西郷隆盛【思い切ってやりなさい。責任は私がとる】at HISTORY2
西郷隆盛【思い切ってやりなさい。責任は私がとる】 - 暇つぶし2ch1:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 08:37:58.80 oAPDygEfi
以下、テンプレ

Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。

A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。

「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」

重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。

当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。

この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)

2:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 08:39:24.61 oAPDygEfi
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。

市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。

「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
 性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
 いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
 西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
 ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
 議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
 そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」

3:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 16:22:14.25 JpPEF/sz0
西郷が死ぬまで続いた奄美の砂糖地獄  大島商社と西郷隆盛
URLリンク(www.synapse.ne.jp)

確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために粉骨砕身した偶像であり鑑である
かもしれない。しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの象徴であったにすぎ
ないのではないのか。それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を踏みにじった薩摩士族の大親分としか
映ってこないのだ。

西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、薩摩へあてた手紙では道之島
の人々のことを「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を薩摩で教育する際、奄美出身者
ということを他言するなと厳しく禁じた。島に残された母アイカナは非業の死をとげ
る。これは西郷という人間像の一コマではあるが、実は次に述べる彼の政策論とも
表裏一体をなしているとしか思えない。

旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、彼は、禄支給廃止
にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、桂久武に命じて不法な独占
「大島商社」を維新後に設立させたのである。これによって薩摩は再び収奪をほしい
ままにすることができ、奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する五十五人の嘆願団が上鹿したが、
いきなり全員投獄。老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の西郷軍に強制出陣
させられた。うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。許されて島へ帰還する途中、
二人を除いて全員遭難し、結局生存者はわずかに二十四人であった。(前田長英著
『黒糖騒動記』参照)

西郷という人物は薩摩城下士族(私学校党)の行く末しか案じていなかったようで、
その支配下にあった藩内の土民(農民)、さらに下層のリキジン(奄美、琉球人)
からいかにして収奪して自己保身するかに専心していたのである。彼の諸政策に
うかがわれる基本的な理念は、「征韓論」や後の「大東亜共栄圏」などにも通じて
おり、弱者を無視し切り捨てる右翼国家主義そのものである。

4:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 16:29:23.53 JpPEF/sz0
人吉や宮崎で幼児虐殺や住民虐殺を行ったり、
  西郷札発行で戦後も後遺症を残した非道極まる西郷軍

URLリンク(www.eurexcert.com)
薩摩の残虐行為は、田原坂の戦いで知られる西南戦争でも頻発し、人吉で赤ん坊を
含む家族全員の首を、わずかの食料が欲しいために切ったなどのエピソードがある。
URLリンク(sabasaba13.exblog.jp)
この人吉根拠地の期間中、薩摩軍はこの地域に苛烈な軍政を布き、政府軍と
内通した容疑をかけられた住民が捕縛され、証拠も詮議も不十分なまま私刑同然に
処刑する残虐が加えられているそうです
URLリンク(lagattina.exblog.jp)
・薩摩軍が人吉に後退すると、人吉隊は新たに兵を募り、二番隊を編成しますが、人吉
にはすでに薩軍劣勢が伝わっていたことから、募兵に応じる者が少なかったそうです。
このため薩摩軍は、募兵に応じない者は首を刎ねると脅し、半ば強制的に徴兵。人吉の
攻防では、多くの犠牲を出しました。
・継承殿は、人吉隊の宿舎となりました。門前には断首台を設けられ、募兵に応じ
ない者を処刑し、その首を晒したと伝えられています。
・薩摩軍の砲弾は、政府軍の本営まで届かず、琢磨川を挟んでの攻防は官軍の圧勝
で終わり、薩摩軍は、町に火を放って人吉から退却。町は、戦闘と放火により、
灰燼に帰しました。
URLリンク(www.marino.ne.jp)
明治10年の西南の役当時、軍費に窮した西郷軍は佐土原の通称ひょうたん島にて
「西郷札」を印刷して難局を乗り切ろうとした。日本最初の軍票である。だが実際に
使えたのは薩摩軍の影響力のある地域だけで、しかも薩摩軍の敗北とともに布切れと
化した。政府の補償はなく大量の西郷札を抱えて没落する商家が多かった。
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
「西南戦争外史」 飯干憶著 みやざき文庫
西南戦争といえば、田原坂の激戦や熊本攻城戦が想起されるが、西郷軍が人吉に後退
して以降、あまり知られていないが宮崎県各地が戦場となった。「この戦いの全期間を
通じ、直接戦場となった場所と期間は、熊本よりも鹿児島よりも、宮崎(日向)が一番
長く、戦いの熾烈さも熊本、鹿児島の比ではなかった」という指摘は極めて正確である。
このため日向の人々は、多数の戦死者を出し、家を焼かれ、さらには西郷札の発行に
より終戦後まで経済は混乱を来たした。著者によれば、宮崎県の悲劇は、遡れば西南戦争
の前年に鹿児島県に併合されていたことが大きかった。このため宮崎各地で若者が西郷軍
に徴発され、反対派は捕えられて処刑・投獄されることになったというのである。

5:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 18:06:40.36 qfUO7pN60
西郷隆盛はシナ人に人気があるらしいな。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 18:33:09.28 JpPEF/sz0
>>5
中国人が好きな東洋風大人で、維新後も奄美で苛烈な搾取を続け
「庶民の暮らしなんか全く考えない」冷酷な性格が中国でウケるんだな

始皇帝や毛沢東も庶民の事なんか全く考えずに、苛烈な搾取をやって
大勢の人民を殺した。中国では苛烈な搾取をやって人民に力を見せつけるのが
「強い立派なリーダー」の第一条件で、リーダーたるものが下々の暮らしなんか
考えていたら、人民にナメられてしまう。

日本人が考える「名君」「立派な指導者」とは正反対

7:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 20:51:59.97 mwaxH7VZ0
言うだけ虚しいネガキャンだなw

8:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 21:34:55.55 f7R4QtyGO
西郷アンチ、本当に西郷が好きで好きでたまらないのがよくわかった
テンプレまで作ってスレ立てして、西郷について語りたくて語りたくて我慢できない
なのに「アンチスレ」にはしない、西郷へのツンデレ愛がダダ漏れ
そして新スレが立つのを待ちかねたようにせっせと使い古しの信憑性の低いソースコピペ、愛が無いとできないねこれは

9:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 21:58:01.38 eZljo6aq0
チョン州はん

10:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 22:11:51.08 JpPEF/sz0
>>8
大蔵省通達を無視して大島商社を作らせ黒糖専売「砂糖地獄」を続け、
自身が2度も世話になった大島農民に旧藩以上の過酷な搾取をやった
鬼畜ブタ西郷を擁護する気持ちが判らない

今だに麻原彰晃を信じ続けるオウム信者そっくりだな
ああ、キモイ
鹿児島って、今でもオウム信者ばかりなのか?
だから何も産業がない後進県なのか?ww

11:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 22:25:06.78 f7R4QtyGO
>>10
もういいって、お前が奄美の人達なんかどうでもいいのはバレてる
鬼畜ブタと言いながら、西郷のことが片時も頭から離れないんだろ?
西郷に何年も執着してるお前、既に麻原以上にキモイストーカーだから

12:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 22:33:24.95 J8LZ7JA6i
前スレのような不毛な中傷、自演は自制願います

遵守いただけない場合、該当者をアク禁申請いたします

よろしくお願いします

13:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 22:45:11.59 JpPEF/sz0
>>11
私学校と西郷軍が、狂信・侵略・自爆・敗残・残虐行為・・と転落していく姿は、
80年後の帝国陸海軍にそっくりだから、
西郷軍や昭和20年代の帝国陸海軍に対する憧れと
今だに決別できない亡国のバカはキモいんだよ

URLリンク(www.synapse.ne.jp)
西郷という人物は薩摩城下士族(私学校党)の行く末しか案じていなかったようで、
その支配下にあった藩内の土民(農民)、さらに下層のリキジン(奄美、琉球人)
からいかにして収奪して自己保身するかに専心していたのである。彼の諸政策に
うかがわれる基本的な理念は、「征韓論」や後の「大東亜共栄圏」などにも通じて
おり、弱者を無視し切り捨てる右翼国家主義そのものである。

14:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 22:50:46.92 JpPEF/sz0
>13
誤:昭和20年代
正:昭和10年代

15:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/11 23:09:06.80 f7R4QtyGO
>>12
>>13>>14は無視して間違いまでして繰り返してるから、アク禁申請宜しく

16:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:42:14.05 44qREV2Q0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》

明治10年9月24日、鹿児島市城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。

しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。

・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
19日、政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。

西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を拒否され、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。

17:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:48:05.04 44qREV2Q0
西郷さんの最期
エピソード3≪ 創られた西郷自決 ≫

ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に跪坐。厳然と襟を正し、東の皇居の方角に深々と頭を下げ、
別府晋介に首を刎ねさせたいう話し、出典はご存知ですか?

西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけではないし、誰それの証言であるなどのソースの提示も無し。
貴重な文献ではあるが、資料として細心の留意が必要な代物です。
基本的に、右翼主義者による西郷隆盛礼賛ありきのプロパガンダ本であり、
西郷のイメージに傷が付きそうな史実がばっさり省略されていたりするのも特徴です。

だいたいかねてから、銃弾飛び交う切迫した戦場で、前述のような芝居がかった自決が可能なのか
という見方はありました。また、重傷を負い駕籠で運ばれていた別府晋介がこのときばかり
駕籠を降り起ち上がり、肥満した西郷の首を一刀両断できるは不自然ではないかという見方も。

じつは東大図書館に西郷遺体の検死報告書が保存されているのですがそこにはこう記録されています。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
腹部に刀創はありませんので、切腹はしていない。
また、銃弾が骨を貫通していることから(当時の銃の性能を考慮すると)至近距離から被弾した可能性が高い。
「頭(頸)体離断」は首を切断されていたということです。

つまり、太腿を至近距離から銃撃されたあと、
介錯のためか、頭部を隠すためか、首を切断されたということです。

18:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:49:14.65 44qREV2Q0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》

西南の役の最後の日、城山で西郷は足を撃たれたあと自決したとされていますが、
その西郷の足を撃ったのは、じつは西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?

