12/08/31 23:09:58.39
9月はぜひ、行きたいですねー。
皆さんの都合や、現地までのアシや、コース選定など今一度すりあわせが必要ですね。
>天保13年(1842)、青梅の商人山田早苗、高橋に至る。
一ノ瀬高橋の歴史年表にあっさりと書かれているのですが、
早苗は商人ではありますが、探検家であり詳しく正確な多摩の源流を初めて著作に
記した人物です。著書名は「玉川泝源日記」です。水干関連なので記載されているのでしょうね。
話は変わりますが、教科書にのせたい!(TBS)の8月21日放送の毛利元就の埋蔵金を調査!を
見ましたか?YOU Tubeにアップされています。
八重野さんが陣頭指揮をしています。結果は見てのお楽しみということで…。
195:983
12/09/01 05:11:18.46
>YOU Tubeにアップされています。
八重野さんが陣頭指揮をしています。結果は見てのお楽しみということで…。
探し方が悪いのか見付けられませんでした。
196:165
12/09/01 08:31:19.04
毛利元就の埋蔵金を調査!で、ぐぐると教科書にのせたい!の公式サイトで見つけられるねw
八重野さんは埋蔵金発掘の第一人者だけど、Lvはウチらと同じ程度。
ホッシーさんからの資料で、
臼の形をした岩がある臼淵、
渓谷をまたぐように等間隔の3つの石が並ぶ。左岸にはその石に連なるように上に向かって3つの石が並ぶ 猿はね淵も重要ポイントになるのかな
197:165
12/09/01 08:36:43.34
資料を見ていくと、畠山さんの「高橋」から始まる修二郎のメモは、
もじってる可能性がありますね。
198:165
12/09/01 09:17:45.05
明日下見に行ってきます。
Aコース(歩いちゃうよコース)
一之瀬川~龍バミ川合流地点(畠山氏のいう花魁淵)を見学
川沿いの林道を通って柳沢川の合流(現在の花魁淵)~藤尾橋(真の花魁淵?)まではいきましょう。
で、落合、高橋を通って一之瀬まで
は、全行程 舗装道路なので、一周してきます。 舗装道路なら、風さんも来れるのでは?
前回までの予定が9月15日(土)16日(日)の一之瀬キャンプ場に泊まる一泊二日でした。
17日(祝)があり、体を休めるには良いかなと思っています。
983さんのいう「在り処に近いと推測されるコース」って?
作戦会議の時に私が言ったところかな?
199:983
12/09/01 09:18:40.47
結局、修二郎のメモが唯一の資料だとすれば、公開時に畠山氏が捩った可能性はありますね。
ただ…どこをどう弄ったかの判断ができないのが泣きどころか。
二之瀬高橋に宇沢某の子孫がいるか、自分は聞き取りしたいですね。
機会を作って行ってみようと思ってます。もう居ないかも知れないけど。
200:983
12/09/01 09:21:57.19
書き込みが被りました。
「在り処に近いと推測されるコース」って?=165さんの主張の場所周辺です。
生憎、上記の期間は仕事が立て込んでて参加不可能です。
201:165
12/09/01 10:02:56.53
明日、そこを含めてみてきますよ
202:名無しの愉しみ
12/09/01 13:34:50.03 UEQMkMnk
ホームページ作成順調に進んでいます。
今月末ぐらいにはテストも兼ねて公開したいと思っています。
203:983
12/09/02 10:38:55.07
>>165さん
今日の現地行きはバイクですか?
多分、雨で行ってないと思いますが。
204:983
12/09/02 12:13:02.75
自分もスクーター乗ってるんで、バイクで行くならおkです。
日帰りの周辺巡回なら。。。
205:赤城本命
12/09/02 18:33:05.37
165さん
ひょっとしたら、物証つくった人わかるかもしれない。
赤城の郷土史を調べていたら、妙な人物発見したよ。
今度の赤城行きはこれ中心の調査になる。
まいったよ。その人だったら、赤城はガセネタだなあ。
206:165
12/09/02 20:15:56.85
今日は雨で中止でしたw
983さんとツーリングで周回もいいですね。
スクーターとアメリカンで峠道&林道wwww まったく合わない車種ですなww
え?物証つくった人?誰ですかね?
銅板以降三枝氏の物証とかはねつ造だと思っていますが、
根本から崩れてしまう重大事項じゃないですかwwwww
207:赤城本命
12/09/02 20:32:10.69 eU2a5FN+
いやあ、まいった。
双栄寺に算額があるって話しましたよね。
それを奉納した人、和算が趣味で卜占を生業にしてたらしい。
徳川埋蔵金検証辞典で「天狗」という言葉が何度か出てきていて
この人も「浅天狗」って呼ばれてたらしい。
1834年頃生まれてて年代もぴったり。
ひょっとすると、児玉惣兵衛かもしれない。
下手すると、完全崩壊の危機です。
208:165
12/09/02 23:37:56.05
双栄寺の算額には私も触れてみました。
境内に碑もありますね。
金山宮は、剣道の練習場?で、今でも修行に来る人もいるとのおばーちゃんの話で
児玉惣兵衛が剣術を教えていたのでは?と、ココでもご紹介しました。
まぁ大きな天狗のお面などが飾られていたりして、どくどくの雰囲気ですね。
その奉納した人が物好きな一般人ではなく、児玉惣兵衛であって
幕末からの長い年月の間に算額や卜占をやっていたのであれば、
坊主でもないし剣じゃ食えないし暇だしのむしろ自然の流れかと
209:165
12/09/02 23:54:16.06
浅天狗=児玉惣兵衛であっても
水野氏が着手するきっかけは児玉惣兵衛ではなく中島蔵人です。
児玉惣兵衛が水野氏を妨害しようと、数多くの物証をそろえるには疑問が残ります。
大義兵法秘図書を渡した理由も不明になります。
ん?
ということは、赤城の物証から答えが出るってことですね。
210:赤城本命
12/09/03 00:54:50.09
銅板は双栄寺発見となっているけど、双栄寺では否定している。
出所が不明ですよね。ところが私の解読結果では銅板と灯明皿は
同一人物の作だと判明している。
銅板も灯明皿も児玉由来とするとすっきりくる。
浅天狗こと須田浅造は双栄寺に同時期に算額を奉納するなど双栄寺と
関係が深い。なおかつ和算、卜占の知識がある。彼は沼田に通った形跡があり、
沼田街道沿いに徳川埋蔵金と天狗が一体になって語られている。
宝神流という剣術が行われていたらしい。郷土史にも天狗堂の話が出てくる。
児玉と須田は年齢的にも近いと思う。
児玉=須田説は思いつきだけど、須田は状況証拠真っ黒なんだ。
211:165
12/09/03 15:39:37.91
須田浅造でしたか。
須田浅造に関しては、埋蔵金関係のホームページに載ってる名前ですね。
宝神流ではなく、法神流ですね。
私がかなり参考にしているホームページがありますので、ご紹介しておきます。
URLリンク(sky.geocities.jp)
沼田往還の地図など貴重ですw また地図かよww
児玉惣兵衛=須田平八かと思ってましたよ。
法神流秘巻。極意の歌「もとのやの もとの古巣を 立ちいでて またたちかえる もとの古巣へ」
212:165
12/09/03 15:52:37.76
角川日本地名大辞典にも須田浅造が出てきますね。
角川日本地名大辞典には、
寺は字中棚に曹洞宗双永寺がある。山号は鈴岳山、開基は鑑翁東察和尚で寛永元年創建と伝える。
東に隣接する字中山の金山宮の別当寺であったとみられる。境内には寛永堂があり、算額が掲げられている。
鎮守は金山宮で、祭神は金山彦命。創始は、永保3年源頼信の末子小太郎が、以前から金山彦の神体と仰がれていた鈴ケ岳の里宮として祀ったと伝える。
中世末期宮田の土豪須田加賀守が麓から山の中腹の社殿に至る360段余の石階を寄進したとも伝える。加賀守は白井の長尾憲景の臣で白井衆の1人。
金山宮は通称天狗様で武人に信仰され、当地方の剣客として知られる楳本法神が、当地で天狗飛切の術を会得したと伝え、数多くの木刀が奉納される。
最古のものは永保元年の墨書がある。
農民からは養蚕神として崇敬され、春蚕前に参詣者が多い。
村役人は名主1・組頭4。
嘉永年間名主須田平八が寺子屋を開き、剣術・手習いを教授し、寺子20人。平八は法神流の剣をよくしたという。
文久年間には須田浅造が和算を教えた。
213:165
12/09/03 20:09:07.78
赤城本命さんがいいところなんで、ちょっと整理してみる
明治 8年
水野智義が、母親の内縁の夫である中島蔵人から埋蔵金の話を聞かされる。
明治10年
赤城山の麓で調査の結果、津久田原が怪しいとにらんだ。児玉拡平(惣兵衛)、角田恒二郎の義理の従弟・角田源次郎のことを知る。
また津久田原で謎の武士団が何かやったことを知った。
明治16年 移住。本格的発掘に着手 カラ井戸との話から源次郎の井戸に着目
明治23年5月19日
源次郎の井戸に近い場所から黄金の徳川家康像と銅皿が出土。
津久田原に近い深山村の双永寺から謎の銅板3枚が見つかる。
明治24年
児玉拡平(惣兵衛)が亡くなる直前、御用金の隠匿の経緯を記したといわれる「大義兵法秘図書(たいぎへいほうのひずしょ)」なる謎の巻物や、
やや曖昧ないくつかのアドバイスを智義に与えた。
その後
義治・愛三郎兄弟、愛三郎の次男・智之氏が発掘していた。
214:165
12/09/03 20:22:17.07
物証① 家康像
源次郎の井戸の近辺から、壺に入って発見されたという、黄金の像
初代智義が掘り出したが、二代目義治が人に預けすり替えられたと主張する。
この家康像を見たことあるという人は、掘り出したものと返ってきたものはまったく別物だったと言っている。
「黄金の仏像は、小さい私が見ても、そりゃ綺麗でした。返ってきたものは全く別物になっていた」という内容だったと記憶する。
物証② 燈明皿
家康像と一緒に掘り出されたとする謎の文字が刻まれているお皿。義治が人にくれてやり、現在は他人の手にあるそうです。
家康像の頭に笠みたいに配置されていたいたが、発掘の際にどの方向に向いていたとかわかっていない。
物証③ 双永寺の三枚の銅板
双永寺では出土を否定している。おばーちゃんの話だと「そんなものが出たなど聞いたこともない」とのこと。
現物がどこに行ったかは不明
215:165
12/09/03 20:49:47.69
はじめ、児玉拡平(惣兵衛)を須田平八と思ったが、大正七年に死亡が確認されているので別の人物とした。
須田平八
天保元年(1830年)生まれ。 大正7年(1918年) 89歳で没
明治10年(1877年)当時 47歳だった。老人というか初老であり、これも的外れ。
須田浅造 天保4年(1834年) 没不明だが、明治5年9月に算額を双永寺に奉納していることから生きていたと思われる。
この人は、上のホームページに書かれているように
「常にそろばんと書類を入れた風呂敷包みを背に負い、興至れば路傍と砂上とを問わず、尻を下ろしてそろばんをはじき、書物を披見して時の移るのも知らなかった。」
武士のイメージはなく、特に気にもかけていませんでした。
そう考えると、須田平八かな?と思ったが、没年が違うのでスルーしました。
ただ、児玉拡平(惣兵衛)と須田平八の剣豪両名が、狭い範囲で活動していたこととなり、
お互いに顔をみないで過ごせるとは思えませんでした。
また、出会ったときどうしたんでしょうか?やはり仲間だったのでしょうか?
この辺は、全くわかりません。
216:165
12/09/03 21:05:42.62
楳本法神に関しては、伝説の人なんでw
ただ、教え子に四天王といわれる人がおり、
林国太郎(林鶴梁の長男)、羽倉鋼三郎(林鶴梁の次男)、雲井龍雄(元米沢藩士)、屋代昇平(元前橋藩士)と
ダブってしまうのはどーしょうもないですね。
深山一帯は須田姓ばっかりだったそうで、よくわからないので、気にしないですね。w
赤城本命さんがおっしゃる 須田浅造もしくは須田平八が、埋蔵金発掘を妨害するようなことをしたのでしょうか?
赤城本命さんの心配する 須田浅造が物証を作ったというのはないと思います。
何のために?
217:赤城本命
12/09/04 12:22:58.02
須田浅造が徳川埋蔵金の物証を作った理由は二つしか考えられません。
①埋蔵金詐欺の目的で偽造した。
②愉快犯(知的な遊戯)だった。
現時点で須田浅造が犯人とは断定できませんが、第一容疑者と考えています。
解読作業は概ね終了しましたが、そのとたんにこれですから。
本当に参りました。
218:165
12/09/04 20:19:14.77
須田浅造のことは、紹介したホームページのうわべしか知らないけど
①も②もあり得るのかなー
児玉惣兵衛はどうしましょ。大義兵法秘図書は・・・
銅板に関しては、特に絵地図は算額とは関係なさそうだし・・・。
219:赤城本命
12/09/04 23:01:48.91
灯明皿の解読は三枚の銅板が解読できたのがそもそもの発端なんです。
だから灯明皿と銅板は同一人物の製作となるわけです。
須田浅造については「徳川埋蔵金検証辞典」を発注しましたので、天狗の記述の再確認をします。
確か、天狗が座っていたとか何とかの記述があって、何故天狗何だろうと
疑問に思ったので記憶に残っていたんだす。
須田説がはっきりと否定できれば、いいんですが。
だっていままでの成果がすべて無になる事態ですから。
220:赤城本命
12/09/06 11:10:14.40
徳川埋蔵金検証辞典が到着したので、早速確認しました。
「天狗」の記述は昭和村長者久保の欄に「山犬天狗という謎の人物が
明治治22年頃迄、埋蔵金を見張っていた。」とありました。
この山犬天狗と浅天狗(須田)が同一人物ではないかと考えました。
須田は深山から沼田へ通っており、旧沼田街道をよく利用しておりました。
しかし、長者久保は旧沼田街道よりかなり山側にずれています。
須田が日常的に使った道筋ではないように思います。
完全ではありませんが、須田への疑いは若干薄くなりました。
221:ひつじ
12/09/06 12:52:56.89
おじゃまします。はじめてです。
毛利元就氏の埋蔵金これ見られるかな?
