11/12/14 08:31:50.65 AP6N0IW30
「では、なぜこういった説が一般的にならないのか」という所まで話が及
んだところで、驚くべきことを教授は口にしたんですね。
「それは、我々の先輩の研究者たちに対する、遠慮があるからだ」
(中略)
新しい資料が発見されればすぐに「史実」として上書きされるような単純
なものではないのだと。研究にもまた歴史があり、それは簡単に覆せる
ようなものではないのだと。新説の定着には長い時間と努力が必要な
のだと。
URLリンク(aoimon.blog7.fc2.com)
8:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/14 09:06:58.71 NN7X8CWk0
福沢が関係したのだとしたら、いくらなんでも不自然だ、という社説を
あくまで福沢だ、といい続けているのがいるからな。
9:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/14 19:02:59.13 CPAGg/vaO
安川とか竹田とかね
10:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/14 20:39:52.58 Cy5TJV5Z0
真実の福沢を明らかにするより、岩波の面子を優先させるなんて
11:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/15 04:17:47.22 6Qj5O5O70
もうすぐ死ぬのだからべつに気にしなくてもいいんじゃないか?
12:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/15 15:00:07.31 GEZvmtw+0
もう岩波なんて相手にされていないのにな。
13:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/15 19:02:37.01 GxzD5fk+O
世界って廃刊になったんだっけ?
14:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/16 07:31:05.33 LBLb+hGD0
とっくの昔だよ
15:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/16 09:49:16.58 KAlN7mCOP
そんな中、TBSの"親SMAP派"が背水の陣で望んだ『南極大陸』
の演出を手がけるのは、TBSの福澤克雄というプロデューサー。
なんでも福澤諭吉の末裔に当たるという。彼は中居主演の
『砂の器』でも演出を務め、TBSが制作した中居主演の映画
『私は貝になりたい』の監督でもある。その頃から、制作ス
タッフからは「上層部は、福澤だけを優遇する」という声が
上がっていた。その不満が『南極大陸』の視聴率低下で一気
に爆発しそうな気配濃厚だ。親しいTBSの社員は筆者に「ジャ
ニーズと心中したくない」と言ったが、当然だ。TBSは飯島
女史との癒着を解消すべき時期に来ている。
(文=本多圭)
16:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/17 11:33:47.60 xGbmHc+u0
福澤は子沢山だったから、子孫の数も厖大だろ。ほかに有名人は?
17:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/17 19:33:09.21 WLLedhkHO
ま血統は能力じゃないわな
18:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/18 18:06:31.93 JQJXKEqh0
韓国毎日新聞がまた福沢批判をしているみたい。
いい加減脱亜論ネタは飽きたな。誰か向こうにつたえたれ。
19:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/18 22:15:52.40 BF0Q0JFq0
慰安婦問題を李大統領が持ち出すとは。
もっとまともな人間かと思っていた。
20:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 14:03:10.07 73b/f0Vj0
ブタが死んだぞ
21:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 17:33:50.76 un483l7xO
それはめでたい
22:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/19 18:10:04.36 WT30XbD90
>>18
そもそも「入欧」なんて、誰が始めに言い始めたのか。
23:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/20 08:39:38.36 AzAdWqIY0
>>22
脱亜論が有名になったのが1960年代半ばだとしたら、その頃では?
福澤自身の言葉としては、「脱亜入欧」の4文字熟語はないよう。
誰かが福澤の思想の説明文中で使ったのかも。
左翼っぽいな。福澤を悪く言うため、アジア軽視(蔑視)が強調されている表現だ。
鹿野政直あたりか。遠山ではないような。
24:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/20 19:35:44.46 zV5/fnTm0
福沢諭吉記念祭全国高校弁論大会:中津北高1年・増田さんら表彰 /大分
URLリンク(mainichi.jp)
第50回福沢諭吉記念祭全国高校弁論大会(中津市、慶応義塾主催)が中津文化会館であり、
県内外27人の最優秀賞に福岡県立伝習館高2年、江口磨美さんが輝いた。優秀賞は中津北高1年、増田悠菜さんら11人(50回記念特別賞含む)。
江口さんは「仏さんのご飯」の題で認知症の祖父を取り上げた。
「大変だけど、介護で頑張っている家族のことを多くの人に伝えたかった」といい、「些細(ささい)な決まりさえ忘れている祖父が、仏様にご飯を供える行為は忘れていない。
真剣に(先祖を)お参りしている祖父を見て、家族は未来につながっている」と訴えた。
25:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/20 21:28:07.53 M9FmtcPtO
中津から毎年慶応には何人入る?
26:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 07:24:43.84 LfTCejvq0
早稲田における佐賀出身者の優遇みたいのは、慶應と大分(または中津)にもあるの?