政府軍に助命を拒否された西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕を主張する桐野がこれを発見、激怒して西郷を追いかけ銃撃したという。

思わず「ホントかよ?」となりますが、しかしこの、桐野による西郷銃撃は、
目撃者の証言があるのです。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:50:01.32 44qREV2Q0
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫

桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。

城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)

城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体のプロパガンダ本よりよほど信憑性があります。

ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は”城川”なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。

また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
 だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。

20:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:51:18.29 44qREV2Q0
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫

ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入佐俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。

さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
 昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
 何事か話しをしていた。
 城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
 ”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
 ”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。 

21:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:54:53.30 44qREV2Q0
西南戦争の最後の日、桐野が、官軍に降ろうとして

城山を下る西郷を撃ったという話があります。

「久留米藩難事件から新撰組まで」という松本茂(海鳥社刊・福岡)さんが

書いた本に在ったんですが、これは司馬さんは「翔ぶが如く」で否定しています。

この話を残した城川という郷士は、城川という姓が

鹿児島に無いという事で否定したようです。

へーとおもって、鹿児島の電話帳を繰ると城川姓はあるじゃありませんか。

司馬さんは何故単純な調査ミスをしたのでしょうか。

22:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:55:36.81 44qREV2Q0
松本さんは史家で、奥さんが鹿児島の人で、その実家に行った際、

古い手紙の中に城川さんからの手紙を見つけ、

桐野の西郷射殺説を信じたようです。

城川さんと一緒に輿を担いでいた相棒(小杉恒吉衛門氏のことか)も同じ事を残しています。

西南戦争の後、鹿児島では神と崇められ、批判が許されなかった時代に

二人はこの話を生涯語ったといいますから、これは真相だと思いますね。

私も桐野を始め40人も居たという諸兵が、西郷自刃を見取らず、

別府晋介一人が残って介錯したなどおかしいと思います。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 20:57:40.61 44qREV2Q0
一説に拠ると、西郷自刃を円座を組んで見取ったという話もありますが、

このとき、別府晋介は負傷していて歩けず、輿に担がれていた身で、

介錯できたのか、元気な桐野や村田が何故、代わって介錯しなかったのか。

40人もいて、何故、西郷の遺体を捨て置いたのか、おかしい事だらけです。

桐野や別府など幹部の西郷に対する不信は以前からあって、

最後に爆発したというのが真相ではないでしょうか。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 21:14:55.52 /xSG3D3FO
>>12
>>16->>23の悪質コピペ連投荒らしのアク禁申請宜しく
過去スレと全く同じコピペを繰り返し連投してるから、過去スレも合わせて報告すれば悪質性がより判明する

25:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 22:07:02.77 V2EMCrek0
>>24
卑劣な西郷信者は、自分に都合悪い話題に「アク禁申請宜しく」しか言えなくなった
麻原彰晃を信奉するオウム信者みたいだな

桐野と西郷は、西南戦争が始まってより確執が深く
西郷を政府軍に渡さまいとする桐野が、西郷を撃っても何の不思議もない
世間に流布されている「別府晋助による介錯説」より、よほど信憑性が高い

26:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 22:27:45.60 /xSG3D3FO
>>12
>>25の卑劣な反省なき悪質コピペレス泥棒の荒らしを、アク禁申請宜しく
これだけ警告されても続行している件も合わせて報告宜しく

27:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:04:08.58 44qREV2Q0
毎日新聞連載中の「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は当時わざわざ一日分を費やして
「別府晋介の従僕に城川なる者はいなかった」として桐野射殺説を否定されたが、
「葛城彦一伝」に”別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門”と明記され、
墓碑まであるのだからこれは当然司馬氏の勇み足だろう。

「跳ぶが如く」の連載が終わって、歴史家萩原延寿氏との対談(朝日紙)の中で、
「当時の桐野の心境を考えると西郷を撃つという事も状況としてあり得る。」
と述べて、司馬さんもその後の考えを変えておられるようである。

28:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:05:07.05 44qREV2Q0
城川市二さんの孫嫁さん(当時73歳)の健在を聞いて、
国道10号線沿いの城川さんのお宅に行き、話をお伺いした。

「お祖父さんは83歳で亡くなられるまで、私たち夫婦がずうっと面倒を見てきました。
お祖父さんは鹿児島の町の黒岩どんから養子に来られた方で、口数の少ない
きびしい人で亡くなられるまで、西南の役の戦さのことはほとんど話されませんでした。
(城川翁が頑なに口をつぐんでおられた様子が窺われる。)

従軍仲間の小杉恒吉衛門さんなどがお見えになると、来たか、上がれ上がれと喜んで
奥の座敷で焼酎を飲みながら、昔話をいろいろ語っておられました。

29:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:06:23.70 44qREV2Q0
昭和の3、4年ごろ確か東大の先生だったと思いますが、二、三度春になりますと
お見えになり、お祖父さんは羽織はかまに威儀を正して、ふすまを閉めきって
私共を近づけずに、朝から遅くまで何事か話をしておられました。

ここ城川の家は代々、鍋製造が稼業で職人が20人ぐらいおりましたので、
三時の茶入れの時なぞはいろんな噂話がはずむものでしたが、そんなとき
お祖父さんが現れて、今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか
と詰問されて、相手は眼を白黒させて、いや、ただ人から聞いた話でございもすと言うと、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリと言って
引っ込んで行かれるもんで、ヒャッとするもんでござした 」

と語られたが、城川翁がいかに実話を重んじた人柄か眼の当たり見るようである。
帰りに国道10号線沿いの墓地で城川翁の墓参りをすませて城川家を辞去した。

30:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:09:26.45 44qREV2Q0
>>21-23 の証言では城川氏と相棒(小杉恒吉衛門氏のことか)は自ら目撃した西郷の最期を生涯語ったとされ、
>>28-29 の証言では、城川氏は西南のことをほとんど話さなかったとあり、矛盾が見られます。
とはいえ、>>29では、城川氏が東大の先生に数年にわたり話しをしていることを示唆するくだりがあり、
また、城川氏は「肚乃西郷」の著者の父(私学校の後身の団体の社長)にも証言していることが分かっています。

31:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:13:14.26 44qREV2Q0
通説の西郷自決説(別府による介錯)が証言者不明でほとんど伝承レベルの根拠しかないのに比べると、
城川氏は昭和まで存命し、証言していたわけで、そのような当事者による貴重な証言がなぜ埋もれてしまったのか。

武士でもない下賤の者の証言として信用されなかったのでしょうか。

維新の大英雄と言われる西郷さんが投降するわけがない、
ましてや部下の桐野利秋が西郷さんを撃つわけがない、という先入観でしょうか。

あるいは、鹿児島県人の自尊心に沿わない証言として黙殺されたのでしょうか。

32:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:30:41.98 /xSG3D3FO
>>12
>>27->>31の連投コピペ荒らしのアク禁申請宜しく
忠告を無視した同一コピペの連投だけでも荒らしとして認定される上、誹謗中傷なんで

33:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:49:15.50 V2EMCrek0
>>32
東大の先生が調べた西郷隆盛の最後が、どうして誹謗中傷なんだ??
西郷信者はそこまでして事実を曲げたいか?

「重傷を負っていた別府による介錯で西郷は死んだ」なんて
ありえない絵空事の作り話の方が、よほど西郷に失礼だ

34:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/12 23:56:17.73 /xSG3D3FO
>>12
>>33の不毛な中傷もアク禁申請宜しく

35:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 00:57:36.36 tMptqcfR0
西南戦争で薩摩軍の敗色が決定的になると西郷は、この反乱を主導した桐野利秋と口をきかなくなり、
桐野のほうでも西郷を避けるような気配を示すようになったといわれる。

「征西従軍日誌」の捕虜の証言に重要なものがある。

「 9月20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。

(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)

西郷は席に肘を付いて、もたれたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。

(心神喪失状態の西郷さんの姿が窺えます)

そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていた。」

36:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 00:58:50.36 tMptqcfR0
西郷助命嘆願の使者を政府軍に送った時点で、
薩軍内では投降論が多数派になっていた。

いや薩軍諸将は自分が投降したいとは言わないが、
西郷の助命は戦争の終結を意味し、
なしくずしに全軍降伏となるであろう。

直情型の辺見十郎太でさえ敵の砲丸落下が激しくなるのを
見て、西郷助命嘆願に同意している。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 01:00:07.79 tMptqcfR0
城山籠城時の薩軍諸将とその存意は以下の通りである

○・・投降論を主張または同意
×・・玉砕論を主張または同意
?・・記録が無く不明または存意を語らず

本営幹部
?西郷隆盛
×桐野利秋
?桂久武
○村田新八
○池上四郎
?別府晋介
○辺見十郎太
○坂田諸潔
○野村忍介

前線隊長クラス
○讃良清蔵(砲隊)
?蒲生彦四郎 (狙撃隊)
?藤井直次郎(城山方面)
○河野主一郎(岩崎本道方面)
○佐藤三二(私学校・角矢倉方面)
○山野田一輔(県庁・二ノ丸・照国神社方面)
?高城七之丞(大手・本田屋敷方面)
?堀新次郎(大手・本田屋敷方面)
○河野四郎左衛門(上の平・広谷・三間松方面)
○別府九郎(夏蔭方面 別府晋介の兄)
○中島健彦(新照院・夏陰下方面)
?岩切喜次郎(夏陰)
?園田武一(後廻)
?市来矢之助(後廻・城山間 )

38:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 01:00:59.17 tMptqcfR0

投降論に反発した記録が残るのは桐野利秋だけであり、
桐野の同意あらば無条件降伏もあった体である。

西郷が土壇場で投降を試みたとしても、薩軍の空気としては
唐突なことではなかったと分かる。

39:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 01:16:32.44 4CnGFcZuO
>>12
>>35->>38の悪質コピペ連投荒らしのアク禁申請宜しく

40:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 01:42:05.48 ginzaQj10
>>39
卑劣な西郷信者は「アク禁申請宜しく」しか言えなくなったな(嘲笑
やはり歴史オンチには反論するオツムはないなwwww

西郷従道や大山巖など政府軍に近親者が大勢いる西郷は政府軍に助命嘆願し、
薩軍で最も狂信的で、既に西郷の敵となっていた桐野利秋に撃ち殺される、
というのは、あの城山の状況では十分あり得る話

重傷を負っていた別府に介錯される、なんてバカげた作り話より信憑性が高い

41:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 02:23:08.27 tMptqcfR0
西郷隆盛と大久保利通の固い絆を物語る逸話がいくつか存在します。

【西郷と大久保は幼馴染みの親友だった】
【父親が島流しされて家計が困窮した大久保少年は、西郷家で食事を摂らせてもらっていた】
【大久保は西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた
(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と言った)】
【大久保は暗殺された時に西郷からの手紙を大切に持っていた】

お互いの力量を認めていたことに疑いの余地は無いと思われますが、
この二人の権力闘争の延長が西南戦争であり、
1万数千に上る死者と国家財政が傾くほどの出費を強いた大義なき反乱を、
引き裂かれた友情 みたいな人情話にすり替えるのは、どうなんでしょうかね。

42:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 02:25:00.51 tMptqcfR0
【西郷と大久保は幼馴染みの親友だった】

大久保が18歳の時の日記が100日分残っている。
この日記には、当時大久保が親しくしていた人の名前がたくさん出てくるのだが、
西郷の名前が出てくるのは4箇所。
いずれの箇所も、西郷が大久保を訪問したり、大久保が西郷を訪れたりしたというわけではなく、
町の行事で偶然に西郷と出くわしたとか、たまたま大久保が出かけて行ったところに西郷が居たりということであり、
二人が積極的に交流していた形跡がまったく無い。
つまり、この当時の西郷と大久保は、お互い顔見知り程度の仲で、親しい友人関係ではなかったと言える。

参考元 引用元
URLリンク(www.page.sannet.ne.jp)

43:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 02:26:14.22 tMptqcfR0
【父親が島流しされて家計が困窮した大久保少年は、西郷家で食事を摂らせてもらっていた】

大久保の父親が遠島されたのは、大久保20歳の時であり、
それまでの大久保家は父親が藩の役にも付いており困窮するような家ではなかった。
したがって、少年時代の大久保が西郷家で食事させてもらっていた話しは
辻褄が合わず、まったくのデタラメであろう。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 02:27:41.46 tMptqcfR0
【大久保は西郷死亡の報せを聞くと号泣し、時々鴨居に頭をぶつけながらも家の中をグルグル歩き回っていた
(この際、「おはんの死と共に、新しか日本が生まれる。強か日本が……」と言った)】

wikipedia大久保利通のページにも載っている、わりと有名な逸話かと思います。
しかしながら、そのような大久保の様子と言葉を誰が目撃し、証言したのか全く分かりませんでした。

wikipediaではソース元として「実はこの人こんな人」(四季社)という文献が示されていたので、
私は実物を購入し確かめてみましたが、ひどくいい加減な本で、ここにも出典などは示されていませんでした。

後述の手紙の逸話と同様、実体が分からない不思議な話しです。

45:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 07:30:58.28 4CnGFcZuO
>>12
>>40->>44の卑劣なコピペ連投荒らしのアク禁申請宜しく
このコピペ連投荒らしの特徴は
「平日の深夜、昼間に出没」(→ヒキニート)
「名詞の『話』に『話し』と書く、平仮名片仮名等に誤字が多く、小学生レベルの日本語が不自由」(→まともな日本語教育を受けていない)
どの西郷への中傷も事実と証明されておらず認められていない通説から、トンデモ説ばかり
まさに「実体が分からない不思議な話」しか持って来られない、哀れな西郷ストーカー

46:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 11:23:34.51 tMptqcfR0
【大久保は暗殺された時に西郷からの手紙を大切に持っていた】

この逸話は高島鞆之助という薩摩出の軍人が語ったそうなんですが、
暗に 西郷>大久保 を刷り込まんがための変化球的な捏造美談と思えなくもない。

大久保の家族、側近からはそんな話しはありませんし、
現場検証したであろう警察にそのような記録があるなんて話しもありません。
なのにどうして高島とかいうマイナー軍人だけが知っているんでしょうかね?

