14/08/31 15:26:04.07 4PhF8dTi0
上の表の石高はあくまで上限である。
西郷ととりまき達はほとんど小姓組である。この表では底辺家格のようにも見えるが、
一部の上級藩士を別とすれば、普通の家格であり、西郷家は47石取りであったようだ。
47石というのは下級武士の石高としては悪いものではない。
それはともかく、明治2年の薩摩藩政大改革では一門一所持を除き、一律上限200石以下とされ、
郷士は上限50石に半減された。
この改革で損をしないのは西郷が出た小姓組だけである。
上級家格が減らされるのは分かるが、郷士もが、もともと少ないうえにさらに半減とはどういうことだろう。
ようは上と下を減らして浮いた分を、城下士で分け合うというのがこの改革の実態とも言えるのだ。
戊申戦争で西郷ら城下士とともに戦った郷士たちは、
論功行賞や地位上昇に期待するところがあっただけに、西郷への失望は大きかったと思われる。
なにしろ新政府からの賞典録(軍功録)は、西郷ら以外の一般の城下士にも4石~8石支給されるのに、
同様に戦った郷士に対するそれはゼロだったのである。