのは、難しいと思う。
川はあくまでも目安や小道(小径)がない場合の上り下りの順路にしか過ぎないと思った。
増水すれば流されてしまい、護岸を壊してしまうしね。川を考えるなら支流じゃないかな。

34:梅雪
12/06/30 22:22:52.49
竜喰川へ行ったとき、沢登りのパーティーに二度会いました。沢登りの人達
に簡単に中を覗かれるようなほらあなでないことは確かですが、彼らの目的
は埋蔵金探しではないので、岸より少し上の方にあるほらあなで、崖の上の
道を通る人からは見えないほらあなだと思います。既に持ち去られているの
では・・・

ところで、165さんは徳川埋蔵金に詳しいのでしたね。
こちらの進度状況はいかがですか。
私は徳川は全く分りませんが、本当にあるのですか?場所が特定できないだけですか?

35:165
12/07/01 19:11:11.92
徳川埋蔵金の最大の欠点は、掘らなきゃいけないことです。
めぼしいところがあったとしても、掘ってみないとわからない。
穴が30センチずれても当たらない。30センチ浅くても当たらない。
掘るということは、労力と私財が必要なんです。
これがハードルを高くしていますね。

そう考えると、武田の埋蔵金はほら穴系なんで見つけやすいかもしれません。
落盤とかで埋まってるかもしれないけど、穴自体は見つけやすいと思います。

36:165
12/07/01 19:24:07.41
前レスから書いていますが、徳川埋蔵金はあると思います。
TVでやっていたような400万両は尾ひれがついた話ですが、いくらかはあるでしょう。
水野氏の詐欺という方も多いですが、すでに詐欺として成り立ってないことと、
お亡くなりになられた水野氏から「嘘でした」との答えもないことから「有る」方に分がありますね。

場所の特定ですが、これまた水野氏の情報からしか得られないのも難点です。
いろんな物証や情報が世に出回っている中、コツコツとふるいにかけ、候補地をしぼっていっています。
しぼっても「掘る」これがネックですね。


37:梅雪
12/07/01 22:37:45.53
え!三代目水野智之さんが亡くなられたのですか。知りませんでした。
DVD「あたえられるか否か 徳川埋蔵金120年目の挑戦」は見ました。
水野さんが”絶対の信頼を寄せる人”というふれ込みで掘ったのに出ませんでした。
水野さんから情報を得て掘ったのに出ないということは、どこか根本的に間違いが
あるのではないでしょうか。(出ていればDVDは中止。でも噂にはなります。)

たとえば・・・武田の話に戻ってしまいますが、弓削一司郎は怪しまれないよう行者
の格好して何年も柳沢峠付近を探索していました。結果的に砂金樽を発見しましたが、
そもそも一司郎が探していたお宝は祖先の弓削新太郎正勝が穴山梅雪と一緒に埋蔵した
信玄の財宝だと思います。ところが、弓削新太郎はこの財宝を梅雪が別な場所に移し替え
たのを知らずに子孫に自分が埋蔵した場所を書き残した・・・。弓削一司郎のお宝探しは
根本的に間違ったエリアを探し回っていたのだと私は考えています。


38:風
12/07/03 10:24:33.79
梅雪から「風」と名前を変えます。軽~く。

39:165
12/07/03 22:35:31.24
まずは、確率が高い高橋修二郎の方からの方がいいかもですね。
弓削の方は、創作の部分が多すぎる気がします。

40:風
12/07/04 20:53:01.74
高橋修二郎は3ヵ所なので、1ヵ所位は未発掘かも知れませんね。
「川について下って三つ目の○・・」の○が滝だと仮定すると、滝と言える
ような滝が、少なくとも3つはある川ということになりますね。
柳沢川、一之瀬川、竜喰川、及びこれらの川に流れ込むある程度大きい川の
近くと推理しますが・・単独でなくできれば二人以上で行かれた方がよろしい
のでは・・。熊や怪我対策のほかに、ほら穴の存在を対岸から確認してくれる
人がいると大変助かります。



41:165
12/07/05 11:29:03.57
「川について下って」だから滝じゃないと思う。
川について下ってだと、再上流から3つ目でしょ?
川下からのアタック(川・沢のぼり)じゃないのかな?上流から川を下ってくるのだろうか?
修二郎の滑落場所を考慮しても、川・沢登りだと思うけど。

42:名無しの愉しみ
12/07/05 13:25:09.54
りゅうばみのどん詰まり辺りは、熊の巣なんですよね。熊だなだらけだった覚えが(笑)

43:風
12/07/06 22:12:54.51
竜喰川には2,3回行ったことがあるので、多少なりとも参考になればと思います。

竜喰に簡単に接近するには、二之瀬集落から山道に入り、途中右方面の山道を選んで進めば
竜喰川の崖上の道に出て、やがて滝が目の前に現れます。河口に山道は無く、言わば中流域
にぶつかる感じです。
竜喰川を河口から遡るには、一之瀬川沿いの一之瀬林道が一之瀬集落に入る手前に一之瀬川
の岸まで下りやすい斜面があり、ここからほんの数メートルですが流れに流されないよう
岩につかまりながら腰まで水につかって進むとすぐ浅瀬となり、対岸から水が流れ込んでいます。
これが竜喰川の河口です。あとは沢登りの感覚で歩くといくつかの滝に出会います。
 つまり竜喰に限って言えば、集落から竜喰川へのアクセスは河口からの沢登りよりも中流域からの
川下り、又はさらに上流への遡行の方が楽と言えると思います。

畠山さんは宇沢某が偶然に高橋修二郎の遺体を発見したように書いていますが、私の想像では日が暮れに
人がいないはずの山中で野営中の火がちらちら見えたので、翌日又は翌日が雨の場合は翌々日行ってみた
のだと思います。
火があって人がいることが分っていても、集落に直接通じる道がない、あるいは橋がないなどの理由で
簡単には近づけないところだと思います。

そういう意味で私のおススメは大常木谷です。ただし事故は自己責任でお願いいたします。


44:165
12/07/06 23:54:41.18
高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
省略
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る



45:165
12/07/07 00:22:21.12
省略がまずかったな

高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川について下って三つ目の
○のほらあなから入る

まずこれをなおそう
省略がまずかったな

高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
大本○○○右三本○○○○○○○○ 山○○○○○あり穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴にもま○○○○○ある。
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。

46:165
12/07/07 00:32:30.36
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
大本○○○右三本○○○○○○○○ 山○○○○○あり穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。

↑これは一つ目の穴の場所の説明。

木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴にもま○○○○○ある。

↑これは穴の中のお宝の説明。 「木で」とあるが、鋳造途中の枝みたくなっている奴だと思う。銅銭とかでよくみられる製造途中のもの。

右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。

↑右のとは、縦書きでの「右」であるから、二つの穴=二つ目の穴の場所の説明と思われるが、「三つ目の○のほらあなから入る。」と書いているので
二つ目のほら穴の説明ではなく、穴は一ヶ所で途中で3つに枝分かれしている他の穴のはないのか?

47:165
12/07/07 00:45:15.14
次に

高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る

古地図を見ても「一之瀬高橋」で、「二ノ瀬」であり「二ノ瀬高橋」ではない。
落合集落の上の「高橋」集落があり、一之瀬高橋、二ノ瀬には神社仏閣学校があることと、
犬切峠を越えなければいけないことから、高橋集落の一之瀬、二ノ瀬(二ノ瀬は一之瀬高橋に付随)ではなく単独集落だと考えられる。

では、なぜ高橋からスタートしているのか?
これは、今と違って花魁淵から一之瀬高橋に行く道がない。高橋集落を通過して犬切峠を越え一之瀬高橋、二ノ瀬へ行かなければならないので、
高橋から文章がスターしているの「かも」しれない。

以前ココで、花魁淵は塩山駅とは逆方向でると書いた人がいた。オレもよく覚えてるなw
道が高橋を通過し犬切峠を越えて一之瀬高橋に入っているので帰りも逆ルートだと思われるが、なぜか高橋から塩山駅とは逆の花魁淵で滑落したことになっている。


48:165
12/07/07 01:15:16.43
最後に

右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。

これが話をややこしくしている。
「高橋・・・」の文章で、場所の説明をしているからだ。
「穴は大きな岩の左からみ」←この部分ね。

違うな。あくまでも仮説で

「高橋」から始まる文章は、「川」の場所の説明だろう。
で、最後の文章が、穴の場所の説明ですな。

でね。「高橋」と書いておきながら「龍バミ谷(川)」がわからないということは無いと思うんです。
もちろん当時の地図にもしっかり龍バミ谷って書かれていますし、高橋~一之瀬高橋まで明治の新道も通っていますし。
一之瀬高橋(龍バミ谷)が、地図にも書かれていない秘境の地ではないんです。

でね。
「川について下って」「川に滑落した修二郎」で、みんな騙されていると思うの。

49:165
12/07/07 01:36:15.14
文章の「右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。」から
「高橋・・・穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。 」の穴をイコールだと勘違いしているかもしれない。
「高橋・・・」の文章は、道の説明であって、文中の穴は「穴に向かう道」の「穴」じゃないかと。
で、上(>>48)に書いたように龍バミ谷の位置、名称がわからなかったとは考えずらいのね。

となると、「右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。」の○が、龍バミ川ではない気がする。
かといって、龍バミ川以外に滝があるとなると「沢」ってわけにもいかないし。。
おっと、アニメの見すぎだ。滝の裏にほら穴があるなんてww 「崖」かもしれない。

「右の穴の入口は川について下って三つ目の崖のほらあなから入る。」んーしっくりくるね^^

こう考えると、龍バミ谷、大常木谷など当時から名の知れた所じゃない気がします。
もちろん、修二郎が東京の人で、現地へ行くには地図を買ったでしょうから、すでに龍バミ谷、大常木谷はでていたでしょう。


50:165
12/07/07 01:58:32.06
まとめ

お宝がある川が、龍バミ谷、大常木谷ほど有名ではないので、
まず「高橋・・」でマイナーな川を特定させるための説明が必要だった。なので「山」が出てくる「山間(やまあい)」「山道」など

二つ目の穴ではなく「二つの穴」とのことなので、入口が一つで3つに枝分かれしている穴。
その3つに枝分かれしている一つの穴のお宝の内容を記入し、残りの二つの穴にもまだある。としている。

その穴(お宝があった穴)の入口は、「高橋」で書いた川の三つ目の崖のほら穴からはいる。そこまで行く間に2つほら穴があるのでは?
直すと「川について下って三つ目の○のほらあなから入ると、右の(お宝の穴)○○入口がある」

どうですか?大胆推理しすぎですかねww
明治43年の地図をみると、小径(小道)のほか、獣道?小道より細い道が書かれています。
もしかしたら、獣道のような道を見落とさないために、まず「高橋」から書いたんじゃないでしょうかね?

