12/06/30 16:26:44.66 AzlY9j9q0
>>711
あと、>>715に「絶対主義思想家」とあるだろ。このレッテルは旧講座派=共産党左派の定式。
具体的には服部之総・遠山茂樹・安川寿之輔くらいしか主張していない。
この本が安川の影響下にあるのは明白だな。
ところで、
韓国人にとって彼は朝鮮開化派を助け甲申政変をたきつけた人でもある。しかし、政変失敗後は
日本の韓国支配を強力に主張した張本人だ。合わせて日帝政府より先に立って清日戦争を挑発
して朝鮮にいた日本人保護を口実に朝鮮に駐屯軍派兵の必要性を声高に叫んだ。また‘征韓論’
を越える‘朝鮮政略論’を主張し朝鮮の改革がすなわち日本の独立を維持するという論理を前面
に押し出し朝鮮の国政改革を推進して監視する‘朝鮮国務監督官’を提案した。>>715
に当てはまる社説は、いったいどれなんだ? 開戦前に対清国攻撃を唱えたなんて聞いたことが
ないんだが。
719:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/30 17:12:01.69 rfT7UKuk0
【次代への名言】
司馬さん、遼(はるか)なり編(58)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
■「藩にしても国家にしてもおなじで、福沢諭吉がいったように、官の力で国が立つのではなく、民力があってはじめて国が立つのである」
(司馬遼太郎『街道をゆく 檮原(ゆすはら)街道(脱藩のみち)』)
福沢諭吉は、司馬さんが最も敬意を表していた日本人の一人であろう。
「むこうはどうも、あれだな、凄味(すごみ)といっちゃ違うが、とにかく日本のどういう英雄豪傑にもなかった種類の勇気というものがありますよ(中略)
義ヲミテナサザルハ勇ナキナリ、のあの勇です。それが福沢にはある。匹夫(ひっぷ)の勇ではない」
幕末を舞台にした『峠』には、のちに明治を代表するジャーナリストとなる、福地源一郎(桜痴(おうち))が、洋学の先輩である福沢についてそう語る場面がある。
「(激動の時代に)さらりと独立自尊をやってのけています」
司馬さんが評論家の江藤淳氏と対談したさいの福沢評だ。その福沢は西南戦争の後、政府を論難し、乱の指導者となった西郷隆盛を擁護する論文
『丁丑(ていちゅう)公論』をひそかにしたためた。このときの福沢の心中について、司馬さんは『「明治」という国家』でこう分析している。
《西郷の死と、西郷の後輩たちの大量死は、サムライたちが保持していた日本人の品性や気骨、質実さが、今後、急速に薄れてゆくという不安を福沢にいだかせたのでしょう。
“個人の独立”といったところで、薄っぺらな個人が独立したところで、なにほどの美を済(な)すわけではありません。
福沢は、それより(中略)内村(鑑三)や新渡戸(稲造)たちが大切にした、武士道というものを大切にしたかったのです》(文化部編集委員 関厚夫)
720:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/01 04:54:02.95 VzapoZL/0
>>718
開戦前に対清国攻撃を唱えた社説といえば、
・「支那朝鮮両國に向て直に戰を開く可し」(1894年7月24日)
のことでしょう。
> 彼は朝鮮開化派を助け甲申政変をたきつけた人でもある。
たしかに、朝鮮開化派を助けたことは事実だけど、
「甲申政変をたきつけた人」というのは、
平山さんの調査報告「福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か?」
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
によると、井上角五郎の証言しか証拠が存在しないし、
その証言も信用できない内容だそうですね。
> 政変失敗後は日本の韓国支配を強力に主張した張本人だ。
政変失敗後の社説
・「朝鮮獨立黨の處刑」(1885年2月23日・26日)
・「脱亞論」(1885年3月16日)
・「朝鮮人民のために其國の滅亡を賀す」(1885年8月13日)
などは、むしろ福澤の朝鮮支援策が失敗したという敗北宣言と
解釈するのが有力な説のようです。
> 日帝政府より先に立って清日戦争を挑発
> して朝鮮にいた日本人保護を口実に朝鮮に駐屯軍派兵の必要性を声高に叫んだ。
これは、
・「朝鮮東學黨の騒動に就て」(1894年5月30日)
・「速に出兵す可し」(1894年6月5日)
のことでしょう。
> ‘征韓論’
> を越える‘朝鮮政略論’を主張し朝鮮の改革がすなわち日本の独立を維持するという論理を前面
> に押し出し朝鮮の国政改革を推進して監視する‘朝鮮国務監督官’を提案した。
「朝鮮政略論」に相当するのは、
・「改革の勸告果して効を奏するや否や」(1895年1月4日)
・「朝鮮の改革に外國の意向を憚る勿れ」(1895年1月5日)
・「義侠に非ず自利の為めなり」(1895年3月12日)
のことかな。
「朝鮮国務監督官」というのは見つかりませんでした。
721:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/01 08:50:25.64 /U0ezN5E0
>>720
平山サイトによると、
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
「シナ朝鮮両国に…」は、昭和版採録・草稿非残存・推定石河執筆のようだ。
もちろん、福沢が関与していなかった証拠などないが、1933、4年に福沢の社説と
認定されたということだけは確実だ。
平山説が定説化してしまうと、左翼は本当に困ってしまうようだね。
722:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/01 10:42:45.76 3Mv1gifPO
全集に入っているが
福沢が書いたかはわからない
こういうのが多いんだろうな
723:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/02 09:31:04.11 KVYNyf3V0
今の岩波の全集が有効である限り
日本の左翼や韓国からの攻撃は
止むことはないであろう!
724:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/02 10:52:54.91 26w4WbPY0
まあ、福澤が経営していた新聞の論調が清国への早期開戦を主張していたとしても、
それだから悪いとはいえないのだがね。
725:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/02 19:40:33.39 y73Wk/46O
その方向で反論するか
726:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/03 00:07:10.14 qD/Vq8d40
>>723
平山さんの新刊が出ても攻撃は止まないのかな?
727:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/03 03:19:09.51 ZEgBtlLWO
もちろんだ
岩波には権威があるからな
w
728:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/03 07:35:43.65 EzR1e0st0
平山新本>>558を使えば買わずとも読めそう