URLリンク(youtubeowaraitv.blog32.fc2.com)
222:風の子
12/09/07 22:27:56.59
>>221 ひつじさん
httpのhが落ちてますね。httpで始まればあとはいいみたいです。
この「毛利元就の埋蔵金」は話のもっていきかたが少々強引でしたね。
>>211さん
赤城のHP見ました。甲府にあった幕府の御用金24万両を榛名山に埋蔵したが
掘り返されていたとのこと。徳川はよく分かりませんが、江戸城にあった360万両
と一緒にするためだけに一度埋めたものを掘り起こしたのでしょうかね?指示したのは誰?
223:165
12/09/08 09:42:32.39
ん? まいっかw
毛利元就の埋蔵金は、八重野氏の勇み足でいたね。
それにしても地中レーダーの信頼性の無さと言ったら、どーしょーもないですな。
まだロシアでwwⅡの遺品さがししたほうが儲かりそうですw
榛名のお寺の境内に一度埋蔵し、柴田監物の指示で赤城「方面」へ移送しています。
沼田街道を経て会津若松まで移送するつもりだった思われます。
小判で24万両はあり得ないので、棒金・笹流し金などの延べ棒の類で、さほどかさばるとは思えませんので埋蔵は容易だったと思います。
224:風の子
12/09/08 10:33:48.71
165さん 有難うございます。指示した人もちゃんと分かっていたんですね。
ところでふと思い出しました。かなり以前に、古文書に大変詳しい方が、結城の埋蔵金に
関連して驚くようなことが書かれていたというのです。それは結城近辺に幕末の幕府の金
を運んできて埋蔵したというものだったと記憶しています。えっ、結城の埋蔵金って結城
晴朝の埋蔵金のほかに、幕末の徳川の埋蔵金もあるの?と半信半疑でしたが、何の証拠も
なく終わりました。暇なとき昔の資料を探してみます。幕末は風雲急でしたから何があって
もおかしくないかも知れませんね。
225:日向 徹
12/09/09 00:58:52.75
はじめまして、私も同じくトレジャーハンティングに興味があります。
2ちゃんねる は初めて書き込みます(ホントです)。
名前は、考えてなかったもので、とりあえず日向徹にしました。
文章はうまくはありません。
主に興味が有るのは、山梨方面(武田・穴山)方面です。
こういった掲示板上のやり取りやメールは苦手ですので、皆さんとは直接お会い出来たらと思っています。
武田オフ会のお知らせの日程が、平成24年24月となっていますが・・・。
>>223
> 毛利元就の埋蔵金は、八重野氏の勇み足でいたね。
八重野氏は、著作家であり、タレントでもあると思います。
番組は、バラエティー番組なのです、ドキュメンタリーではありません。
事実などどうでも良い事です、いかに番組を盛り上げるか、意図はそこに有るのではないでしょうか?
バラエティーではなく、ドキュメンタリーに出演していただきたいと思いますが、難しいのでしょう。
世間では第一人者と呼ばれているようですが、埋蔵金作家としては、確かにそうだと思います。
しかしトレジャーハンターとしては、疑問です(特に抜きん出ているとは思えません)。
> それにしても地中レーダーの信頼性の無さと言ったら、どーしょーもないですな。
探知機の反応が無いのに掘る事は、番組の都合上いまいちですね。
これ以上書きませんが、演出が有る事で誤解を招いている一面も有るのではないでしょうか?
226:日向 徹
12/09/09 01:01:55.05
はじめまして、私も同じくトレジャーハンティングに興味があります。
2ちゃんねる は初めて書き込みます(ホントです)。
名前は、考えてなかったもので、とりあえず日向徹にしました。
文章はうまくはありません。
主に興味が有るのは、山梨方面(武田・穴山)方面です。
こういった掲示板上のやり取りやメールは苦手ですので、皆さんとは直接お会い出来たらと思っています。
武田オフ会のお知らせの日程が、平成24年24月となっていますが・・・。
>>223
> 毛利元就の埋蔵金は、八重野氏の勇み足でいたね。
八重野氏は、著作家であり、タレントでもあると思います。
番組は、バラエティー番組なのです、ドキュメンタリーではありません。
事実などどうでも良い事です、いかに番組を盛り上げるか、意図はそこに有るのではないでしょうか?
バラエティーではなく、ドキュメンタリーに出演していただきたいと思いますが、難しいのでしょう。
世間では第一人者と呼ばれているようですが、埋蔵金作家としては、確かにそうだと思います。
しかしトレジャーハンターとしては、疑問です(特に抜きん出ているとは思えません)。
> それにしても地中レーダーの信頼性の無さと言ったら、どーしょーもないですな。
探知機の反応が無いのに掘る事は、番組の都合上いまいちですね。
これ以上書きませんが、演出が有る事で誤解を招いている一面も有るのではないでしょうか?
227:日向 徹
12/09/09 01:22:35.51
良く理解出来ていなかったので、二回書き込んでしまいました(恥)。
あまりにも地中レーダーの能力を低く思われていらっしゃったので、つい書いてしまいました。
バラエティー番組では番組の演出上、金属探知機を故意に敏感に反応させるような演出は当たり前に行われています。
今回は、通常の金属探知機よりも、はるかに高価でハイテクな地中レーダーです。
演出により、結果的に最新科学が否定されかねません。
そして、おかしな方向(超能力)へ傾きかねません。
やはり、超能力より科学です。
228:風の子
12/09/09 12:38:12.83
>>225日向徹さん
はじめまして。私も梅雪の埋蔵金に興味を持っています。今後よろしくお願いいたします。
毛利元就の埋蔵金バラエティーで、金属探知機が鉄、銅、銀、金を見分ける話、そこまで本当に
機械の性能が進化しているのでしょうか。ちょっと信じられませんが。
165さん
徳川埋蔵金by165のホームページはアドレスなど、どこかに移動されましたか?
お気に入りに入れたものを見ようとしたら見ることができませんでしたので。
229:日向 徹
12/09/09 16:36:10.27
>>228
風の子さん、はじめまして、こちらこそ宜しくお願いいたします。
金属探知機ですが、金属を見分ける能力については、気象庁の天気予報より、
正確さは劣るように思います。
また、今のところアルミニュウムシートと金貨の見分けは、事実上不可能です。
磁化する物とそうでない物の見分けは、出来ます。
砂金取り用の物は、小粒の金属でも、良く反応するように、設計されています(金以外でも反応します)。
深い所でも探査可能な物は、小粒の金属には鈍感です(ほぼ反応しません)。
毛利元就の番組見ました。
八重野さんが、使用している機種は、ロレンツのX-3で間違いないと思います。
番組内で60以下は、鉛などと表現してありますが、
メーカーのマニュアル(翻訳ソフトで見ました)によると・・・。
以下、番組内での表現
~60、鉛など
60~70 鉄
70~80 銅
80~90 銀
90~99 金
以下メーカーのマニュアルを、翻訳ソフトにかけてみたもの。
0~10 アルミニュウムシート・金貨
10~20 ブロンズ色のコイン/銀貨/ニッケル・コイン
20~30 スズの箱/細い鉄板金
30~50 鉄(たとえば釘/破片)
50~60 鉄の箱/鉄の腕
60~80 穏やかな大きさの青銅、銅、銀の物
80~100 大きい青銅、銅、金そして銀
230:日向 徹
12/09/09 16:45:36.41
テレビの説明を鵜呑みにして使用すると、金貨(姫小判)の反応が出ていても、
鉛などと思いこみ、見逃してしまいます。
またメーカーのマニュアルには、鉛と云った表現は無く、
理解度の低い視聴者にすり寄る為には平気で嘘がつける人が、作ったのでしょう。
・・・いや、私が間違っていました。バラエティーですから、必ずしも事実通りに伝える必要が無いのです。
それを作った人は、一般の視聴者に、ワクワクしてもらう為に作ったのです。
こういった番組を見る時には、半分はインディージョーンズを見ているつもりで見るのが、私は良いと思います。
24時間テレビ(2006年、海賊キッドの宝をさがせ!)が、ヤラセだったとか云った事を、ネットで見ましたが・・・。
24時間テレビは、出演者はしっかりギャラをもらっています。
24時間テレビの実態は、チャリティー風のバラエティー番組です。
バラエティーは、全て嘘で固められているわけではありませんが、事実を拡大解釈したり、都合の良い情報だけ利用したり、虚飾で飾ったりしたりして、番組として楽しめるように作って有るのです。
ドキュメンタリーかバラエティーかの違いを考えてから、番組を見た方が良いと云う事です。
私の知人で、ある趣味(乗り物関係)で有名な方がいるのですが、ホンダさんがスポンサーなので、ふざけた番組では無いと説明を受けて出演されたそうですが・・・。
『二度とテレビには出ない』、と言っていました。
テレビ(特にバラエティー)は、真実をそのまま伝えたい、人間は出演者には向きません。
八重野さんは、埋蔵金作家の第一人者であり、埋蔵金タレントとしても第一人者であるわけです。
・・・金属探知機の話から脱線していまいました。
頭が理系なので、すみません、つまらない話を。
231:日向 徹
12/09/09 16:47:49.95
自分の思いです。
↓
※トレジャーハンティングに興味があります。
※トレジャーハンターは、埋宝を出して一人前と考えています。
※研究者の方のお話を聞いたり、出そうと云う意志の有る方と一緒にやっていきたいと考えています。
これからは、作り話として聞いてください。
↓
某番組の話は、出演された方から直接聞いています。
迷惑がかかるとと思えば、ストレートに書けず悶絶しています。
232:名無しの愉しみ
12/09/09 17:59:57.70
誰か、15~6年前ぐらいの写真週刊誌にたぶん明治かそこらで実際発見してかけらを持った人が
点とか何かの中で心臓麻痺か何かで死んでたってきじ覚えてる?
