12/06/23 02:24:14.90 tDmEgQLB0
>>87
参考に過去スレ引用。
562:白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA [] 09/09/22(火) 16:41:32
>>555
広島県人の元陸軍大尉越智春海氏の文でも抜粋しとこう。
『日本軍は常に、敵情判断が甘かった。なるべく自己に有利に、
なるべく都合のよいように、諸情報を整理して、敵の動きを、
きわめて楽観的、願望的に想定しては、対応策を講じていた。
そんなナンセンスな敵などいないから、常に破たんした。
これは全戦場に共通、いや、開戦決定から終戦処理まで、
すべてこのパターンだった。読者は、当時の軍人や政治家を笑っては
いけない。今日でもこのパターンで政治は動かされており、国民の
日常生活は進行しているのだから・・・。
ついでに開戦以来の日本の戦争遂行方針の変貌を一覧すると、
開戦時の基本構想は「まず南方資源要域を略取して、米英が反抗態勢
を整えるまでに、日本は防衛・経済等の態勢を確立して、持久戦を
策す」るのだった。
この決策のとき、海軍を代表する山本五十六連合艦隊指令官長は
「開戦後一年半ぐらいは、相当にあばれてみせるが、あとは自信が
ない」と表明したそうだ。つまり早期に和平手段を講じて、うまく
戦争を収拾してくれという考えである。しかし、その後の経過には、
まったくそのような動きは見られず、第一段作戦の予期以上の好調に
有頂天になってしまい、ずるずると戦線拡大の一途をたどった。
「勝った。勝った。」の狂喜乱舞のなかで、なしくずし的に大事を
決定してしまったのだ。』