12/06/12 02:27:08.08 uKJy4gzP0
>>44の名古屋38Dの活躍の一部。
「矢野中佐ははじめて、自分の部隊が東海健児の名に恥じない
精鋭であることを悟った。他の一個中隊は、密林内の第ニ師団の
守備陣地を引きついだ。そこが第ニ師団の最前線で、第十六連隊が
最後まで敵を支えていた陣地だったが、ここでも積極果敢に突撃戦を
反覆して、戦勢を一変させてしまい、米軍の進出は完全にストップ
した。
最後の総指揮官となった松田教寛大佐は「このくらいの精兵が
二個師団あれば、撤退などしなくてすむのに」と残念がった。」
まあ、名古屋38Dと仙台2Dは、名古屋38Dのバンドン攻略し
一番乗りを、仙台2Dが入城一番乗りだけは我が師団にと、
軍に訴え奪い取った因縁もあったけんのう。