東大についても、特別に山口高等中学を設置して、長州出身者に有利にしていた。
27:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 09:39:04.56 IqWMsO3z0
●福沢諭吉の『金玉均謀殺に「日本人は釈然とせず」〔明治27年4月13日 時事〕
金玉均暗殺に付き清韓政府の処置 電報の報ずる所、また世間に伝うる所によれば、く支那政府は特に軍艦を派して、
かの上海にて金玉均を暗殺したる兇湊洪鍾宇と共に、金氏の死体を朝鮮に送り届けたるよし。
上海は支那の領地にして、洪はその地に於いて明らかに謀殺の罪を犯したるものなれば、世界一般の慣例に従えば、その犯人は支那の法律を以って罰すべきものにして、
またその殺されたる当人の死体のごとき、すでに検証を終わりたる上は、朋友故旧の請求にまかせて付与すること相応の手続きなるに、しかるにかの政府、
においては、謀殺の犯人を罰せざるのみか、その死体と共に朝鮮に送りたるを見れば、洪の処為を無罪と認めたものか、または朝鮮の交際上よりその歓心を買の意にでたるこ
とならん。
或いは支那と朝鮮との条約には、この種の犯罪人、すなわち朝鮮人同士の間に起りたる犯罪事件は、すべてその本国に引き渡す定めなりとの説もあれども、
特に軍艦を以って護送の労を取るのみならず、金氏のごとき今日の身分は、決して朝鮮人として取扱うべきものにあらざるにも関せず、また現に引き取りの請求人ありしにも拘わらず、
殊更にこれを朝鮮に送りたるは、ただその歓心を買うの手段に出でたるものと認むるの外なかるべし。(中略)
今回の事件に就き、金氏を上海に誘出し、一刺客をして殺さしわたるは、全く朝鮮人の毒計にもて、支那人のごときはごう髪も関係なしと云えり。
我輩のごときも事実の上に於いて、その無関係を疑わざるものなれども、さてその全体の成り行きに就き、日本人一般の感情をいかんと云うに、支那人に対して自ら釈然たらざるものなきを得ず。
聞く所によれば、金氏の上海行に就いては、支那政府の筋、すなわち支那公使館の辺にては熱心に周旋して、金氏に対するの情誼は同国の親友もただならず、
最も好意を極めたるよしにて、同氏の旅行はもっぱらその好意を当てにして思い立ちたるもののよしなりしに、
ひとたび日本の土地を離れて上海に上陸するや否や、支那人の挙動は全く一変して、殺害当時の始末と云い、死後の処分と云い、ごうも親切の意味なきのみか冷淡水のごとき、
その反対に謀殺の下手人なる洪鐘宇に対しては、その取扱いはなはだ寛にして、現に金氏の死体検証の際などは、縛りもせずしてその場に列せしめたるごとき、
犯罪人を取扱うの法として見るべからず、またその罪人を罰せずして本国に引渡したるは、両国間の条約に拠りたるものとは云え、特に軍艦を以ってこれを護送するに至りては、
鄭重至極の待遇にして、その意のある所を解するを得ず。
かれこれ思い合わしてそ一の挙動を考うるときは日本人の感情は到底釈然たるを得ざるべし。今回の報道ははなはだ簡単にして委細を悉さざれども、次第にその事情を詳かにするに随い、
我が国人の感情はますます鋭敏を加えて、ますます疑団を大にすることはなきやと、我輩の今より想像する所なり。
URLリンク(maesaka-toshiyuki.com)
28:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 09:44:47.41 IqWMsO3z0
日本上陸150年で大きく変わった手帳事情、国家から賜る物から自分で作るモノへ (1/3)
手帳が日本に上陸したのは幕末のころ。以来、国家や会社からもらうものであった手帳が近年は大きく様変わりした。
自分で購入するようになっただけでなく、カスタマイズが普通になっているのだ。
URLリンク(bizmakoto.jp)
福沢3 件諭吉が日本に手帳をもたらしたのは1862年(文久2年)。
明治維新から平成に至るこの150年間に手帳はどう変わったのであろうか。
明治期の手帳は“国家から賜るもの”
1862年、欧州使節団の一行に加わった福沢3 件がパリで購入したものが日本に手帳がもたらされたルーツだと言われている。
ここから起算すると2012年は、日本に手帳が登場してから150年目の節目にあたる。この150年間に、手帳はどのように変わったのだろう。
おおざっぱに言えば、日本においては手帳は国家から賜る物から、自分で作るモノになったのではないか。
明治維新後の日本の手帳は、現在に連なる手帳の歴史の端緒だと言える。
その1つは、大蔵省(現財務省の前身)によって作られた「懐中日記」である。そしてもう1つは、軍隊手牒だ。
どちらも国家が国の特定の機関に従事する人間に対して貸与したものだった。手帳と名がついてはいても、文具店で買うわけではなかったのだ。
29:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 09:52:15.43 IqWMsO3z0
URLリンク(tatsumi-ryu.com) 【立身流の歴史 - 立身流総本部】
加藤 紘
(立身流第二十二代宗家,千葉県指定無形文化財保持者,弁護士)
福澤先生が立身新流の居合を嗜んでおられ、「ずいぶん好きであった」(『福翁自伝』)ことは有名である。明治二十六~八年の間に三回程いわゆる千本抜をされた居合数抜記録が残っている。
「数抜」とは立身流居合修行の独特の方法であり立身流独自の用語である。
立身流では「向」「圓」という二つの太刀筋から稽古が始まりかつこれが極意とされる。居合、剣術、鎗の基本の形の名でもある。
?、長刀、棒、半棒、四寸鉄刀などの総合武術である立身流の動きの根本をなし、この二つが源となって千変万化する。心法、思想、宇宙観まで、この二元をもって理解、鍛錬の拠り所とする。
向は「後の先」の技である。敵の我が面への斬撃に対し、我が刀を抜き放ち立身流独特の技法で鎬ぎ、逆に敵の面を斬る。
圓は「先」又は「先々の先」の技である。柄にかけた敵の手を抜打に我が両手で斬り、さらに面を斬る。
向と圓にはそれぞれ序(基本)、破(実戦)、急(応用)の形があり、更にそれぞれに、歩きながら、あるいは走りながら抜く「立合」と、坐して抜く「居組」とがある。
数抜きはこの向、圓の立合の破を二人相対して「ヤー、エーイ」と発声しつつ抜き続けるのだが、先生の記録は一人抜きのようである。
先生が「四尺ばかりもある重い刀を取って庭に降りて、かねて少し覚えおる居合の技で二、三本抜いてみせ」た(『福翁自伝』)のも、立合の向、圓であろう。
数抜きは現在も行われ、一日三千本、三日で一万本を通す。基本の技、動きを身にしみこませ同時に体力をつけるのが目的であるが、個癖が矯正不能ともなるので、
基本を習得した者のみに許される稽古方法である。見分役は形が崩れたとみると直ちに中止させる。
