12/06/13 02:08:39.91 hOsbUJB60
>>46-47
高崎伝氏の文から要点を抽出しとこう。
『糧秣受領にゆくとき、ドロボーにゆくという、 百二十四連隊共通の
暗号で、 他部隊の者はおそらく誰も知らなかっただろう。兵隊たちは
掴まりそうになったらカシの棒で警備の兵隊をぶん殴って
気絶させたそうである。
「おい戦友、堪忍やぜ。俺を恨むなよ。恨むなら、うちの親分を
恨めよ。警備に立ったら、日本兵やからとて油断するなよ。これも
訓練の一つだ。こんど来たときゃァ、素直に盗らせてくれよな」
まさに説教強盗も顔負けである。
工藤軍曹の話。「昨夜、道端に輜重の兵隊が脳天を割られて、
血だらけで倒れていた。もういまごろは死んでるじゃろう」
手口から見て、犯人はどこの部隊か、おおかたわかるような
気かした。まさに「ああ壮烈!ドロボー部隊」と辻参謀が戦記に
川口支隊(福岡124i)をドロボー部隊と書いた気持ちもわからぬでもない。
泥棒は日本兵だけでなく、高射砲の印度兵もまた同じであった。
暗闇の中で、変な日本語で、
「ヘイ!マスター、ドロボーか、ワタシモドロボー、ナカヨクネ」
「おう、ユー・インドか。うまくやれよ。」
そういって別れた。
「九州男児は乞食をするな。泥棒するときは個人のものは盗るな。
糧秣集積所から、一時、無断拝借するだけだ。借りはつぎの戦闘の
戦果で返せばいいのだ。」という雷親分、工藤軍曹の言葉は、当時
のガ島では名言だった。』
まあ、軍隊じゃあ、同じ日本軍でも、ぽさっとしよって盗られる方が
悪いけえ、九州兵の云われることは概ね正しいよ。