13/06/19 15:26:28.44 oI1yJm5K0
真珠湾攻撃に絞っても、対米戦をもっと有利に進めて講和に持ち込む機会はいくらでもあった。
まずは在米日本大使館の職員が前日のパーティで飲み過ぎたために宣戦布告が遅れた事。
これで米国中が日本憎し!リメンバー・パールハーバーとなってしまった。
当時の米世論は戦争反対だったからして。
次に真珠湾攻撃・第三次攻撃隊を送らなかった事。
ドックや石油備蓄施設、その他重要な軍事施設を丸々無傷で残してしまった。
これらを完全に破壊しておれば、ハワイは基地としての機能を失い、太平洋の覇権は我が国のものとなっていたであろう。
第三次攻撃を具申した飛行隊長を無視した南雲忠一は指揮官の器ではなかった。
その後、太平洋の至る所で、日本海軍は何度も決定的なチャンスを逃した。
これらはすべて指揮官の決断力の無さと勇気の無さから生じているのである。