不思議なことです。

47:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 12:12:36.94 4CnGFcZuO
>大久保は家族にも秘密で、生前の西郷から送られた手紙を入れた袋を持ち歩き、暗殺された時にも西郷からの手紙を2通懐に入れていたとされる。
なお、事件後は大山巌が血染めになったそれを所持したとされている(『東京日日新聞』明治11年5月27日付)。

不思議なことです。(キリッ!!
と、有名な話を知らずに不思議だ不思議だと無知さを晒し、相変わらず「話し」「話し」と誤字を続ける西郷アンチストーカーこそ、「不思議なことです」

>>12は誹謗中傷コピペ荒らし西郷ストーカー>>46のアク禁申請宜しく

48:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 12:50:46.85 tMptqcfR0
>>47
あなたの書き込みこそが、自分は何の検証もせずにコピペしただけの不毛な荒らし行為と違いますか。

その東京日日新聞の記事の語り主が高島鞆之助でしょう。

家族にも秘密にしていた事をなぜ高島が知っていたのか?
あえて家族に秘密にしていたのなら、その「家族に秘密にしていた」は大久保のみが知る事であり、
その大久保が死んだあとになぜそのことが高島に分かるのか、
子供でもおかしいと思う矛盾した記事です。

その後、大山が手紙を所持したとのことですが、
その妄想記事まがいの記事以外の大山巌関連の記録で、その手紙の逸話が出てきたのを私は知りません。
その逸話が事実なら、上野西郷像設置にも協力した大山巌なのに、なぜ手紙美談アピールしなかったんですかね。


誤字がどうとか、コピペだけ貼って反論したつもりとか、迷惑です。
まともに反証する能力が無いのなら自ら退場してください。

49:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 13:13:54.00 4CnGFcZuO
>>12
>>48をアク禁申請宜しく
自分が主張したい中傷が当時の新聞にすら否定されたら、長文でファビョる西郷アンチストーカー
まともに反論できないからと、見苦しくキレる西郷アンチストーカー
哀れな西郷アンチストーカー

50:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 15:48:45.67 IOzBYj1zO
>>49
チョン島津家に800年支配された鹿児島県は、すっかり韓国の植民地になり
県民はチョンそのものだな

51:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 18:58:59.09 Qg5s5lHL0
西郷は裏切りっぱなしの人生。
裏切ってないのは島津斉彬くらいじゃね?

52:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 19:21:30.63 4CnGFcZuO
>>12
>>50->>51の中傷コピペ荒らしもアク禁申請宜しく
またガラケー持ち出して過去スレと同じコピペ中傷をし、PCとガラケーで荒らしていたとバラした粘着西郷アンチストーカー
他人のフリし続けてきた自演用ガラケーも、焼かれてしまえばいい

53:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 20:44:51.56 ginzaQj10
>>52
オウム信者が麻原彰晃の悪業をさらされて発狂しているみたいだなw

ここは西郷スレだぜ、事実と違うと言うなら反論すればいい
オウム信者みたいに「アク禁申請宜しく」しか言えないのか?
鹿児島県民の火病なのか?
まるでチョンだな、恥ずかしくないのか?

54:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 21:15:00.05 4CnGFcZuO
>>12
>>53は全ての鹿児島県人への誹謗中傷もしているコピペ荒らし、まさにカルト教団的悪質西郷アンチストーカー
着々と材料が揃っているのでアク禁申請宜しく

55:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 22:53:50.54 ginzaQj10
>>54
>全ての鹿児島県人への

鹿児島の西郷信者がキモイ火病起こして荒らしていたら、
鹿児島県民のイメージが悪化するのが当たり前、お前がやってるんだよ

西郷に関して議論が出来ないなら消えればいい
「アク禁申請宜しく」しか言えない西郷マンセーは極度の歴史オンチだから、
議論は不可能なのか?(嘲笑

56:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/13 23:14:38.09 4CnGFcZuO
>>12
>>55は西郷だけでなく全ての鹿児島県人への誹謗中傷をし、その上自分がやらかした誹謗中傷の責任を住人になすりつけようと見苦しくあがいている、悪質な西郷アンチストーカーの荒らし
アク禁申請宜しく

57:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 01:55:31.73 IAROf+H40
>>56
重症の別府晋助が西郷を介錯したなんて子供だましを
鹿児島県民は信じているのか?
だとしたら、チョンが安重根を信奉しているのとそっくりだな(大笑い

チョン秦氏系島津家が800年も治めたら、鹿児島は韓国の植民地だろ
チョン陶工が優遇されて士分に取り立てられるのも韓国植民地ならではだ。
西南戦争のようにすぐに火病を起こし、戦略が全くない鹿児島県民は
チョンと気質が全く同じ。冷静な日本人の中では極めて異質

58:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 06:24:48.79 OqZY5LGqO
>>12
>>57は重い病気になどなっていない別府を「重症」などと子供だましのウソをつき、全ての鹿児島県民を侮辱する悪質な西郷アンチストーカー荒らし
ウソを書いてまで西郷と全ての鹿児島県人を誹謗中傷し、まさに強制連行されたとウソをついたチョンそのもの、アク禁申請宜しく

59:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 07:52:57.44 wWZFBBdM0
こいつは自分が鹿児島県人なことを否定したことないから
まじで鹿児島県人なんだろうな

今夏の鹿児島は暑いかい?

60:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 07:59:49.77 OqZY5LGqO
>>12
>>59は西郷スレに関係ないスレチ
しかも荒らしのアク禁申請をしている住人の個人情報を探り悪用中傷しようとし、荒らしのウソから話をそらそうとしている悪質荒らし
アク禁申請宜しく

61:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 08:49:24.85 wWZFBBdM0
な、否定しないだろ

62:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 09:01:15.46 OqZY5LGqO
>>12
>>61は否定も肯定もしていない住人の住所、個人情報を探り出し中傷悪用しよう としている
この執拗さから、中傷だけでなく犯罪へと繋がる可能性が高く悪質と判断されるのでアク禁申請宜しく

63:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 09:31:57.62 wWZFBBdM0
歪んだ郷土愛

64:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 09:52:07.68 OqZY5LGqO
>>12
>>63は歪んだ西郷愛で西郷と鹿児島、鹿児島県民を中傷し続け
注意した住人の住所、個人情報を探り出し中傷悪用しようとしている悪質な西郷ストーカーの荒らし
その執拗さから犯罪に繋がる可能性が高いので、アク禁申請宜しく

65:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 10:47:43.33 IAROf+H40
>>64
安重根を信奉して、議論が全く出来ずに火病を起こすチョンそっくり

66:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 11:03:34.10 OqZY5LGqO
>>12
>>65は西郷に全く関係ない明らかな中傷であり、西郷アンチの犯罪に繋がる可能性の高い悪質さを示している
アク禁申請宜しく

67:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 11:40:32.74 oV82m4Wd0
“お・も・て・な・し” の国の “ひ・と・で・な・し” による “は・じ・さ・ら・し”
子育てママは何をやっても許される!?
増税時代を生きるモンスターファミリーの、恥も外聞もない超節約術!
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まさしく現代にあらわれた鬼の化身
違法駐車犯 塩鬼容疑者

違法駐車犯 死汚鬼 こと 塩 木 容疑者
青空駐車中!!

68:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 14:30:28.85 ykai2k+N0
「横目で見た郷土史」(平成8年刊行 片岡吾庵堂・著 髙城書房)
という本がある。過去スレでレスの中にもちらっと名前は出てきた。
スレ主のバイブルである。

テンプレにある、
重野安繹や市来四郎の西郷評、「肚乃西郷」を元にした桐野による西郷射殺、
他にも月照との入水、奄美関連のエピソードなどは、この本がタネ本になっている。
桐野が西郷を射殺したとする城川市二氏の、孫嫁のエピソードなどは、
まるっきりの引用である。
(不思議なことに、あれほどソースを示せと拘るスレ主が、この引用先は全く示さない)

69:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 14:31:34.95 ykai2k+N0
さてこの本。タイトルに「横目で見た」とあるように、気楽な読み物である。
老石亀(オンジョガメ)が、鹿児島の風土を斜めにとらえた放談というスタイル。
郷土史を振り返るにしても、「思われる」「言えよう」「思えてならない」など、
推量表現が目立つ。エッセイとして読めば面白い。
郷土史だけではページが足りなかったらしく、
自分の軍隊時代の思い出や、生野菜を食べない健康法の話も収録してある。
およそ真正面から郷土史を語るという本ではない。

「肚乃西郷」の存在は、作家の石牟礼道子から教え「肚乃西郷」てもらったらしい。
(石牟礼道子は、水俣病を扱った小説を書いた、熊本を代表する小説家である)
石牟礼道子は、桐野が西郷を撃つたことをあくまで小説として書いたが、
片岡氏は、それを真相として広く喧伝した。
「横目」の中には、「西郷は桐野に撃たれた?」といった風な見出しで、
南日本新聞、朝日新聞、週刊朝日や週刊現代等にも取り上げられたと、
繰り返しでてくる。

70:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 14:32:28.18 ykai2k+N0
「肚乃西郷」の元になった城川氏の孫嫁を実際に訪ねた話でも、
結局城川氏の人柄が分かったというだけで、「肚乃西郷」以上の情報は得ていない。
「城川氏が嘘をつく理由はない」と再三述べているが、
その根拠になっているのは、自らの軍隊経験から、
「兵卒は嘘をつかないもの」ということらしい。

片岡氏の説は決して無視されたわけでも、抹殺されたわけでもない。
氏が述べるように全国的に報道されたからである。
「横目」は今でも鹿児島の図書館に置かれていて、自由に手に取ることも出来る。
片岡氏自身も、南日本新聞や朝日新聞の鹿児島版に連載を持つなどしていた。
鹿児島ではそれなりに知られた人物だ。

しかし、「桐野が西郷を撃った」という説は、贔屓目に見ても異説の一つで、
歴史家からまともに相手にされているとは言い難い。なぜだろう。

71:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 14:33:10.61 ykai2k+N0
「横目」は、アームチェアディテクティヴの域を出ず、
推論と個人の思い入れから成り立っている。およそ迫真性に欠けるのである。
訴え方が悪いというより、決定的な証拠を示していない。
あくまで「老ガメのヨンゴ(屁理屈)」なのだ。

片岡氏が名誉欲の為に「桐野が西郷を撃った」説を唱えたとは思わないが、
原口虎雄氏(鹿児島大名誉教授)や司馬遼太郎も自分の説に傾いていたと書いたり、
なんと言っても「横目」の巻頭を飾るのは、
自分のことを取り上げた朝日新聞の天声人語全文なのである。
「桐野が西郷を撃った」説を唱えることで、注目を浴びるのは、
氏にとっては悪くない気分であったに違いない。
しかし最初の発表(昭和52年)から40年近くたっても、
後追い、裏付けとなるような資料は出ていないのだ。

72:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 14:35:04.14 ykai2k+N0
それでも片岡氏は、自分の本名も住所も「横目」の中に明記して、
「桐野が西郷を撃った」説を始め、島津の殿様にも暗君はいたなどと書いているから、
まだ筋は通っている。

ここのスレ主がどうしてそんなに「横目で見た郷土史」に入れ込んだのか分からない。
出典も示さないのかも分からない。
読めば、ただのエッセイ以上のものではないと、ばれるからだろうか。
また片岡氏が自らの素状を明らかにして世に訴えた点などは、及びもつかないらしい。

「横目」はアマゾンなどでも手に入るようです。
いかにも鹿児島の面白いじいちゃんが書いた本です。皆さんもどうぞ。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 14:51:47.41 xvFE6xQ10
>>69にタイプミスがありました。
×>「肚乃西郷」の存在は、作家の石牟礼道子から教え「肚乃西郷」てもらったらしい。

〇>「肚乃西郷」の存在は、作家の石牟礼道子から教えてもらったらしい。

74:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 15:47:57.12 IAROf+H40
>>68-72
「別府晋助による介錯説」の証言者はなく、剣劇や立川文庫の類いだからなあ
元気なものは沢山いたのに、わざわざ動けない別府に介錯を頼む理由が分からない
桐野による射殺説は城川氏という目撃者がいる

西郷は鹿児島のマンセーによって、チョンの安重根のように神格化されているから
マンセーによって剣劇みたいな「別府晋助による介錯説」が流布されているだけで
信憑性は全くない

75:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 16:30:42.80 OqZY5LGqO
>>12
>>74>>57で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」なんて子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
ウソをソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは犯罪に繋がる可能性が高いと判断される、アク禁申請宜しく

76:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 18:08:24.71 IAROf+H40
>>75
じゃあ「別府晋助による介錯説」の目撃者は誰なんだ???
マンセーの脳内で作られた剣劇の類いだろ、バカバカしいwww

77:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 18:38:12.60 OqZY5LGqO
>>12
>>76>>57で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」などという、誰も目撃も書き残しもしていない子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
ウソをソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは犯罪に繋がる可能性が高いと判断される、アク禁申請宜しく

78:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 23:02:05.69 IAROf+H40
>>77
だから、一般に流布されている「別府晋助による介錯説」の目撃者は誰なんだ???
西郷マンセーなら目撃者の名前を示してみろよ、ホラホラw
どうせマンセーの脳内で作られた芝居だろ、バカバカしいwww
チョン島津家の本家韓国の「安重根の伝説的な生涯」と同じ作文だろwwww

79:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 23:18:35.62 OqZY5LGqO
>>12
>>78>>57で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」などという、誰も目撃も書き残しもしていない子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
「肚乃西郷」はただの「読み物」であり、「城川市二」同様検索してもこの西郷アンチストーカーがコピペした2ちゃんねるのスレしか出てこないような程度の、学会学者からも世間からも完全に無視されているもの
「読み物」と「ウソ」をソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは犯罪に繋がる可能性が高いと判断される、アク禁申請宜しく

80:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 23:41:23.66 IAROf+H40
>>79
鹿児島の西郷マンセーなら一般に流布されている「別府晋助による介錯説」の
目撃者ぐらい知ってるだろ、一体誰なんだ? 言ってみろよ、ホラホラw

どうせヴァカマンセーの脳内で作られた芝居だろ、バカバカしい
百済秦氏系チョン島津家の本家韓国の「安重根の伝説的な生涯」と同じだw
チョンはどうしようもないなwww

81:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/14 23:52:19.43 OqZY5LGqO
>>12
>>80>>57で重病にもなっていない別府が「重症の別府晋助」などという、誰も目撃も書き残しもしていない子供だましのウソをついており、発言に全く信憑性が無い中傷を繰り返している
「肚乃西郷」はただの「読み物」であり、「城川市二」同様検索してもこの西郷アンチストーカーがコピペした2ちゃんねるのスレしか出てこないような程度の、学会学者からも世間からも完全に無視されているもので何のソースにもならない
「読み物」と「ウソ」をソースにする悪質さと何年にも渡る西郷と鹿児島県民への粘着っぷりは、犯罪に繋がる可能性が高いと判断される
アク禁申請宜しく

82:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 00:17:29.58 BPsJ2en70
>>57
>チョン陶工が優遇されて士分に取り立てられるのも韓国植民地ならではだ。

士分に取り立てられるかは藩の政策だからともかく、
残念ながら日本の窯業地で朝鮮の技法の影響を受けていないところはない。
江戸期に至るまで、こと窯業に関しては朝鮮のほうが日本よりはるかに進んでいたからな。
戦国大名がこぞって朝鮮産の粗末な井戸茶碗に法外な価値をつけていた時代だぞ。

83:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 02:00:44.62 MCjlARUy0
>>82
でも、陶工なんて「下賤の者」の代表格のような連中だからな
まとめて村人全員が士分に取り立てられた例なんて、薩摩焼以外にあるのかな?

柿右衛門が、藩の財政に大きく貢献したので名字帯刀を許された、等のことは
多くの藩で行われたと思うが

しかも苗代川では明治維新まで朝鮮語が使われチョン服を着ていたという。
やはりこれは島津家が百済系秦氏の朝鮮人であることが大きいんじゃないか?
普通の藩では考えられない。

西郷の「人の好悪が激しく、嫌いな人に対しては徹底的に憎む」という
偏執狂的な性格も日本的じゃないな、チョンに近い

84:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 05:37:43.23 eY54R1IE0
政岡大裕 048-445-9908 埼玉県戸田市喜沢2-42-8

85:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 07:14:47.83 kCWLWGhmO
>>12
>>83は全ての陶工、鹿児島県民への言われ無き差別と西郷への中傷であり
虚偽によって西郷と鹿児島県民を何年も逆恨みし続ける恨民族そのものの悪質さは、犯罪にエスカレートする可能性の高いまさにストーカー
アク禁申請宜しく

86:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 08:04:02.07 iH0c6is60
>>72
「桐野が西郷を撃った」説は言わば、「横目」作者の自己顕示欲を満たすためのネタであり、
さしたる根拠など無いのだ、と言うわけですか・・・

失礼ながら、72さんは「桐野が西郷を撃った」説を史料や論理で否定することができず、
替わりに、ネタ元作者やテンプレ作成者の人格を否定することで
論点をスリかえようとしているようにも見えますけど・・

子孫を探し出し、訪ね、証言を引き出している作者がアームチェアディテクティブだろうか?
だいいち、「桐野が西郷を撃った」説は紹介者の人格とは関係なく、存在している。

72さんの言うように、歴史家が「桐野が西郷を撃った」説を相手にせず否定しているのが事実なら、
どの歴史家がどんな根拠に依って否定しているのか、72さんは説明すべきではないですかね。
そこが一番肝心なところでしょうから。

87:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 08:07:11.89 iH0c6is60
>>72
本名と住所の件ですが、72さんが72さんの本名と住所を明かしたうえでの
匿名批判なら、意味は分かりますが・・・

88:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 09:21:22.99 kCWLWGhmO
>>12
>>87は本来なら自らが住所氏名を示し証拠史料を添え、堂々と学会に論文として発表すべきであるのに
誰も相手にしない自説に自信が無いからと匿名掲示板の西郷スレを何年も荒らすしかできないクセに、その説やソースの信憑性の無さを指摘した住人に対し住所氏名という個人情報を要求している
犯罪に繋がる可能性の高い悪質なストーカーであるので、アク禁申請宜しく

89:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 11:55:23.88 MCjlARUy0
>>88
百済秦氏系チョン島津家が800年治めたから、
薩摩人の行動が全てチョン風になるのは仕方ないんだろうな。
まさに「薩摩は日本の中の韓国の植民地」だな
あらゆる面で、日本の他の地域とは異なっている。
今日はお盆だから、お前も島津家の先祖の檀君を祀っているのか?w

90:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 12:58:47.97 kCWLWGhmO
>>12
>>89は西郷スレですべきではないスレチ、しかも島津家への名誉毀損と中傷
更には住人を島津家の子孫と信じ込む、妄想癖の症状まで表れている
このまま放置しておけば実際に島津家子孫に直接危害を加えかねないので、アク禁申請宜しく

91:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 14:40:23.60 MCjlARUy0
>>90
>しかも島津家への名誉毀損と中傷

島津家がはっきりと
「応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される
弓月君を祖とする百済系秦氏の子孫・惟宗氏の流れを汲む惟宗基言の子の
惟宗広言が、主筋である近衛家の日向国島津荘の荘官として九州に下り勢力を拡大、
その子の惟宗忠久が、新興勢力である源頼朝から正式に同地の地頭に任じられ
島津を称したのが始まり」と明言しているんだが?
チョン島津家の系図に文句付けるのか?

百済秦氏系チョン島津家が800年治めたから、
薩摩人の行動が全てチョン風になって「薩摩は日本の中の韓国の植民地」となり
西郷やお前のように偏執狂的な火病チョンが増えるのは当然なんだろうな

92:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 15:06:49.97 kCWLWGhmO
>>12
>>91は西郷中傷に散々コピペしてきたものがただの「読み物」で歴史学者学会から相手にもされていない事実を知らしめられたら、
西郷スレですべきではなく、数ある島津スレですべき話題、しかも島津家への中傷を火病を起こしエスカレートさせ続ける、悪質粘着ストーカー
しかも西郷への中傷は何の事実根拠も無い、ただの誹謗中傷
この先は島津家西郷家子孫に対し直接危害を加える可能性があり、実際に被害が起きた場合重要参考人となる可能性があるので
アク禁申請だけでなく通報の際にも即対応できるよう、歴代過去スレからの誹謗中傷も証拠として準備宜しく

93:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 15:20:34.73 MCjlARUy0
>>92
西郷やお前の「極端に偏執狂的・すぐ火病を起す・理論的な考えが出来ない・
極端に排他的な性格」は、まさにチョンの国民性そのもので、一般の日本人とは
全く違う。チョン島津家800年の統治による「韓国の植民地・薩摩」の伝統から
来るとしか思えない

・重野安繹の西郷南洲逸話
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある」
・市来四郎
「西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、
捨てられる者も多かった。 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か
同県人かで、態度や言動が変わった。」
「議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 15:43:59.29 kCWLWGhmO
>>12
>>93は「何年にも渡って西郷と鹿児島県民を中傷するなど極端に偏執狂的・ソースが証拠にならないと論破されるとすぐ火病を起す・他人のコピペ泥棒ばかりで理論的な考えが出来ない・チョンチョンと極端に排他的な性格」と犯罪を犯すストーカーの特性を備えている
またいつものコピペ
・重野安繹の西郷南洲逸話
には続きがあり西郷の逸話や長所や評価している点、西郷に助けられた話があるが一切無視している、非常に偏った、都合の悪い部分を隠蔽する民族そのもので信憑性がまるでないのは明らかである

>重野によれば、「西郷の人と為りは、今申す通り度量は狭いが、人と艱苦を共にするといふところが、持前で、古人の謂ふ士卒の下なる者と飲食を共にする風であつた」。
これが倒幕の原動力であり、また西南の役で身を滅ぼす原因となったが、あれだけのことができた、という。
>西郷が江戸にいた時、重野に語ったこととして
「江戸には昔の三河武士の気象は少しもなくなつた、唯火消をする鳶の者といふのがある、これは火の中でも何でも構はず飛込んで往つて、死ぬることを何とも思はぬ、実に潔い、あれなどが昔の三河武士の気象が残つて居るものであらう」といっていたという。
「かの男伊達侠客が、西郷はすきであつた」(109頁)。
最後に西郷の義侠心の例として、重野自身のちょっとしたイタズラで切腹の危機にあるところを西郷に助けてもらい遠島で済んだことが述べられる(112~3頁)。

