【日本軍】どこの地方の兵士が最強か【郷土連隊】at HISTORY2
【日本軍】どこの地方の兵士が最強か【郷土連隊】 - 暇つぶし2ch531:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB
12/09/04 00:36:20.81 s4dsB7vy0
>>527
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ここの、平賀氏の奮戦。
「弘章のあとは孫の頼宗(共益の嫡男)が継ぎ、大内氏に属して永享六年
(1434)大友持直の討伐戦、同八年には豊後姫岳の戦い、つづいて同十年
には大和国永享の乱鎮圧に出陣して越智氏討伐のため大和国内を転戦した。
さらに、嘉吉の変が起こると、少弐氏攻めを命じられた大内教弘に従って
九州筑前に出陣、千手城の攻防戦に活躍した。文字通り、打ち続く戦乱の
なか東奔西走の日々を過ごした。」と、大内氏は精強な安芸兵を九州に
投入しとるよ。更に中央での争いでも、安芸平賀氏は武勲を繰り返し
立てとるよ。
「応仁元年(1467)、応仁の乱が勃発した。乱に際して平賀弘宗は
西軍山名氏に属して出陣、応仁二年八月の京都相国寺の合戦における
働きは目覚しく、戦後「鬼平賀」の異名をとった。 」
「永正四年(1507)六月、管領細川政元が家臣に殺害されてしまった。
まさに下剋上の連鎖であった。
 政元の死を知った義稙は大内義興に奉じられて上洛の軍を起した。
この陣に周防・長門をはじめ筑前・豊前の兵が従い、安芸からは
武田元繁をはじめ毛利・吉川・小早川・熊谷氏、そして平賀弘保が
従軍した。永正五年(1508)、京に入った義興は細川高国と結んで幕政を
牛耳った。その間、細川澄元の反撃によって丹波に奔るという一幕も
あったが、船岡山合戦の勝利によって大内・細川高国政権は京を支配下に
おいた。船岡山合戦における平賀弘保の奮戦はすさまじいもので、祖父と
同じく「鬼平賀」の異名をとり尾張守に任じられた。」
 まあ、平賀氏は「鬼平賀」と云われ、「鬼吉川」と並んで精強な広島県
の中でも精強で西日本でも鳴りひびいとったけんのう。


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