もしそうなら、川とかしていますが、龍バミもしくは、大常木にそそぐ川の支流かもしれません。

まずは文章と同様に「一之瀬高橋」からスタートしてみるといいかもしれません。
風さん連れて行ってww

51:165
12/07/07 02:10:10.84
んー 読み直してみたが、思いつきで書いているので文章がグチャグチャだな。
文才がなく面白おかしく書けてない・・・。

次回は、前にも書いたけど畠山氏の言う花魁淵?の場所の大胆推理をしてみるねw


52:165
12/07/07 02:43:21.21
高橋から二ノ瀬を抜けた奥に椀の形の岩あり横の道を登る。
大本の道の右三本目の小道より登る 山間に数本川あり穴は大きな岩の左からみた側の小川にある。
木で○○○○数十本
棒は大小合わせて数十枚
のべ板が数十枚二つの穴にもまだいくつもある。
右のあなの入口は川について下って三つ目の崖のほらあなから入る。



53:風
12/07/07 15:20:11.28
梅雪の埋宝探索の時に同行して貰えるなら修二郎の時同行もOKですよ・・

ところで椀ではなくて腕となってます。(ミスプリの可能性もありますが)なので岩ではなく「腕の形をした木」
が目印だと思います。木が何本か立っている所だが険しい崖のようになっていて、右から3本目の木の間から
でないと下に降りられない・・降りると山のような大岩があるが、その大岩の左側まで行ってみないと穴の入口
が見えない・・

一之瀬高橋が起点と考えずに、そのすぐ近くが埋蔵地点と解釈するなら、竜喰川ではなく、藤尾山か石保戸山が
有力と思いますが、そのあと「川について下って三つ目の○の・・」があるので、すぐそばに険しい谷川がある
ことが条件となりますね。さてその川とは・・・

54:赤城本命
12/07/08 15:02:45.91 7aA4j4DN
165さん
連投の嵐ですね。
どうしたの?

55:165
12/07/08 23:21:41.47
えwww
だって、みんなあまり書いてくれないからww
過疎化が進むし、さみしいしでww

56:165
12/07/08 23:23:06.71
まぁそれと、今年こそはオフでもって・・・。
赤城本命さん飲みいきますよー
そちらまでおうかがいします^^


57:赤城本命
12/07/09 00:29:21.72 Ptg/guWm
165さん

秋あたりに赤城に行こうと思っています。
その時でも。
それから、解読の最終段階が近づきましたよ。
石、炭、雨がなんとか説明できそうです。

58:風
12/07/09 08:37:28.57
いよいよ、水野家三代の弔い合戦の始まりですね。期待しています。

59:名無しの愉しみ
12/07/10 21:53:52.81
大常木谷がやっぱり怪しいですな。

60:名無しの愉しみ
12/07/11 01:26:51.89 bCtXT5/5
蔵の奥にしまってあったツボから大判小判がザックザック(数億円)

コレクターに売却予定なんだけど税金かかる?

61:風
12/07/14 15:43:17.03
>>60
にわかには信じがたいですが・・
埋蔵金を探しに行かなくても蔵の奥にあったわけですね!マスコミに知れたら・・

雑所得で申告納税するか、それとも少しずつ少しずつ現金化する?

62:165
12/07/15 22:07:48.38
こんばんは^^

赤城埋蔵金さん
解読の最終段階とは・・・・すごいですな。
秋までは先が長いので、途中で一杯飲みましょう。
そちらまでお伺いしますよ。
ただし、飲んでバイクで帰れないので、次の日休みの日がいいです。

風さんもw

意見交換や現地視察程度ならOKです。
会って突然掘ったり、川登ったりは無理ですw 準備ができていないww
片道200kmぐらいなら、そちらまでお伺いしますよー


63:風
12/07/16 11:23:16.78
165さん 梅雪をやってみませんか。
赤城をやったり梅雪をやったりで忙しいとは思いますが。
私は梅雪の方が確実性があると思っています。だって諸澄九衛門が現実にその
一部を掘り出しているわけですから。
都内のどこかで待ち合わせ、意見交換を2,3回したあと来年現地視察。
いきなり掘ったりはしません。確証を得るまで一緒に山道の散歩ですね。

64:赤城本命
12/07/16 20:16:03.71
165さん

いい感じなんですよ。

風さん

tomari-hirosi.com

黄金円陣 
私の徳川埋蔵金のホームぺージです。
見てもらえたらありがたいです。

65:165
12/07/16 20:44:37.32
ちょwww 赤城本命さんいい感じなんですかwww
赤城で?? 赤城以外説の私はどうすればww
メールくださいなw

梅雪のほうというか、武田の埋蔵金はヒントがかなり多いのと、埋蔵場所がわかりやすいですよね。
埋蔵金の中でも、一番現実的です。
大丈夫!「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」を買って今読んでいるところです。
知識を蓄えているところでございます^^

66:風
12/07/16 21:47:15.82
赤城本命さん
 ホームページ見させて頂きます。ITに弱いのでアクセスできなかったら
 質問させて貰います。

165さん
 その後あらためて「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」の大常木谷が書かれたところ
 を見て、あまりに険しくて、修二郎の埋蔵金はここ以外の所かなと思うように
 なりました。・・・となると一の瀬川本流ですかね~

67:風
12/07/17 22:31:56.52
赤城本命さん
 黄金円陣読ませて頂きました。難しい!長文の力作であることは分りましたが、
基礎知識が無いのでよく理解できませんでした。また後でもう一度読ませて頂き
ます。

一つだけ疑問があります。埋蔵者は、誰のために何の目的で埋蔵したのでしょうか。
徳川家再興のため、自分の子孫のため、それとも赤城流八門遁甲の謎を解ける
知識人なら誰でもいい?

68:赤城本命
12/07/18 04:04:30.52
風さん

私は歴史部分はあまり調べていないので、実は詳しくないのです。
誰の為かという問題もよく解りません。
私は自分がよく解らないことには、簡単に答えを出さないことにしています。
これはこれまでの解読作業で学んだことです。簡単に考えると絶対に間違えます。

私が赤城を本格的に始めたきっかけは物証Aを調べていて、奇妙なことに
気付いたことでした。その後、物証Bで同じような一致点があり、
灯明皿の解読は、物証A、Bの延長にあるのです。
黄金円陣の内容が難しいのは事実です。実は物証A、Bの解読結果を
書かずに灯明皿だけを書いたために非常に歯切れが悪いものになったのです。

黄金円陣で言いたかったのは
①八門遁甲は16方位の式盤を使用した暗号であること。
②和算を使用し、暗号化してあること。
③物証A、Bと明確な規則性があること
以上なのですが、③の詳しい内容は書けなかったのです。


69:風
12/07/18 14:16:27.10
赤城本命さん

回答有難うございます。奥が深いんですね。

数学の順列、組み合わせは私が最も苦手の分野です。遁甲についても「敵の
目を欺いて己の身を隠す」術、くらいの理解しかありません。
やっぱ、徳川に首を突っ込むのはやめて、梅雪にしますね。
連絡とりたい時はメールさせて頂きます。

70:風の子
12/07/22 10:57:45.66
またまた名前を「風」から、「風の子」に変えます。

前の「埋蔵金発掘が趣味の人」で「風」さんがいたのを思い出しました。
書かれた内容はよく覚えていませんが、かなり先を行って居られる大先輩だった
ように思います。「風」さんの復活も願って、私は「風の子」に改名しますのでよろしく。
「風」さんは、以前「赤城」も「梅雪」もあると思うと書かれていましたが・・我々の努力不足か。

71:165
12/07/23 23:16:51.56
んー 本を読んでいたけど、いたるところに鉱山があったんですね。
鉱山跡をひとつひとつ調べるのも地道な作業ですが、確実かもしれません。
砂金採りもしたいですな

72:風の子
12/07/24 09:07:58.33
泉昌彦さんの本を読むと、山梨はあっちこっち砂金だらけ。
一番興味を持ったのが「砂金溜り」。川の水が流れる岩盤に「砂金溜り」の穴
があるのだから、行けば案外簡単に見つかるかもです。

73:165
12/07/25 09:15:58.62
いきたいなー 砂金でもいいからとりたいなー 熊怖いなー

74:名無しの愉しみ
12/07/25 15:04:58.86
蛇も居るよ。

75:名無しの愉しみ
12/07/26 19:01:04.31
>>72
砂金だまりは、ありそうですよね!
僕も本を読んでそう思いました。

先日、前を通ったので、チョットだけ一ノ瀬高橋の方へ細い山路を入って見ましたが、入る人がほとんど居ないのか荒れてました。

沢も藪だらけで、観光の帰りでは沢にも降りる気になれませんでした。軟弱でスミマセン。

76:165
12/07/27 12:32:28.36
こんな暑くちゃ現地行く気にもならないw
だけど、砂金採りにはいい季節かもw

77:風の子
12/07/27 21:37:57.61
>>75
大城川に合流する渓谷に砂金ツボが七つ。まず滝のすぐ上の岩盤に穴一つ、続いて
20分ほど遡行すると流れが急カーブした岩盤上で四つの穴・・とありますから、
行くならここがいいんじゃないかと思います。

一之瀬高橋の山に入る場合はある程度の準備をされて、その気で行かれた方がよろしい
と思います。できれば誰かと一緒に複数で。何年も前ですが、藤尾山で熊が歩いている
のを見たという人がいます。



78:983
12/07/28 02:41:18.23
アク禁で書けませんでした。
自分も現地偵察行くなら同行希望してます。


79:165
12/07/29 09:58:54.00
ちょっと 風の子さん 983と3人で現地調査してみますか

沢登り、山登りは初心者なんで下見ということで
一之瀬あたりのキャンプ場にか、裂石温泉あたりに一泊して

初日は現地入りと地図等の確認→早朝から現地調査(夕方解散)→次回につなげる
旧旧道や滑落場所、一之瀬川・龍バミ川と柳沢川の各合流地点の確認、その他の合流する川の確認
この程度なら、装備もトレッキングブーツ程度で十分かと思います。


80:165
12/07/29 10:19:14.13
オプションとして砂金採りなどw

今は昔と違って砂金採りを本業としている人はいないと思うので、それなりの成果がでるかも
まぁそもそも金が枯渇して閉山でしょうから物自体もないかもですが

URLリンク(home.f01.itscom.net)

砂金採り用の道具が、URLリンク(www.mdj-inter.com)で売ってました。

砂金採りの方法 英語ちんぷんかんぷんだけど、かなり参考になった。最後はスポイトで吸うんだね。
ユーチューブ(英語)URLリンク(www.youtube.com)

81:165
12/07/29 10:29:41.33
本来の目的から外れるけど、砂金採り楽しそうw
ユーチューブ見いちゃったw

まぁ初回ということで、顔合わせと山沢上りの道具もないということでw
で、秋ぐらいに修二郎、梅雪などにせまってみるのもいいかと。

もちろん!徳川埋蔵金も忘れていませんよ!赤城本命さん!