また、『福翁自伝』に「しじゅう居合刀を所持して、大阪の藩の蔵屋敷にいるとき、また緒方の塾でも、おりふしはドタバタやっていました。」とある。このドタバタにも意味がある。
居組の序の向の形は、正座から、右膝を床に突き腰を立てながら左足を前に強く蹈み出し(その音をドタとする)同時に刀を抜いて敵の面撃を鎬ぎ、
直ちに左右の足を蹈み違え(その音をバタとする)ながら敵の正面を斬る。
圓は、正座から、左膝を床に突き腰を立てながら右足を蹈出し(ドタ)同時に柄にかけた敵の手を抜き打ちに斬り、足はそのまま二之太刀で面を斬る。
立身流の居合は八本が一組だから、向(ドタバタ)、圓(ドタ)、後向(ドタバタ)、後圓(ドタ)、前後(ドタ、バタ)、左(ドタバタ)、右(ドタ)、四方(ドタ、バタ、バタ、バタ)の八本を通じて一区切りとなる。
先生の稽古風景が目に浮かぶようである。
立身流は約五百年前の永正年間に、妻山大明神に参籠して開眼した伊予国の人立身三京を流祖とする。三京は稲葉一鐵の別名だとの説もあるが定かではない。
立身三代をかけて完成したとされ、第六代桑島太左衛門(将監)の弟子 木村権右衛門が一五九〇年代に分流して立身新流を名乗り 奥平家に仕えた。後に桑島も仕えている。
伝書や文献には、「立身新流抜合」ともある。中津藩で新流といえば、立身新流抜合のことである。
先生愛用の居合刀として、刃渡り二尺四寸五分(約74.3㎝)、重量三一〇匁(約1162g)の一振が残されている。
先生の師については『福翁自伝』に「中村庄兵衛という居合の先生について少しけいこした」とある。
中津藩の中村姓は十一家だが、この名は「奥平藩臣略譜集録」や、「幕末中津藩士人名録」等の諸文献に見当たらない。
庄兵衛は生田保の弟子との説もあるが(立身流之形第一巻等)、私は「中津藩史」に「中村庄米」と記されている生田保の師がその人であると今は考えている。
とすれば先生は流祖を初代として十二代目になる。
なお、塾長等を歴任した小幡篤次郎の父 小幡篤蔵(録高二百石)は、その師 衣川惣助より立身新流の免之巻(免許)を許されている。これも流祖を初代として十二代目となる。
立身本流は下総佐倉藩に伝わり、現在、千葉県無形文化財に指定されている。
30:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/21 10:14:04.96 IqWMsO3z0
■初期の慶應義塾で取り入れられていた「関口流抜刀術」
URLリンク(www.sekiguchi-shinshinryu.org)
十代‐関口柔心氏胤
居合術 関口流抜刀術
URLリンク(www.youtube.com)
31:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 07:13:15.20 pIBlsw+CO
ないだろ
32:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 08:46:46.46 DjVPk6Cf0
【慰安婦問題】 脱亜と興亜~福沢諭吉の残した「脱亜入欧」の亡霊がまだ日本を覆っている[12/15]
スレリンク(news4plus板)
33:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 10:35:20.24 DjVPk6Cf0
>>30と比べて、立身流はどうやら実戦向きでは無いようだ。
URLリンク(www.nicovideo.jp)
youtubeから持ってきました。千葉県指定無形文化財、立身流の演武です。
立身流は福澤諭吉が晩年まで修行していたことで有名です。余談ですが、wikiによると福澤諭吉を幕末最強と見る動きもあったそうで、
黒田鉄山も写真を見て「とても近寄れない」と評していたりする辺り、福澤諭吉は相当の達人だったようです。
34:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/22 18:41:32.28 4zpAZR8S0
安川の本の影響力が韓国にもあるなら、だれかが言い立てそうなもんだが、
だれも触れないな。つまり安川本は韓国でも知られていない。
35:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 07:41:49.56 meCLZTRg0
福澤諭吉心訓七則
URLリンク(shisly.cocolog-nifty.com)
福澤諭吉(1835-1901)の「心訓七則」という7ヵ条の教えが、世の中によく知られているが、実は偽作とされている。
最後にある「世の中で一番悲しい事はうそをつく事です」というのはジョークであろうか。
「徳川家康公遺訓」(人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず)なども偽作と見るのが通説である。
「少年老い易く学成り難し」で知られる「偶成詩」も朱熹(1342-1406)ではなく、五山の僧侶、観中中諦(1342-1406)の作であるらしい。
100年以上も日本人は朱熹の漢詩と信じて暗誦してきたのである。
36:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 07:47:52.61 meCLZTRg0
「福沢暦」を作製
[2011年12月21日 10:15]
中津市沖代町の福田一直さん(86)=福沢諭吉協会員=が、中津ゆかりの福沢諭吉の業績を月日で振り返る「福沢暦」(A4判、7ページ)を作った。
19日、同市の福沢記念館を訪れ、上永裕正福沢旧邸保存会事務局長に500部を寄贈した。
国のため、人のために働いた諭吉の生涯を「早分かりできるようなものができないか」と今秋から作業。
福沢諭吉全集(諭吉年譜)などから、月日ごとの出来事を拾い上げ、2カ月間かけて1年間を生涯に見立てた暦に仕上げた。
完成した暦は、「遣欧使節に加わり長崎出航」(1月1日)、「独立自尊迎新世紀を大書」(12月31日)など、うるう日を含めた366日を「その日、諭吉は」という形でまとめている。
「諭吉年譜にない月日もあり、苦労もしたが、福沢辞典なども調べ、何とかまとめることができた」と福田さん。
「諭吉の生涯は精力的で、活力に満ちている。そんなエネルギッシュな生き方には、物の見方、迷った際などのヒントも含まれている。ぜひ見てほしい」と話していた。
福沢暦は同記念館で配布している。
URLリンク(www.oita-press.co.jp)
37:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 13:33:46.46 is1hl+/w0
>>36
これは面白い。入手したいが、行かずに購入する方法は?
38:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/23 21:17:49.17 meCLZTRg0
非売品やろ。どう考えても
39:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/24 11:02:00.59 MjDf2In40
朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す
40:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 09:06:53.93 Pe3MYChR0
福沢の思想には儒教的な所がかなりある
URLリンク(kbaba.asablo.jp)
今日の結論部分、まったく私の手に余るもので、一応は書いてみるが、一応 書いたという域を出るものではないことをお断りしておく。
そのように儒学(朱子学)の教義をまとめて説明した後、渡辺浩教授は福沢の 儒教批判を四点述べた。
(1)「古を慕ふの病」…古を慕って、少しも自己の工夫を交えず、いわゆる精 神の奴隷(メンタルスレーヴ)となって、今の世にいて、古人の支配を受けるの は、儒学の罪。
この『文明論之概略』第九章の指摘を、渡辺浩教授は正鵠を 得ているとした。
(2)陰陽五行…福沢はニュートン以降の科学によって、妄説と斥けた。 ただ し『論語』には「陰陽五行」は出てこない。
(3)儒教主義教育…政府の儒教理解に対する批判。 「儒教主義の実際を見れ ば、決して純粋の道徳学には非ずして、大半政治学を混同す。
……左れば彼の 儒書の中より其徳教の部分のみを引分けて之を利用せんなどの考は、唯是れ不 学者流の頭脳に往来する妄想にして、取るに足らざるものなり。」(「儒教主義」 1883 )
(4)男尊女卑批判…正当。 ただし政治は男性の担当として、男女の役割分担 を福沢は批判していない。
そこで結論、渡辺浩教授は、福沢の思想には儒教的なところがかなりあると して、慶應は朱子学の根幹を引き継いでいる、
東アジアの正当な継承者だと言 い、「独立自尊」と「議論の本位」の二つを挙げた。
(1) 独立自尊…渡辺浩教授は、小室正紀さんの「朱子学と福澤先生の考え方 の間には、ある種の共通性があると言っていいと思います。
それは強い主体性 を備えた個人が出発点であるという考え方です。」(「江戸の思想と福澤諭吉」、 『福澤諭吉年鑑』32号、2005年、138頁)という見解に賛成だという。
(2) 「議論の本位」…「脩身学とは身の行を脩め人に交り此世を渡るべき天 然の道理を述べたるものなり。」(『学問のすゝめ』初編)
福沢は、天然の道 徳、自然法を尊重した。 『文明論之概略』第一章「議論の本位を定る事」と いうのは、ある主張の本当の値打、真価を定めるにはどうすればよいかの章で ある。
福沢が読んだジョン・スチュワート・ミルにも、ギゾーにも、客観的 真実、真価についての言及がある。 それらは東洋の思想、儒教と響き合うと ころがあった。
「苟も一国文明の進歩を謀るものは欧羅巴の文明を目的として議論の本位を 定め、この本位に據て事物の利害得失を談ぜざる可らず。」(第二章)
「文明の物たるや至大至重、人間万事この文明を目的とせざるものなし。」(第 三章)
41:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/25 09:08:16.46 Pe3MYChR0
渡辺浩教授のまとめた儒学(朱子学)の教義
URLリンク(kbaba.asablo.jp)
そこで渡辺浩教授自身の儒学理解である。 最も代表的な儒学である朱子学 の教義の説明があった。
南宋の朱熹(1130-1200)による体系。 これが私には、 よく理解できなかった。 下手下手書いてみる。
(1)天・地・人…天は地も含む。 すなわち大自然 nature、大宇宙のことで、 季節や天候も含む。 天災、天然記念物の天。 天国や地獄はない。
人も、 動植物を使いながら、生かされている天の営みの一部。 全ては天にあり、も の言わず自己展開している。 天意は、畏敬すべきもの。
(2)禮と道…道は人らしさの基本原則。 神でなく、大自然に依拠。 人は万 物の霊長。 人の行動の型は、人らしさ。
現世にとどまり、当り前の人間関 係にとどまる。 「我が道を行くgoing my way」や「世界に一つだけの花」(個 性)は、悪。
(3)五倫…人として守るべき五つの道。 君臣の義、父子の親、夫婦の別、長 幼の序、朋友の信。
(4)君・臣・民…君は、天命、天の意志の代理人。 誰かが保証人になる必要 (統治)があって、最も「らしい人」、慕われる、支持される人がなる。
臣は、アシスタント、人として優れた人、君と臣で政府をつくる。 忠は、 まごころを尽すこと。 民は、相対的に愚か、統治は教育でもある。
(5)修己治人…自己修養を遂げた人物が為政者となることで、天下泰平が実現 する。 修身・修養・功夫・学問(『孟子』) 「誠意・正心・修身・斉家・治 国・平天下」(『大学』)
郷挙里選・科挙、個人(男性)を家柄や身分に関係な く選抜。 この考え方は、世襲身分制度には危険思想で、明治維新に力があっ た。
(6)三代と革命…夏王朝(堯→舜→禹と禅譲、禹以後世襲となり、桀が殷の湯 王に滅ぼされる)・殷王朝(紂王に至って周の武王に滅ぼされる)・周王朝(文王・ 武王・周公)の三王朝。
禅譲(帝王がその位を世襲せずに有徳者に譲ること)。 放伐(中国人の革命観で、徳を失った君主を討伐して放逐すること)。
「漢 儒者と和学者との間に争論ありて千緒万端なりと雖ども、結局分かるゝ所の大 趣意は、漢儒者は湯武の放伐を是とし、和学者は一系万代を主張するに在り。
漢儒者の困却するは唯この一事のみ。」(『文明論之概略』)
42:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/26 11:51:01.15 275rTNLA0
>>40>>41
おお、ありが㌧!
