西郷隆盛【思い切ってやりなさい。責任は私がとる】at HISTORY2
西郷隆盛【思い切ってやりなさい。責任は私がとる】 - 暇つぶし2ch346:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/24 01:41:28.70 XH/N+TSD0
>>342
『右大腿より左骨部貫通銃創』まずこの部分が疑問なのよね。
唯一遺体の検分者と出所がはっきりしている山縣有朋の電報、これに記されてるのは西郷は
『銃弾 若しくは バヨネットで斃れた』
これのみだわ、傷の場所も記されてない。これは国立公文書館に電報が保存されてるしネットでも閲覧できる確実な資料だね。
これからハッキリしている事は西郷の致命傷が銃撃かバヨネット状の刀剣のいずれかと言う事。
んでこれは二通りの解釈が出来るわけ。
『銃創と刀創がそれぞれあり、どちらかが致命傷になった』か『銃創か刀創か区別出来ない致命傷が一つあった』のいずれか。
当時の銃剣はスパイク状の物が多いから、射入孔については銃弾かバヨネットかパッと見は判らないかもしれない。
だがココで注目したいのは>>342にある『右大腿より左骨部貫通銃創』、つまり右足から始まり左の骨を貫通してるっていう傷。
銃創の特徴として貫通銃創の場合『射入孔より射出孔の損傷の方が大きくなる傾向がある』って事、まして右脚から侵入し左の骨を貫通してるって事はバヨネットでは有り得ない。
そこそこ至近距離で発射された弾か、もし貫通時に弾丸が運動量を失ってたとしても左側の骨を貫通する時に体内で横弾になっちまう。
どちらにしても射出孔の損傷は射入孔に比べてかなり大きいわな。
山縣だってそれなりに戦の経験はあったし周囲にも実戦経験豊富な人たちが同席している。右から左に貫通っていうこれだけの傷をバヨネットなどの刀傷と見間違うなんてないわ。
だから山縣有朋の電文から推測できる事は
『銃創とバヨネット(スパイク状or細身の刀剣)の刀創がそれぞれあった、そしてどちらかが致命傷になった』
と考えるのが合理的。
そうなると脚部の貫通銃創の事しか書いてない検死検案書と称する資料って、実際に検死した人が書いたものなの?って疑問が出て来るわけよ。

どちらにしても東大図書館に保管されてるらしい、西郷の検死報告書が世間に出れば出所や作成者も含めて明確になるわけだけどね。
研究者にとっちゃ垂涎の一級資料となるよ、なんせ西郷の実際に遺体を見た人による検死報告書なんて今まで未出だし。


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