82:983
12/07/29 14:26:30.79
>>165さん

是非、行きましょう! 連れてって下さいまし。
因みに旧旧道や滑落地点(推定)の確認は、危険性が少ないでしょうか?
晩秋辺りが最適でしょうか。
ヤブも枯れて涼しくなるし、動きやすい時期でしょうから。

83:風の子
12/07/29 21:01:29.06
>>165さん

同じ趣味を持つ人がネットだけでなく会って情報交換できるのはいいことです。
日時、場所を指定して下さい。そこへ集合します。私は仕事をリタイアした身
なので、基本的に合わせられます。どこかに泊って打ち合わせ、翌日現地偵察
でよろしいと思います。他に参加希望者があればそれでも構いません。
 場所にもよりますが、砂金採りまでする時間はないのではないでしょうか。

84:名無しの愉しみ
12/07/30 10:04:59.68
調査山行に混ぜて欲しいデス (>_<)

固ハンにしないとダメですかね?


85:983
12/07/30 12:47:01.62
現地に最寄りのキャンプ場に泊まるのが良いですね。天候次第ですが。
裂石温泉からだと移動時間も掛かるようですし、現場の距離とかどうでしょう?
夜は軽く「顔合わせ」がしたいです。

>>84さん
はじめまして。
自分なんかも新参者の余所者です。
これを機会にお会いしてみたいです。

86:165
12/08/01 01:48:10.63
おおお みんなステキwww

ちょっと作戦を練りましょう。
上にも書きましたが初回から山登り、沢登りは無理ですww 知識と経験、道具がありません。

まず、時期なんですが、素人ですいません。季節は今ぐらいでも大丈夫なんですかね?アドバイスをお願いします。

次にコースですが、基本的なコースとして

Aコース(歩いちゃうよコース)
一之瀬川~龍バミ川合流地点(畠山氏のいう花魁淵)を見学
川沿いの林道を通って柳沢川の合流(現在の花魁淵)~藤尾橋(真の花魁淵?)まではいきましょう。
で、落合、高橋を通って一之瀬まで

道も整備されていて畠山氏の足跡をたどることともなり、初回向きかなと思います。

Bコース(水の中に入っちゃうかもコース)
龍喰川をいきなり遡るのはアレなんで、
一之瀬川の支流である石橘花橋の近所の支流を登る?w
龍喰川の下駄小屋の滝の手前の支流を登る?w どこまで?ww
いやいや、旧旧道をいきましょうか。

これは、地図とにらめっこする限り畠山氏の文章の通りで、当たりじゃないかと思う地点です。
現在の花魁淵では小径(小道)が確認できませんでしたが、ここにはあります。
宇沢某が通った可能性大です。
また、現在の山歩きコースではないようなので、何か発見があるかもです。

87:165
12/08/01 01:57:54.65
で、一泊二日となると

場所的にも一之瀬キャンプ場 URLリンク(www.cosmo.ne.jp)
に泊まって、作戦を練りつつ、翌朝から出発です。
キャンプ道具はまったくもっていないので、バンガローにでも泊まりましょう。

参加資格ですが
成年・未成年は問いませんが、免許証・パスポートなど顔写真入りの身分証明書及び、連絡先をご提示いただける方に限らせていただいたほうがよろしいと思います。
これは、現地調査等で事故にあわれた時の連絡や警察・消防等へ問い合わせのためです。

私が幹事になりますが、連絡先が取れるようホームページを作ります。2~3週間後には完成するでしょう。
完成後、ここでお知らせいたします。

88:165
12/08/01 02:11:34.68
さて、集合の仕方ですが、車を捨てたのでバイクしかないです。
一之瀬キャンプ場に自力で来れない方がいましたら、申し出てください。

持ち物・・・なんだろ?
・トレッキングブーツ(替え用のクツ)・虫よけスプレー
は基本として、見ずにはいるようなら、
・着替えフルセット(替え用のクツ含む)・軍手
熊と戦うなら武器ですかね?

あと何かあれば、追加お願いします。


さて、今日はここまで

あ >>84さん
コテハンや知識・経験は全く必要ありません。
このスレの通り、趣味(興味)の範囲で結構ですよ^^

89:165
12/08/01 02:35:59.88
>>893さんのご心配にお答えしていなかった。

Aコースは車も通れて楽ちんです。(確認済み)

Bコースで書かれている道は、両手を広げればいっぱいいっぱいの道だと思います。
旧旧道はそんなもんです。
ほとんどが川沿いの道ではないので、川に落ちることもないでしょうが、山の斜面でしょうから転げ落ちる可能性もあります。

※畠山氏の文章にも宇沢某が川沿いの道を通ったとは書いてありません。
 修二郎の遺体を発見したのは、谷川への降り口を見てみたら(降りてみたら)あったと書いてあります。


例えばですが、どうでしょうか。。

旧旧道は、沢や川を山側に迂回するコースを必ずとります。(前スレで紹介した動画にもあります)
今回Bコース(旧旧道)も同様で、山側へ迂回しています。
道なき道より比較的歩きやすい旧旧道(村の者もめったに通らない道)を修二郎は通り、その道からハズレ川を下り始めた。
旧旧道に腕の形をした木などがあるかもですよーw

90:165
12/08/01 02:43:07.13
893じゃないwww  983さんだw 大変失礼いたしました><

まぁ その旧旧道自体を探すのも難しいことは確かで、明治から平成も24年なんで
入口すら見つからないかもしれません。



91:赤城
12/08/01 06:32:23.68 LBaqZTSY
165さん

あははは

92:風の子
12/08/01 17:01:27.08
165さん
幹事を引き受けてくれて有難うございます。何かとご苦労ですが誰かがやらないとまとまりませんから。
各自、自由に意見は述べても行動を起こすときは幹事の決定に従うことにしましょう。

[季節・時期について]
本当は早春~5月の連休前後までが理想的と思っています。その理由は、我々の目的が隠れた「ほら穴」
を見つけることだからです。木の葉がなくて見通しが良ければ、遠くからでも穴や岩が見えるからです。
木の葉が邪魔して「ほら穴」らしき所まで折角行っても、岩が剥がれた跡が黒い影となっているだけだったり
黒っぽい葉やコケだけだったりします。6月の梅雨入り前で、新芽が蕾の頃、萌えて新緑になる前の見通しが
いい頃が理想的です。
 ただ今回は顔合わせと事前調査だけですから、険しい谷間に分け入るわけではなく、いつでもいいと思います。
それから、探索しようとする川が対岸にある場合は、渡河しなければならないので水温、気温が高い夏場がいい
ということになると思います。

ところで「旧旧道」とはどの辺り(どこからどこまで通じる道)を言っているのでしょうか。





93:165
12/08/01 20:40:14.08
旧旧道と書きましたが、「小径=小道」です。
明治の新道(馬車道)の表示もなく、秩父往還に通じる道でもなく、生活道路(村々をつなぐ道)でもなさそうです。
畠山氏に出てくる、炭焼きで生計を立ててた人が利用していた道かもです。
場所は、二ノ瀬の集落と、一之瀬川・龍喰川の合流地点のちょうど中間ぐらいです。
現在の山道は、当時の地図より南下しています。これは時代の流れとともに渡河がある程度しやすくなったからかもしれません。

となると、二ノ瀬の宇沢某も通るでしょうし、生活道路でもなければ「めったに通らない道」となると思います。
上の方で、畠山氏は「河川名を間違えたのか?花魁淵を間違えたのか?」と長文を書きましたが、この小道についての自問自答になっていました。
もし、河川名を間違えていたなら、かなり有力な道だと思われます。

94:983
12/08/02 19:03:54.83
水差すようで、すみません。
自分は個人的に現地入りの前に町中で一度、顔合わせをしたいと思っています。
現地入りの前に各自の顔合わせを行なって、当日の必要装備の抽出や交通手段など直に検討した方がスムーズに行きませんか?
ネット上(メール等)で事前打ち合わせして現地にいきなり出掛けるよりも、互いの素性も装備も分かり安心できます。
各々地理的に現地集合の方が都合良いなら従いますが、山中に行くのですから準備周到に越したことはないと。



95:風の子
12/08/02 22:32:17.49
>>94
前日顔合わせ、翌日偵察、本格探索は次回の予定で、装備は山道を歩ける程度の靴くらいに考えていますが。
その意味でAコースかBコースかといえば、Aコースに近いスタイルではないでしょうか。初回なので、全く
の顔合わせ、自己紹介だけなら都内のどこかで会合ということになりますが。幹事のお考えを聞きましょう。

ところで、改めて本を読み直してみたので、気付いたことを書いてみます。読んだ本は、
 ①日本の埋蔵金 上 畠山清行著 昭和51年3月発行のもの(昭和48年2月初版)
 ②信玄の黄金遺跡と埋蔵金 泉昌彦著 昭和50年8月発行

①・・二の瀬部落の宇沢某・・明治40年頃のある秋の朝、・・・「花魁淵」近くの山中を通りかかると・・

②・・ところが、本来女郎が沈められたというのは、銚子の滝(現在の花魁淵)から2.5キロも離れた藤尾橋
 の下にある淵である。・・

①、②を合わせると、宇沢某は藤尾橋の近くで高橋修二郎の転落遺体を発見したことになり、「川について
 下って三つ目の○」の川は柳沢川の可能性が濃厚になるのではないか?すると、竜喰川などは的外れで、
探索すべきは柳沢川のしかも藤尾橋近辺、の左岸又は右岸の山中又は沢沿いということになりはしないか?

私が過去に事前偵察も含めると3,4回行った竜喰は何だったんだ~(反省!)
ちなみに、畠山さんは柳沢川と竜喰川の合流する「花魁淵」と書いていますが、「柳沢川と高橋川」の間違いと
して読めば、合流してすぐ藤尾なのでピッタリ合います。②によればこの辺りに「女郎道」があって、始末される
ことを恐れて一之瀬高橋を経て奥秩父(大滝村)の方角へ逃れようとして・・とあります。



96:165
12/08/02 23:27:44.84
983さん
一度、ご飯でも食べながらいろいろお話するのもいいですね^^
埼玉の川口ですが、東京駅を利用していますので、山手線内であればどこでも、いつでもいいですよ。

風の子さん
私のは初版本ですが、中身は同じでしょう。

高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
の高橋が気になりました。
高橋川なのかな?藤尾橋(新の花魁淵)なのかな?と思いました。
さらに、一之瀬高橋なので、高橋からスタートするのは高橋川か、地名の高橋が有力だと思いました。

古地図を見ると河川の表示はありますが、高橋川と書かれていないのです。
それと、藤尾橋を通るのは明治の新道(馬車道)で、滑落するにはしっくりこなかったのです。
馬車道ですから、往来はあるでしょうし、馬車が曲がれるよう緩やかになっています。
もちろんそれは、青梅街道なのです。
藤尾~落合(青梅街道) 落合~高橋の奥 高橋~一之瀬まで、明治の新道です。
畠山氏の著書の「部落の連中以外にはめったに足を踏み入れない場所」ではないという感想です。

