14/08/16 15:17:43.03 Bg9jaheP0
上のような西郷の傲慢な物言いは生来のものらしく、
前藩主島津斉彬が西郷を御庭方に取り立てようとした際、
斉彬の側近たちは西郷の人間としての評判が悪すぎるとしてみな反対した。
「城下では、西郷のことを粗暴で郡方での人間関係も良くないと誹謗する者が多いと聞いた。
しかし役に立つ者は必ず俗人に誹謗されるものである。」
と斉彬は側近たちに言い、西郷を抜擢したそうだ。(鹿児島県史料、斉彬公史料)
この斉彬発言が事実なのか知らないが、西郷の人間関係が悪かったのは事実であろう。
親友の海江田信義ですら西郷を評して「奢り高ぶっているわけではないが、簡単に人には屈しない性格」
と評している。言い換えれば「奢り高ぶってる奴」と見られることが多かったということであろう。
あるいは斉彬や海江田には、西郷が持つ、士卒を動かすカリスマ性が見えていたのだろうか。
ちなみに西郷伝説では、西郷は郡方(年貢の徴収などする役所)の小役人時代に
農村の窮乏を見かね藩に建白書を提出。藩主島津斉彬がそれを読み感心。御庭方に抜擢された。
となる。
しかしその建白書は残っておらず、それどころか、
建白書を出した話し自体が後世の創作ではないかと見られている。