この卑怯な粘着西郷ストーカーのアク禁申請だけでなく、通報準備も宜しく

95:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 17:18:17.08 MCjlARUy0
>>94
えーとバカなチョンが長々と書いているが、重野安繹は西郷南洲逸話で
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある」
と語っているのは紛れもない事実だなwwww

事実であるのに、正面から受け止める勇気がないのは、
まさにチョンの国民性そのもので、一般の日本人とは 全く違う。
チョン島津家800年の統治による「韓国の植民地・薩摩」の伝統から
来るとしか思えない

チョン島津家が百済秦氏出身という事実も、今だに受け止められないのか?
「島津家はチョンじゃない」とでも思っているのか?www

96:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 17:37:09.64 kCWLWGhmO
>>12
>>95は「何年にも渡って西郷と鹿児島県民を中傷するなど極端に偏執狂的・ソースが証拠にならないと論破されるとすぐ火病を起す・他人のコピペ泥棒ばかりで理論的な考えが出来ない・チョンチョンと極端に排他的な性格」と犯罪を犯すストーカーの特性を備えている
またいつものコピペ
・重野安繹の西郷南洲逸話
には続きがあり西郷の逸話や長所や評価している点、西郷に助けられた話がある事実を一切無視し、非常に偏った、都合の悪い部分を隠蔽する民族そのもので信憑性がまるでないのは明らかである

>重野によれば、「西郷の人と為りは、今申す通り度量は狭いが、人と艱苦を共にするといふところが、持前で、古人の謂ふ士卒の下なる者と飲食を共にする風であつた」。
これが倒幕の原動力であり、また西南の役で身を滅ぼす原因となったが、あれだけのことができた、という。
>西郷が江戸にいた時、重野に語ったこととして
「江戸には昔の三河武士の気象は少しもなくなつた、唯火消をする鳶の者といふのがある、これは火の中でも何でも構はず飛込んで往つて、死ぬることを何とも思はぬ、実に潔い、あれなどが昔の三河武士の気象が残つて居るものであらう」といっていたという。
「かの男伊達侠客が、西郷はすきであつた」(109頁)。
最後に西郷の義侠心の例として、重野自身のちょっとしたイタズラで切腹の危機にあるところを西郷に助けてもらい遠島で済んだことが述べられる(112~3頁)。

頁数まで明記されているにも関わらずあくまでも重野の西郷への評価だけ無視する、この卑怯な粘着西郷ストーカーのアク禁申請だけでなく、通報準備も宜しく

97:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 18:17:26.11 MCjlARUy0
>>96
だから、重野安繹が西郷南洲逸話で
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある」
と書いているのは事実だよ
デタラメな記述は全くない。
それは市来四郎の記述でも認められる
「西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、
捨てられる者も多かった。 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か
同県人かで、態度や言動が変わった。」
「議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった」

これが狭量ですぐ火病起す西郷の実態
マンセーの頭にある「器量の大きな西郷」は、後世作られらた創作
安重根がマンセーによって後に神格化されたのと同じ

チョン島津家が百済秦氏出身という事実も、今だに受け止められないのか?
「島津家はチョンじゃない」とでも思っているのか?
薩摩はチョン島津家によって800年治められた「日本の中の韓国の植民地」なんだよ
だから他の藩とは違い、チョン陶工も全員士分に取り立てられ
チョン語やチョン服などの風習も明治維新まで残った

98:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 19:05:52.58 kCWLWGhmO
>>12
>>97は、重野安繹が西郷南洲逸話で西郷を評価していた事実を認めない偏った西郷アンチストーカー
市来四郎が西郷を嫌った島津久光の側近であり、西郷や西郷派に対し厳しい評価をしている点を一切無視している、卑怯な粘着西郷ストーカー
また市来四郎がこの西郷アンチストーカーの主張「桐野が西郷を撃った」説を完全に否定しているという事実を知らない、歴史オンチ

>「市来四郎日記」
「西郷が岩崎の鮫島元吉が邸前に斃れて、銃丸数箇所、中にも股と腰部胸部にありと。首なき故に検索せしに
降伏人曰く「銃丸に斃れ、未だ死せざるを別府晋介首を取り、蓑田が邸内に埋めたり」と云うに由て探したるに果してあり。官軍、取て躰に添え、仮埋せりと云う」

そしてこの誤字が、狭量ですぐ火病を起こすチョンそのものの西郷アンチの実態

>後世作られらた創作

自分がソースとして出した人物が、自分の説を真っ向から否定する証言をしている事すら知らない、歴史オンチのコピペ泥棒
長年西郷に逆恨みしウソで誹謗中傷を繰り返し、論破されては冷静になれずすぐカッとなり火病を起こした証拠として、簡単な平仮名すら間違う
まさに日本人を逆恨みし数々の犯罪を起こしているチョンそのもの、島津家と西郷の子孫に危害を加える可能性もある為、アク禁申請だけでなく通報準備を宜しく

99:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 19:38:15.95 CEXgOxIR0
 「吾(われ)、此処(ここ)に来り、始めて親しく西郷先生に接すること
  を得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば
  三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪
  も死生を共にせんのみ。」

西郷どんに直接会った人の意見

100:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 19:39:45.38 MCjlARUy0
>>98
>重野安繹が西郷南洲逸話で西郷を評価していた

つまり、西郷に関しては客観的に見ていたんだろうな、その重野が
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある」
と書いているのだから事実だよ

>市来四郎が西郷を嫌った島津久光の側近であり

歴史オンチは知らないだろうが、市来が島津久光の側近になる前は
島津斉彬の側近だ。つまり西郷の同僚。
西郷に関しては冷静に見ていただろうな。
その市来が重野と同様に
「西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、
捨てられる者も多かった。 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か
同県人かで、態度や言動が変わった。」
「議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった」
と同じ事を述べているんだから、事実だな。

で、チョン島津家が百済秦氏出身という事実も、今だに受け止められないのか?
「島津家はチョンじゃない」とでも思っているのか?
薩摩はチョン島津家によって800年治められた「日本の中の韓国の植民地」なんだよ
だから他の藩とは違い、チョン陶工も全員士分に取り立てられ
チョン語やチョン服などの風習も明治維新まで残った
チョン薩摩ならでは風俗だ

101:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 20:04:58.66 kCWLWGhmO
>>12
>>100
重野安繹が西郷南洲逸話で西郷を評価していた事実を認めない上に、市来四郎が西郷を嫌った島津久光の側近であった事実を隠蔽し斉彬だけの側近であったように見せかけようと悪質な工作までしている卑怯者
その市来が

>「市来四郎日記」
「西郷が岩崎の鮫島元吉が邸前に斃れて、銃丸数箇所、中にも股と腰部胸部にありと。首なき故に検索せしに
降伏人曰く「銃丸に斃れ、未だ死せざるを別府晋介首を取り、蓑田が邸内に埋めたり」と云うに由て探したるに果してあり。官軍、取て躰に添え、仮埋せりと云う」

と、この西郷アンチストーカーの長年の主張「桐野が西郷を撃った」を「別府は重症で介錯は不可能」を、真っ向から否定する証言をしていた事すら知らなかった、歴史オンチなのは事実
その事実を、今だに受け止められないで無視し火病しているこのコピペ泥棒西郷ストーカーは、西郷だけでなく
「お由羅は正妻子孫を皆殺しにした」と島津家までも名誉毀損し、逆恨みのターゲットにしているのは明白
長年執着しているのは過去スレからも証明され、犯罪にエスカレートしたストーカーの特性を備えているので、アク禁申請だけでなく通報準備も宜しく

102:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 20:48:01.48 QQBLsCCN0
ここのスレ主が西郷にこだわるのは、
「西郷を貶すとスレが伸びる」からだもんなあ。
2ちゃんねらーもこうなると悲しいなぁ。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 21:16:58.96 MCjlARUy0
>>101
立場の違う重野と市来という2人の西郷をよく知る男が
「西郷は狭量な男だった」
「とにかく敵を作る性格で、敵を憎む事が甚だしかった」
「他県人か同県人かで態度が変わった」
と述べているんだから、非常に信憑性が高いね

創作だらけの「安重根伝説」や「西郷伝説」は全く信憑性がない

市来は西南戦争時は久光側近で、出陣していない
つまり城山の西郷の最期なんて全く知らないんだから、何の信憑性もない
なんで目撃していない市来の「西郷の最期」が信頼できるんだ、バカバカしい
それに対して、若い頃の西郷と市来は同僚だったんだから
若い頃の西郷に関する記述は正確と考えていい。

で、チョン島津家が百済秦氏出身という事実を、お前は今だに受け止められないのか?
「島津家はチョンじゃない」とでも思っているのか?
薩摩はチョン島津家によって800年治められた「日本の中の韓国の植民地」なんだよ
だから他の藩とは違い、チョン陶工も全員士分に取り立てられ
チョン語やチョン服などの風習も明治維新まで残った
チョン薩摩ならでは風俗だ
今のお前の偏執狂さもチョンそっくりだ
さすが「韓国の植民地」の薩摩人だなw
お前は今でもチョン島津家に忠節を誓っているのか?www

104:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 22:20:46.58 kCWLWGhmO
>>12
>>103は、重野が西郷を評価している事実から延々目を背け
市来が斉彬に仕えていたのは西郷が全国を飛び回っていて薩摩に不在がちの斉彬が亡くなるまでの数年で西郷には大久保などより詳しくなく、斉彬死後ずっと西郷を嫌った久光に仕えており、その久光の島津家の資料を編纂していた事を無視し続けている卑怯者
その市来についてこの西郷アンチストーカーは

>非常に信憑性が高いね

と言いながら同じレス内で

>市来は西南戦争時は久光側近で、出陣していない
>つまり城山の西郷の最期なんて全く知らないんだから、何の信憑性もない
>なんで目撃していない市来の「西郷の最期」が信頼できるんだ、バカバカしい
と、完全に市来の信頼性を否定している
ところがその舌の根の乾かない内に、また同じレス内で

>若い頃の西郷に関する記述は正確と考えていい。

と、完全に矛盾し破綻した論理を展開している
市来四郎の書いた物の中で、自分の都合のいい部分だけ利用しようとし、自分の説を完全に否定する都合悪い部分だけ信憑性が無い!とするから、このような論理の破綻が起きているのにも気づかない
西郷アンチストーカーは、「桐野が西郷を撃った」「別府は重症なので介錯ができなかったはず」という自説が、
自分が西郷叩きに利用しようとした市来四郎が「島津家の資料編纂」という、薩摩で起こった事実を極めて正確に記述することを求められる職務であり、自分の名前を冠して文責を持った

>「市来四郎日記」
「西郷が岩崎の鮫島元吉が邸前に斃れて、銃丸数箇所、中にも股と腰部胸部にありと。首なき故に検索せしに降伏人曰く「銃丸に斃れ、未だ死せざるを別府晋介首を取り、蓑田が邸内に埋めたり」と云うに由て探したるに果してあり。官軍、取て躰に添え、仮埋せりと云う」

その信憑性の高い記録によって完全に否定された事実を、今だに受け止められない、哀れな火病と妄想癖を病んだ犯罪予備軍
島津家と西郷子孫に逆恨みで危害を加える可能性もあり、アク禁申請だけでなく通報準備も必要なのでくれぐれも宜しく

105:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/15 23:53:39.10 MCjlARUy0
>>104
重野は西郷を評価しているからこそ「西郷は狭量な男だった」という言葉は
真実だろうな、疑う余地もない。

市来は西郷の同僚だったので、西郷の若い頃の話は一次情報なので信用できるが
西南戦争には従軍していないので、目撃者が誰かも判らない城山の話を
信用できる訳がない。
城山の「別府晋助が介錯した」という話が本当だと主張するなら
その話の目撃者は誰なのかをちゃんと答えろ
逃げるんじゃねーよ、卑怯なチョンめ
事実に目をそむけているのは、火病起しているお前だ

で、チョン島津家が百済秦氏出身という事実を、お前は今だに受け止められないのか?
「島津家はチョンじゃない」とでも思っているのか?
薩摩はチョン島津家によって800年治められた「日本の中の韓国の植民地」なんだよ
だから他の藩とは違い、チョン陶工も全員士分に取り立てられ
チョン語やチョン服などの風習も明治維新まで残った
チョン薩摩ならでは風俗だ
今のお前の偏執狂さもチョンそっくりだ
さすが「韓国の植民地」の薩摩人だなw
お前は今でもチョン島津家に忠節を誓っているのか?www
そんなにチョンが好きなのか?wwwwww

106:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 00:07:15.31 ZfRGExi70
島流しのなったのも公費の横領の犯罪が原因。
このような人物が人を評するなど面の皮が厚過ぎる。

さらに言えば重野は久光のおかかえ歴史家。

107:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 00:09:33.47 gQUblUQXO
>>12
>>105は日本語が不自由
>重野は西郷を評価しているからこそ「西郷は狭量な男だった」という言葉は真実だろうな、疑う余地もない。

重野が西郷を評価している、と言うなら真実で疑う余地も無いのは西郷への高い評価以外にない、となるのが理解できていない
市来四郎は薩摩で島津家の資料をまとめる役職についており、事実をねじ曲げることは許されない
だからこそ信憑性が高く、降伏した人間から聞き取り調査をしているからこそ「桐野が西郷を撃った」「別府が『重症』で介錯できなかった」などという、歴史学者の誰もが認めていない、面白おかしく脚色された読み物向け話は書き留めていない
それを認められない、卑怯なチョンそのものの哀れな西郷アンチストーカー
真実に目をそむけて、火病『起こして』いるのはこの粘着西郷アンチストーカーの犯罪者予備軍
この長年の執拗な嫌がらせからも、決定的に否定されても認めないのも犯罪を犯すストーカーに共通しており、島津家と西郷子孫に逆恨みして危害を加える可能性もある為、アク禁申請だけでなく通報準備も宜しく

108:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 00:10:02.93 ZfRGExi70
重野は島流しのなったのも公費横領の犯罪が原因。
このような人物が人を評するなど面の皮が厚過ぎる。

さらに言えば重野は久光のおかかえ歴史家。

109:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 00:38:09.04 gQUblUQXO
西郷アンチストーカーは日本語が理解できていないようだから、バカでもわかるように説明してやる
市来四郎は同僚と言っても集成館で働いており、常に薩摩を出て斉彬の仕事をしていた西郷とは大久保のような深い付き合いは無い
しかも西郷は若い頃より幾度も死線をさまよい成長し、性格も変わっていった
しかも斉彬は数年で亡くなり、それからずっと西郷嫌いの久光に仕えており西郷を褒めるなどとんでもない、逆に厳しく書かなければならない立場環境だった
だから市来四郎の西郷の若い頃の印象が、同僚程度の認識であり久光に憚って厳しくなっていて当然である
その市来四郎が「桐野が西郷を撃った」「別府が『重症』で介錯できなかった」などと聞いていたなら、それを書き残さないはずがない
その方が西郷を貶められるのに、書かないはずがない
そんな話が存在しなかったからこそ、市来四郎は聞いた通りに書き残した
だから桐野は西郷を撃っていないし、介錯したのは別府である
西郷アンチストーカーの逆恨みに満ちた自説は、後に書かれた読み物をソースだと言い張っただけの誹謗中傷にすぎない
わかったら一日中張り付いているPCから離れて、夜が明けたら祖先の墓参りに行け
犯罪者として祖先から継いだ名前を汚すことになるかもしれないと、詫びてこい

110:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 02:02:35.52 crY60c710
>>83
藩に対しての貢献度によって自由と身分が与えられるのは公平な判断だと思うが
薩摩藩は薩摩焼のおかげでずいぶんと儲け、幕末から明治にかけては西洋諸国ではジャポニズムの代表格として人気を博している
これも能力のある朝鮮人陶工を優遇し、技術の洗練をのための環境を江戸期を通して守り続けてきた成果だと見るのが妥当だろう
朝鮮陶工を拉致って召し抱えても国内向けの茶陶しか作れなかった某藩などと比べれば、創意と人の活かし方の違いは一目瞭然だなぁ

111:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 02:02:41.61 WWgY/HPZ0
>>109
>市来四郎は同僚と言っても集成館で働いており

同じ薩摩藩士同志だから、接点は多かっただろうな
市来だけでなく西郷と付き合いが永かった重野も
「西郷は狭量な男だった」「好悪が激しく、嫌いな相手を憎む事が甚だしかった」
と述べており、事実を疑うべくもない。
事実、久光の目前で久光を「地五郎が」と罵ったり、西郷が嫌いな人を憎む事は
度を超えていた

>久光に憚って厳しくなっていて当然である

(久松にとって)憎い中央政府を、西郷が辞めて鹿児島に下野して、
久光の西郷への感情は大幅に改善している。例えば久松派の大山知事も私学校へ
全面協力している。さらに西南戦争勃発後の久光の感情は、憎い明治政府に
逆らって兵を挙げた西郷に対して同情的であり、西郷の最期に関して悪く
書かなかったとしても全く不思議はない

>だから桐野は西郷を撃っていないし、介錯したのは別府である

だから目撃者は誰なんだ??
妄想を言われても仕方ない

112:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 04:25:02.27 61JLSd9Z0
>>111
文中に二回出てくる「久松」って誰?

113:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 11:45:36.37 pKdhwday0
久光の変換ミスだろ

114:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 12:04:42.83 Bg9jaheP0
重野安繹の西郷評ですが、西郷信者さんがコピペしているのは以下のページだと思います。
URLリンク(denz.cocolog-nifty.com)

そのページでカットされている部分にも重要な西郷評はあります。
「西郷隆盛の虚実」安藤優一郎著から、ちょっと長いですが紹介します。

≪ 西郷の人となりは、今申す通り度量は狭いが、人と艱苦を共にするというところが持前で、
古人の謂ふ士卒の下なる者と飲食を共にする風であった。支那の戦国では呉起(軍事思想家)などが
そうであったという。
士卒が手傷を負へば、その傷を啜ったりするようなことは、しはずさぬ(ぬかりなくやる)人物で、
自分より目下の人の信用を得ることが多いので、西郷のためならば死を極めてやるという、
いわゆる死士を得ることは自然に出来るので、それが面白くてたまらない。
何でも下の者を己の手足のように使ひ廻すのが、一生の手際(自分の長所?)と思って居るから、
自分も努めてする。
幕府を倒すのもそれから起って居る。そうして一時成功したのは、士卒の心を得ているからである。
しかしながら西南の役になっては、それが自分の身を亡ぼす元になって来た。
西南の役は西郷に人心が就かなければ、あれ程の事は出来はしないであったろうが、
薩摩の者は申すに及ばず、他国の婦女子までも、西郷先生ならばと云って、皆戦争に出る気になった。
西郷が人から惚れられるのは、そこに在るのだ。その方には人心があった。 ≫
  重野安繹 『西郷南洲逸話』

115:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 12:07:08.76 Bg9jaheP0
西郷軍があれほど多くの兵卒を動員し、民から財や物資を調達できたのは、
西郷の人心のおかげよりも、西郷軍の処刑をチラつかせた強制動員と、
強奪や軍票を使った財の強制接収にあったのは、種々の記録から明らかなので、
重野安繹は西南戦争についてはかなりの誤認があると思います。

それはともかく、上の西郷評で生々しく、ほとんど紹介されることのない部分
(信者さんにとっては都合の悪い部分でしょうか)は以下でしょうね。

≪ 士卒が手傷を負へば、その傷を啜ったりするようなことは、しはずさぬ(ぬかりなくやる)人物で ≫

という部分。むろんこれは比喩でしょうが、
ようは西郷のそのような行動は、無償の献身ではなく、計算して人望を得るためのパフォーマンス
であった(重野のはそのように看破していた)ということです。

目下の者も食いついてくるので≪ それが面白くてたまらない。≫
≪ 自分も努めてする。≫

重野のこれらの西郷評は、大山巌が残した西郷評「西郷さんの人望買い」を裏付けています。

116:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 12:59:42.44 gQUblUQXO
>>112
同じレス中で使ってる「久光」を変換ミスするって、しかも二回もして気づかないって西郷アンチストーカー、どれだけカッカきて冷静さを欠いてるんだか
しかも「久松」なんて、普通にPC使ってたら有り得ない間違い
とにかくまた西郷アンチストーカーの誤字歴が増えて、自説のいい加減さに拍車が掛かったな
住人は誰も西郷マンセーなんかしていない、アンチがウソと単なる素人の読み物でテンプレまで作って何年も荒らし続けるから、そのウソを指摘し論破してその卑怯さを晒してるだけなのに信者扱い
しかしどれだけ西郷を貶めようが、重野は西郷を高く評価し、西郷嫌いで有名だった久光さえも協力するようになり市来も西郷の最期は聞いた通りに書いた、と逆に証明しただけだから笑える

117:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 14:18:07.26 WWgY/HPZ0
つまり、自分に従う者は非常にかわいがり、
自分に逆らう者は露骨に憎み嫌う、西郷はそういう心の狭い男だ

西郷は「人望買い」の性格のため、自分に従っていた私学校生徒が暴発した時、
断われなかった。従っていた生徒達の人望を失う事を恐れて、断われなかった。
肝っ玉の小さい、女みたいな奴だ

勇気のある男なら、皆に嫌われる事を覚悟して、暴発した部下を諌める。
西郷には「嫌われる勇気」がなかったために、西南戦争を起してしまい、
1万もの有意の若者を戦死させ、宮崎熊本の住民に凄まじい被害を与えた

118:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 14:51:50.31 gQUblUQXO
>>117
黙ってろ「久松」
自分が逆恨みしてる西郷を露骨に憎み嫌って、何年も粘着中傷する心の狭い、カッカきて冷静にもなれず二回も同じ間違いするバカが

119:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 14:57:51.40 WWgY/HPZ0
>>118
反論できないと、誤字を指摘する事しか出来なくなるな(大笑い
鹿児島県は800年チョンの植民地だっただけあって、
まともに議論も出来ない、人間のクズばかりだなwww
心が狭いから、西南戦争であんなミジメな負け方をして朝敵になるんだよw

120:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 15:15:02.99 Bg9jaheP0
もともと久光は西郷嫌いだったわけではなく、
久光に嫌われるような原因をつくったのが西郷だからな。

西郷が久光に、上洛、江戸出府の意見を求められて、
「時期尚早ですし、地ゴロのあなたが上京しても何もできやしません」という発言が有名だけど。

「西郷隆盛伝説の虚実」安藤優一郎著によれば、この時西郷は久光のみならず、
久光の側近たちにも、偉そうに
「貴様などは御供して上京してどうするつもりだ、
ただ一人、二人の浪士(越後の本間精一郎など)が我が藩に来て、
御上京が宜しいと説いたといっても、それは書生論である。
浮浪輩の書生論、畳の上の水練で、世の中の事が出来るものか、
(中略)貴様たち、君側に居て御止め申しはせず、何とした短慮ぞ」
と叱りつけ、久光側近たちの面目を潰したという。
 重野安繹 『西郷南洲逸話』