渡辺先生の講演をこんなにも手軽に知ることができるなんて、
なんて買い得なスレ
43:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/26 19:50:56.89 Gk5FXrq/O
んだんだ
44:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 09:20:36.92 RzxTmfyO0
山田博雄もアホだな。小川原正道も都倉武之も平山洋の意見を支持しているのに、ピントはずれな
コメントを付けている。福沢諭吉年鑑38の研究動向のはなし。
45:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 14:39:02.01 VpPw18B50
山田センセの授業評価は↓ 中大政治
いくつかに履修内容が別れるが、私は福沢諭吉の『文明論之概論』の授業でした。
ゼミとは言っても発表することはなく、毎回教科書を読み進めるだけ。非常に楽。
先生は少しクセのある感じに思われるかもしれませんが、話を聞いてると時折
シュールなジョークを言っている。それがなかなかおもしろいが、聞いている人は
少ない(笑)
授業の終わりに、出席確認を兼ねた感想を提出します。
評価は出席とレポートのみです。
レポートはテキストに関するもの、配布プリントに関するもの、授業内自己評価に
ついて、それぞれ短くまとめる(400字程度に)。レポートではオリジナリティが求め
られるそうです。
他のゼミ形式の授業が嫌な方、教職を履修している方にはぜひオススメです。
『文明論之概略』自体も読みやすくて、面白いと思いますよ。
46:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 19:24:42.99 xeRWQsqhO
年鑑というのは?
47:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/27 20:06:35.71 FifsVabE0
最近出た西澤さんの『福沢諭吉と女性』読んだ人いる?
48:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 08:05:09.78 +E7yDyvyO
もうでているのか
49:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 09:35:04.68 XQyvWO9+0
>>46
福澤諭吉協会の機関誌。うちの大学にはある。一般には入手できない。
50:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 12:44:16.76 RgXqXVkv0
書籍之海より↓
石河幹明 『福澤諭吉傳』 全4巻
2011年03月30日 | 伝記
石河という人は、あまり頭が鋭くなかったひとのようだ。
福澤自身の著書・書簡あるいは関連する諸文献を引き写しただけの部分が多い。
それにテキスト・クリティークというものをまったくしない。徳富蘇峰も生の史料を
長々と引用するので閉口することが多いが(『近世日本国民史』)、蘇峰の場合、
複数の史料を付き合わせて内容を吟味する。決してそのまま鵜呑みにすることは
ない。
これならこれら原典を集めて読んで、自分の頭で考えればそれで済むことである。
だが致命的なのは、文中引用したものをのぞき、それ以外の―つまり著者の文
章による福澤の一生についての叙述部分―について、その際に依拠した史料が
一覧として付けられていないことだ。これでは書かれている内容を検証する術がない。
さらにいえば、福澤自身の文章の読み方についても、解釈に疑義がある。
(岩波書店 1932年7月)
『福澤諭吉伝』の岩波書店の公式見解↓
20余年にわたって福沢に親炙した著者が,慶応義塾の委嘱のもとに7年余を費して
編纂・執筆し,昭和7年に刊行.豊富な原史料により,福沢の経歴・言行が客観的に
叙述され,諭吉研究の最も信頼すべき資料として高い評価を受けている.
岩波書店の権威主義がよくあらわれているな w
51:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 20:21:37.08 L2woyRyF0
専任にもなれないのに研究動向を任せるからだよ
52:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 22:02:23.34 L1HtRdJB0
福沢諭吉の榎本武揚助命
URLリンク(zodiark.jp)
箱館戦争が終結した後、榎本武揚達は明治新政府によって捕らわれた。
この時、彼等は皆、死刑を覚悟していた。
しかし、蓋を開けてみると彼等は(約一名を除いて)放免、しかも明治新政府への出仕が求められた。
彼等の助命に関しては周知の通り、箱館戦争では新政府軍の参謀であった黒田清隆の働きが大きい。
榎本が愛読していた国際法の著書『万国海律全書』を黒田自身が受け取ったが、
自分の事よりも国家の事を思う榎本に対して感銘を受け、何とか榎本を救いたい思いがあった。
そこで黒田は西郷隆盛と福沢諭吉の力を借り、彼等の助命を求めた。
黒田自身は頭を剃り、しかも半ば脅して助命運動を行っていたそうだ。
さて、福沢諭吉が榎本助命の貢献を行っいたのは、実に色々な意味で面白い。
福沢が榎本を助命する経緯について触れてみよう。
先ずは、榎本と福沢を繋ぐ人物、古川節蔵について紹介をする。
古川は、福沢と同じ緒方洪庵の適塾で学び、福沢とは同期だった。この当時は「岡本周吉」と云う名である。
その福沢が自身の故郷である中津藩の命によって江戸に行く事になったので
古川は福沢の従者として同行した。
古川はその後、旗本の養子となり古川姓を名乗る。
そして、幕府の軍艦に乗船した事が縁となり、福沢の制止を振り切って榎本軍に加わる事となった。
古川は二番回天の艦長となり、榎本の箱館行きにも同行したが、
ストーンウォール号(甲鉄)奪還作戦の時に失敗をおかし、明治新政府によって捕らえられた。
福沢は古川が入れられている牢屋に頻繁に出入りをし、彼に食べ物等の差し入れを行っていたそうだ。
だから福沢は、牢屋の中が如何なる状態であったかよく、知っている。
53:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 22:02:41.03 L1HtRdJB0
古川が入牢されて暫く経過した明くる日、今度は榎本が入牢して来た。
この頃、福沢と榎本の関係は「会った事があるが、挨拶をする程度の仲」だったらしい。
福沢も当初、榎本に対して気にはしていなかったが、
榎本の母親と福沢の妻である、お錦が遠い親戚である事
その関係でお錦は幼少の頃、榎本の家を訪問した事があった
間接的とは言え、少なからず福沢と榎本が関係があるのがお分かり頂けたと思う。
さて、戊辰戦争終結時、静岡には榎本の母親と姉のらく、そして妻の多津が居て、榎本の身を案じていた。
静岡に居る榎本の家族達は、榎本が東京に居る事は知っているが、東京に居る親戚が懐疑を恐れているので、詳細が分からない。
榎本は如何しているか?