あれって何の埋蔵金だっけ?よく覚えてないけど衝撃的だったな、他の埋蔵金伝説も沢山載ってた記事だったけど。
233:165
12/09/09 19:56:17.55
今日、高橋、一之瀬高橋、二ノ瀬を走ってきた。
まず、衝撃的話から、花魁淵の横を走る青梅街道が廃道になっていた。
物々しくフェンスが張られ、バイクすら通行不可になっていた。
もう二度と花魁淵を見れることはないでしょう。
勝沼から柳沢峠を越え、藤尾の手前で左折
車が通れる舗装道で、右手に高橋川
バイクを止め、高橋川に3~4m下の高橋川に触れてみた。
水は浅く冷たい。
対岸は切り立った絶壁ではなく、渡河すれば登れそうだだった。
途中、木製の人道橋がかかっており、橋の向こうは笹で覆われていたので、興味がわいた。
緩やかに上り、奥多摩養魚場横で高橋川を渡る。
左手に高橋川を見ながらいくと、高橋の集落に到着した。
道は二手に分かれ左手は高橋の奥に、右手は犬切峠へと続く
二股から黒川鶏冠神社が見えたので停車。参拝してみることにした。
鳥居があるが、境内へ続く道は放置されたのか跡形もなく、山の斜面を登るがごとく足元を取られながら上がる。
途中、道なき道をふさぐように倒木があり、何年ぐらい放置されているのかわからなかった。
境内らしき姿もなく、社殿は痛み、床や壁の一部が崩れ社殿には窓枠すら入っておらず、風雨および獣のされるがままの状態だった。
234:165
12/09/09 20:20:34.59
高橋は、集落といわれるが人影もなく、畑らしいものも見れなかった。
家屋は二股路の横にぽつんとあるだけだった。
神社を過ぎるとすぐ犬切峠。
411号を左折して、林道ですれ違ったのは3台だけだった。
犬切峠も車が通れるよう舗装され、道幅と路盤は悪いものの、杉の香が立ち込めるいい道だった。
また二股路があり、まっすぐは三ノ瀬へ続く道だが右折、一之瀬を目指す。
しばらく行くと、正面に橋と家屋が現れる。
橋を越え、家屋のまで停車。
正面の家屋は廃屋で、壁には薄らと商店の文字が見れた。
右手には、人の気配がする家屋が数棟点在していた。
橋の欄干を見ると「一之瀬川」と書いてあり、一之瀬集落だと確信した。
橋の手前を右に曲がる道があるが、地図でもある通り集落を避けるための道路である。
古地図には載っていないので、昭和の道路だ。
果敢に集落を抜ける旧道をアメリカンで攻めてみることにした。
本当に馬車が登れたのか?と思わせる勾配と幅員の狭さ。
坂を登りきった左手に見落としてしまうような放光山高橋寺跡を発見。
「泉雅彦著 震源の黄金遺跡と埋蔵金」の64ページに出てくるような小規模のお堂ではなく
、祠(ほこら)と言ったほうが的確ではないかと思うようなものとなっていた。
235:165
12/09/09 21:04:28.61
集落を抜けた左手の斜面に神社を発見。
神社名が確認できなかった。
傍らには、一之瀬憩いなんとかという集会場があったが、窓ガラスは割れ廃れていた。
社殿の中をみると、お札が立てかけてある程度で、何を祭ったのかすら不明であった。
ふと、神社の裏手の山を見上げると、地蔵?観音?なんか石像が一体置かれていたが近寄れなかった。
神社の道を挟んだ向こう側には、藤尾山と深い谷底が見渡せる景観地であり、その藤尾山と一之瀬川、木谷の渓谷を見ているような配置であった。
また少し走ると、金鶏寺が右手下にあり、道から墓地を見ることができた。
新しいのと古いのが混在しているが墓石の数は少なく、昔から人を拒み続けた村の墓地といったところだった。
すぐ横にはまだ使われていそうな分校?があり遊具もあった。
果敢にも金鶏寺に近づいて外から中の様子を覗いてみると、何年も使われていなそうな楽器のドラムが寂しげに置いてあった。
金鶏寺を後にすると、すぐ二ノ瀬だった。
別荘らしきものと、保養所?民宿?があり、保養所みたいなものは、まだ新しかった。
もし、この辺を攻めるなら、一之瀬キャンプ場ではなく、この保養所を利用するのがいいかも。
今回の目的地でもある、一之瀬川と竜喰川の合流地点を目指す。
途中左手に林道があった。
この林道は、作戦会議の時にお渡しした竜喰川を回る山歩きコースの二ノ瀬からの出発点であった。
ミノワ谷?へ向かう林道なのか?よく整備された登り口であった。
林道の手前に「荒廃した渓流の復旧」と称して、東京都水道局が平成25年1月31まで工事するとの看板もあった。
この林道の少し先に明治時代にはあった登り口があるはずなのだが、確認できなかった。
236:165
12/09/09 21:20:14.23
柳沢峠からここまで周りに注意して走ってきたが、いたるところに使われなくなった道があった。
柳沢峠もすっかり整備され、深い谷をまたぐ大規模な平成の道が出来上がっていた。
眼下には昭和の柳沢峠道が随所に見られ、また昭和の道の横に旧道(明治)の入り口がいくつもあった。
時代時代の土木技術はすぐにわかった。
昭和の道を走ると、これは流石昭和!と思わせる作りがあると、旧道(明治)の路盤と思しき草木にまみれた道があった。
明治時代には不可能だった崖沿いの緩やかな昭和の道。
山から低地を探し、できる限り沢を避ける形の明治の道。
高橋へ向かう林道に入ってからは、黒川鶏冠神社あたりから昭和の道から山を登る旧道(明治)が見られた。
さて、石橘花橋を越えると左手に一之瀬川と竜喰川の合流地点になるはずだが。
とんでもないところだった。
眼下のはるか下に流れる川。花魁淵へ向かう林道から川まで絵にかいたような断崖絶壁。
これじゃとてもじゃないが、水を汲むなんて絶対思わない断崖絶壁。
落ちたら死体すら発見できないんじゃないかな。
237:165
12/09/09 21:52:00.85
この石橘花橋は明治の地図には記載されていない。
金鶏寺から石橘花橋までの道すらない。
もちろん。金鶏寺から花魁淵まで抜ける一之瀬川沿いの林道もない。
これは、藤尾経由ではなく一之瀬・二ノ瀬・三ノ瀬への近道として昭和に作ったものだということ。
なぜなら、一之瀬集落で見た橋の欄干と石橘花橋の欄干には、昭和と刻まれていた。
山側(藤尾山)をみると、山を削ったあとが多くみられ落石しているのと、今まで見られた旧道(明治)の登り口らしきものは見つからなかった。
旧道(明治)を山側を削って拡幅したのかと思いたいが、途中、切遠しもあり旧道(明治)を拡幅したとは思えないかった。
このロケーションを見る限り、この道沿いで修二郎が滑落したとは思えないのだ。
一之瀬から花魁淵までの一之瀬川沿いの道の可能性はなくなったとみていい。
そんな思いをしながら花魁淵を目指す。
途中、待避所に路駐が目立ってきた。ハイカーを何人かみたのと、高齢者のグループが待避所でバーベキュー?をしていた。
まぁ密林の中の舗装道路で、車もたまにしか通らず(この道では一台もすれ違わず。)、木しか見えないので(沢ははるか下)、
都会を忘れるにはいいかもしれないが、待避所でやるのはどうかと思う。。
しばらくすると、道は、花魁淵の真横に出る。
左を見ると平成のトンネルがあるので、その直前を左折するとすぐ花魁淵である。
が、通行止め。昨年の11月末に閉鎖され、看板には廃道になったとしっかり書かれていた。
ガードレールから下をみると、石橘花橋からずいぶん下りてきたせいもあり、沢はよく見えた。
と、言っても十数メートルしたである。さっきまでの数十メートル下よりはマシ。
もう旧青梅街道になってしまった昭和の青梅街道は、花魁淵までさらに下がっていくので、
花魁淵の塔婆の横から見た渓谷は、水を汲みに降りられる高さだったと思う。
238:165
12/09/09 22:01:58.01
この先、トンネルを抜けて道の駅たばやままで行く意味がないので、ここでUターンして藤尾橋を目指す。
前回の現地調査で見落としているので注意しながら進むと、ガードレールの切れ間に突然つり橋が現れた。
急停車させ、まじまじ見ると橋の幅も広く、かつては車も通れたといわれるのもわかる。
現在は人だけといわれるが、通る気にならない。怖い。
真の花魁淵としてではなく、つり橋はサビ、踏み板は木製。抜け落ちたらと思うと。。。
今回の調査報告でした。
いつの間にか、行くのか行かないのか解らなくなった現地調査オフかいですが
Aコースの目的地の一つであった現花魁淵が消滅していたのと、歩いて藤尾山一周は無理!との結果報告w
Bコースの的をしぼるコースなら、落合から高橋を抜け、二ノ瀬の折り返しで。
林道が狭いので注意しながら進めば、犬切峠がキツイですが歩けるでしょう。
また、犬切峠は車で移動で、二ノ瀬周辺および高橋周辺の調査にしぼってもいいかもしれませんね。
239:165
12/09/09 22:20:29.74
さて、ひつじさん、日向さん、>>232さん はじめまして。
ひつじさん
毛利元就の動画の紹介ありがとうございました^^
あーいうことを私もやってみたいと思う。。
地位も名誉も金もないので、コソコソするしかないですけどねw
日向さんは、機器にお強いみたいですね。
八重野氏は境内の横をピンポイントで掘ってましたね。
TV番組ですし、出ないからと言っての批判はありませんよ。
数値が高かった理由がなんだったのか、地中レーダーの画像はなんだったのか 実に残念です。
武田オフ会の前の勉強会は、私、風の子さんを含め5人で行いました。
風の子さんが時間の関係上、帰られた後に、983さん、ホッシーさん、109さんと4人で2次会と称してカラオケボックスで
歌も歌わず地図を凝視し、最初は小1時間と言っておきながら3時間近くカラオケボックスにこもっていましたw
また、後日、ホッシーさんと駅地下で偶然お会いして、まぁお茶でもと言いながら3時間近くコーヒー1杯で過ごしていましたw
埋蔵金を追う人たちって共通の趣味なんで、時を忘れますね^^
>>232さんの言っている話は知りません・・・。
むしろ詳しく教えていただきたいぐらいで。
今回私が調査した武田の埋蔵金は、
明治時代に高橋修二郎という男がテント一式を残して谷に滑落死し、そのテントに置いてあったカバンの中から
金の延べ棒と、埋蔵の場所を書いたと思われるメモを残しています。
現在そのメモを元に調査しており、今日の調査は場所の特定としての調査でした。
240:165
12/09/09 22:36:12.38
ここで
国道411号 青梅街道ですが、塩山方面から平成の道がしっかり出来上がっていたのと
今までの道が廃道になっていたので、
あれ?・・・前回行ったときは、大きな橋とか渡らなかったな。ここ1年半で出来上がったのかな?
とにかくwww
新道(平成)、旧道(昭和)、旧旧道(明治)、旧旧旧道(明治以前)となってしまいました。
わかりずらいので
平成の道、昭和の道、明治の道、江戸の道としていきたいと思いますw
241:165
12/09/09 22:40:39.71
平成の道は、走ればわかりますが、天空の道(橋脚)、真新しいトンネル
昭和の道は、緩やかな対面通行可能な舗装道路
明治の道は、馬車道で馬車が通れる道幅(対面不可)と、沢を下流で渡れる道
江戸の道は、人が通れる程度のつずら折の道で、勾配もきつく、沢を上流に向かって上り・越える道
242:風の子
12/09/10 21:24:45.79
165さん お疲れ様でした。大変詳しい報告、次回行く人に大変参考になると思います。
修二郎が埋蔵金の一部を発見したのは明治の末頃ですが、これが埋蔵された時期は江戸時代
以前ではないでしょうか。当時あったのは「江戸の道」と山道ということになります。
ところで、一つ目のほら穴のそばには、山のような大岩があると思われます。
何本か大木もあり、その間をすり抜けて行くと、突然山のような大岩(屏風岩?)が現れる。
山のような大岩がないところは一つ目の埋蔵場所ではないし、その近くの川について下っても
第2、第3のほら穴もないということになると思います。一つ目の埋蔵場所は難しいので、
一つの方法として、第2、第3のほら穴を川に沿って先に探し、その上流方面にある山のような
大岩を探せばその大岩の左側方面に第1のほら穴が発見できる・・ということになりませんか。
ちなみにその川は、花魁淵の現場近くの川、即ち柳沢川と一之瀬川に限定されると思います。
243:風の子
12/09/11 11:27:03.25
>>225 日向徹さん
穴山梅雪関係は調査研究進んでいますか?現地探索は何度か行かれましたか?
何か壁に突き当たっていることなどありませんか。
244:名無しの愉しみ
12/09/12 11:41:40.49
>>239
どうも!えっと165さんでいいのかな?
232の件は>>239で書かれた高橋某氏のことだと思います。
当時かなり衝撃的な記事だったので頭の片隅に残ってました、明治時代ですか、当時は
この話題って大きく報道されたんでしょうか、どうだったんでしょうね。
この手の分野の定番的な話題で発見から今まで多くの人が探した埋蔵金ってことなんですよね。
残された文書の>>にもま○○○○○ある、これって「にも、まだたくさんある」と解釈するのが
普通ですよね。
この埋蔵金はどんな探求されてきたんでしょうか?興味深いですね。
大正時代とかにこっそり発見されてて換金されてたりするかもですね。
245:風の子
12/09/13 14:48:29.90
高橋修二郎の(発見した)埋蔵金を探索する意義はあると思います。
(1)未発掘の可能性も残されている。
(2)仮に発掘済みとしても、ほら穴は存在しその状況を見ることができる。そのことにより
他の山梨県内、長野、富山その他の山中の埋蔵金探索の参考になる。
(3)「山のような大きな岩」、「川」、その他修二郎のメモの不明箇所がほぼ明らかになり
解読が完成し、人目を避ける場所、危険の程度など埋蔵した人の心理を裏読みすることが可能。
それとちょっと本題からはずれますが、現物こそ出ない場合でも、「毛利元就の埋蔵金」よりは
はるかに迫真的な「埋蔵金話」のビデオが撮れることでしょう。「山のような大岩」は、
「屏風岩」または「ついたて岩」状かも知れませんね。現物の大岩をカメラに収めたいものです。
246:日向 徹
12/09/13 17:12:08.38
165さん
>TV番組ですし、出ないからと言っての批判はありませんよ。
出ないからといっての批判は、一切しなかったつもりです。
>数値が高かった理由がなんだったのか、地中レーダーの画像はなんだったのか 実に残念です。
私は、こちらの事を問題としているのです。
入力・文章作りが苦手な為、説明には時間がかかります。
この件は後日、時間を作って説明します。
・・・直接お会いできれば、すぐに説明出来るのですが。
某番組の・・・とは、この番組と関係ありません。
その話は、金属探知機の話で、故意に誤動作させるのです。
もし、山でお会いする機会があればその時に、私の金属探知機で実演します。
247:日向 徹
12/09/13 18:20:30.74
風の子さん
徳川埋蔵金by165のホームページはこれかと・・
URLリンク(tokugawa165.web.fc2.com)
本命は、穴山梅雪でした。
しかし、パートナーが病に倒れ、半身に軽い麻痺が残ってしまい・・・。
単身で、入山も考えましたが、単身のリスクや発見時の保全・運搬等考えますと・・・。
熊は、しっかり対策をしておけばそれほど恐れる事はないと思います。
熊以外の野生動物も、ナメてかかると危険な事も承知しています。。
通常の山道なら、むしろ一人で歩く事を好みます。
しかし過去にある経験をしてからは、山を楽しむ事が目的以外での単独入山は慎重になっています。
もう一人いるのですが、住居が遠く、別の地方の物を、二人で少しづつ進めています。
穴山梅雪は、持論があり、それを実証したいと思っていましたが、今はその時期では無くなりました。
高橋修二郎の(発見した)埋蔵金話には、大きな疑問が有ります。
248:日向 徹
12/09/13 18:32:07.50
畠山さんの本には、『五分ほどのまるさで、長さ七、八寸の山吹色の棒が十本』と書いて有りました。
寸法からして、ざっと一本200万円位でしょうか?
