12/06/19 17:41:06.46 BWTrpvZY0
川での激烈な戦いと同時に、市街戦の方も白熱していった。
日本の第58師団師団長の後日の戦況報告には、“わが師団は桂林にて、
]広西現地の土着武装軍の頑強な抵抗に遭遇。 この武装軍は
装備は劣るものの、なかなか凶暴でその決死の抵抗は、
わが軍の力をはるかに上回り、それがためわが軍の士気は沮喪して--------”。
このほか、下士官が書いた記録には、“小さい時、桂林の景色の素晴らしさ、
珍しさを聞いていたが、今日、わが軍は戦争以来、最も激しい抵抗に遭い、
市内至るところ銃声が飛び交い、地雷が鳴り響き、またあちこちで白兵戦が繰り広げられた。
わが大隊900名余のうち、戦争が終わった時残っていたのはわずか70余名、
それも多くは負傷兵だった。 戦争終了後、敵軍の武器を見ると、
なんとほとんど日本が40年くらい前に捨てた鉄砲だった。
このようなお粗末な武器で、わが軍にこのように多大の死傷者を与えたことに、
敵ながらその武勇に感服した”
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というように、日本軍は旧式装備を持った桂林市民にも劣る劣等軍隊だった