また、高橋と二ノ瀬には、神社仏閣がそれぞれありますから別々の集落で、二ノ瀬の人間が高橋の地域を「部落の連中以外」と表現するかが問題です。


97:165
12/08/02 23:49:05.65
それと、現在の花魁淵でも、藤尾橋でもそうですが、
金を持った修二郎が帰り道に塩山駅方面とは逆方向の道を通るかも問題です。(以前、これを指摘した人がいました)

また、落合、藤尾橋周辺には、民家の表記もありますので、畠山氏を信じるならココではない気がしました。
ただ、現在の花魁淵と藤尾橋との間の柳沢川に黒川山から支流が入ってきていますので、支流となればいい感じかと思いますが、
やはり青梅街道が引っかかりますね。
明治の新道といえど、青梅街道沿いにテントをはるとは思えませんし、
現地をみているならお分かりでしょうが、街道から外れてテントを張るのも難しいかと思います。

なので、現青梅街道は新道であって、明治の新道(明治天皇行幸(明治10年~)ため)の上に作られているが、旧旧道があるのではないか?
そしたら現青梅街道は柳沢川の北岸を通っているが、明治の新道は南岸を通っている。
ということは、旧旧道があるとすれば南岸だろうし、旧旧道なら滑落する可能性も高くなると考えたわけです。


98:165
12/08/02 23:57:02.06
上で書いた民家は、明治の新道沿いにありますので、忘れ去られた旧旧道なら民家もないでしょうし、
新道があるためめったに足を踏み入れない場所になっているのではないかとも思いました。

それと、二ノ瀬の宇沢某が時間をかけ朝、青梅街道まで出てくるのも引っかかりました。
そうなると藤尾も難しいかな・・・と

徳川埋蔵金もそうですが、畠山氏を信じるしかないのと、考えられる場所(藤尾橋周辺を含む)をかたっぱしから調査する必要があるということですかねww
花魁淵に振り回されている感じがしてならないのです。


99:983
12/08/03 14:48:10.95
>>165さん
自分、神奈川湘南地区。勤めは都内なんでOKです。
旧旧道の存在に興味があります。
冷やかし歓迎されますか?宜しくお願いします。

おいらん淵周辺はバイパス化されて以前の道が旧道になりました。
時間があったら青梅街道からですが下見して来ます。

100:風の子
12/08/03 18:13:52.92
畠山清行氏がどれ程正確に書いているかは、私も若干疑いを持ちながら読むことにしています。
「花魁淵」だけにこだわらない方がいいとは思いますが、一度はこれを信じて確認してみるのも
いいかも知れません。

泉昌彦さんの本に書かれていることで、長くなるので前回はしょって書かなかったことを補足します。
「塩山市と丹波山村の境界にある一之瀬橋は、新道の開発された昭和34年に完成した永久橋で、旧道は、
 落合から2キロあまり丹波よりの藤尾から、黒川谷の合流する三重河原に通じている。」

これでいくと、藤尾から(恐らくは柳沢川の南岸沿いに)通じる道があるはずです。
昔の旧道が柳沢川の南岸にあったのなら、そのことからも宇沢某が歩く山道はあったわけです。
しかし柳沢川南岸はイコール黒川金山で昔賑わった黒川山、鶏冠山の山裾です。採掘跡のほら穴には(特に中腹)
事欠かないかも知れませんが、黒川千軒時代からの道も多く、宝物を隠すには必ずしも適当でないような気もします。
・・となると、柳沢川北岸の山の山中、つまり一ノ瀬高橋の藤尾山(天狗棚山)も一度は探索してみる価値があるように
思われます。崖の上に人一人が通れるくらいの(昔の一ノ瀬林道のような)狭い山道があるかも知れませんね。崖を
よじ登らずに、まず犬切峠方面「高橋」集落に向かい、途中適当な入り口があったら入山する。つまり来年の春の候補地
の一つとしての提案ですが・・。新道を作るとき工事の人が崖の上もすべて調査済みの場合は、その人達が既に発掘済み
かも知れません。


101:165
12/08/04 00:07:53.11
風の子さんは、どの辺にすんでいらっしゃいますか?

そのほかこれを見ている人はどの辺に住んでいらっしゃいますかね?
冷やかしOKで参加したい方はいますか?
時期は未定ですが、なるべく集まりやすいところを会場にしたいと思っています。



102:983
12/08/04 01:53:31.72
>>165さん
>>風の子さん

初歩的質問です。
旧旧道(跡)に取り付くには、現国道(R411)から渡渉せずに行けるのでしょうか?
「南側=現国道の川を挟んだ対岸」の解釈でOK?

103:165
12/08/04 09:19:40.35
渡渉!

Aコースの現花魁淵、青梅街道からだと渡渉することになると思います。
大きく迂回するなら、旧旧道との分岐を見つけられて渡渉することは無いと思いますが、
その分岐を見つけるには、調査が必要です。

104:983
12/08/04 10:35:16.00
あの周辺の川の両岸は切り立っており、仮に川まで下降後渡渉した場合に斜面取付
は困難では?
また対岸に渡る橋があれば良いのですが、旧旧道に接道してる訳もなく難儀ですね。

105:165
12/08/04 11:14:36.53
いやいや 新道(北岸)と旧道(南岸)の分岐はあるんです。
そこから入って旧道と旧旧道の分岐を探せば、渡渉せずにいけると思っています。

【訃報】
平成23年6月23日付 朝日新聞デジタルによると
豊臣秀吉の埋蔵金 多田銀山で37年間埋蔵金探索をされていた 鈴木盛司氏(77歳)が
平成23年2月18日 病院でお亡くなりになりました。

鈴木氏の著書「豊臣秀吉の埋蔵金を掘る(新人物往来社)」も読みましたが、ワクワクさせられる内容で、勉強させられました。
もう一歩という感じでしたが、決め手がなかったようにも思えました。
松江工業高専の久間英樹教授が坑道をロボットで探索しているとのことで、結果が待たれます。

水野氏に続き鈴木氏までも。。。
実際に掘られた両名の偉業に感謝するとともに、このスレに来る方々へ埋蔵金という夢を与えてくださってありがとうございました。
その遺志を継ぎ埋蔵金探索を続けていきたいと思っています。

ご冥福をお祈りいたします。

106:風の子
12/08/04 11:27:02.42
>>165さん
私は茨城県在住です。常磐線で上野まで1時間ちょっとです。都内に限らず東京近郊なら
どこでもOKです。
>>983さん
旧道を歩いたことがないので確かなことは言えませんが、地図と今までの経験を総合して書いてみます。
165さんが言われる「旧道が載っている古い地図」を見たことないのでそのことも考慮して読んで下さい。
①落合から入るコース
 地図では落合に小学校(?)があります。川向こうに渡る橋も記載されています。学校の辺りから柳沢川に
沿って歩くと落合キャンプ場がありますが今は営業していない可能性もあります。さらに行くと現在の花魁淵の
近くを通り過ぎると一之瀬川となり、黒川金鉱跡から流れ下る黒川谷に架かる黒川橋を渡って少し行けば三重河原
に到着し、泉水谷林道にぶつかるはずです。
②三重河原から遡るコース
 上の逆コースです。青梅街道を行き余慶橋、羽根戸橋を過ぎると「丹波山トンネル」があり、これをくぐったら
左側を注意深く見て走ると三重河原、泉水谷林道に下りる狭い急角度の下り道があります。柳沢方面からは右折に
なるので要注意です。この道を行くとすぐ一之瀬川にかかる三条新橋を渡り、直ぐ右に下りると三重河原となります。
真っ直ぐは泉水谷林道を昇っていくことになってしまいます。三重河原からは山道を歩いて黒川谷に架かる黒川橋を
渡るところまではいいのですが、そのまま行けば黒川金鉱跡まで山登りになってしまいます。どこかで右に折れて
一之瀬川、柳沢川に接近しなければなりません。歩いたことがないので、地図上に点線もなく分りません。

以上のことから、一人で行く場合は①の落合から山道を下るコースがいいような気がします。
それから落合キャンプ場(跡?)の近くに青梅街道から対岸に架かる橋が地図上にはありますが、私の記憶では、
通行止めになっていたように思います。
(参考地図)山と高原地図23 「大菩薩連嶺」、同26 「奥秩父1」 (昭文社)
      2万5千分の1地形図 「柳沢峠」 (国土地理院)





107:983
12/08/04 12:33:51.14
>>風の子さん
詳細にありがとうございます!
地図が手元にないので判断できませんが、なかなか探し応えのありそうな「物件」ですね(笑)
もし事前の会合が持てれば、その際に御教示下さい。

しかし、モノホンを見付けちゃったら届け出ないとマズイんでしょうか?
言わなきゃバレないと思うんですよね…って、取らぬ狸ですね。

108:983
12/08/04 12:43:11.85
165さんの言われてる「馬車道」とは、ここを指すのでしょうか?
URLリンク(tabihatsu.jp)
だとすれば本当に幅員のある道ですね。


109:名無しの愉しみ
12/08/04 13:05:59.97
>>101
165さん

参加希望です。職場は新宿で住まいは八王子方面です。
どうぞよろしくおねがいします。

110:風の子
12/08/04 14:57:52.52
>>983さん
廃道あるき「黒川通り」見ました。きっとこれに違いないと思います。ここに書いてあるとおり
廃道歩きが趣味の人たちが行くのですから、②の三重河原から藤尾橋まで遡って歩くコースも
迷わず行けそうですね。いい情報を有難うございます。

111:165
12/08/04 21:27:27.06
>>110 風の子さんありがとうございます。
そのホームページは以前に紹介したのですが、どこにいちゃったかわからなかったので、893さんへの説明に苦慮していました。
幅員も狭く、まさに滑落しそうな場所ですが、その赤い線は明治の新道(馬車道)です。
地図でも緩やかにカーブしているのがわかると思います。
しかし、この赤い線(明治の新道)を通って行けば旧旧道が見つかるかもと思っています。
明治の新道の多くは、旧旧道の拡幅で、急峻なところを新しく掘割りをしたりしながら旧旧道に復帰したりします。
なので歩いていけば、左手に旧旧道の入口があると考えています。



112:165
12/08/04 21:49:52.70
また893になってしまったお・・・983さんごめんなさい><

あ ホームページを探してくれたのは、983さんでした。訂正とお詫び申し上げます。

先ほどのホームページを基にさらに解説しますと

赤い線は寸足らずで、丹波山の高尾からムジナ沢(右端)を渡渉し、藤尾手前の沢まで(HPのゴール地点)柳沢川の南岸を通っています。
地図中央の所要時間2~3時間と書かれている右 に黒川谷を山側に迂回している突起部分があると思います。
それからは緩やかなカーブを描いて行っています。
しかし、地図中央やや左に国道の青いおにぎりマークがあると思いますが、そこにも地図にない沢が流れています。
そこを山側に迂回していないということは、旧旧道とどこかで分岐した証拠です。

どうして旧旧道にこだわるかというと、修二郎が明治の新道から崖をよじ登ったとは考えづらく、
明治の新道より山側の旧旧道から分け入ったのではないかと考えられるからです。
旧旧道の多くは尾根づたいですから、分け入るには簡単なのです。

113:983
12/08/05 01:01:59.02
>>165さん

983改め『893ヤクザ』に変番しましょうか?(笑)

旧旧道などに関して自分は、皆さんのように知識を持っておりません。
故に初歩的やトンチンカンな質問をさせて頂くことをご理解ください。


>>165さん
>>風の子さん

単純な質問です。
当時の旧い道は渡渉せざろうない地形と、開削技術などから設定されたのですか?
川の水量により渡渉の可否が決まれば、その時は通行困難になりますよね?
つまり、架橋することで渡渉を避け得るのに敢えてなぜ?渡渉するのか?