貧しい山村に、推定一本200万円×10=2000万円分の金
『二つの穴にもま○○○○○ある』のメモ
山間の貧しい村なら『村中大騒ぎ間違いなし』と思います。
それにしては、宇沢某の話以外何の伝承も無いようです。
通常、こういった経緯なら、村中総出で探したとかの話が有るはずです。
しかし、そういった記述は、どの本にも載っていないようです。
私には不自然さが感じられました。
249:日向 徹
12/09/13 18:39:55.81
そういった不自然さとは別に、探索はしてみたいと思っています。
この週末に、165さんのグループで探索されるのなら、集合場所等で、一度お会いしてみたいです。
※さまざま有るのでしょうから、とりあえず一緒に探索は、遠慮しておきます。
250:名無しの愉しみ
12/09/13 20:53:34.34
>>245
この高橋某氏の埋蔵金お話は現実感があってわくわくしますね、その頃の地図をベースに探索
するのがいいでしょうね。
>にもま○○○○○ある、この部分はやはり「にも、まだたくさんある」と探索家から解釈されw照るんですか?
251:風の子
12/09/13 21:33:08.06
日向徹さん
ホームページ見ることができました。有難うございます。
梅雪は当分の間ひとりで調べます。まだ持論を固めるところまで行ってません。
252:165
12/09/13 21:36:30.38
どもども
もともと私は赤城埋蔵金を探索していて、ここ最近武田(梅雪)の埋蔵金を薦められ
ちょこっと首を突っ込んでいるのです。なので、武田(梅雪)に関しては、素人です。
なぜ修二郎かというと、比較的近いからですw ただそれだけw
>>250さんのいう「そのころの地図(明治43年測量)コピーではなく本物」すでに手に入れています。
そのころの地図を頼りに上記に書いた探索を行ったのです。
なので、地図にない道とかのお話をしています。
まずは、修二郎のメモの○の部分を埋めたいと思いますが、それは人それぞれの解釈がありますので差し控えます。
実
際にまだ埋蔵金があるのかどうかも、「あるはずない」は胆略的で悪魔の証明とおなじで、
ないことを証明しなければなりませんのでまずはアタックしてみるということですね。
畠山氏の書いたことも検証してみなければ、今となってはわからないのです。
まぁこれは、徳川だろうと武田(梅雪)だろうと、毛利だろうと同じことです。
253:165
12/09/13 22:03:55.46
この連休に一之瀬高橋をみんなと探索してみたかったのですが、ご都合があわないせいか無理みたいですので残念です。
そもそもこのエリアは沢登り・山歩きが多く、容易に発見できるならすでに発見されていることでしょう。
ただ、昔の道と今の道、昔の沢と今の沢が違うかもしれませんので、修二郎が滑落した明治40年ごろをたどる必要があります。
梅雪に行かず修二郎に走っているのも、これが明治40年頃の話であり、明治43年の地図があるからです。
素人ですので、持論はありません。
254:日向 徹
12/09/13 22:08:55.90
埋蔵金>>251
風の子さん
どういたしまして。
機会があれば、高橋修二郎の(発見した)埋蔵金のお話を、お聞かせください。
高橋修二郎の(発見した)埋蔵金に肉迫されていらっしゃるのではないかと思います。
信頼関係が築ければ、梅雪の埋蔵金も含め、現地を踏まれる時にご一緒出来ればと思いますが、
まずは機会が有る時に一度お会いしてからですね。
255:日向 徹
12/09/13 22:24:28.59
>>252
165さん
> まずは、修二郎のメモの○の部分を埋めたいと思いますが、それは人それぞれの解釈がありますので差し控えます。
このような事は、秘密にしておきたいと云った一面も有ります。
過去は、各自自分だけの世界や内輪でやってきたのでしょう。
結果、いまだ出せていないのではないでしょうか?
ここで、立場や考え方の違う複数の人間で議論をして、埋宝に肉迫していく、と云った方法が取れれば、それは今までに無い結果が得られるかもしれません。
良い意味で、意見を戦わせる、しかも本気で、そのような機会をどこかで持てないかなと思ったりしています。
256:165
12/09/13 23:01:29.06
日向さん 了解です。
私が当初書いたものはここにあります。 >>52 ←クリック
まず、「腕の形の木」とすると、どれも腕の形に見え不動のものではないので、石なのではないかということ。
柳沢川(丹波川)で目印とした臼の形の岩は、発見済みです。ただ、花魁淵よりかなり奥多摩湖寄りなので、無視してもいいかもしれません。
腕の形をした石よりは、椀の形をした石のほうがしっくりくるかもしれません。
次に「大本」これを風の子さんは、「大木」の誤植ではないかということでした。
「大本○○○右三本○○○○○○○○」
頂いた資料に「渓谷をまたぐように、等間隔に3つの石が並ぶ。左岸にはその石に連なるように上に向かって3つの石が並ぶ。・・省略・・」
いかがでしょうか?類似しているようには思えないでしょうか?
この二つの地点は、さほど離れていません。
ただ、塩山方面から来たであろう修二郎が、最初に出会うのが3つの石になります。
ここで挫折ですw
257:名無しの愉しみ
12/09/13 23:12:23.64
高橋某氏の事故があったときマスコミはどのような報道がなされたのでしょうか、そして今まで
どのような探索がなされて文書化されてるのでしょうかね?
出てきた金はどうなったのかとか、ご遺族は今どのようにこの出来事を解釈されてるのかとか、知りたくなってきますね。
最新の調査なら結果が出そうな気もしますが。
258:日向 徹
12/09/13 23:16:30.11
>>253
165さん
> この連休に一之瀬高橋をみんなと探索してみたかったのですが、ご都合があわないせいか無理みたいですので残念です。
経験上、全てのメンバーを満足させる事は困難です。
165さんは、行動力がお有りのように思いますので、全員が集まらなくとも、複数回行う事で、結果的に全員が参加出来るようにお考えになれば、いかがでしょうか?
複数回の中に、定期的に休みが取れない方の予定も、組入れれば良いと思います。
・・・そう思っただけで、お聞き流しください。
もしかしたら良い意味で、混成チームとなり、今まで出来なかった事が可能となる可能性が上がると思います。
なぜならば、過去の探索は、単独・身内チーム・独裁者チーム・強烈な個性のぶつかり合いチーム等しか無かったように思います。
混成チームならば、今までに無い、新しい発想や、着目点が出てくるはずです。
165さんの方が、高橋修二郎の(発見した)埋蔵金に関する、知識・資料等お持ちである事は間違いありません。
機会があれば、是非お聞かせください。
また、そのような機会があれば参加希望します。
259:日向 徹
12/09/13 23:24:05.24
>>257
名無しの楽しみさん
> 高橋某氏の事故があったときマスコミはどのような報道がなされたのでしょうか、
その件に関しましては、国会図書館で当時の○○新聞(新聞名は失念しました)を調べられた方の話では、見つけられなかったそうです。
念のため、前後誤差も見込んで調べられたそうです。
260:165
12/09/13 23:25:48.83
修二郎は、柳沢川と竜喰川の合流地点付近の花魁淵で滑落死したと書かれていますが
これは不自然で、竜喰川と合流するのは一之瀬川、柳沢川と合流するのは一之瀬川なのです。
そして、花魁淵があるのは、柳沢川と一之瀬川なのです。
ここに疑問をもち、言い伝えにすぎない「花魁淵」は畠山氏の創作で、
柳沢川を一之瀬川とすると、宇沢某が住んでいた二ノ瀬に近となります。
なので、本命は、一之瀬川と竜喰川の合流地点ではないかと思いました。
「高橋○○○○○○○○○○」の部分は、高橋集落を抜け犬切峠を越え、
一之瀬川と竜喰川の合流地点を目指したものとしています。(当時、現花魁淵~二ノ瀬に抜ける林道はなかった)
しかし、上で書いた頂いた資料(ほっしーさん提供)を読むと、類似した場所があることがわかり、悩んでいます。
一之瀬川と書くところを竜喰川と書き、柳沢川との合流地点(花魁淵)とすると、上の類似した場所に到達できます。
塩山駅から落合~花魁淵を通り過ぎ、当時はなかった奥多摩湖近辺まで行き、埋蔵金をみつけた。
その帰り道、塩山駅に向かうため、花魁淵近辺で滑落死した可能性も浮上してきました。
その辺を丹念に調べたいと思っています。
第2回作戦会議を開催してもいいですが、居酒屋の反省から今度は会議室にしましょうw
居酒屋は2時間ww 会議室は、午前・午後と長時間借りることができますw
カラオケボックスで歌も歌わず怪しまれるよりは集中できるかと思いますw
会議については、前参加者の方々も含め、ご意見を聞きたいところです。
会議室となると休日開催で、東京駅周辺となるでしょう。
261:日向 徹
12/09/13 23:34:55.63
>>256
165さん
貴重な回答ありがとうございます。
すみません、本日はそろそろ電池切れです。
正直私の投稿は、ムラが有ると思います。
しかし、その気が無くなったと判断しないでください。
文章を作ったり、入力したり等、不得意で、時間がかかり、エネルギーの消耗も激しいです。
また、書き込みます。
262:名無しの愉しみ
12/09/13 23:46:53.72
写真館店主なんだから写真機ぐらい持って行かないよね、当時は大型で携行ほぼ不可能みたいな。
マスコミ報道なしなら信憑性が無いような気もしますね、いくらなんでもマスコミがネタにするでしょう。
263:名無しの愉しみ
12/09/13 23:51:30.16
見つけた金はどこにいったんでしょうか、そんな情報も探すべきでしょうね。
本物が出てきたのならご遺族が探索するだろうし、近所見大騒ぎだろうな。
山菜取りに日本人は念供する国民性だから埋蔵金探して山に分け入ることを当時大勢が
やってるはずなんですけどね。
264:名無しの愉しみ
12/09/13 23:52:42.12
警察とかの事故記録はあるんでしょうかね?
265:165
12/09/14 00:04:25.13
ちょっと面白いものを見つけたのでご紹介します。
明治41年芥川龍之介が、この辺を旅したみたいで日記があるそうです。
二十六日 晴
丹波山から落合迄三里の間は殆ど人跡をたった山の中で
人家を素より一軒もない
独りこの道を林の奥の落ち葉を踏みて
凩(木枯らし)の音に耳を澄ましたなら 定めて心地よいことであろう。
こんなことを考えながら落合の荒村を過ぎて
柳澤峠から塩山の町についたのはもう暮方であった。
266:名無しの愉しみ
12/09/14 00:06:51.47
>>257
現在、山梨県立図書館が閉館中で資料を調べられません><
新聞とか郷土史とかで裏を取って警察の記録を見せてくださいお願いします、と行きたいとこですがねw
267:165
12/09/14 00:22:54.24
マスコミは、今のマスコミと全然比較にならないような状態です。
明治の新聞などとググレば、どんな程度だったかわかると思います。
電話なんてなかったでしょう。(東京・横浜開局 明治23年)
上で明治41年の芥川龍之介の日記を紹介しました。
こんなところに警察が駐在していないでしょう。
このような閉鎖された場所で、何かあってもそれがどれだけ外部に伝わるか疑問です。
もし、資料があったとしても第二次世界大戦で甲府は2時間及ぶ大空襲を受けていますから、焼失しているかもしれません。
もちろん甲府市役所、山梨日日新聞社も丸焼けです。(記録あり)
そんな状態の中、事件は起こっています。
268:名無しの愉しみ
12/09/14 00:23:24.43
金塊の行方を調べるために遺族を探したらいいかもな、曾孫の世代かな。
269:名無しの愉しみ
12/09/14 00:29:13.93
まず、高橋某氏が実在なのか調べることが重要でしょうね。弟氏の名前の分かってますし。
写真館店主なら調べやすいのではないでしょうか、必ず当時の写真館とかの資料が出てくるものです。
写真屋なんだから写真は実在してるはずですし。
そもそもこの話って誰が紹介したんですか?
270:名無しの愉しみ
12/09/14 00:32:42.57
絶対に大正や昭和の時代の探索家がご遺族など安否を含めて調べて資料化してると思う。
それがマスコミで書籍化とかなされてないのでしょうかね。
271:165
12/09/14 00:33:33.52
是非 調べてみてください^^
埋蔵金が見つかるかもしれませんよ^^
272:名無しの愉しみ
12/09/14 13:05:55.52
おそらくこの高橋某氏は実在の人物ではないような気がします。
誰もこの人物のご遺族に会ってないでしょう、実在が疑われます。
273:名無しの愉しみ
12/09/14 16:00:59.06
結局この高橋某氏の伝説は高橋宇沢氏の子孫を見つけ出して話を聞いたほうが早い。
高橋氏の弟も実在だったら子孫が生きてるはずなんで、探せそうだと思うけどね。
テレビ番組とかで取り上げられたことも無いのかな?
