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■西郷隆盛に関する典型的な勘違い例■その4
< 西郷隆盛は薩摩人ばかりを重用する芋づる人事を行った > 前篇
“薩摩の芋づる”という言葉があるように、薩摩人は同郷人同士かばい合い、
引き立てあうという気質を強く持っています。
西郷隆盛も例外ではなく、自分の周りを薩摩人で固め、彼らに軍や政府の要職を与えました。
とはいえ、命をかけて戦場に立った者も多く、彼らの貢献には相応の見返りがあって然るべきであり、
これを責められるものではありません。
責められるべきは、薩摩人の中での芋づる人事にありました。
じつは薩摩人の中で出世ができたのは、西郷の息がかかった城下士出身者にほとんど限定されており、
身分の低い郷士や、あるいは城下士より身分の高かった門閥出身者などは露骨に差別され、
出世の道は閉ざされていたのが実態でした。
例えば御親兵の内情について串木野郷士、野元健介の覚書が残されている。
「 鹿児島隊のうちでも城下士と郷士とは仲が悪くて、ことごとにいがみ合っていた。
その原因は城下士が郷出身者を軽蔑し、また一向昇進させてくれないからでした。
・・・・当時城下士組の圧制は甚だしいもので、郷出身者は出来のよい者でもなかなか昇進させません。
・・・・城下士組は出来の悪い者でも引き上げて隊長としたもので・・・・ 」 とある。