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【次代への名言】
司馬さん、遼(はるか)なり編(58)
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■「藩にしても国家にしてもおなじで、福沢諭吉がいったように、官の力で国が立つのではなく、民力があってはじめて国が立つのである」
(司馬遼太郎『街道をゆく 檮原(ゆすはら)街道(脱藩のみち)』)
福沢諭吉は、司馬さんが最も敬意を表していた日本人の一人であろう。
「むこうはどうも、あれだな、凄味(すごみ)といっちゃ違うが、とにかく日本のどういう英雄豪傑にもなかった種類の勇気というものがありますよ(中略)
義ヲミテナサザルハ勇ナキナリ、のあの勇です。それが福沢にはある。匹夫(ひっぷ)の勇ではない」
幕末を舞台にした『峠』には、のちに明治を代表するジャーナリストとなる、福地源一郎(桜痴(おうち))が、洋学の先輩である福沢についてそう語る場面がある。
「(激動の時代に)さらりと独立自尊をやってのけています」
司馬さんが評論家の江藤淳氏と対談したさいの福沢評だ。その福沢は西南戦争の後、政府を論難し、乱の指導者となった西郷隆盛を擁護する論文
『丁丑(ていちゅう)公論』をひそかにしたためた。このときの福沢の心中について、司馬さんは『「明治」という国家』でこう分析している。
《西郷の死と、西郷の後輩たちの大量死は、サムライたちが保持していた日本人の品性や気骨、質実さが、今後、急速に薄れてゆくという不安を福沢にいだかせたのでしょう。
“個人の独立”といったところで、薄っぺらな個人が独立したところで、なにほどの美を済(な)すわけではありません。
福沢は、それより(中略)内村(鑑三)や新渡戸(稲造)たちが大切にした、武士道というものを大切にしたかったのです》(文化部編集委員 関厚夫)