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明治11年(1878年)
6月 柳沢越えの青梅街道開通 落合集落出現 戸数7 一ノ瀬高橋の経済的地位向上
明治22年(1889)
皇室御料地(世伝御料地(林)に編入 23年、「草木払下規則」施行 御料地の荒廃は進行した。
戸数80 戸数の極端な増加は、「青梅街道」開設と「山稼」・「焼畑耕作」の盛大化の相関関係による
一ノ瀬高梁地区の経済的地位の向上によるものである。
明治40年(1907)
8月21日夜半からの豪雨により山梨県一帯に大水害起こる。
柳沢峠を挟んで道路は全滅し落合で4戸流出1名死亡、耕地は壊滅し、交通断絶のため住民は餓死に瀕して
馬を殺して食料としている。と救助を求めた一ノ瀬高橋地区区長雨宮武十郎は語っている。
泉水谷府有林における22日から一週間の雨量は994.7mmに達した。
大正2年(1913)
一ノ瀬高橋地区の無立木地2,000町歩強の植林を開始 15年完了
大正7年5月21日より水神社祭始まる。
昭和27年(1952)
甲府・青梅線(「青梅街道」 現、国道411号)改修工事 柳沢~落合間部分開通