主要道と異なって地元民しか使わない「杣道」ならば理解できます。
う~ん、何か勘違いしてるか理解不足だと思いますので御教示お願いします。
事前会合で可能ならば、「この辺」の説明など頂けると助かります。

114:165
12/08/05 01:15:28.95
まず、土木技術の未発達により架橋自体がが困難だったということです。
下流だと雨の時に水位が増し、橋自体や路盤が流されてしまうのです。
また、川幅も広くなりとても危険だったわけです。
沢や川を渡る際は、山側の水が少ない地点まで登る必要がありました。
天気予報はありませんので、常に山側を通ることになりました。

ちなみに川幅が広く浅い川は、河口付近まで下って渡河していました。
もちろん雨が降れば川は渡れません。川止めですね。何日も渡れないので川の両岸にある宿屋・飲み屋は大繁盛ですね。

このわずらわしさは庶民向けで、将軍様が日光へ参拝するための道 日光御成り街道(国道122号)は低地を避け、高台を進んでいます。

115:983
12/08/05 01:17:56.60
旧旧道=青梅街道、と言う位置付けで良いのでしょうか?
それともここで言う「旧道、旧旧道」は地元民の使う「杣道」ですか?
前者だと解釈しての113の質問でした。

116:165
12/08/05 01:18:02.78
作戦会議参加は、風の子さん(茨城) 983さん(神奈川) 109さん(八王子)の3名かな?

上野駅か東京駅近辺にしましょう。
日時場所については追ってお知らせします。

117:165
12/08/05 01:27:09.15
お 983さんがいるっぽい

旧旧道=青梅街道でよいと思います。

ですが、杣道ではないですね。江戸中期にはすでに青梅街道でしたから。

新道、旧道、旧旧道は
ニコニコ動画の「原付で甲州街道を走ってみた」を見てみると一発でわかりますw
いま38話目ですね。

118:983
12/08/05 01:37:15.01
>>165さん

杣道でなくて渡渉を必要とされていた「主要道」…了解しました。
作戦会議の日時ですが、何日か複数の候補日をお願いします。
ポッポ屋なんで平日休みや週末出勤があり、単発ですと参加できないこともありますので。
動画を見て認識新たにしてみます。

119:165
12/08/05 01:57:21.93
整理しておこう

新道=現代の自動車が通れる道路
旧道=明治に作られた馬車の通れる道、馬車道
旧旧道=人や人に引かれた馬は通れるが、馬車が通れない道

基は旧旧道で、時代の移り変わりによる物流量の増加と明治天皇巡幸のため、今まで使ってきた旧旧道を馬車の通れる道にする必要が出てきた。
馬車が通るとなると、急峻な崖を登らせるわけにもいかず、また道幅の狭いカーブを曲がらせるわけにはいかなくなった。
さらに土木技術の進歩により架橋や掘削が可能となり、馬車が通りやすい直線的な道路の建設可能となり着手した。

旧旧道の急峻な地点の道幅を広げても急峻なことには変わりはない。また、つづら折りの道は片側が崖なので道の拡幅は困難であった。
旧旧道の急峻な地点、狭いカーブが連続するつづら折りの山道を避け、より直線的に進むためには山を削り・掘ったところ
旧道(明治の新道)と旧旧道の分かれ道ができた。

新道(現代の道路)は明治よりさらに土木技術が進歩し、旧道(明治の新道)の拡幅や路盤整備が可能となり、旧道(明治の新道)の上を通る道路を作ることができた。
しかし、新道(現代の道)も時代の移り変わりによる物流量の増加により、パイパス道路を作ることとなった。
この時、今までの道路(現代の道路)が旧道となり、バイパス道路が新道ということになる。
この場合も新道(現代の道路)と新新道(バイパス道路)の分岐点が存在する。

明治の道は、人しか通れなかった旧道のバイパス道路ってことですね。

120:165
12/08/05 02:08:06.84
そう >>118で書いていただいたように「主要道」ってとこが引っかかるんです。

主要道の横でテントをはるでしょうか?
上記のホームページでもご覧になった通り明治の新道といえども、片側は谷底、片側は崖なのです。
ちょっと道を外れてテントをはるのは難しいと思います。
特に金の延べ棒を抱えた人間が、やるでしょうか? 目立つ=襲われる可能性もあると思います。

ただ、女性でも自転車&野宿で日本一周とかしている方がいて、その野宿は公園とか橋の下じゃないんだそうです。
なんと交通量の多い道の中央分離帯だそうです。
公園など人気の少ないところでは、襲われる可能性があるからだということで、中央分離帯ww すごいですよね!


まぁ余談はさておき
そんな主要道ではなく、道から外れた道 旧旧道でテントを張ったのではないかというのが推測です。

また、上にも書きましたが、一之瀬川と龍喰川の合流地点を花魁淵とするならば、
983さんの「杣道」となりますので、人目にも付きづらくテントを張れるのかと思いました。


121:983
12/08/05 02:26:50.12
詳細かつ迅速なレス、ありがとうございました。
読んでみて以前に解説頂いた内容でした。
失念してましたが改めて理解できました。

テント設営地が必ずしも発見地点(間近)ではないのでしょうね。
または間近だったのかも…重いブツを持っては行動制限されるでしょう。
「ほら穴より発見(?)」なので、道沿いの崖の穴ではない筈ですし。
埋蔵金発見→下山途中の野営(遺体発見場所)ですよね?

そんなに遠く離れてる場所ではないでしょう。埋蔵金の在り処は。

122:風の子
12/08/05 10:04:24.67
>>165さん
>>84さんも居られるのでは?(ただし別人ならば)

>>983さん
いわゆる旧道、旧旧道については歩いたことがなくよく分りませんデス。
一度歩いてみれば埋蔵金の匂いがするかどうか、状況が分ると思います。 高橋修二郎は、
「十中八九、いや九分九厘間違いなしというところを、俺はこの前に行った時、探し当てているのだから、
一緒に行かないか」、と弟憲三郎を誘っています。「今度は、目のさめるようなお土産をもって帰るよ」
と言っていたので、金鉱探しでなく、明らかに埋蔵金を探していたのであり、ズバリ言えば埋蔵金を隠して
ある「ほら穴」を探していたのだと思います。それらしき「ほら穴」があるかどうか、期待したいですね。

123:983
12/08/05 10:41:14.97
>>風の子さん

周辺はバイクで周ること何度もありましたが、
まさか対岸にこんな歴史が埋まってるなんて思わなかったです。
作戦会議もさる事ながら、当日行動も大変興味あり楽しみです。
まずは「無事故」が最優先されるべきですが、165さんに指揮権を委ねたいと思います。

ここ最近、この板も賑やかになって来ましたね。
84さんも居らっしゃったはず。是非、お仲間に。。。

124:109
12/08/06 13:49:03.13
こんにちは!
109 = 84 です。みなさんの書き込みを地図など見ながら、読ませてもらってます。


まだまだ土地勘がなくて(/ _ ; )

これからは、109の名前でいきますね。
ヨロシクお願いします。

125:165
12/08/06 16:37:24.20
【再確認】
現在の作戦会議参加は、風の子さん(茨城) 983さん(神奈川) 109=84さん(八王子)の3名

興味ある方は会議だけでもいいので参加してくださいね。




126:165
12/08/07 09:32:19.50
もうある程度決めてしまいましょう。

8月10日を除く各週金曜日もしくは土曜日

現地調査日は、9月15日(現地入り)16日(探索)でいかがですか?

127:165
12/08/07 09:36:33.87
場所は、東京駅ならほとんどの人の中間点になるかと思いますが、上野でもかまいません。

作戦会議は、
URLリンク(r.gnavi.co.jp) びすとろ家 八重洲
URLリンク(r.gnavi.co.jp) 湊や 上野

など、個室がいいかと思います。

日程等をお知らせください。

128:983
12/08/07 14:28:29.82
>>165さん
お忙しい中、お骨折りありがとうございます。
作戦会議及び現地調査の都合の可否は、後日改めてで宜しいでしょうか?
勤務がまだ出来てませんので即答しかねます。
今しばし、時間を下さいませ。希望は東京駅です。

129:983
12/08/07 14:31:55.96
それと…2ちゃん書き込みは規制時に書き込み不可になるので、
捨てアドを設定して頂ければ助かります。


130:風の子
12/08/07 21:07:16.25
作戦会議の場所は東京駅でもどこでも結構です。曜日も仕事を持っている
皆さんの意見を聞いた上で幹事が決定して下さい。異存ありません。

131:165
12/08/07 22:17:15.82

893さんのご都合で、8月の金曜日(17・24・31日)が候補で
109さんを含め、金土のいずれか1日で

ここで皆さんのご都合を集約したあとにフリーメールを書きますので、そこにメールしていただいた後
個別に時間・集合場所を追ってお知らせいたします。


132:165
12/08/08 00:16:09.16
ホームページ作成順調に進んでいます。
今月末ぐらいにはテストも兼ねて公開したいと思っています。

133:983
12/08/08 05:29:28.57
>>165さん
勝手ながら、17日の金曜日なら出席可能です。
他の候補日ですと勤務調整が付きませんでした。
風の子さん、109さんのご都合もお有りでしょうから調整願います。
出来れば東京駅希望です。すみません。。。

134:109
12/08/08 10:28:07.32
17日あいてます!
ヨロシクお願いしますっ

135:165
12/08/08 13:11:47.94

では、17日にしましょう。

tokugawa165@hotmail.co.jp  にメールください。
追って時間場所をお知らせいたします。

136:165
12/08/08 23:04:22.11
風の子さん 983さんからメールをいただきました。
返信しておきましたので、ご確認ください。

137:風の子
12/08/09 09:01:44.86
165さん
返信届きました。有難うございました。
暫くぶりに近くのごく低い山へ山歩き(ハイキング)に行ってきます。

138:165
12/08/09 09:18:54.95
風の子さん お気をつけて行ってきてください。

基礎体力をつけないとなぁ。。。うむー


ここでご意見を聞きたいのですが

>>127でお話ししたように顔合わせといえども、現地調査のお話になると思うので
コース等の確認を地図等でご説明しておいたほうがいいと思うのです。
そのため顔合わせと下打ち合わせになると思うので基本的に「個室」がいいかと思いますが

居酒屋の個室だと人数にあった部屋となり、テーブルを料理や飲み物が占め窮屈かと思います。
カラオケボックスなら部屋も広いし、程度が悪いですが食事や飲みもできます。
テーブルが広いのが魅力です。歌を歌いたい方はどうぞww

どうしましょうか?

