14/08/18 16:55:06.17 6HhvgZKH0
>>165
>福澤の著作を読んだ西郷は「目が覚めた」と手紙に書き
だから、どこに「(福澤への)手紙を書いた」と書いてあるんだ???????
西郷から福澤への書簡なら、福澤家か慶大が第一級資料として保存している
どうして、そんな重大な資料がないんだ??????
そんな手紙はないから、出しようがないなwwwwwwwww
お前が「西郷と福澤は手紙で交流していた」と最初に断言したんだから
まずその歴史的資料である「西郷と福澤の手紙」を示す証明義務がある
逃げるんじゃねーよ、ウソつきチョンめwwww
福澤と西郷が全く交流がない事は、丁丑公論の
「余は西郷氏に一面識の交もなく、またその人を庇護せんと欲するにも非ずと
いへども、特に数日の労を費して一冊子を記しこれを丁丑公論と名づけたるは、
人のために私するに非ず、一国の公平を保護せんがためなり」という記述で
福澤によって明言されている
ちなみに、慶大が言ってるのはこれだな「称賛して止まず、少年子弟に勧めた」
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
西洋事情』は岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、
伊藤博文など朝廷や薩長の指導者層にも、広く読まれた。特に
西郷は諭吉の著書に多大の影響を受け、『文明論の概略』を
「その識見、議論の卓絶せるのを賞賛してやま」ず、少年子弟
に勧めた。また西南戦争前に東京に滞在していたおりには、鹿
児島の子弟に諭吉の塾に入るよう勧め、西郷自身が保証人となっ
た慶應義塾入門者も2名いる。