274:日向 徹
12/09/14 22:50:55.43
すみませんいろいろ書きいのですが、とりあえず。
第38回 [新知識階級クマグス]090814 生島ヒロシ、財宝発掘プロジェクト 渓谷編
URLリンク(v.youku.com)
八重野説(改行は、日本の埋蔵金・上にならいました)
高橋川の出会から上がった処に
椀の形をした大木が○本ある
大本のうち右三本○○○○○○○○
山石が○○○あり穴は大きな岩の
左からみて正面に三つある
木で○○のべ棒○本
棒は大小○本のべ板十枚
のべ板はあとの二つの穴
にもまだたくさんある
右の穴の入口は川につ
いて下って三つ目の○
のほらあなから入る
また時間の有る時に書き込みます。
275:165
12/09/15 09:29:17.30
この番組は初めてみました。
これはどこなんでしょうかね?
謎文の内容は想定の範囲でしたが、
「高橋川の出会から上がった処に」
高橋川の出会いであれば、柳沢川と高橋川の出会いがまずあります。
この出会いはこんなところではありませんでした。
高橋川は落合から高橋まで、簡単に降りられそうな状態でしたので、
高橋川のかなり上流かと思いますので、明日行ってきますwww
276:165
12/09/15 09:58:41.34
これは、一之瀬川だね。
一之瀬川をさかのぼっていて、一之瀬キャンプ場に泊まってるんじゃないかな
時々出てくる地図のE(東)に右から合流してくるのは大常木谷だね。
八重野氏も現花魁淵だと思ってて流石畠山氏に師事しただけのことはある。
でも、書いているところと、探しているところが違うww
277:165
12/09/15 10:53:41.74
やっと見終わった。途中実況してすいませんでした。
番組で出てくる地図に川の左手に林道もあり、川の形状もほとんど同じなので、間違えなく一之瀬川です。
改めて、動画の解説をすると、この先は滝があって進めないといった滝は「マンガの滝」ではないでしょうか。
鹿が死んでいたあたりは「通らず」ですね。通らないほうがいい危険な場所と思われる地点が4か所ほどあるようです。
後半にいろいろなゴミを見つけていますが、現地報告で書いた「高齢者のグループが待避所でバーベキュー」
花魁淵から二ノ瀬へ向かう林道の脇の車を数台止められるスペースでハイカーかキャンパーが捨てたゴミでしょう。
当たり前ですがゴミは持ち帰りましょう。
これでというわけではありませんが、一之瀬川ではないのでは?と気持ちがさらに強くなりました。風の子さんごめんなさい><
番組を紹介していただきありがとうございました。大変参考になりました!
それと、やっぱり川の両岸の崖じゃないんじゃないかな・・・
「川について下って」は、下る=川下りってイメージになるけど、
川に沿って山道(道は無いけど)を下るんじゃないかと思います。
278:風の子
12/09/15 15:27:46.83
>>260 165さん
やっと話に花が咲いてきた頃「はい、お時間です。」でなく、会議室がいいと思います。
室料がいくらなのか気になりますが。黒板があると説明し易く便利ですね。都合がつく限り
参加させて頂きます。
>>258 日向徹さん
次回の打ち合わせ会には是非ご参加下さい。
現地行きですが、全員参加を前提にするとそれぞれの方の都合もあり、実行がしにくくなりますね。
日向さんの提案のように複数回で結果的に全員参加と考えれば実行しやすくなりますね。
>>277 165さん
私の推理する場所をお見通しですね^^ そこをやる場合は何とか万障繰り合わせて
私も参加したい気持ちです。しかしそこを探索するには季節的に難しいと考えます。
山は1時間、谷間は2時間、日暮れが早いです。来年春ですね。その前に165さんや
他の方と意見があった場所を先に調査して下さい。
279:名無しの愉しみ
12/09/15 20:19:53.31
高橋某氏がどんな資料を使って調査したのか分かってるのですか?
280:日向 徹
12/09/15 20:26:47.79
165さん
解説ありがとうございます、さすが良く現地を把握されていますね。
165さん・風の子さん
第2回作戦会議の件、楽しみに待っています、宜しくお願いします。
以下重複しているのもありますが、動画を探してみました。
教科書にのせたい! - 12.08.21 毛利元就の埋蔵金
URLリンク(v.youku.com)
第27回 [新知識階級クマグス]090515 宝探し
URLリンク(v.youku.com)
第29回 [新知識階級クマグス]090529 富士樹海で財宝探し
URLリンク(v.youku.com)
第38回 [新知識階級クマグス]090814 財宝発掘プロジェクト
URLリンク(v.youku.com)
第42回 [新知識階級クマグス]090918 徳川埋蔵金発掘
URLリンク(v.youku.com)
281:165
12/09/15 22:47:47.47
面白く拝見させていただきました。
八重野氏の探究心には脱帽です。
富士の樹海は、オウム真理教をはじめ昔からいろんな人が追ってますね。
樹海系は全くわからないので何とも言えませんが、石塁の近所とか考えづらいですね。
富士山の大噴火等もありますから、武田信玄の時代と地形はだいぶ変わっていると思いました。
徳川埋蔵金は、金井沢金山ですね。
書物やURLリンク(home.f01.itscom.net)で、詳しく紹介されています。流石です八重野さん
282:165
12/09/15 23:23:02.34
さて、徳川の話に戻りたいのですが、赤城本命さんの書き込み待ちなのでw
武田(修二郎)を続けさせていただきます。
武田を追う方に申し訳ないですが、修二郎についてもう一度書き残したメモをここに書きたいと思います。(日本の埋蔵金 上)より
高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川につ
いて下って三つ目の○
のほらあなから入る
283:名無しの愉しみ
12/09/15 23:31:11.48
日本国政府が自衛隊を投入して捜索すべきです!野田総理のご決断を!見つけられれば選挙に勝てます!
284:日向 徹
12/09/15 23:41:28.92
> 徳川埋蔵金は、金井沢金山ですね。
> 書物やURLリンク(home.f01.itscom.net)で、詳しく紹介されています。流石です八重野さん
この話、私はどうも物語として不自然に思います。
URLリンク(home.f01.itscom.net)
>昭和30年代の半ば、私は山仕事仲間のH氏とともに金山の坑道内に入り、徳川幕府の御用金の一部と思われる千両箱16個を発見した。それは、坑道の左奥の深い立て坑の底に置かれていた。
>1個を回収することに成功したが、仲間が誤って穴の底に落ち、どうしても助けることができなかった。
1個回収したなら、一枚10万円としても1億円、20万円なら2億円、いずれにしても一般家庭ではとんでもない金額。
換金したとしても記念に一枚位は残して有るはず。
焼香ついでに遺族の方に、それとなく聞いてみるとか出来たはず。
私なら、仲間が誤って穴の底に落ちれば、どんな事をしてでも助けようとするし、一人では無理ならば、救援を呼びます。
救援費用など、いくらかかっても安いものです、手元には回収した千両箱が有るのですから。
しかも、あと千両箱15個も残っているのです。
>遺体はそのままになっているので、彼の供養を頼みたい。
>そして、残り15個の千両箱を取り出して、世の中の役に立ててほしい。
落ちた時に、お仲間は亡くなられたようですね・・・生きたまま放置したら残酷すぎます。
もし突き落とした(殺人)としても、死人に口無し、当時の事ですから黙っていればばれるはずもありません。
手元にはお宝の1/16しかありません。残り15/16は、捨てておくでしょうか?
供養する気が有れば、後日偶然見つけた事にして、供養出来たはず、費用も千両箱15個残っているので何の心配もいりません。
・・・物語として不自然ではないでしょうか。
285:名無しの愉しみ
12/09/15 23:43:50.32
そもそもなぜ高橋某氏はこの埋蔵金を探そうと思ったのか、どんな資料で探してたのか、そっちのほうが大切な情報と
なるのではないでしょうか、古地図で道なき道を探すことになるでしょうが。
私はこの件の全体像をまったく知りません、何かまとめか参考書などないですかね?
286:日向 徹
12/09/16 00:10:04.94
>>282
165さん
修二郎メモですが・・・。
>椀の形○○○○○○○○○る
>大本○○○右三本○○○○○○○○
大本が大木ではないかと云った説があります(八重野説もそんな感じでしょうか)。
当時の事(ボイスレコーダやデジカメも無く、フィルムも高価だったと思います)です、写し取った、聞き取ったにしても、人為的なミスが入り込んでくるでしょう。
そこで思ったのですが、もしそのようなミスが有るとしたら、木→本よりも、椀→腕の可能性の方が、高くないでしょうか?
このデジタルの時代でも、この掲示板内に、椀・腕のミスがあります。
緻密な考察の、165さんでもミスっています(ごめんなさい)。
256 :165:2012/09/13(木) 23:01
>腕の形をした石よりは、椀の形をした石のほうがしっくりくるかもしれません。
また、現代でも物の形を表す言葉として、『お椀型』と云った表現はしますが、『腕型』と云った表現は聞きません。
もし現地を踏まれる時は、お椀型の何かが無いかと云ったような事も、心の片隅に置いておいても、損は無いのではないでしょうか?
またそのような物を、お知りでしたら、教えていただけませんか。
287:165
12/09/16 00:22:45.25
>>284
確かに話が不自然ですね。
もし、残りの15個を持ち出しているなら、なぜ今頃(当時)このような話を持ち出したのかも疑問です。
仮説として、友達が穴に落ちたが1個持ち出せた。友達の死を教えると残りの15個を他人に見つかるので伏せておいた。
友達の死骸の横で、日数をかけて残りの15個を持ち出した。千両箱は1個10kg程度だが友達の死骸は重いので上げられなかった。
日数は経過したが白骨化していない死骸には触れられず、あんな穴の中で偶然見つけたとは言えないまま時が過ぎた。
老い先短いと知り、八重野氏を埋蔵金で釣り死体を発見させようとした。
持ち出した埋蔵金は遊行費に散在したが、良心の呵責(友達を見捨てた)によりネパールに学校を5校寄贈 冬場にはよくネパールへ(片品村のど田舎で営林で儲けるには無理がありそう)
こんなところですかねw
>>285さん
「日本の埋蔵金」研究所 と検索すれば、まとめはみられますよ。
また、このスレを1から見直せば、概要もつかめてくると思います。
288:165
12/09/16 00:27:10.37
いやいや
私は、椀(わん)だと思っています。ミスではありません。
風の子さんは、腕(腕)だとしています。
腕は、著書の誤植だとおもって直したやつを上に書いてますね。
著書のは「腕の形○○○○○○○○○る」です。
289:165
12/09/16 00:51:56.26
紹介していただいた八重野氏の動画に
高橋川の出会から上がった処に
腕(うで)の形をした大木が○本ある
大本のうち右三本○○○○○○○○
山石が○○○あり穴は大きな岩の
左からみて正面に三つある
とありました。
植林が進んでいるせいか、犬切峠も杉ばかりでした。その杉の中に1本あればわかるでしょうが、八重野氏は○本と書いています。
「腕(うで)の形をした木」だと、どれも同じように見えて目印にはならないのでは?と思うのです。
たしかに大木であれば目印にはなると思います。
腕(うで)が椀(わん)の誤植だとして「椀(わん)の形をした木」はまず考えられませんので、「椀(わん)の形をした石」としています。
さらに石であれば、不動のものですし、目印になるかと思います。
ですが、「高橋○○○○○○○○○○に」の文章に時点で、山にいるのか川にいるのか不明です。
椀(わん)の形をした石なんて、よっぽど大きくない限り山でも川でも見様によってはいくらでもある物なので困ってますw
290:165
12/09/16 01:29:15.76
皆さんも推理してみてください。
八重野氏の「穴は大きな岩の左からみて正面に三つある」
いまみなさんパソコンの画面をみていますよね?
パソコンのモニタが進行方向で、道をふさぐようにモニタがあれば、右側から見ても正面(モニタの向こう側)が見えるはずです。
ちょっと窮屈ですが、進行方向にモニタがあり、モニタの右側が壁に埋まってたとします。
モニタの左側は通過できることになりますから、進行方向に進めば左から見なくてもモニタの向こう側は見えるはずです。
では、モニタが壁に埋め込まれていたらどうでしょう?
左側に壁とモニタの隙間があるかもしれません。右側には隙間がないのです。
なので、大きな岩は左右どちらかの崖に埋まってて、左からみ た岩の裏側にあ る
ということにならないでしょうか?
291:名無しの愉しみ
12/09/16 10:33:59.32
怪しい探検隊w
292:赤城本命
12/09/16 14:39:44.36
165さん
最近凄いノビですね。
前は3年で100スレ位だったのに?
