【日本軍】どこの地方の兵士が最強か【郷土連隊】at HISTORY2
【日本軍】どこの地方の兵士が最強か【郷土連隊】 - 暇つぶし2ch665:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
12/09/27 01:35:30.17 0IUVCfF90
>>658
 被害妄想で大嘘書きよるあんたの幼稚さが問題じゃろう。
 東郷たぁ知識が無ぁかも知れん、儒教的に職人を嫌う薩摩の風で
大工みたぁな奴と軽蔑された村田経芳氏すら権力側の薩摩じゃけぇ
留学しとんで。
 ハワイ移民は新天地ゆえ、職人としての依頼じゃ無ぁが、奴隷農奴と
してはブラジル移民の方が苦労しとるよ。西日本の移民県は、
広島、山口に次いでは、熊本、福岡じゃに、自爆しよんか?
周防大島は移民の産地じゃが、広島人が周防大島出身の
宮本常一氏に、「あんた、大島ぼいと(乞食)か」云われたよう、
貧しい人たちは広島へ出よったんじゃ。
近世の移民についても、農村と都市に還元するたぁ、西日本の
人口増加が東日本の旧社会体制を駆逐した一つが明治近代国家成立
じゃし、浄土真宗で間引きが無かった広島の多くは耕地も乏しい
ゆえ、他県へ出稼ぎや移民した人たちも多い。
宮本常一氏は、広島県からの出稼ぎについて、
「北九州一帯で、クジラの網法がおこなわれ、労力を必要としたが、
技術をともなう労力であり、そういう資格を持っているのは、
瀬戸内漁民に多かった。記録に残っているあるものについてみると、
鞆、田島、横島、倉橋島(広島県){他に香川県、山口県の部分は
略す}」
「一方広島県の瀬戸内寄りの山村では、早くから吉野、熊野地方の山中へ
荷をもちとして出稼ぎするふうが、江戸時代の中頃からみられた」
「岡山県加茂川町小森の文久三年の「御用留」に四人の安芸者の
木挽がいたことがわかるが、その当時まで、この地方には鋸を用いて
木を伐る技術はほとんどなかったという。事実、旧い家について調べて
みると、まずしい家の柱は曲がった木を鉈でけずったものが多く、
上層農家は手斧でけずったものが多い。それが幕末の頃から木挽の
入稼をみて、建築技術もいちじるしく進んでくるのであるが、
この地方に稼ぎにきた安芸人の実数はもっとおびただしいものであった
らしく、明治五年の戸籍によって、小森付近の四つの集落について
みると、安芸人の養子十五人をかぞえることができる。十五人が
養子になったということは、それに何倍かするほどの人が稼ぎに
きていたと推定される。」
「江戸時代の人口は、中期以後一般に停滞したとみられているが、
部分的にみれば増加したところが少なくない。
 特に中国西部・北陸・伊勢湾をかこむ地域・北九州に人口増加が
いちじるしいのは、この地帯が共通して浄土真宗の盛んな地域で
産児制限がいちじるしくひかえさせられていたとみられる。」



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