これで西郷は、久光と側近たちの不興を買い、再び島に流される遠因になった。

ちなみに久光と側近たちはその後、実質西郷抜きで上京・江戸出府を成功させ、
彼らの展望が間違っていなかったこと、また西郷が久光を過小評価していたことを証明して見せた。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 15:17:43.03 Bg9jaheP0
上のような西郷の傲慢な物言いは生来のものらしく、
前藩主島津斉彬が西郷を御庭方に取り立てようとした際、
斉彬の側近たちは西郷の人間としての評判が悪すぎるとしてみな反対した。

「城下では、西郷のことを粗暴で郡方での人間関係も良くないと誹謗する者が多いと聞いた。
しかし役に立つ者は必ず俗人に誹謗されるものである。」
と斉彬は側近たちに言い、西郷を抜擢したそうだ。(鹿児島県史料、斉彬公史料)

この斉彬発言が事実なのか知らないが、西郷の人間関係が悪かったのは事実であろう。
親友の海江田信義ですら西郷を評して「奢り高ぶっているわけではないが、簡単に人には屈しない性格」
と評している。言い換えれば「奢り高ぶってる奴」と見られることが多かったということであろう。

あるいは斉彬や海江田には、西郷が持つ、士卒を動かすカリスマ性が見えていたのだろうか。

ちなみに西郷伝説では、西郷は郡方(年貢の徴収などする役所)の小役人時代に
農村の窮乏を見かね藩に建白書を提出。藩主島津斉彬がそれを読み感心。御庭方に抜擢された。
となる。

しかしその建白書は残っておらず、それどころか、
建白書を出した話し自体が後世の創作ではないかと見られている。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 15:54:35.81 gQUblUQXO
>>119はもう反論すらできなくて、誤字と中傷しか出来なくなった哀れな西郷アンチストーカー
全てのソースはウソとただの読み物で何の証拠にもならないと証明され、いくら西郷の性格を中傷しようとも西郷の周りにいた人間は西郷を認めざるを得なかった、という事実を突き付けられて火病起こすしかできない、惨めなストーカー犯罪者予備軍

123:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 16:02:04.21 gQUblUQXO
そして>>121はいつもの西郷アンチストーカーの特徴である誤字をまた繰り返し、何年にも渡るテンプレまで作って西郷に粘着中傷しているストーカーだと、自ら証明している
今度は西郷が斉彬に認められ見いだされたことへの嫉妬から、頭のやられた妄想癖を世界中に発信するに至った、まさに『重症』

124:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 18:29:53.23 C7mijulr0
西郷が他藩とのなんら連携もない久光を地ゴロと言った時と
西南戦争で他郷と連携取らなかった時の西郷は違いすぐるから
西南戦争は西郷にとって不本意ではないかと思う

125:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 18:46:02.37 ZfRGExi70
どれ程人徳が有る西郷でも人の嫉妬はどうすることもできなかった。

126:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 18:51:57.61 WWgY/HPZ0
>>124
西郷は久光が大嫌いだから「お前が行っても何もできる訳がない」と
久光の京・江戸行きを止めようとし、久光に「地ゴロめ」と罵倒したんだろう
「好悪が激しく、嫌いな者を憎む事が甚だしい」という西郷の性格が良く出ている

そして「自藩と他藩の者で、露骨に態度が変わる」という西郷の性格通り
熊本協同隊などを頭からバカにして連携を採らなかった。

一連の行動は、一見すると矛盾しているようだが
西郷の狭量な性格そのままだと思うよ

127:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 19:44:59.41 gQUblUQXO
>>126は西郷が大嫌いだから「別府は『重症』だから介錯できる訳がない」と、別府が介錯したと多くの書物に記録されているのを否定しようとし、西郷を「降伏しようとして桐野に撃たれた卑怯者め」と罵倒したんだろう
「好悪が激しく、嫌いな者を憎む事が甚だしい」という西郷アンチの性格が良く出ている
そして「自説と他説の者で、露骨に態度が変わる」という西郷アンチの性格通り
重野安繹や市来四郎が西郷に辛めの評価をしている物は嬉々としてコピペしながら、
同じ重野安繹が西郷を高く評価し、同じ市来四郎が「別府晋介首を取り」と書き残した市来四郎日記を頭からバカにして採らなかった
一連の行動は、一見すると矛盾しているようだが
西郷アンチの卑怯で狭量な性格と西郷を長年憎みながらアンチスレに行かず
西郷スレから決して離れられない矛盾を、そのまま表している

128:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 22:37:02.93 Bg9jaheP0
大隈重信、西郷を語る

「 世間の多くの人は西郷を英雄と言い、豪傑と称しているが、
私は不幸にして、未だに西郷のどこが英雄でどこが豪傑だったのかさっぱり分からない 」

 日本史籍協会編『大隈伯昔日譚』二、東京大学出版会、1981年履刻

129:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/16 23:15:26.74 WWgY/HPZ0
つまり、自分に従う者は非常にかわいがり、
自分に逆らう者は露骨に憎み嫌う、西郷はそういう心の狭い男だった

西郷は「人望買い」の性格のため、自分に従っていた私学校生徒が暴発した時、
断われなかった。従っていた私学校生徒達の人望を失う事を恐れ断われなかった。
大事において情に流されてしまう、肝っ玉の小さい、女みたいな奴だ

勇気のある男なら、皆に嫌われる事を覚悟して、暴発した部下を諌める。
西郷には「嫌われる勇気」がなかった。そのために西南戦争を起し、
1万の有為の若者を泥水の中で戦死させ、宮崎熊本の住民に凄まじい被害を与えた

130:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 00:54:09.18 p19kI/ZaO
大隈重信が西郷隆盛のことを「自分は不幸にしてその大きさを理解できない」とする一方で、
福沢諭吉はわざわざ著書「丁丑公論」を書き起こし、徹底して西郷を擁護する。

世の中ってうまく出来てますネ。

131:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 03:53:30.95 +omF+nj90
大隈は嫉妬深い人物。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 04:46:26.46 3PDOY4X70
>>130
福沢諭吉は西郷に一面識もない
ただ西郷が起した反乱が成功したら(戊辰戦争)、世間は「蓋世の英雄」と称え、
反乱が失敗したら(西南戦争)、世間は「鬼畜の首魁」と貶すのでは無茶苦茶だ、
日本の正義は軍事力で計るのか、という問題提起で西郷の擁護をしたまで

133:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 06:59:22.89 ctb5VC080
>>132
つまり、大隈の西郷評は個人的な主観であるが、
福沢の西郷擁護はもっと高所から日本社会に訴えたもの、
ということになりますね。

134:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 12:48:25.75 3PDOY4X70
>>133
表現がちょっと・・
大隈の西郷評は1次情報に基づいたもので
福澤の西郷擁護は日本人啓発のための材料

135:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 15:41:15.47 oJFtg5980
大隈も征韓論の時西郷に面罵されたからな

136:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 17:01:23.20 n7lpoh5P0
大隈が西郷に面罵されたことなんてありましたっけ?

137:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 18:24:50.83 va9gzeDdO
>>132
>○西郷隆盛と福澤諭吉明治維新三傑の一人、西郷と福澤は、深く尊敬しあっていたといわれます。
福澤の著作を読んだ西郷は「目が覚めた」と手紙に書き、薩摩の子弟の慶應義塾入学を奨励したといわれています。
西南戦争で明治政府の専制に反旗を翻した西郷を福澤は擁護し、政府に建白書を出すなどの運動もしています。
余り知られていない西郷と福澤の関係を示す様々な資料を展示します。

>慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

138:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 19:10:20.99 3PDOY4X70
>>137
>福澤の著作を読んだ西郷は「目が覚めた」と手紙に書き

西郷は大島商社を設立して旧藩以上の奄美島民搾取をやるなど
薩摩藩士以外への差別意識が非常に強かった人だから、
福澤の西洋流の平等主義は新鮮だったろうな。
でも、西郷は死ぬまで島民搾取を止めようとしなかった人間のクズ

>明治政府の専制に反旗を翻した西郷を福澤は擁護し

それは132で書いたように、世間が戊辰後は西郷を「蓋世の英雄」と称え、
西南戦争では「鬼畜の首魁」と貶しているのが倫理的におかしい、
こんな事では日本人の倫理観はおかしくなる、という話。
福澤は日本人の倫理観に常に危機意識を持ち、うるさかった。

それから繰り返しだが、西郷と福澤は一面識もない

139:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 19:21:59.71 va9gzeDdO
>>138は西郷と福澤の交流を知らない歴史オンチの上、数々の資料でそれを証明されてもあくまでも「面識が無い」と誹謗中傷を止めようとしなかった、正真正銘人間のクズ

140:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 19:56:03.21 3PDOY4X70
>>139
西郷と福澤が会った事があるという珍説を主張するなら
いつどこで会ったかぐらいは書け、病的なウソつきのチョンめ

141:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 21:05:11.90 va9gzeDdO
>>140
西郷と福澤は直接手紙を交わし交流している、それは慶応義塾大学が証明している
福澤が西郷と直接手紙を通じ接した事実が無く一切関わりが無く、福澤の西郷擁護はただの問題提起だの日本人啓発のための材料という珍説を主張するなら
慶応義塾大学と福澤の子孫と福澤を尊敬する全ての卒業生を、堂々と敵に回すがいい
慶応義塾大学と子孫に、その資料は偽物だと訴えてみろ
できないクセにウソばかりつく、病的なウソツキチョンそのものの西郷アンチストーカーが

142:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/17 22:19:18.90 n7lpoh5P0
その手紙、実物無いんじゃないかな? 事実がどうか怪しい話だよ・・・

143:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 00:45:40.31 6HhvgZKH0
>>141
>それは慶応義塾大学が証明している

ソースぐらい出したら?
妄想で「証明している」と言ってもメンヘラみたい

144:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 05:30:35.84 HTg7Yo8U0
前スレが90レスも残して落ちたから全員くたばったと思ったら埋め立てもせず宣言も無しに次スレか…
ホントこのスレの奴らってルールも何もねーのな

145:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 06:12:23.06 1QkXviG1O
>>143
慶応義塾大学が創立150周年記念として開催した福澤諭吉展で証明しているとまで書いてあるのに、自力でソースすら探し出せない情弱メンヘラ
妄想で「桐野が西郷を撃った」「別府が『重症』だったから介錯は不可能」と言い張る、何年も西郷に粘着しスレをただの読み物コピペと自作テンプレで埋めるメンヘラ

URLリンク(keio150.jp)

146:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 07:45:16.69 w8DdXtbx0
>>145
「証明している」なんてどこにも書いてないが?
ウソもいい加減にしろ

147:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 08:14:16.34 1QkXviG1O
>>146
サイトの引用でなく>>141でこちらの地の文として「証明している」と書いているのはお前自身が認めてるだろメンヘラ

143: 08/18(月)00:45 ID:6HhvgZKH0
>>141
>それは慶応義塾大学が証明している
ソースぐらい出したら?
妄想で「証明している」と言ってもメンヘラみたい

さあ、こちらは慶応義塾大学が福澤諭吉と西郷隆盛とが尊敬しあい手紙をやり取りする関係があった、と公表しているソースは出したからな
ウソばかりついて何一つまともなソースが出せないお前とは違うんだよ、妄想メンヘラ
これ以上のクレームは慶応義塾大学や福澤諭吉の子孫にでもつけろ、正々堂々名乗ってな
長年西郷隆盛と鹿児島県民に粘着中傷しているストーカーの存在が、世間に晒されるいい機会だ

148:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 08:26:16.27 w8DdXtbx0
>>147
言い訳キモい・・・

しかしこいつはとうとう自分が鹿児島県民だと普通に認めるようになったんだな
ウソや言い訳って、鹿児島じゃあたりまえの文化なのか?

149:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 08:27:32.63 SkxhM7asO
少なくとも福沢諭吉を顕彰する人たちの認識としては、
「福沢と西郷は互いに尊敬しあっていた」ということでしょう。

これが、マイナーな私大の創始者が西郷を尊敬していたなんて話だと、
スレ主は「西郷の虚名を利用してるだけだ」なんて書くんだろう。

しかしさすがに福沢諭吉ぐらいになれば、自分を大きく見せるために、西郷の名を出す必要は全然ない。逆も然り。
この互いの「尊敬」は本物ですな。

福沢は西郷と直接会っていないから、本当の姿は分からない?それはいくらなんでも福沢の見識を馬鹿にし過ぎでしょう。

それにしても、大隈重信の名を出して西郷を貶めれば、それに対して福沢諭吉の名が出てくるだろうぐらいのことは、思いつかないんだろうか。

150:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 08:33:36.55 w8DdXtbx0
>>149
いい話しだから、本物ってw

典型的な信者だな

151:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 08:43:24.80 SkxhM7asO
>>150
では「福沢と西郷は互いに尊敬などしていなかった」という「証明」よろしくね。

152:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 09:13:39.54 8Q8/zU170
逆ギレですか・・・

「証明している」とウソをついたのは信者のほうだよ
「証明」を求める相手が間違ってる

153:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 09:24:31.40 1QkXviG1O
>>148
誰が鹿児島県民だって?
鹿児島県民だともそうでないとも一言も書いてないし何の証明もできないのに、話題そらそうとキモい言い訳必死だな
しかもこいつはとうとう、自分が全ての鹿児島県民を中傷してきた事実すら忘れたようだ、さすがメンヘラ脳の病
ウソや言い訳はチョンじゃ当たり前の文化だから、お前はチョンそのものだ
ほら、キモい言い訳はいいからさっさと慶応義塾大学と福澤諭吉の子孫に言ってこいよ
西郷隆盛と福澤諭吉にそんな関係は無いウソツキ!とここで発狂した通り堂々と主張して、訴えられろ
東京に住んでると自演用iPhoneで断言したんだから、勿論東京の慶応義塾大学にはすぐ確認できるよな?
なんなら直接行くのも可能だよな?
できないならお前の負けだ、ウソツキチキンメンヘラ

154:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 09:31:57.19 1QkXviG1O
>>150
いつもの自作誤字テンプレ粘着中傷メンヘラストーカーの、典型的な特徴の誤字を繰り返している
ほら早く慶応義塾大学に堂々と名乗って言ってこいよ、西郷は福澤諭吉の本なんか読んでない、手紙も出してない!慶応義塾は西郷から生徒を頼まれてもいない!西郷と福澤に何の関係も無い!とな
どうせできないだろ、チキンが

155:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 11:54:52.37 6HhvgZKH0
>>147
>さあ、こちらは慶応義塾大学が福澤諭吉と西郷隆盛とが尊敬しあい手紙をやり取りする
>関係があった、と公表しているソースは出したからな

ウソはいかんよ、ウソはwwwww
西郷マンセーは息を吐くようにウソを言う

一体どこに「手紙をやり取りする関係があった」なんて書いてあるんだ????
西郷マンセーは幻覚症状なのか?

まず「手紙をやり取りする関係があった、と慶応義塾大学が証明した」という
デタラメを説明して。どこにもそんな事は書いてない。

見え透いたウソを書いて、西郷にも福澤先生にも失礼な奴だな
ウソを言わずにはいられないのか?

チョン島津家が800年鹿児島を統治していたから、
鹿児島県は韓国の植民地化して、
県民はみんなチョンみたいに病的なウソつきばかりなのか?

156:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 12:31:39.17 1QkXviG1O
>>155
慶応義塾大学には言ってきたのか?どうせ何もできなかったんだろ、チキンが
慶応義塾大学のソースに発狂、実に見苦しい哀れな西郷アンチストーカー
もうお前の負けで終わりだ、チョンそのもののウソツキ
さっさと慶応義塾大学にケンカ売って訴えられてこいよ、犯罪者そのものの粘着中傷ストーカー

157:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 13:01:29.93 UW7rEW3P0
>>155

年来に渡り西郷隆盛、及び鹿児島県人を執拗に攻撃、罵倒している
理由を教えてくれ。

158:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 13:24:10.53 6HhvgZKH0
>>156
>慶応義塾大学のソースに

ウソはいいから、一体どこに「手紙をやり取りする関係があった」なんて
書いてあるんだ????
ウソつきチョンの脳内には書いてあるのか?wwwwww

チョンだから、ウソを言うしか能がないのか?????
チョン鹿児島県民にとって、ウソが最大の武器なのか?

鹿児島県民は病的なウソつきだから、維新から140年近く経っても
鹿児島県には産業が何もなく、国の公共事業予算に縋るしか能がないんだよwwww
まるでODAに縋る途上国みたいだな(嘲笑

>>157
156見たら分かるだろ
鹿児島県民はチョン島津家800年統治の影響なのか
病的なウソつきで、まともに議論が出来ない下等県民だから

159:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 13:44:46.11 1QkXviG1O
>>158
お前の負け
ほらほら、早く慶応義塾大学にウソツキ!とケンカ売って更にボロ負けしてこいよ、西郷粘着中傷ストーカー
訴えられて正体晒されて何年も前からのここの荒らしログも証拠にされて日本中に恥かけ、メンヘラキチガイストーカー

160:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 14:01:59.12 6HhvgZKH0
>>159
お前が勝手に「西郷と福澤は手紙をやり取りする関係があった」と
見え透いたウソを言ってるだけで、慶大はそんな事は全く言ってない

ウソはいいから、一体どこに「手紙をやり取りする関係があった」なんて
書いてあるんだ????
ウソつきチョンの脳内に書いてあるのか?wwwwww

チョンだから、ウソを言うしか能がないのか?????
チョン鹿児島県民にとって、ウソが最大の武器なのか?

ウソをつき続ける事が、鹿児島県民のアイデンティティなのか?
西郷の時代から病的なウソつき県民の伝統は全く変わってないなwwwww

161:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 14:20:52.42 1QkXviG1O
>>160
見苦しいわ、卑怯者のメンヘラ西郷アンチストーカーが

>○西郷隆盛と福澤諭吉明治維新三傑の一人、西郷と福澤は、深く尊敬しあっていたといわれます。
福澤の著作を読んだ西郷は「目が覚めた」と手紙に書き、薩摩の子弟の慶應義塾入学を奨励したといわれています。
西南戦争で明治政府の専制に反旗を翻した西郷を福澤は擁護し、政府に建白書を出すなどの運動もしています。
余り知られていない西郷と福澤の関係を示す様々な資料を展示します。
>慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

>>145の慶応義塾大学の福澤諭吉展サイトを一切見ないフリして逃げまくってるメンヘラチキンが、笑わせる
ホラホラ、早く慶応義塾大学に正々堂々名乗ってここで書いたようにウソツキ!とケンカ売ってこいよ
いつも決定的な証拠出されて論破されてなんにもできない、アーアーキコエナーイしかできない惨めなヒキニートのチキンが

162:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 15:20:55.60 6HhvgZKH0
>>161
>福澤の著作を読んだ西郷は「目が覚めた」と手紙に書き

一体どこに「【福澤への】手紙に書き」と書いてあるんだ????????

福澤への手紙だったら実物が残っている
福澤家や慶大は創始者の文書の保存と収集に非常に熱心だ
もちろん実物なんてないから、西郷が他人への手紙の中に
読書感想として書いたんだな

福澤が西郷について記した「丁丑公論」に関しては膨大な資料や評論があるが、
その中に「西郷と福澤が手紙をやり取りしていた」なんて記述は一切ない。
福澤と西郷が実際に手紙をやり取りしていたら、丁丑公論に関する資料や評論に
その内容や経緯が当然記されるが、一切ない
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)
URLリンク(www.amazon.co.jp)明治十年-丁丑公論・瘠我慢の説-講談社学術文庫-
福沢-諭吉/dp/4061586750
URLリンク(philosophy.hix05.com)
URLリンク(www.keio-up.co.jp)
URLリンク(ja.wikipedia.org)丁丑公論

丁丑公論に記されているのは、福澤の
「余は西郷氏に一面識の交もなく、またその人を庇護せんと欲するにも非ずと
いへども、特に数日の労を費して一冊子を記しこれを丁丑公論と名づけたるは、
人のために私するに非ず、一国の公平を保護せんがためなり」という記述。
西郷と福澤は全く面識もないし、手紙もやり取りしていない。

「西郷と福澤が手紙やり取りしていた」なんて
子供じみたウソは大概にしろ

見え透いたウソを言い続けるなら「西郷と福澤の手紙」の実物を提示してね
「丁丑公論」を研究している研究者でさえも全く知らない
「西郷と福澤の手紙」をねwwwwwwwwww

163:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 16:10:28.86 1QkXviG1O
>>162
一体どこに「西郷が他人への手紙の中に読書感想として書いた」と書いてあるんだ????????
その手紙の実物は????????
勿論存在するから言ってるんだよな????????
慶応義塾大学には福澤と西郷の関係を示す様々な資料があるんですけど、「西郷が他人への手紙の中に読書感想として書いた」手紙は一体どこに????????
外観だけヨダレ垂らして見てた、東大図書館????????
子供じみたウソは大概にしろ
見え透いたウソを言い続けるなら「西郷が他人への手紙の中に読書感想として書いた」手紙の実物を提示してね
「西郷が他人への手紙の中に読書感想として書いた」手紙をねwwwwwwwww

>○西郷隆盛と福澤諭吉明治維新三傑の一人、西郷と福澤は、深く尊敬しあっていたといわれます。
福澤の著作を読んだ西郷は「目が覚めた」と手紙に書き、薩摩の子弟の慶應義塾入学を奨励したといわれています。
西南戦争で明治政府の専制に反旗を翻した西郷を福澤は擁護し、政府に建白書を出すなどの運動もしています。
余り知られていない西郷と福澤の関係を示す様々な資料を展示します。
>慶應義塾 創立150周年記念 未来をひらく 福澤諭吉展(福沢諭吉展)

164:名無しさん@お腹いっぱい。
14/08/18 16:27:07.67 6HhvgZKH0
>>163
お前が「西郷と福澤は手紙をやり取りしあった」と最初に断言して
その証拠を何も示せないでいるんだから、
まず「西郷と福澤の手紙」を提示してね
「西郷と福澤は手紙を交わしていた」と断言したお前に証明義務がある。

「西郷と福澤の手紙」なんては存在しない事は、丁丑公論」に関しての
膨大な書籍に、そんな手紙が全く記されていない事で、証明されている
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)
URLリンク(www.amazon.co.jp)明治十年-丁丑公論・瘠我慢の説-講談社学術文庫-
福沢-諭吉/dp/4061586750
URLリンク(philosophy.hix05.com)
URLリンク(www.keio-up.co.jp)
URLリンク(ja.wikipedia.org)丁丑公論
「余は西郷氏に一面識の交もなく、またその人を庇護せんと欲するにも非ずと
いへども、特に数日の労を費して一冊子を記しこれを丁丑公論と名づけたるは、
人のために私するに非ず、一国の公平を保護せんがためなり」という記述でも
西郷と全く交流がなかった事が、福澤によって明言されている

さあ、「西郷と福澤の手紙」を記してね、病的なウソつきさんwwwwwww
いつもの妄想じゃダメだよ、現物を示してね


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