12/06/20 02:04:57.02 lmYd/LW+0
>>75-76及び>>77-78
「台児荘」は、姫路10Dが勝手に独断攻撃し、広島5Dが救援し、
忻州まで戻って再攻撃して徐州会戦になり、徐州から中国軍が敗走したん
に、どこが中国軍の勝利なん?
「第二次長沙作戦」に関しては、最前線の名古屋3Dと熊本6Dの完全敗走で
負けじゃが、」「常徳」や「衡陽」いずれも近畿兵団の活躍で中国軍を
降伏、敗走させた勝利の戦闘じゃないか。
南寧の崑崙関で中国軍は英軍を撃退退却させたが、広島5Dは世界初の
攻略実績を挙げたんで。山口連隊が崑崙関でやられ退却したんは事実
じゃが、福山連隊の奇襲成功から流れが変わり、結局中国軍は
撤退したじゃないか。
桂林の頃は、熊本58D自体、衡陽城攻略の強襲でほぼ壊滅し、それ以降の
58Dは、南九州の郷土兵団じゃのうて、全国から集めた雑軍に変わっ
とるよ。あんた無批判に中国側だけの見解から云うてもつまらんわ。
勝ち負けくらいはどっちか攻略したかで解るもんじゃに。