139:983
12/08/09 20:57:45.16
個人的に居酒屋を希望します。
カラオケBOXだと、本来の趣旨から逸脱しそうなんで。。。
私自身がです(謝)
コース料理にせず、単品注文しすればどうでしょうか?
状況見ながら注文すれば良いかと思うのですが。

140:風の子
12/08/09 22:16:49.18
もう10年位前ですが、職場で暑気払いか忘年会かも覚えていませんが、ある
居酒屋で飲食したことがあります。隣りの席との区切りがなく、会場全体が
騒音に包まれていて、一緒に行った人との会話も聞き取れない位でした。場所
は居酒屋でもどこでもいいですが、お互いに会話が普通にできる程度の会場を
希望デス。

141:165
12/08/09 22:32:56.49
109さんからもメールをいただきました。

了解しました。お店の手配が済みましたら皆様にお知らせいたします。

他の方いませんか?特に赤城本命さんw
お目当てのものではありませんが、いかがですか?

142:赤城本命
12/08/11 09:24:29.94
165さん

仕事なんです。また、今度ということで。

143:165
12/08/12 19:44:44.08
ホッシーさんが新たに参加することとなりました。よろしくお願いいたします。

また、983さんお返事遅くなりましたが返信しておきました。

現在20時スタートですが、19時スタートにできるか調整中です。

144:983
12/08/12 19:55:14.21
>>165さん
何から何までお任せ、誠に申し訳ありません。
当日の顔合わせ、今から楽しみにしております。
よろしくお願い致します。
19時スタート、出来れば助かります(謝)

145:165
12/08/12 19:59:24.34
んー いろいろお店がるけど、東京駅で個室になると、一人あたり5,000円の予算だね。

そうそう ホームページを途中まで作ってみました。
レポートもありますので、お時間あったら見てみてください。
URLリンク(tokugawa165.web.fc2.com)




146:165
12/08/13 12:58:09.24
んーー
無料ホームページのFC2が悪いのか
作り方が悪いのか
表示されない画像がある。何度か読み込むと表示される。ファイルが大きいとも思えないんだけどなぁ
一部画像も乱れてる。
なんでだろ

147:165
12/08/13 13:28:14.56
【作戦会議会場等変更のお知らせ】

作戦会議等の変更のお知らせを皆様に送りましたのでご確認ください。

旧20時~ → 新19時~
八吉 → とりかく

148:名無しの愉しみ
12/08/14 18:56:01.60
>修二郎が滑落死した場所の特定
ホントにそんな事故があったならお巡りさんに聞けば早いんじゃね
それか新聞に載ってないか探すとか

149:名無しの愉しみ
12/08/15 20:02:59.99
畠山氏の著書の他に、何か裏付ける資料があるのでしょうか?
言い換えれば、確たる証拠然としたものが。

150:165
12/08/15 21:15:31.22
確たる証拠があれば、すでに誰かが発見しているでしょう。
まずは現地の状況を見て、当たりをつけて長い時間をかけて丹念に調査するしかないのです。



151:165
12/08/15 21:20:53.77
見つけたいのはやまやまですが、見つからなくてもいいのです。
お酒を飲みながら資料や地図をみて推理し、ニヤニヤして
日頃の気分転換で、ハイキングがてら現地を調査。
趣味ですから。
真剣になりすぎると日常や私財を失ったりします。

そんな中、足尾で埋蔵金を発見したというグループの話を聞いたりすると。
ウズウズしちゃうのですw

152:名無しの愉しみ
12/08/16 21:23:23.30
畠山氏著の「日本の埋蔵金」初版本ゲット
たんさく社のブックレットになかった地図や写真が入ってるのがイイネ

153:165
12/08/17 10:20:38.28
今日はみなさん大丈夫かな?

154:風の子
12/08/17 11:36:26.56
OKです。しばらく東京へ出てないな~

155:165
12/08/18 00:31:17.65
今日はみなさんお疲れ様でした。
あっという間に時間が過ぎてしまいましたね。

各自の推理や疑問点を直接お聞きできて有意義でした。

まず滑落場所ですでが、一之瀬川・柳沢川など実際見てみないと絞りきれませんね。

修二郎がどうやって埋蔵金のありかを知ったかという疑問があり、仮説を立てますと

畠山氏の著書に たしかなものであるかは知らないが と前置きしてある。
その埋蔵に関する記録めいたものが、平八郎長者の妻の実家である青梅の河西という家に残っていたことは事実ののようだ。それが天保年間、河西家の自火で、
家財道具と一緒に消失したといわれているのである。
と、あります。
ところが明治八年、旧幕時代に御書院番を務めていた・・・うんぬん
十名ほどの家来を連れて集落に乗り込み埋金の探索をはじめた。その辺見の根拠とした記録なるものが、
この河西系に伝わったものの写しではないかと言われているのである。

なんの成果も上がらずに終わっているこの探索ですが、彼の持っていた絵図なるものが、素人の心得に書いた程度の不完全なものだったとあります。

修二郎は、なんらかでこの絵図を手に入れ、毎年二度ぐらいずつは探索をしていたのではないでしょうか?
不完全なものだったからこそ年度も足を運んだのではないでしょうか?そして見つけた。

156:165
12/08/18 01:36:26.99
腕の形の木ありそこから入る
大木があり右三本目のあいだを入る
そこを進むと大木があり右三本目のあいだを入る
山のような岩あり大きな岩の左からみえるところにある

ふむ。。まず、沢でも道でもいいですが

「腕の形の木ありそこから入る」
まっすぐ進むと左右どちらかに腕の形の木があることになります。
直進は道や沢が続いているでしょうから、木があったら道をふさぐ形になります。沢を上るか下ればこれもアリですね。道ならかたずけられちゃうでしょう。
腕の形の木から、左右どちらかにある沢を上るか下るかします。
沢から上がる道は無いと思いますので、ここも沢なんでしょうか。

「大木があり右三本目のあいだを入る」
その左右どちらかの沢を進んでいくと、目の前に大木があるわけです。
この大木は3本。仮に山の中で大木3本を見つけられるかどうか。
行く手を阻んでいるように3本立っていれば、わからなくもないです。
また、大木は3本ではなく1本で、その右三本目の普通の木なのでしょうか。
もちろんその沢沿いの左右どちらかに大木があれば、それでも問題はありません。

山奥での狭い沢もしくは道で、普普大普普普●普←ここから
どこの間からはいっても、進む方向は同じ気がします。右3本目と4本目の間のことを指しているのでしょうか。
そうすると、右3本目と4本目の間には、沢もしくは道に降りられる道があるのでしょうか。

「山のような岩あり大きな岩の左からみえるところにある」
山のような岩と大きな岩が重複しています。重複していても問題はないですが、
3本目と4本目の間と書いていないことから、

157:983
12/08/19 10:41:37.29
皆さん、お疲れ様でした。
全くピントはずれの質問にも丁寧に対応してくださり、本当にありがとうございました。
まだまだ疑問に思うことが沢山あるのですが、突き詰めると今度は逆に矛盾が。。。
晩秋か初冬には現地視察をしたいです。う~ん、柳澤か一ノ瀬…どっちかなぁ?

ところで、詰まらない質問なんですけど。
「二之瀬高橋に宇沢なる家系」がいまだにあるのか?現地入りした際に訊いてみようと思います。
明治の話でしょ、末裔がいれば何か教えて貰えるんじゃないかと。

158:風の子
12/08/19 11:10:18.05
皆さんが推理するときのあくまでもタタキ台として見て頂ければ幸いです。

修二郎は出発に当り、「九分九厘まで間違いなしというところを、俺はこの前に行った時、
さがし当てているのだから、・・」と語っています。このことから、どなたかが言われたとおり、
事故があったこの時は、ほら穴がある場所へ直行して目的の宝物を手に入れたと考えるのが自然
だと思われます。労少なく出来る限り短時間でほら穴に直行するには、途中までは山道を歩いて
行き、あるところ(目印)から崖(急斜面)を下って(又は昇って)目的のほら穴に直行する。
しかし二つ目、三つ目のほら穴は、「川について下って・・」とあるだけで、近くの山道から崖を
下りるときの目印について記されていません。修二郎のメモは、前回確認したほら穴の位置関係を
述べたもので、二つ目、三つ目のほら穴に直行するための目印を得るためには、ほら穴から崖をよじ登り
目印となる大木や大岩を確認しなければなりません。しかし9月の末の秋雨が降ってきたので、マントと
帽子をかぶって行動せざるを得ない状況となった。・・物語作家だったらこのように書くかも知れません。
修二郎「場所も目印も分かった。次回はここを下りればいい。今夜はここで腹ごしらえをして一夜を明かし
明日は一気に柳沢峠を越えて塩山駅に行くことにしよう。」
・・「それにしても、延べ板も少し持って帰ろうか。」と考えたかどうかは分りませんが・・


159:風の子
12/08/19 11:34:24.99
ご挨拶するのを忘れていました。
皆様、お疲れ様でした。
幹事さんお手数おかけ致しました。

160:983
12/08/20 16:54:22.09
今日、丹波山から塩山にバイクで抜けて来ました。
(新)おいらん淵はバイパスとトンネルの開通により、ゲートが設置されて立ち入り不可でした。
ちょうど塩山側のヘアピンカーブに抜けるので、戻ってみたのですが…。
藤尾橋から東側に少し戻ってみましたが、道筋は残ってました。
その先は行かずに戻りましたが、一之瀬林道は次回にして帰途へ。

根拠は全く無くて直黒川通り沿いに平坦地は皆無みたいだし、急峻な両側の崖を見るとここではない気がしました。

161:165
12/08/21 12:56:14.90
金曜日の書き込みの途中に寝てしまって、そのまま放置してしまいました。

謎が謎を呼んでますな。

修二郎が弟?に九分九厘間違いないから一緒に行かないか?と誘っています。
この時点で、埋蔵金は見つかってないわけです。
文章からも読み取れますし、見つけているのであれば金塊のサンプルを見せていたでしょう。

滑落死した時は、見つけただけでしょう。
本当に見つかるとは思っていなかったのかもしれません。
あと1厘でも調査で終わってしまうかもしれないので、軽装だったのでしょう。
なので、多くを持ち出せなかった。

手帳の謎文を修二郎が見つけた後に書いたとしますと
そこまでにたどり着くためのナニかが必要になることは、みなさんと話しました。
川西家の古文書なのか絵図なのかはわかりません。

ナニか持って行って、それを頼りに探した。→見つけた→メモした。

162:165
12/08/21 13:07:06.40
埋蔵量までメモする必要があったのでしょうか?
これからごっそり掘り出そうとする人が、その埋蔵量を書くのでしょうか?