293:165
12/09/16 22:03:18.04
お 赤城本命さん
徳川より武田が優勢だねぇ すっかり感化されてしまってますよ。
誰も見つけてない徳川より、100年前だけど見つけた人がいるといわれる武田のほうが現実味はあるw
埋蔵金自体は、幕末と戦国時代で400年ぐらい徳川のほうが新しいんだけどねw
修二郎の謎文も第三者って感じ(武田、畠山氏以外)で、客観性もありとっつきやすいのかも。
徳川は、畠山氏か水野氏のどちらかですもん。
まぁ行き詰った徳川より、一から発見がある武田は面白いけど
見つけやすさは、徳川でしょうね。
294:名無しの愉しみ
12/09/16 23:36:11.79
出てきた金塊はどうなったのかと。
295:風の子
12/09/17 11:43:57.29
165さん
ある程度まで推理したらやはり現地調査しかないと思います。
2,3か所狙いをつけて探し、その結果を反省する。
来年中には修二郎関係に一応の決着をつけ、来年の反省会(忘年会)には
翌年の活動方針(徳川中心か、山梨中心か、結城か)などを話し合う。
165さんはもともと徳川だから徳川になっちゃうかな^^
296:165
12/09/17 16:55:05.92
ホームページに武田の埋蔵金(修二郎)の現地レポートをアップしました。
URLリンク(tokugawa165.web.fc2.com)
無料のホームページサイトを使用しているせいか、画像の飲み込みが悪いです。
画像に「×」が出ている場合は、再度読み込みさせてみてください。
297:風の子
12/09/17 21:40:49.18
165さん お疲れ様でした。ホームページ見せて貰いました。
画像もきれいに撮れてます。二度行かれた感じで少し絞り込みが進みましたか。
武田オフ会の日にちと曜日に入力ミスがあるようです。
一点だけ私と見解が異なるところがあります。「明治には花魁淵に通じる道は無かった
はず」のところですが、地図上の正規の道は無くても一之瀬川の崖上には人一人が通れる
くらいの山道が必ずあったと想像しています。昔金堀りが盛んだった地域で、川の右岸にも
左岸にも人が通れる道がないはずがないと思います。特に右岸は上流に一之瀬、二之瀬集落
があり、犬切峠を通らず青梅街道に至る裏道(山道)があったと思います。あくまでも想像
ですが・・
298:165
12/09/18 00:29:08.28
まぁまぁとにかく現地調査ですよ。
村の古老に聞けば、林道のある程度の話は聞けるでしょう。
一之瀬・二ノ瀬~落合までの往復ならキツイでしょうが沢に入るより手軽かと思います。
ある程度山の上にあがるなら、それなりの装備が必要かと思われます。
バイクなら気軽ですが、車でも駐車しながら確認していけば楽しいかと思います。
このスレを見た方で、興味がある方は一度訪れてみてはいかがですか?
山の冬は早いです。今の時期を逃すと来年ですね。
299:名無しの愉しみ
12/09/18 12:55:51.15
宇沢の子孫を探し出せよ。
300:名無しの愉しみ
12/09/19 18:16:24.87 n64t36ow
軍資金の保管については超一流な日本
URLリンク(music.geocities.jp)
フランスに膨大な埋蔵金を置いたのが、徳川幕府だった。
301:日向 徹
12/09/19 23:36:35.49
>>287
165さん
> >>284
> 確かに話が不自然ですね。
> もし、残りの15個を持ち出しているなら、なぜ今頃(当時)このような話を持ち出したのかも疑問です。
> 仮説として、友達が穴に落ちたが1個持ち出せた。友達の死を教えると残りの15個を他人に見つかるので伏せておいた。
> 友達の死骸の横で、日数をかけて残りの15個を持ち出した。千両箱は1個10kg程度だが友達の死骸は重いので上げられなかった。
> 日数は経過したが白骨化していない死骸には触れられず、あんな穴の中で偶然見つけたとは言えないまま時が過ぎた。
> 老い先短いと知り、八重野氏を埋蔵金で釣り死体を発見させようとした。
> 持ち出した埋蔵金は遊行費に散在したが、良心の呵責(友達を見捨てた)によりネパールに学校を5校寄贈 冬場にはよくネパールへ(片品村のど田舎で営林で儲けるには無理がありそう)
>
> こんなところですかねw
そうすると遺骨が有るはずです、また当時の林業は、今と違って儲かる仕事でした。
以下参考まで
URLリンク(wwwcms.pref.fukushima.jp)
(知事発言概要)の少し下
昔、地方では、山を持っている方が一番のお金持ちでしたが、今山を持っている方は、経済的に厳しくなっていると思います。
302:日向 徹
12/09/19 23:47:16.98
>>288
165さん
> いやいや
> 私は、椀(わん)だと思っています。ミスではありません。
> 風の子さんは、腕(腕)だとしています。
>
> 腕は、著書の誤植だとおもって直したやつを上に書いてますね。
> 著書のは「腕の形○○○○○○○○○る」です。
了解しました。
私も、お椀型かと考えました。
しかし、どの本を見ても、ウデと書いて有るのですよ・・・。
日本の埋蔵金 上(初版)
日本の埋蔵金 上(新装初版)
日本の埋蔵金100話(第一版)
埋蔵金を発見した(初版)
この件は、また書きます。
303:日向 徹
12/09/20 00:48:57.73
>>296
165さん貴重な現地レポートありがとうございます。
304:日向 徹
12/09/20 01:51:59.02
>>297
風の子さん
>犬切峠を通らず青梅街道に至る裏道(山道)があったと思います。
私も有ったと思います。
一之瀬集落は、金山衆の末裔の集落と思われますので、多少険しくとも、そちら方向へ用が有れば近道した事でしょう。
305:風の子
12/09/20 17:41:14.53
腕(うで)と書いてありますが、椀(わん)の誤植、あるいは畠山さんの原稿書き違いの可能性もあります。
「腕(うで)の形の木」か、「椀(わん)の形の岩(石)」かどちらかだと思います。椀(わん)の場合は、
「椀(わん)をかぶせた形」となっていないので上向きなんでしょうかね。
山道から道なき道に入る所のポイントとなる目印ですが、もしかしたらその山道の道路拡幅工事や100年
の間の大風などで目印が失われている可能性もありますね。
306:165
12/09/20 20:20:13.16
一之瀬川沿いに道があったのか否か?
ここで道はあったということにして、その道の定義を定めてみたいと思います。
<林道の位置>
①現在の林道ができる前になんらかの道があり、その道を拡幅するという形で現在の林道になっている。
②現在の林道は昭和に何にもないところに作られた道で、昔の道はもっと一之瀬川沿いにあった。
③現在の林道は昭和に何にもないところに作られた道で、昔の道はもっと藤尾山の上にあった。
307:風の子
12/09/20 21:36:50.88
>>306
①が妥当ではないでしょうか。拡幅工事もやり易いと思います。
②は峡谷の深さと斜面の急角度から可能性は低いと思います。
③も可能性は薄いように思いますが、歩いたことがないので分かりません。一度だけ
サワラ窪を少しだけ上ったことがありますがこれと交差する山道の存在には気が
つきませんでした。もっと藤尾山の上の方ならある可能性は高いと思いますが
荒れていると思います。単独だったので熊が怖いのですぐ引き返しました。
308:日向 徹
12/09/20 23:29:35.64
>>306
同じく①が妥当です。
まず①の線で拡幅を進めていき、うまく拡幅出来ないところは、現地に合わせルート変更します。
なぜなら、
分かりやすく説明する為に、スタートとゴールが同じ標高だとします。
急峻な地形の山を巻く場合、どうやって進路を、決めるかと云うと、出来るだけ等高線に沿ったルートを設定します。
なだらかなら、出来るだけ直線的に抜ける方法もありますが、一之瀬川沿いで、そういった事をしようとすると、激しい上り下りになってしまい、危険で疲れる道になってしまいます。
↓急峻な所に道をつける例。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
スタートとゴールの標高が違う場合は、出来るだけ、一定の割合で登る(下る)ように道をつけます。
拡幅するとしても、効率的な道路を作ろうとすると、無用な登り下りは避けたいので、自然と同じラインになります。
急峻な地形であれば、あるほど、ラインは一つに決まって行きます。
未踏の山に道をつけた経験あります、と言うか何度も往復していれば、自然に道になります、勿論必要な所はロープを張ったり工事もしましたが。
歩く場合、多少無理をしても、相当距離を稼げる場合は、急な登り下りの有るルートを設定する場合があります。
もし自動車が通れるように拡幅する場合、そういった事は出来ませんので、出来るだけ傾斜が緩くなるような別なルートで拡幅します。
309:日向 徹
12/09/20 23:54:42.33
>>305
風の子さん
いったんウデの形を否定しておきながらなのですが・・・。
自然に生えている山の木は、曲がっている物が多くて、目標にならないと云った意見も有りますが、自分自身が、山中で一つの目標にしていた木がまさにウデの形でした。
まれに、カクンと直角以上に曲がっている木もあります。
嘘みたいな話ですが、話しても今一歩信じてもらえなくて、画像を撮った記憶がありますので、探しておきます。
完全にクランクしているような木も、ドッグレッグのような木も見た事があります。
基本的に、落石や地滑り等で、折れてしまったのですが、非常に強い生命力が有り枯れなかった木です。
急峻で、斜面に大きな石が有るところで、見つける事が出来ると思います。
310:165
12/09/21 00:24:39.91
ふむ
明治時代は青梅街道が、柳沢川の南側を通っていたということは、以前にお話ししました。
いろいろな旧道を歩くサイトでも確認することができます。
明治時代の青梅街道に出るには、藤尾橋付近をわたらなければなりませんでした。
風の子さんにお渡しした地図のコピーでもご確認できると思います。
ということは、一之瀬川沿いの急斜面を危険を冒してまで歩く必要がないのです。
二ノ瀬から明治時代の青梅街道まで、2ルート確認できています。
その1つで、一之瀬川を行くルートをご紹介すると
手元の資料を見ると、二ノ瀬から藤尾山に登り、尾根伝いではありませんが、谷を山側に避けるように
牛首ノタル~牛首谷~椹谷(じんたに?)~大窪と抜けて、藤尾橋まで約3~400m近辺に出てきています。
そして藤尾から青梅街道にでたものと思われます。
一之瀬川との標高差は、約150mほどです。川との距離にして約300m
これが、風の子さんや日向さんが言っている一之瀬川沿いの道だと思われます。
もう1つのルートは、藤尾山の西面に出て尾根をつたい、藤尾橋のたもとに出てきます。
このルートは、風の子さんにお渡しした地図のコピーでも確認でき、作戦会議のさいに「境界の類地は小径(小道)ではないのか?」と
言っていた話が、調べるとやはりそうみたいです。
311:165
12/09/21 00:44:45.47
正直、一之瀬川沿いの林道が、古い道を拡幅して通してない。新しく作った道だ!とは言い切れません。
ですが、林道の現状で特にあの岩盤への切り通しは、切り通すより避けたほうが手っ取り早いと思います。
林道沿いの谷を観察しましたが、避けられる傾斜ではありませんでした。
ということは、もっと上に道があったのではないかということで調べた結果、上記のようなルートが発見できました。
もっと上のルートを「もっと上のルート」としましょう。
上で「書きもれ」ましたが、川にいちばん近いと思われる場所で、距離で約300m
一之瀬川と大常木谷との合流地点で、距離で約600m
一之瀬川と竜喰川との合流地点で、距離で約800m
一之瀬川と柳沢川との合流地点(花魁淵)で距離で約500m 道のと落差約250mです。
もう、滑落しようがないと思います。また滑落死体を発見するのは困難だと思います。
312:165
12/09/21 01:05:08.46
この話は、あくまでも二ノ瀬から青梅街道への近道があったというところからスタートしています。
確かに二ノ瀬から藤尾橋(藤尾じゃないよ)近辺までの近道はあったみたいです。
ですが、一之瀬川まで水を汲みに行く距離と傾斜ではありませんでした。
もちろんこの道は、まだ歩いていません。資料によると歩くには技術的難易度の高い「道らしきもの」みたいです。
この道がすべてだとは言い切れません。現在の林道の下に小道があったかもしれません。
このへんは、各自の推理にお任せして、情報だけをお伝えすることとします。
そうそう 花魁淵の近所に岩があるらしいのですが、ご存じ方いますかね?
目立つみたいなんですが。
それと、一之瀬川の反対側の岩岳に鉱山跡があるみたいなんですが、詳しい資料等がないのです。
ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。
資料じゃなくて地図を掘るのが大好きで、地図だけじゃダメなのはわかっているんですが、ついついあてにしちゃうんですよね。
で、また地図ばっかり増えちゃうw
でも、地図って、誰かが確実に調べた結果ですから、文章や言い伝えより正確だと思うんですよね。
さて、お宝はどこなんでしょうか?
まぁ畠山さんの発表から何十年もたっていますから、このへんのことは誰かが調べたんだと思います。
でも、目星をつけないと歩き回るだけなので、目星をしぼっていきたいと思います。
313:165
12/09/21 01:20:17.55
あ 寝る前に
もっと上のルートで紹介した牛首谷とかは、あの辺(黒川鶏冠山とか)に多いらしくて
お目当てのがネットでの検索には引っ掛かりません。
引っ掛かるかもしれませんが、相当苦労して探さないと難しいかもしれません。
「そんなこと言って本当はガセネタなんじゃない?」って思わないでくださいね。
しかし、八重野さんでも知らなかったのかな? 調べればわかると思うんですが・・・。
やっぱりテレビ番組の演出ですかね?
