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敬天愛人シリーズ 西郷隆盛の人となり 其の九
≪ 後輩の命を救った西郷さん ≫
出水郷の郷士、高橋仲兵衛の明治4年1月7、8日の日記に
「七日、晴天、今日夜、池田何某、昨日より帰営無之候事」
「八日、晴天、今日夜、池田氏坂下御門へ差越候に付、直に帰営之上へ被致切腹候事」
とあり、薩摩隊では“郷士”は帰隊時刻に遅れれば、明朝、
新撰組ばりに問答無用で切腹、と厳しく処置されていたことがわかります。
さて西郷さんの後輩の“城下士”はどのように処置されていたのでしょうか。
明治6年、城下士で近衛陸軍大尉であった辺見十郎太は、
夜宿舎を抜け出し新宿の妓楼で遊んでいた間に皇城が火事になり、
辺見は同僚から「腹を切れ」と迫られたが近衛都督西郷隆盛は
「是れ年少、男子の免れざる所、宜し其罪を恕すべし」
と切腹はおろか不問に付しています。
先の郷士も西郷さんと知り合いであれば助けて貰えたんでしょうかね・・・