その内容の手紙を榎本の妹の夫であり、福沢とは旧知の仲であった江連加賀守が静岡から福沢によこした。
この手紙を見た福沢は江戸に居る榎本の親戚に憤慨し乍らも、榎本を助命する為に自分が人肌を脱ごうと考え
糺問所に赴いては榎本に差し入れをし、その様子を江連や榎本の家族に伝えた。
そんな手紙のやりとりをしていると、榎本のお母さんとお姉さんが自分達が上京しても良いか、と福沢を頼った。
福沢はこれを快諾し、間もなくして二名は福沢の元を訪問したのだが、母がどうしても榎本に会いたいと。
そこで福沢は榎本面会の嘆願書を榎本のお母さんが持って糺問所に行けば、何とかなるかも知れぬと考え
自分が書いた嘆願書を榎本のお姉さんに清書させ、お母さんは嘆願書を持させて糺問所に向かった。
幸いにも応対した監守がこの嘆願書に感動し、遂にお母さんと榎本は対面出来たとの事だ。
しかしお母さんは、息子の脱獄を見る事なく、病死する。
福沢の元に誰かが知らないが、『万国海律全書』を翻訳出来ないかと依頼した。
オランダ語は福沢にとって得意中の語学だったので、翻訳するのは容易だったが、福沢は敢えて全部を翻訳しなかった。
一部分を翻訳しただけで、あとは
「私は航海や国際法の専門家では無いから翻訳する事が出来ない。全てを翻訳するには矢張り、この専門の人でないと駄目だろう」
とわざと榎本を助命する様に伏線を張って、本を返却した。
54:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 22:03:17.12 L1HtRdJB0
福沢は黒田自身にも会った事があり、福沢は黒田に一枚の写真を渡した。
福沢がアメリカに洋行した時に貰った写真で、戦火の中を女性が婦人服の姿で逃げまどう内容だった。
何でもその女性は軍人が女装した姿と云う事である。この写真を黒田に見せた福沢は、
「何としてでも助かりたいと思うのであれば、逃げる時の服装など気にはしてられない。
命はとても大切なもので、一度それを奪うと付き様がない後悔をするかもしれません。
こうして考えますと、榎本は騒ぎを起こしましたが、命だけは取らない方が良いと思います。
この写真は貴方(黒田)に渡しますから」と。
その後、福沢は腸チフスにかかり、榎本助命に関与する事はなくなったが
福沢の助命活動が功を奏したのか、明治五年に榎本は放免されたのであった。
糺問所内の榎本は福沢の差し入れに対して、不快感を覚えていた。
あまりにも初歩的な内容の書物だったので呆れていたが、福沢は榎本達は有能な技術者である事を知らなかっただけである。
福沢は獄中の榎本達が何時か優れた高官に成るだろう、と予測していたそうだ。
結果としてそれは的中したが何も『痩せ我慢の説』で榎本を批判しなくても良いのに、と思いましたよ。
55:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 09:22:21.80 g59WJseS0
>榎本の母親と福沢の妻である、お錦が遠い親戚である事
ってどんな?
56:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 09:46:46.24 wqfgNey70
>55
土岐家のことだ。
夫人の実弟、土岐謙之助は幕末史で名のある人物だ。
57:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/29 22:17:09.85 k4O1GOI/O
どんな
58:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 09:31:21.58 ZZjg18V00
東大教授・山内昌之って限りなく胡散臭いな。
産経新聞で【幕末から学ぶ現在】という連載を持っているが、毎回偏向した人選と文章にイラつかされる。
友誼と律義の政治家 勝海舟・番外編 【東大教授・山内昌之】
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
2011.12.29 09:59 (1/3ページ)
福沢諭吉に「痩我慢(やせがまん)の説」で散々にやられた勝海舟であったが、江戸っ子らしい気風の良さや徳川の忠臣だった点では人後に落ちない。
また、政治家に必要な義理堅さも相当なものだ。松浦玲氏の最新著『勝海舟と西郷隆盛』(岩波新書)を読むと、
この2人の友誼(ゆうぎ)と信頼感の厚さが改めてしのばれる。
59:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 11:39:14.98 G8AVe1UJO
聞いたことないな
60:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 17:01:22.38 hxHniPe+0
>>58
この人の専門は日本史ではなく中東史だろ
61:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/30 22:39:48.85 pVNt1N5P0
考証福澤諭吉: 第 1 巻、第 1 巻
URLリンク(books.google.co.jp)
> 藤沢志摩守というのは桂川甫周の実弟主税で、その前年閏八月に旗本の名家藤沢家に養子となり名を長太郎次謙と改め、
> 十二月一日に講武所頭取に任官し備前守に叙せられ、二十八日に歩兵頭に転じ、間もなく肥後守。
この福沢の友人の「藤沢志摩守」というのは誰だろうか?