八重野さんより先に見つけちゃうぞw
314:165
12/09/21 22:47:13.11
さて、季節も迫ってきました。1年間修二郎に突っ込んでしまいました。ここで、まとめて整理し、1年を締めくくりたいと思います。
高橋修二郎が発見した埋蔵金(畠山氏の日本の埋蔵金から)
明治40年ごろ、現在の山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋付近にある柳澤川と龍喰川の合流する花魁淵の近所で、
東京都中央区日本橋小伝馬町でアサバ写真館を営む『高橋修二郎」の滑落死体を二ノ瀬に住む『宇沢某』がある秋の朝発見した。
発見時の状況は、部落の連中以外にはめったに足を踏み入れない場所に雨除けマントの帽子の部分だけが引きちぎられて、
立木の下枝にひっかかっているのを発見し不審に思った。
その場所から小半町(約50m)ほど離れた場所に焚き木をした跡と、鍋や缶詰を発見した。
さらに4~5間(約9m)のところに小さな天幕(テント)を発見し見てみると、雨の降ったおとといのに置かれていると思われた。
4~5間(約9m)もどり、鍋のふたを取って中を見ると雨水がたまっていたので、おとといから放置されていると確信した。
そこで宇沢某は「ひょっとしたら谷川へ水でもくみに行って、淵に転落したのではないかと考え、谷川のおり口まで行ってみると、
宇沢某の想像どおり最初にみかけた帽子のマントの部分と思える黒い布が崖の途中の木の根にひっかかっていた。
宇沢某が谷川へ降りてみると、転落する時に頭をぶつけたものとみえて、中年男(高橋修二郎)の見るも無残な屍体が横たわっていた。
宇沢は身元を探すため屍体(高橋修二郎)のふところをあらめてみたが、これといって手がかりがなかったので、天幕(テント)まで引き返してみた。
テントの中に革製の大きなカバンがひとつ置いてあるのを発見し中を見たところ、長さ7~8寸(21cm~24cm)の金塊を10本見つけた。
315:165
12/09/21 22:47:48.03
何者かが埋めるか、隠して置いた埋蔵金でも発見したかと思い、一緒にあった帳面にヒントが隠されているのではないかと思った。
帳面を調べたところ、ひどく雨にたたかれたせいか、文字が部分部分消えている謎文をみつけた。
高橋○○○○○○○○○○に
腕の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川につ
いて下って三つ目の○の
ほらあなから入る
と書かれていた。
316:165
12/09/21 23:06:16.13
<現時点でわかっていること>
①明治40年代の青梅街道は現在の国道411号ではなく、柳沢川を挟んで南側にあった。
②現在の花魁淵で合流する川は、柳沢川と龍喰川ではなく、柳沢川と一之瀬川である。
③現在の花魁淵の以外に、藤尾橋近辺が真の花魁淵ではないかと言われている。
④明治44年測量、昭和5年修正のこの辺の地図には、一之瀬川沿いに林道が記載されていない。
⑤昭和32年に作られた小河内ダムのおかげで奥多摩湖が出現、柳沢川・一之瀬川等の水位の上昇も考えられる。
⑥一之瀬集落の人々は、元黒川鶏冠山金山で働く金山衆(鉱山夫)であり、黒川鶏冠山の金鉱が衰退するともに現在の場所に移り住んだといわれている。
<青梅街道>
明治11年 柳沢越えの青梅街道開通 落合集落出現
昭和27年 甲府・青梅線(「青梅街道」現国道411号)改修工事 柳沢~落合間部分開通
昭和33年 主要地方道 甲府青梅線全線開通
昭和57年 国道411号線に編入
317:165
12/09/21 23:15:09.03
<高橋修二郎>
①東京都中央区日本橋小伝馬町でアサバ写真館を営んでいた。
②滑落死する年の9月に2度山に入った。
③滑落死にあう入山の前に四谷に住む実弟の憲三郎に
「今度はいよよ俺も幸運に恵まれているぞ。十中八九、いや九分九厘まで間違えなしというところを、おれはこの前行った時、探し当てているのだから、一緒に行かないか」と誘っている。
④憲三郎が行くのを断ると「目が覚めるようなお土産をもって帰るよ」と言い残している。
<宇沢某>
①二ノ瀬部落に住む住人。年齢不詳
②東京市(現東京都)が水源確保のため市有林で盗伐して炭焼きをして生計を立てていた。
318:165
12/09/21 23:51:19.76
165考査(埋蔵金発見まで)
①高橋修二郎、宇沢某は、畠山氏が著書をしたためるにあたり、迷惑がかからないよう偽名を使っているのではないか。
②高橋修二郎の滑落した場所が大きなポイントであり、そこがある程度特定できれば行動範囲がわかり、発見につながる。
③謎文が解明できれば、滑落場所を特定しなくても埋蔵場所にたどり着くころができる。
④高橋修二郎は9月に2度入山し、秋に発見していることから、なんらかのヒントを持っていたと思われる。
⑤埋蔵金伝説だけを聞き自力で探したならば、9月~秋までの2~3か月という短期間で自分用のヒントを帳面に書く必要はないと思うので、謎文自体がヒントであった可能性が高い。
⑥謎文を他から入手したヒントだとすると、埋蔵時期はかなり昔(武田時代約450年前 明治から約350年前)になる可能性が高く、木は不動のものではないので目印は不動のものしてあると思われる。
まぁ簡単に書くとこんな感じですかね?
どこを掘ったらいいかわからない徳川埋蔵金より地域が限定されており、しっかりとした資料も数多く残されており非常に楽ですw
発見が明治ということなので、約130年ほど掘っても出てこない徳川埋蔵金より、約100年に発見されたということで現実があります。
しっかりとした資料が数多くあるっていうのは、こんなに楽で楽しいのかと感じた修二郎の埋蔵金でした。
はっきり言いますが、滑落場所、埋蔵場所の特定はできていません。
まさに机上の空論では見つけられないので、現地調査が一番だと思います。
現地調査をしてみて絞り込んでいくという作業の繰り返しになると思いますが、徳川埋蔵金に戻らなくてはいけないとも思っています。
とにかく、持論を現地調査で確認したいので、10月の連休がラストチャンスとなるでしょうから、連休に向けて作戦会議および現地調査を実施していきたいと思います。
319:名無しの愉しみ
12/09/22 01:00:00.74
しっかりとした資料とはどんなものですか?
当地出身の古い方たちもこの事件に心当たりがないようですが。
畠山さんの情報以外にも記録が有るんでしょうかね。
320:165
12/09/22 16:53:09.85
しっかりとした資料とは、埋蔵金関連にかかわらず
古地図、郷土史、歴史書、埋蔵金探索以外で現地を訪れた方書いた本やサイト、小判の重さや発行枚数の資料などです。
もちろん自分の足で見に行くというのは、最大の資料となります。
これらの資料で歴史的背景、交通、地形などで、そこに埋蔵することは可能だったのか?ヒントはあるのか?
など地道に調査し、埋蔵金があるなら「ある」を証明し、ないなら「ない」を証明しなければ、いつまでたっても想像で終わりです。
埋蔵金に興味があるけど現地まで遠いとか、何をどうやって調べればいいのかわからない方。
練習として、まず、自分が住んでいる場所が、昔はなんだったのか?を調べてみてはいかがですか?
これは意外と楽しいのと、家やマンションを買う時に必ず気を付けなければいけません。
よく建売住宅で田んぼの上ならまだしも、昔の川の上や沼の上なんてのはザラで、市街化でわからないだけで元は谷底だったりするのを多く見ます。
地震の際に内陸部なのに液状化した土地なんて買う前に調べればすぐわかるのに、あとで文句を言っています。
近所の学校が墓場や湿地帯の上にあるなんてのも多いですね。
もちろん市役所等にいけば、何十年も先の都市計画図もありますから、家を買ったがいいが数年後に片側2車線の道路が家の横にできた!なんてことも防げます。
これは、失敗を防止するのと、今のうち安くて良いところを買っておくなんてのにも利用できますね。
都市伝説じゃありませんが、不思議な古い言い伝えやお宝の話があるかもしれませんよ。
321:日向 徹
12/09/22 17:42:51.72
>>318
165さん
作戦会議および現地調査、参加希望です、お手数ですが、宜しくお願いします。
10月の連休は、7(土)・8(日)ですので、会議の日程は、9月29日(土)・30(日)あたりになりますか?
作戦会議の場所は、都内(山手線~多摩地区)・埼玉(武蔵野線・東上線)あたりなら助かりますが、都合の付く限りどこへでも行きます。
322:名無しの愉しみ
12/09/22 19:53:46.19
オフ参加したいなぁ。。。
もしよろしければ、十月六日から山梨県立博物館の企画展で
「黄金の国々―甲斐の金山と越後・佐渡の金銀山」ってのやってるから、
オプションで現地オフの前か後に見に行くプランも検討してくらさい。
・・・ひとりでも見に行くけど。
URLリンク(www.museum.pref.yamanashi.jp)
323:319
12/09/22 19:59:19.04
>>320
事件のことは畠山さんの本が唯一みたいですね。
近場に住んでいるので度々行くのですが、別の場所のことを
書いたのではと思います。 もっとも、土石流などで地形が
変ったのかも知れません。
324:風の子
12/09/22 20:36:08.13
作戦会議の機が熟してきたようですね。私も参加希望です。
できるだけ多くの方が集まれるといいですね。
325:165
12/09/22 20:56:18.94
おお? 参加希望者多いなw
322さん はじめまして
企画展で、窪八幡神社別当上之坊普賢寺住持の王代記の現物を展示するのか!! すごい!
オプションか。。ふむ それもいいね
319さんはじめまして
はい。そのとおりです。
畠山さんの本にしか修二郎の話が書いてありません。
というか、どの埋蔵金関連の本もそうですが、畠山さんの本が基本となっています。
異説が出てきていないのが実態です。
また、地域の資料にも出てきていませんね。明治40年の大水害によるものかどうかも不明です。
ですが、畠山氏は現地を訪れたみたいですよ。
326:165
12/09/22 21:20:57.74
会議にあたっての問題点があります。
輝け第1回修二郎の埋蔵金探索作戦会議は、東京駅の近所の某居酒屋で行われましたが
2時間制限等で飲み放題もろくすっぽ飲まず時間切れとなり、顔見世程度で終わっています。
2次会としてカラオケ屋で歌も歌わず怪しまれながら2時間ほどいましたが、キツかったです。
で、貸会議室との話が出ていますが、東京駅の近所の貸会議室は、1時間6000円強となっています。
6人集まったとして、1時間おひとり1000円の負担です。
で、前回の教訓として、とても2~3時間では終わらないと思います。
そう考えると、貸会議室代だけでもおひとり4~5千円のご負担になります。
そのほか、交通費、飲み物代等を各自でご負担していただくと、7~8千円となるでしょう。
埋蔵金を見つけた時の出世払いは固くお断りしますので、みなさんサイフの中身と相談してくださいw
で、現地調査なんですが、問題点はまず足です。
JR中央線にのれば塩山駅までこれますが、塩山駅から一之瀬までの足ですね。
165はバイクしかないのと二人乗りに不慣れなのでお迎えには行けません。
それと、例えば一之瀬に朝9時集合としても、電車の始発に乗っても来られない方がいます。
となると、1泊2日となります。宿泊は、一之瀬の「民宿しゃくなげ」と心に決めています。
10月なら6日もしくは7日に民宿しゃくなげに集合し宿泊。翌朝から探索開始で日暮れで終了です。
また、多少の山歩き程度なら問題はないと思いますが、山登り、沢登りは難しいと思います。
探索ポイントは作戦会議で絞り込みたいと思います。
327:165
12/09/22 21:31:27.30
それと、探索方法ですね。どこまで本格的にやるかです。
金属探知機は、千葉の海岸でサーファーの冷たい目線に耐えながら金属を探している方に持ってきていただきたいと熱望しますw
例えば、崖の中腹にいいポイントがあったとして、そこをどう探索するかも問題です。
見て歩く程度であれば問題はなさそうです。
みなさまからのご意見をお願いします。
そうそう
オプションであれば、現地入りする日は寝るだけですから、山梨県立博物館の企画展を見るのもいいですね。
一之瀬には日暮れまでに到着したいです。
328:ひつじ
12/09/23 08:24:47.48
ここ30日はいっぱいですが、29日は空きあるみたいですよ。
URLリンク(chuo7kuminkan.com)
329:名無しの愉しみ
12/09/23 16:20:37.90
10月5日の夜間から6日中でしたら車出せますよ。
車が小さいので4人が限度ですが。
八王子で良いですか。 JRか京王が使えますね。
165さんへ連絡しましょうか?
330:165
12/09/23 17:50:54.19
ひつじさん 初めましてかな?
公共施設を借りることも検討していますが、どこも駅から遠いのです。
中央区のの図書館等も検討していますが、ここも遠い。まぁタクシーならワンメーターかな。
貸会議室等については、高くてもいい、遠くてもいいなど幅広い意見がほしいです。
329さん初めまして?
八王子ってことは、第1回参加者の109さんかな?
お車の手配の志願ありがとうございます。
いまんところの参加希望者は、
ほっしーさん、983さん、日向さん、風の子さんかな? 329さんが109さんなら109さんも
331:329
12/09/23 20:44:04.56
>>330
初めまして。
埋蔵金の方は参加できないのですが足だけは提供できますよ。
八王子からでなくて青梅とかでも大丈夫です。
捨てメルアドでもお知らせ下さい。
332:日向 徹
12/09/23 21:35:08.97
埋蔵金>>327
165さん
> 金属探知機は、千葉の海岸でサーファーの冷たい目線に耐えながら金属を探している方に持ってきていただきたいと熱望しますw
大古品ですが、私のも持って行くつもりです。
その他折りたたみスコップ・バールも持って行くつもりです。
必要そうでしたら、金テコ・大ハンマー等もありますが、とても重いので必要な場合のみ持って行きます。
> 例えば、崖の中腹にいいポイントがあったとして、そこをどう探索するかも問題です。
危険管理の問題は、リーダーの決断に従います。
私に判断をゆだねて頂ければ、私が試しにアタックしてみます(無理そうなら止めます)。
※専門分野のみ、誰かに判断を任せるのも、立派なリーダーの決断です。
> みなさまからのご意見をお願いします。
ワンメーター位なら歩きますし、帰りは方向が合えば、相乗りも出来ますので安上がりの方が助かります。
333:ひつじ
12/09/24 00:13:00.38
ご参考まで。
東京地下鉄(株) 有楽町線新富町駅
東京都中央区築地1丁目1?1 南東 へ 340 m 歩4分
03-3545-9513 () ? · tokyometro.jp
.