修二郎がメモものではない可能性もあります。

たとえば、旧幕時代に御書院番を務めていた辺見も持っていたと思われる、平八郎長者の妻の実家である青梅の川西家の古文書の一部の
子孫に宝のありかを示唆するための文章だったとか。
と、なると辺見が見つけられなかった宝を見つけたのではないでしょうか?

163:165
12/08/21 13:10:36.85
983さん 調査お疲れさまです。

旧道(馬車道)は、丹波山方面から藤尾の手前で柳沢川と交差し、川の北側を走っています。


164:983
12/08/21 17:17:12.00
>>165さん
>藤尾の手前で柳沢川と交差し、川の北側を走っています。
手前で交差とは、藤尾橋で北岸に移ってその後藤尾まで続くと言うことですか?
藤尾橋から塩山側の部分が現R411になるのでしょうか?

先ずは修二郎転落地点の確定が出来れば、その後は何とか行けませんか?
現地を周り感じたのは「本当にココらへんにあるのかな???」って。
一之瀬林道を回ればまた、違う感想を持つものと思います。

165:983
12/08/21 17:20:25.13
黒川谷から(新)おいらん淵までの馬車道は、結構高い位置を通っていたんですね。
これでは現青梅街道R411から見る南岸の斜面より上部になって、馬車道の存在など思いつかないです。

166:165
12/08/21 20:08:22.03
そこは歩いてみないと何とも言えません。
前に紹介してくれた廃道歩きのホームページの画像も高い位置だった気がします。

当時は、水を大変怖がっていました。
護岸工事ができないので、低地に道は作りませんでした。

原付で甲州街道を走ってみた。のほか、原付で日光街道を走ってみた。も見るとよくわかります。

167:ホッシー
12/08/21 22:54:36.57
大変遅くなりましたが、皆様作戦会議お疲れ様でした。
983さん。現地へいくとは頭がさがります。
さて例の廃道歩きの文に、

新青梅街道は、「道路県令」と渾名された、山梨県令藤村紫朗の尽力により、
明治8年から11年にかけて建設された馬車の通れる新道で、
山梨県北都留郡丹波山村と甲府市を結び、現在の国道411号の前身にあたる。
「黒川通り」は、このうち丹波山村内の黒川周辺における呼称で、
新青梅街道中最大の難工事であったと共に、現在の国道が別の道を通るため、
昭和40年代以降長らく廃道になっている区間だ。
甲州街道に代わる甲府と首都東京を結ぶ産業道路として整備する構想があったものの、
隣県との工事の調整や、高額に及んだ工事費の問題から、
未踏の山河を切り開く明治のバイパスは、黒川通りの先に延ばされることはなかった。

このコースの見どころは、明治以降ほぼ手つかずのままに残る馬車道の風景そのものである。
特に、道中至る所に残る石垣や、橋の跡、さらに往来の証明となる馬頭観音碑などが代表的な遺構である。
また、道を取り巻く自然環境もすばらしく、明治以降首都の水源林として保護されてきた広葉樹の原生林が、
自然と人工物の合作である廃道の魅力を引き出している。
とあります。

以上長文コピペ失礼いたしますが、探索の価値は十分あると考えます。

168:名無しの愉しみ
12/08/22 00:49:58.15
わざわざ山梨県立図書館が閉鎖中で資料をあたれない時期に突っ込むとか

169:983
12/08/22 05:18:33.56
旧旧道(人道)の上部に旧道(馬車道)があると言う事でしょうか。
その逆なのか、先日伺い忘れました。

170:983
12/08/22 10:46:21.18
参考になれば。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
前回と同じかな?

171:165
12/08/22 22:38:36.37
いろいろ調べると
旧旧道は、新道の上にあることがおおいですね。
上のURLのサイトを見ても、崩落して路肩が狭くなっていますが、道幅といい新道ですね。

172:165
12/08/22 22:41:31.02
いろいろ調べると
旧旧道は、新道の上にあることがおおいですね。
上のURLのサイトを見ても、崩落して路肩が狭くなっていますが、道幅といい新道ですね。
橋が落ちていますが、古さゆえですね。

173:165
12/08/22 22:47:58.31
あら、二重投稿

いくら旧旧道とはいえ、崖をよじ登るようなことはないので、
旧道(馬車道)の続きであれば、橋が壊れるか崩落して崖になったのでしょう。

例えばこのようなポイントの場合、武田時代に架橋できたとは思えませんので
崖の上を通る旧旧道があるかもしれません。
下を通る旧旧道があまり考えられません。

174:165
12/08/23 09:29:23.93
ちょっと見直したところ
埋蔵金に関するものの本と、「日本埋蔵金研究所」さんのホームページに

平八郎長者の埋宝 埋蔵地】=富士川源流
武田の埋蔵金とも関連する鶏冠山。国師岳の麓に住む平八郎という猟師が【鶏冠山】で
“黄色い砂”を発見、妻に教えられるまで砂金と知らなかったという。
この砂金を集めて洞窟に隠した。
とある。※本と研究所さんの内容はほぼ同じで、国師ヶ岳と国師岳の違いぐらい。

で、鶏冠山だが、山梨県甲州市にある鶏冠山(けいかんざん)ではなく、山梨県山梨市にある鶏冠山(とさかやま)である。

おいらん淵まで直線でも10km余 わざわざ狩りにくる距離ではない。
仮に修二郎が高橋川をさかのぼったとしても、山梨県山梨市にある鶏冠山までたどり着くわけもない。
また、平八郎長者の埋蔵金が砂金であれば、修二郎の埋蔵金は「武田」のものと思える。


175:風の子
12/08/23 22:47:35.13
>>161 165さんの「修二郎はナニか持っていてそれを頼りに探した。→見つけた。→メモした。」
>>162 165さんの「これから発掘する人が、埋蔵量までメモする必要があったでしょうか?(必要ない。)」
について、同感です。埋蔵量については、書くならほかの二つの穴の宝物についても書かれていないのは片手落ちのように思います。
また12行のメモのうち7行までは、最初のほら穴へのアクセス方法と発見・確認した埋蔵金の種類と数量のメモであります。

これらのことから修二郎の手帳のメモは、修二郎自身の覚え書きであり、最初のほら穴と埋蔵金を発見した後、第2、第3のほら穴も
発見したものの、その詳しい数量を数えてメモする前のものと思います。(延べ板以外にも何かあったかも知れない!)

雨が降った、食料が尽きてきた、体調が悪かったなど何かの理由で第2、第3のほら穴の延べ板などは次回出直してごっそり
持ち帰る予定、しかし次回この場所に短時間で直行するには、何か目印を探してそこから崖下に下りるのが一番早い。

・・つまり修二郎が転落事故に遭った場所は、正に第2、第3のほら穴のすぐ近い所だった可能性もあります。
それから、「川について下って」は、崖上の道を歩いてもほら穴は見えない場合が多いので「沢下り」だと考えます。


176:風の子
12/08/24 17:02:24.72
1回、2回では目的は達成できないかも知れませんね。3階、4回目くらいで本格的に探索する場合、
つまり沢に下りて沢を下る(又は上る)場合、膝まで濡れてもよい服装、安全のためのロープ(足でも
体重が支えられるよう、輪っかの結び目を作っておくと素人でも安心ですね)、あと状況にもよりますが、
仲間との交信ができるトランシーバー(?)を誰かから借りられればなおベターだと思います。
崖から下りる場合はできれば上に見張り1人、下りる人最低2人(一本の川は熊はいないような気がしますが
もう一本の川は分りません。)、携帯電話が通じればトランシーバーは必要なくなりますね。仲間がいれば
安心です。

177:165
12/08/27 19:48:54.03
調査はについては、継続的に行っていきたいと思いますが
とにかく範囲が広いので、初回はハイキングだと思います。
それ以降、現場の状況等を勘案して範囲を狭めていきたいと思っていますが、
趣味の範囲でいきたいと思っています。

178:風の子
12/08/28 17:51:32.67
そうですね。あくまでも趣味の宝探しですからハイキング気分で行きましょう!

ところで梅雪の埋宝ですが、畠山さんの本では梅雪一行を襲ったのは諸澄九衛門
配下と書いてありますが、別の史書には「・・この時に梅雪の行く手を阻み、百姓
達を指導して梅雪主従を討ち取ったのは、綴喜郡の土豪石原源太であったと伝え
られている。」と書いてあるそうです。討ち取ったのは誰であれ、最終的に「武功録」
を手に入れたのが諸澄九衛門であれば、大勢に影響はありませんが。

179:名無しの愉しみ
12/08/28 21:46:17.11
みなさんの行動力に影響されたのかわかりませんが、
この地区の歴史に興味を惹かれたのでちょっと調べてみました。
埋蔵場所はここだ!なんて直球勝負ではありませんが、
なんとなくつらつら書きます

 行政区とその変遷
 URLリンク(www.keihin.ktr.mlit.go.jp)

 山梨県塩山市内には,多摩川上流地域に属する集落に一之瀬・高橋・落合があるが,
 いずれも東山梨郡神金村に属していた.
 1954年(昭和29)3月,松里村・大藤村とともに(神金村が)塩山町へ編入合併し,         
 さらに同年4月,塩山町は塩山市となった.(現在は甲州市) 

さらにもっと古い記録がないか調べるとありました。

 一ノ瀬高橋の歴史 -多摩川最上流の村- (年表)
 URLリンク(potapotakan.com)

 近年行われた発掘調査により、黒川金山は15世紀末(1400年終頃)開発され、
 16世紀前半(1500年前半)に盛期を迎えたと推定される。
 発掘調査の結果、黒川金山には400軒からの家屋が存在していたは確実である。とされ、
 当時、一ノ瀬高橋は金堀たちが通い作場として焼畑耕作に使われていた土地であったと
 想定されている。

 寛永17年(1640)
 この頃、離散していく金堀たちの一部が黒川金山から一ノ瀬高橋に移住を始めたと推定される。
 集落は一ノ瀬(一ノ瀬川)・高橋(高橋川)・刑部平(柳沢川) 刑部平は18世紀に入り消滅 (続く)


180:名無しの愉しみ
12/08/28 21:50:34.95
 延宝2年(1674)
 萩原10ヶ村と丹波村との間に山境論(上野福男『近世萩原山の泉水谷流域における国中萩原村と
 郡内丹波山村との間の境界論争』)起こる。
 この山論により一ノ瀬・高橋・刑部平の3集落、萩原10ヶ村の枝郷の位置確定。
 (年貢。訴訟など、親郷である萩原10ヶ村経由となる)
 この頃、黒川には3軒の家と12人が留まっており、一ノ瀬・高橋・刑部平には30軒ほどの民家が存在した。
 「萩原10ヶ村と丹波山村山境論公事留書」による

 享保9年(1742)
 『萩原10ヶ村入会山明細帳』 ハ麻布ナド仕申候
 両沢(一ノ瀬・高橋)家数42軒(本百姓34 水?6 寺院2)人数 139人(男73 女64 僧2) 馬23 
 畑作 一毛作(稗4 粟2 蕎麦3 野菜1) 男女家之儀 男農之間ニハ山内ニ而白箸并材木取申候、
 女ハ作物之間ニハ麻布ナド仕申候