都営浅草線 宝町駅
日本 北 へ 259 m 歩3分
03-3535-7606 () ?
カテゴリ: 地下鉄
.
東京地下鉄(株) 有楽町線銀座一丁目駅
東京都中央区銀座1丁目7? 北西 へ 366 m 歩4分
03-3567-6846 () ? · tokyometro.jp
334:165
12/09/24 00:53:32.54
八丁堀区民館の9月30日(日)なら9時~17時まで空いてる。
一応参加者は未定だが、おさえておくかね?
983さんが現地&会議に来れないとメールが来た。
そうすると、165、ホッシーさん、風の子さん、日向さん
ひつじさんと319さんは?329さんは?どうするのかな?
他の人は?
あまり集まらないようなら、時期を1か月ずらすことも検討します。
ご回答はお早めに
335:日向 徹
12/09/24 01:43:57.93
>>334
もし、総勢四名でしたら、『現地下見ツアー』に変更しませんか?
9月30日(日)なら、四人乗れる車借りれそうです。
集合場所は、東京都府中市役所前(南武線・武蔵野線の府中本町又は京王線の府中駅)
集合時間は、いちばん遠い方に合わせます。
食事は、民宿しゃくなげで、ざる蕎麦+てんぷら+小鉢 1,000円
装備は、テーブル+椅子4脚+クーラーボックス(お茶)
後席は、居眠り可、ただし全席禁煙
乗車中は、当方の指示に従って頂ける方
会費は、2000円でいかがでしょうか?
費用は、昼食代1000+2000=3000円+府中までの交通費で、悪くはないと思いますよ。
また、どなたか同じようなプランで、企画していただけるのでしたら、喜んで参加したいと思います。
336:日向 徹
12/09/24 01:53:56.34
>>334
> あまり集まらないようなら、時期を1か月ずらすことも検討します。
ずらすと、紅葉の時期にかぶってしまいます。
『丹波山渓谷の続く国道411は紅葉期間中の土日祝日、大変混雑することが多い。』ようです。
URLリンク(www.tachikawaonline.jp)
探索には、移動したり、途中で車を置いたり、は付き物で、その時期には・・・。
337:日向 徹
12/09/24 02:21:50.07
>>335
あと、ゆで卵×4とカセットコンロも持って行きます。
個人的に行く時は、昼食は『サッポロ一番+おにぎり』が多いですね・・・安上がり(笑)。
汗をかいた時は、ゆで卵に少し多めに塩をかけて食べるとうまいですし、ラーメンの具にしたり出来ます。
>>335は、一例として、投稿しましたが、165さんはリーダーとして、この程度の概略を、ポンと決めて頂いて良いと思うのですが・・・。
>>335は、一例として、投稿しましたが、勿論実行可能です。
338:日向 徹
12/09/24 02:33:20.99
一ノ瀬高原と「民宿しゃくなげ」「しゃくなげキャンプ場」を個人的に応援するサイトです。
URLリンク(potapotakan.com)
339:日向 徹
12/09/24 09:50:46.74
埋蔵金>>335
この企画、165さん、風の子さんと三名なら、ぶっつけ本番でも不安は少ないのですが、全くやり取りの無い方とは、前もって顔合わせ等しないと不安です。
(165さん・風の子さんとは、掲示板上ではありますがお付き合いが有り、大丈夫と思ったからです)
このままでは、延期・延期で実行できなくなってしまうかと思い、出しゃばり過ぎたかも知れません。
いずれにせよ、ここでは新参者ですので、決定は165さんにお任せします。
340:日向 徹
12/09/24 10:08:53.36
>>339
この企画とは、>>335に書いた私の企画で、165さん(【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】
)の企画に、一個人として参加させて頂く事には、特に不安はありません。
現地(一之瀬)へは、自力で直行可能ですが、もし余裕が有れば、割り勘+αをお支払いし乗せてもらうえれば、とも思っています。
341:165
12/09/24 22:42:10.74
現地調査にはいろいろ検討しなくてはならない事柄がおおいので、9月30日は作戦会議にします。
①探索ポイント(ルート)の検証 ②現地入りの問題 ③雨天の時にどうするか などなど
作戦会議の要望として、探索ポイントや埋蔵金の有無に関して持論や資料がある方の発表をお願いします。
だらだらとお話しで終わるのもアレなんで、次第を作りましたのでそれに沿って行うのと、1時間ごとに休憩をはさみます。
話だけ聞きたい方大歓迎 年齢・性別問いません。
どなたでも参加できますが、会場の都合もあるので一定数集まりましたら締め切らせていただきます。
開催場所は東京都中央区です。送迎はしませんので自力で来てください。
詳しいご案内はメールをいただければ返信します。
会議開始は午前10時~を予定しています。
すでに第1回作戦会議のほか個別会議も2回行っている経験から、とても2時間じゃ終わりませんので昼食をはさむ予定です。
会場は17時まで抑えてありますが、意見集約後、適当な時間で切り上げたいと思っています。
<メールを送るときの注意点>
①2chでの名前(誰が誰だかわからない)
②本名(苗字だけで結構です)
③携帯電話番号(待ち合わせ等に使用)
tokugawa165@hotmail.co.jp
↑のメアドですが、過去に私がココに書いたメアドと同じですのでご確認ください。
また、メールを送信しましたら、2chに書き込んでいただけると確認しやすいです。
342:風の子
12/09/25 10:10:34.93
165さん
メール送信しました。作戦会議参加希望です。
343:ホッシー
12/09/25 10:56:24.70
165さん。
第2回作戦会議参加いたします。
よろしくです。
344:165
12/09/25 12:30:57.61
ホッシーさん書き込めるようになったんですかw
昨日渡したのがすべてですが、改めてメールで送ります。
メールに案内状をPDFで送ります。
風の子さん 持論の発表を期待しています。
345:日向 徹
12/09/25 15:33:55.54
165さん
メール送信しました。作戦会議参加希望です。
346:165
12/09/25 22:58:03.72
日向さん 明日メール返信します。
まだまだ募集中です おきがるに
347:109
12/09/26 07:02:46.27
ご無沙汰してます 109です。
前回はありがとうございました。
ちょいお仕事忙しくて遠ざかっていました。
9/30、参加させていただけたらと思います。
165さん、後ほどメール送りますね。
348:ひつじ
12/09/26 12:27:09.39
165さん
メール送信しました。
349:165
12/09/26 15:03:58.15
109さん お久しぶりです。
第1回作戦会議以降、姿を見せないので滑落したのかと思ってましたよw
ひつじさん 返信しておきました。ご確認ください。
まだまだ 参加枠がありますので、みなさんお気軽にお申し込みください。
350:165
12/09/27 09:10:34.32
今のところの参加者は
165、風の子さん、ホッシーさん、日向さん、109さん、ひつじさん
あともう1名来るかもなので、合計7名です。
351:165
12/09/27 20:03:01.21
もう、参加者は頭打ちかな?
もともと少ないから、これぐらいかな
109さんが遅れてくるとのことです。
352:名無しの愉しみ
12/09/28 19:17:31.54
東京在住者がいたら高橋写真館を探す専従者を決めたらいいのでは?
353:165
12/09/28 21:35:41.11
>>352さん
まぁ明治の話だから、関東大震災、東京大空襲がありましたから。。。
また、アサバ・高橋は書物の中に登場する名前ですので、住所等を含め調査するのは大変です。
ちなみに明治35年の小伝馬町の商工会の記録だけですが、写真館はありません。
例えば、352さん自身の両親の明治のご先祖様がどこに住んでいたか、何を生業にしていたかを調べてみてください。
自分のご先祖様でも調べるとなると結構むずかしいですよ。
おじーちゃんぐらいまでは簡単ですが、ひいおじーちゃん、ひいひいおじーちゃんとなるとww
ぜひ、アサバ写真館の調査をしていただき、情報をください。
354:名無しの愉しみ
12/09/28 23:57:33.11
明治時代だけど、写真屋だったら写真類が残ってる可能性もあるよ、創作話でないなら資料を探しまくるのがいいだろうね。
埋蔵金現地調査よりよっぽど結果で易いと思う。
>明治35年の小伝馬町の商工会の記録だけですが、写真館はありません。
非常に気になるね、商売始める前って解釈も成り立つけど。
現地調査の方々は怪我しないように!現地調査報告待ってるよ。
355:日向 徹
12/09/29 00:26:59.89
>>353
> ちなみに明治35年の小伝馬町の商工会の記録だけですが、写真館はありません。
さすが165さん良く調べていらっしゃいますね。
その件は、私が核心に迫れるかも知れません。
あくまでも『かも知れません』ですが、当たっていれば・・・。
現在私は、牛金淵と埼玉側の同じような伝説(埼玉側は雄雌二頭)を調べたりもしています。
その過程で、黒川金山は、思いのほか早くから衰退していた事が分かりました。
しかし、埼玉側では、盛況時は『武田の千かまど』『千軒屋敷』などと言われる金山が開発されていたようです。
金の牛は、埼玉側の方が二頭で勝ちですが、金山は黒川千軒とどちらが規模が大きかったのでしょうか(笑)??
いずれにせよ、埼玉側で産出した金を、本拠地へ向かう途中の良く地理が分かっていて、その時は衰退してしまっている土地に、金をプールしておく事は合理的だと思いました。
356:日向 徹
12/09/29 00:48:18.53
黒川金山
URLリンク(ja.wikipedia.org)
上記より『甲州金を流通させた武田氏の経営した金山と考えられてきたが、近年は直接経営は行われていなかったと推測されている。』
とすると、黒川金山衆が出向いて行った先で産出した金を、本拠地近くに隠したとも思われ、これも話の筋が通ります。
上記より『1571年(元亀2年)の武田家朱印状によれば、黒川金山衆は武田氏による北条綱成の守る駿河国深沢城攻めに動員されており、この時の功績により人足普請や棟別役の免除など諸役免除の特権を得ている。』
すでにこのころには、黒川金山の最盛期を過ぎてしまっており、そのような事情からも、(専門外の)戦に行かなくてはいけなかったのでは、と推測しています。
357:名無しの愉しみ
12/09/29 03:00:10.68
>>354
この人の本は固有名詞が変えられていることが多いのですよ。
だから、書いてあるままでないからと言ってウソと断定できないところが
つらいんです。
358:165
12/09/29 09:27:07.10
>>354
明治35年の小伝馬町の商工会録ですが、国会図書館のホームページでも閲覧できます。
わたしもホッシーさんに教えてもらったんだけどね。
仮説として
①明治35年には開業していなかった。
②明治35年の記録には時期的に(36年開業とか)載っていないだけ。
③写真館がないので、ほかの仕事だった(写真館は創作)かもしれない。(高橋姓の金物屋等3件あり)
④高橋姓、写真館は創作で、全く違うかもしれない。
まぁようは調べようがないのです。
>明治時代だけど、写真屋だったら写真類が残ってる可能性もあるよ
と、言われるだろうと思って、中央区の記録写真(風景写真等)を片っ端から調べても
「アサバ写真館、高橋写真館」の撮った写真はありませんでした。
すでに調査済みなのですよ。 ふふふ。
かといって、全くのウソだったとも言えず、高橋姓・写真館は創作(今でいう個人情報保護のため偽名等を使った)だった可能性もあるので
立ち往生しております。
359:165
12/09/29 10:28:25.48
ちなみに 修二郎が発見した埋蔵金は、平八郎長者の埋蔵金だといわれていますので、
そこに登場する青梅の河西家を青梅市の「宗門人別帳」で調べました。
宗門人別帳とは、なんぞや?という方もいらっしゃるかと思うのでwikiからの転写で。
宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)は、江戸時代の日本で宗門改(宗門人別改)によって作成された民衆調査のための台帳。
本来の目的は、信仰宗教を調べることであったが、現在で言う戸籍原簿や租税台帳の側面も持つ。宗旨人別改帳や宗門改帳とも呼ばれる。
そう、現在のように戸籍が整っていなかった時代の戸籍と同じなのです。
当時は、これに載っていないと犯罪者扱い(捕まった時にかなりひどい目にあう)されていましたので、居住者はウソ偽りなく載っています。
キリシタンを信仰していた人まで載っているのでガチな資料です。
なので、毎年作成してあります。
文化三年(1806年)~明治四年(1871年)の全戸を調べましたさ あー調べたねw 65年分ねww
結果はありませんでした。ただし、当時は青梅も広大なので、現在の他の市町村ではそれらしい人を見つけました。
結果は予測していました。
苗字を武家以外でつかえるようになったのは、明治からですもん。
でも、百姓(現在では差別用語ですが歴史を伝えるためそのままw)にも苗字がある人がいましたね。その村の名主かなにかでしょうか?
百姓代(百姓の代表)、組頭(町会長)、年寄(同相談役)も苗字はありません。
そんな世の中だったんですね。