 文政10年(1827)
 家数38軒(うち寺院2) 人数206 (塩山市史 通史編上巻) 
 天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。

 明治5年(1873)
 戸数38 人口218(神金村役場資料) 
 幕末から明治初期にかけての戸数・人口は変わらない。(天保13年の家数、高橋16 一ノ瀬22)

 明治8年(1875)
 神金村のうち旧一ノ瀬高橋組となる。(続く)

181:名無しの愉しみ
12/08/28 21:56:46.95
 明治11年(1878年)
 6月 柳沢越えの青梅街道開通 落合集落出現 戸数7 一ノ瀬高橋の経済的地位向上

 明治22年(1889)
 皇室御料地(世伝御料地(林)に編入 23年、「草木払下規則」施行 御料地の荒廃は進行した。
 戸数80 戸数の極端な増加は、「青梅街道」開設と「山稼」・「焼畑耕作」の盛大化の相関関係による
 一ノ瀬高梁地区の経済的地位の向上によるものである。

 明治40年(1907)
 8月21日夜半からの豪雨により山梨県一帯に大水害起こる。
 柳沢峠を挟んで道路は全滅し落合で4戸流出1名死亡、耕地は壊滅し、交通断絶のため住民は餓死に瀕して
 馬を殺して食料としている。と救助を求めた一ノ瀬高橋地区区長雨宮武十郎は語っている。
 泉水谷府有林における22日から一週間の雨量は994.7mmに達した。

 大正2年(1913)
 一ノ瀬高橋地区の無立木地2,000町歩強の植林を開始 15年完了
 大正7年5月21日より水神社祭始まる。

 昭和27年(1952)
 甲府・青梅線(「青梅街道」 現、国道411号)改修工事 柳沢~落合間部分開通

182:名無しの愉しみ
12/08/28 22:00:22.54
別のサイトによりますと、 

 甲斐の金山遺跡(その1) - 高橋山放光寺 -
 URLリンク(mineralhunters.web.fc2.com)

 略~遠方への移住に踏み切れなかった人々が新たな生活の場として選んだのは、黒川金山から
 北西約4kmにある、一之瀬高橋であった。
 ここが黒川に比べ特に開けているという理由ではなく、秩父方面への交通の便から、
 この場所が選ばれたと推測される。
 一之瀬高橋に移住した金掘は、その後採金に携わることもなく、主に畑作と林業で生活を
 営んでいたが、その生活は厳しく、何度も飢饉に見舞われた。
 また、一之瀬高橋は、江戸時代を通じて独立した村として認められず、親郷10ケ村の枝郷として、
 親郷の支配下に置かれた。
 文久3年(1863年)、一之瀬高橋が親郷に無断で黒川金山に接する「東木」で金掘を雇い
 試掘を行ったことを発端に両者が対立し、結局一之瀬高橋側が詫び状を提出して決着した。
 黒川金山の金掘の子孫を自認する一之瀬高橋の住民にとって、この一件が彼等の心に残した
 傷痕は決して小さくなかっただろう。


長々と引用してきましたが、謎文冒頭の高橋~とは高橋集落を指すのだと思います。
放光山高橋寺って無人のお寺もあるみたいですが。

183:名無しの愉しみ
12/08/28 22:04:36.43
あと、ちょっと話が逸れますが、当地周辺は黒川金山時代からの森林伐採と焼畑により、
江戸時代の中頃には無立木地となってしまい山々が荒廃したとのことです。
度重なる江戸の大火が木材資源の枯渇を加速させたともあります。
この無立木地的状況の対策として、江戸幕府はかなり早い時期から伐採規制、焼畑の禁止、植林などの
対策を打ってきたとのことですが、時代が下り大正時代の大植林事業を経て現在に至るまで、
完全復活とまではいかない状況であると。
一ノ瀬高橋地区の荒廃地は現在防火帯となっており、当時の景観を偲ばせるような
草原環境となっています。

↓以下の論文に詳しく書いてあります。

 多摩川上流域における開発と水害 増渕和夫・藤澤正一
 URLリンク(www.tokyuenv.or.jp)

 1842 年の「玉川泝源日記」(東京都水道局,2001 転載を利用)によれば、『三条河原から
 一ノ瀬高橋の大方は茅、茨ばかりで森林なし、三条河原から丹波山間山地ブナの大木多し。 
 一ノ瀬高橋、文化9 年(1812)38 戸で焼畑と山稼が生業』とある。
 多摩川最上流部の後の東京市水源林域である三条河原から一ノ瀬高橋の大方は
 恐らく焼畑と山稼によって草原植生となり、これに対し、三条河原から丹波山間山地はあまり人為が
 及ばずブナ林=夏緑広葉樹林の広がりが想定される。

また話が長くなりました。
つまり、明治40年頃の黒川鶏冠山周辺の山地は裸地が多く、
坑口、ほらあなの入口なんか案外見つけやすい状況だったんじゃないかと思います。

184:名無しの愉しみ
12/08/28 22:13:43.87
それからみなさん既にご存知かもしれませんが、ヤマレコというサイトに
当地周辺の山行記録が数多く投稿されています。
投稿者の辿ったコースのルートが地図や標高グラフ、写真で紹介されており、
コースタイムや状況もかなり詳しくわかります。
他にもGPXファイルをダウンロードすることができたりと、事前調査に大いに役立つかと思います。

ヤマレコ
URLリンク(www.yamareco.com)

日曜暇でしたのでAコース(歩いちゃうよ)のルートを作成してみました。
ルート中の最低点が旧おいらん淵近辺で標高890m、最高点が犬切峠で標高1378m
トータル12.8Kmありますね。
予定ルートを地形図に重ね合わせてニヤニヤしながら見ています。
皆様頑張ってください。

185:165
12/08/29 20:20:27.14
おおお!かなり興味の湧く書き込みありがとうございます!

大水害については、先日、東京駅でバッタリ出会った作戦会議に出席したホッシーさんに教えていただきました。
かなり大規模な災害で、餓死者もでたとのことです。
あれ?この書き込みホッシーさん?

特にきょう深いのは、天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。
 文久3年(1863年)、一之瀬高橋が親郷に無断で黒川金山に接する「東木」で金掘を雇い
 試掘を行ったことを発端に両者が対立し、結局一之瀬高橋側が詫び状を提出して決着した。

ですね

186:165
12/08/29 20:29:10.46
おっしゃる通り、高橋から始める文章は、高橋の可能性があります。

あの辺一帯が高橋なのが問題です。

187:風の子
12/08/29 22:51:54.68
>>179さん、詳しい情報有難うございます。
>>181の記述は、もしかしたらと思わせるものです。

畠山清行氏の本: ~明治40年頃のある秋の朝~
>>181の記述: ~明治40年(1907) 豪雨により山梨県一帯に大水害起こる。
       泉水谷府有林における22日から一週間の雨量は994.7㎜に達した。
修二郎がこの大雨に遭遇していたら、最初のほら穴に到達できても第2、第3のほら穴
へ到達するのに「沢下り」では濁流のため無理で崖上の山道から下りるしかありません。
雨が降る直前にいったん到達して延べ板だけは確認したもののその後大雨が・・かな?

188:名無しの愉しみ
12/08/30 00:55:07.24
165さん初めまして。

>天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。

この下りは興味深いです。
何故、青海の商人が来たのか
記録に残すほど特記事項だったのか
高橋って高橋集落のことなのか
どのルートできたのか
などなど

>あの辺一帯が高橋なのが問題です。

高橋集落・一之瀬集落と分かれていたのが、いつの間にやら合体して、
あの辺り一帯が一之瀬高橋となってしまったんでしょうか。
ただちょっと気になるのが、「山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋高橋」と高橋が二連続する
住所があることです。
URLリンク(www.its-mo.com)

189:名無しの愉しみ
12/08/30 01:05:53.11
脈絡無視してまた、つらつら書きます。

多摩源流部で最も人間の侵入を阻む谷、その名を大常木谷と呼びますが、
1658年には既にその流域で伐採が行われています。
1657年の明暦大火により木材需要が増大し、所謂復興用材として伐採されたとのこと。
大常木谷での伐採は近年まで行われ、その全てが谷に沿って流送されました。
大常木谷には「セングノ滝」と呼ばれる滝がありますが、正しくは「千人工の滝」です。
切り出して川に流す上で一番の難所がセングの谷だったからです。
落差が有るので木を痛めないようにしゅらを張ったのですが、そこは谷が深く多くの人手が必要。
大勢の加勢が要ることから千人の工(たくみ)を当てて「千工の滝」と呼ばれたとのことです。

大常木谷は人も寄り付かぬ深山、ではなかったんではないでしょうか。

と書いてるうちに、
>>187さん、初めまして
当地周辺は明治43年も
水害に見舞われたとのことです。
明治40年大水害時の神金村の写真が残っており、随所で斜面崩壊したのが確認できます。

190:名無しの愉しみ
12/08/30 01:30:24.43
また話題が飛びますが、

東京都水道局水源管理事務所が、当地周辺の詳細な地図を作成しているとのこと。
その地図には、水源管理のための巡視道が広大な源流部に網の目の様に
張り巡らされており、水源林管理上に必要な沢や尾根には詳細な地名が書き
込まれているとのこと。
水源だから当然かとも思いますが、当時の研究者は大変驚いたらしいです、
微に入り細を穿つその地図に。

時間ないのでこの辺にしておきます。
そうそう、>>165氏の現地巡検Aコースはルートラボで公開しています。
URLリンク(yahoo.jp)
見れるかな。

191:165
12/08/30 23:38:32.57
さて、9月だけどどうするべ?

192:風の子
12/08/31 09:50:47.13
私はどうも皆さんの足を引っ張ることになりそうなので、今回は遠慮させて頂きます。
なので、旧道コースで行くのかハイキングコースで行くのかも含め、行かれる方達で
決めて頂きたいと思います。

193:983
12/08/31 15:14:22.09
勤務の都合が合えばいきたいですね。
旧道は危険な面もあるようで、実際に「在り処」にはちょっと結び付かないような…
「在り処に近いと推測されるコース」に行きたいですね。          
土日になりそうですかねぇ。。。

194:ホッシー
12/08/31 23:09:58.39
9月はぜひ、行きたいですねー。
皆さんの都合や、現地までのアシや、コース選定など今一度すりあわせが必要ですね。

>天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。
一ノ瀬高橋の歴史年表にあっさりと書かれているのですが、
早苗は商人ではありますが、探検家であり詳しく正確な多摩の源流を初めて著作に
記した人物です。著書名は「玉川泝源日記」です。水干関連なので記載されているのでしょうね。

話は変わりますが、教科書にのせたい!(TBS)の8月21日放送の毛利元就の埋蔵金を調査!を
見ましたか?YOU Tubeにアップされています。
八重野さんが陣頭指揮をしています。結果は見てのお楽しみということで…。



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