62: 忍法帖【Lv=6,xxxP】 【東電 69.6 %】
11/12/31 10:27:59.74 I7jLUe2+0
test
63:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/31 15:12:54.22 BPG57NoN0
>>61
この人だね
URLリンク(park22.wakwak.com)
64:岩波書店の内幕1
11/12/31 17:14:52.25 JlTHe1XDP
先日、岩波書店の内情をよく知る人物と話した。それがすごく面白かったん
で、その話を。
岩波書店はみんな知ってるはず。一時は「日本の知性」といった印象すらあっ
た出版社。映画の配給や上映なんかもしてたね。
もちろん書籍と雑誌を出しているんだけど、ここの雑誌が、とても浮世離れし
ているという。
全部ではないけれど、一部の雑誌では、著者原稿の半分以上がまだ原稿用紙で
来るんだそうだ。凄いなあ(笑)。そのレベルでは、著者とのやり取りもメール
じゃなくて電話電報ってのが多そう。
当然、そうした雑誌ではDTPなんか取り入れておらず、昔ながらの写植製版だ
ろう。
65:岩波書店の内幕2
11/12/31 17:17:34.61 JlTHe1XDP
だいたい、雑誌の名前が凄いよね。
6誌あるんだけど、「図書」「世界」「科学」「思想」「文学」「環境と公
害」だぜ。これ誌名じゃなくて、辞典の項目名だろ(笑)。編集者が考えたタ
イトルとはとても思えないじゃん。創刊企画は楽だろうなあ。
岩波がDTPできない理由を、もうひとつ聞いた。それは、日本語についての
「岩波ルール」が厳格であり、かつ大量にあること。
もちろんどこでも出版社の用語遣いは、社内で統一されるのが一般的。その
際は、たとえば各新聞社が出版してる「用字用語集」に準拠する、などと決め
るのが普通。楽だから(実はWeb時代になってこれが崩れてきてて、そこんと
この考察も面白いんだが、本筋でなく例によって長くなるんで、いずれまた)。
話を戻す。岩波の場合、ルビひとつとっても、もの凄く厳密らしい。たとえ
ば「漢字3文字の用語に対しルビ4文字を振る場合は、こうこうの位置に割り
振る」って、個別に全部決めてあるという。ルビひとつでこれじゃ、たしかに
DTPは永遠に無理だ。
66:岩波書店の内幕3
11/12/31 17:21:16.76 JlTHe1XDP
で、編集者は分厚い「岩波ルール」を片手に編集する。
ルール命なんで、編集者より校閲とか編成のほうが権力を持ってて社内でえ
ばってるんだと。フツーの出版社の感覚では、信じられない状況だ。中世中国
の役人組織みたい(笑)。
ファンに年寄りの多い浮世離れした出版社だしこの不況だしで、もちろん書
籍も雑誌も売り上げはガンガン減ってるらしい。
ではなんで潰れないかというと、「広辞苑」という化け物看板があるから。
熱心なファンは多く、改訂されれば必ず買う人が多い。並装と革装の両方持っ
てる人もザラだ。加えて電子辞書には必ず入っているし、ファンはもちろんそ
れも押さえている(ちなみに電子辞書コンテンツはものすごく買い叩かれる)。
まあ、いろいろ聞いたけど、ある意味うらやましい出版社だ。ちなみに社員の
給料は高い。編集者は東大出身が多い。「岩波なら書く」という知識人(特に
大学のセンセイ)がいるので、著者にも事欠かない。
もっと書けば、現状、書籍を買い切り(売れ残りは書店が損を被る)で出荷
している出版社は、岩波くらいだ。ほとんどの出版社は委託(返本あり)の契
約。こんだけ出版社が多くても私の知る限り、あと買い切りで書籍を出してい
る(た)のは、一時のアスキーと静山社くらい。つまり岩波は特別ってこと。
普通は取次に受け付けてもらえない。
67:岩波書店の内幕4
11/12/31 17:23:18.67 JlTHe1XDP
業界人以外の方に一応書いておけば、静山社ってのは要はハリーポッターよ。
静山社が買い切りにこだわったのは、ベストセラーの怖さを知るから。ってわ
かんないよね。これまた脱線して長くなるんで、明日書きます。
またしても力技で岩波に話を戻す。今回なんか疲れるな。
ここまで読むと揶揄してるように思うかもしれないが、私は本心から岩波を
尊敬している。というのも、岩波文庫でしか読めない世界の古典的名著が鬼の
ようにあるからだ。売れっこないローマの将軍の従軍記なんて読めるのここだ
けだぜ。
普通で考えたら、そんなん全部切って儲かる辞書中心に運営したほうが、絶
対楽だし儲かる。
世間には、こうした浮世離れした出版社がひとつくらいあっていい。文化のた
めにその位置でぜひ踏ん張っていてほしい。マジで。
68: 【大吉】 【1022円】
12/01/01 09:13:11.57 jlSX4FPx0
>>63
おお、ありがとう。
なるほど中々高位の人物だね。
69:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/01 18:50:07.57 7f0f2iSy0
岩波書店って、広辞苑の売り上げだけで全社員の給料を支払っているの
70:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/02 22:21:23.75 y17mkvpqO
らしいね
71:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 13:36:24.81 0rD8770N0
↓のレポート、すごく面白いよ!
最後に、慶應義塾のOBが福澤論説の真贋をどのように見ているか、一例を紹介。
元・岩波書店編集部長で、福澤諭吉協会編集委員の竹田行之氏(理事も経験)は、
平成17 年1 月28 日に交詢社で行われた、交詢社創立125 周年記念講演会で、「ジャー
ナリスト福澤諭吉」を語り、無署名論説の取り扱いについては、石河幹明と富田正文の
功績を絶賛し、平山氏の「全集」改訂(くさいもの)には蓋をして、一笑に付した。
「福澤諭吉の真実」は、義塾の外部では好評であるが、義塾の内部では不評のようだ。
URLリンク(hsaeki13.sakura.ne.jp)
72:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 17:36:25.59 mDTyztr00
>>71
フクザワ・コンフィデンシャル、だね
73:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 19:53:16.22 hYAWOiZeP
だれかこれを訳してくれ
URLリンク(www.hnxndq.com)
74:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 20:36:00.45 bqsXSGHS0
>>71
こういう姿勢は福沢の教えに反してると思うんだけどな。菊池寛が
『時事新報』廃刊をうけて書いた論説でも言ってたように。
75:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 21:15:03.95 mDTyztr00
時事新報社と岩波書店には
ともによく似た性格の権威主義があるんじゃないか?
76:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/03 21:17:20.98 mDTyztr00
そういや菊池寛は文藝春秋社の社長だね!
岩波対文春
「恩讐の彼方に」とはなかなかかないようで ww
77:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 09:53:02.01 RUOQNzXD0
>>75
正解! 竹田行之は現代の石河幹明デアル!
78:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 12:12:31.34 JwuaBtfC0
無意味に長生きなところも似ている
79:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 16:14:47.99 bNbpFjmL0
オイオイ
80:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/04 18:36:48.51 ixq/4JzhO
隠然たる勢力ってやつだね
81:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 10:09:40.98 /A+odnkM0
>>71
けっこうインサイダーな情報が含まれているな。作者は慶応の卒業生だろう。
82:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 17:23:38.42 l8k5/CPd0
福沢の中上川宛書簡の発見が戦後で良かった。石河が『福沢諭吉伝』執筆の
過程で見つけてたら、福沢の自分への低評価にショックを受けて破棄してたかもしれないし。
83:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/05 20:25:02.16 yxT9gf+XO
それはいえてる
84:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/06 08:58:43.61 Y3BzB7cZ0
石河は福澤書簡に改ざんを加えているから、草稿が残っていないほかの著作も怪しいよ。
85:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/06 10:20:14.70 I0G+Jtv10
>>82
ぎゃくにいうと石河に都合の悪い手紙は密かに廃棄されたのかもな
86:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 01:54:56.41 FXJu6VH80
>>74
菊池寛の論説とは、これのことですね。さすがは菊池寛。
↓
----
○時事新報が解散した事は、新聞雑誌界に於ける一つの悲劇だ。殊に、僕などは、大正五年か
ら足掛四年ばかり、同社の粟(ぞく)を食んでゐた丈に、更に感慨が深い。僕の在社当時は、同紙は一
流中の一流として、信用品格とも他紙を圧するの概があつた。が、その後、大正の末期から昭
和の初にかけて、経営に人材を得なかつた為に、今日の悲運を招いたのであらう。同紙が有力
なる財閥を背景としながら、財政的破綻に苦しんだなど、結局新聞雑誌の経営は、金よりも人
の問題であることを感ぜしめる。さるにても、自分の在社当時から、引きつゞいて奮闘してゐ
た老主筆石河幹明氏などの胸中は、察するに余がある。
○たゞ、自分は同社に居た時から、慊(あき)たらぬ事が一つあつた。それは、福沢翁の精神の一つは、
旧形式の破壊であつた。実利本位に、古い形式を破壊することであつた。所が、福沢翁を尊敬
するあまり、福沢翁のやり方が、同社に於ては、忽ち一つの形式になつてゐた。そして、その
形式を厳として尊重するのであつた。福沢翁の本当の精神は、古い形式の破壊であつたから、
たとひ福沢翁のやり方でも、時勢に連れて、どん/\破壊して行くことこそ、福沢翁の本当の
精神ではないかと自分は思つてゐた。福沢翁の本当の精神を掴むことが出来なかつた事なども、
同社の衰運を招いた原因の一つではなかつたかと思ふ(「話の屑籠」『文藝春秋』一九三七年二月
号九六頁)。
----
平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、190~191頁より。
87:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 08:35:37.72 HS2pbFOj0
>>86
うわ、時事新報を福沢諭吉協会や福沢研究センターに読み替えても意味が通じる
北朝鮮の現状と「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」がぴったり重なるように
88:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 10:42:24.48 g8uxzsRxO
歴史は繰り返す
89:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 13:40:22.00 J/xENn4OP
司法当局によると、李さんは駐韓米軍の化学兵器や劣化ウラン弾の
配備状況など、米軍兵器と軍事基地情報を報道し、反国家団体であ
る朝鮮総連などに流出させたとして国家保安法第5条(自発的反国
家団体支援など)と軍事機密保護法違反の疑いで拘束された。
URLリンク(janjan.voicejapan.org)
韓国では朝鮮総連は国家保安法での反国家団体のよう。
安川が総連とじっこんなのは誰でも知っていること。
安川本が韓国で無視されるのは当然のことだね。
90:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 14:25:00.70 wAvuY+db0
>>86
石河と富田の考証を絶対視して、平山さんのものをはじめ、近年の福沢研究の
成果を踏まえた福沢全集の改訂に否定的な竹田(福沢協会)と岩波は、菊池が言う
「実利本位に、古い形式を破壊」という福沢の本当の精神に背いてることになる。
特に前者の背信はどうかと思う。
91:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 16:04:23.30 FdH3FWJA0
>>89
なるほど。
それで平山さんも年賀状で「何の反響もないようです」とコメントしたわけだ。
「2012年1月1日付 安川寿之輔氏宛年賀状」
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
92:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 16:28:51.38 HS2pbFOj0
へえ
93:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 17:12:54.33 f9+3t8Gm0
週刊金曜日「論争欄」から
URLリンク(kgcoms.cocolog-nifty.com)
虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ
韓国「強制併合」から100年
安川寿之輔・名古屋大学名誉教授に聞く
歴史を歪めた丸山眞男と司馬遼太郎の「罪」
戦後のアカデミズムに君臨した丸山眞男と「国民作家」の司馬遼太郎。この二人による歴史偽造が厳しく問われなければならない。
--今年八月で、韓国強制併合一〇〇年を迎えます。しかし、いまだ朝鮮半島植民地化・アジア侵略の歴史についてこの国では、
どこまで正しく認識されているのか疑問です。たとえば、侵 ・植民地化を先導・扇動した福沢諭吉が東大教授の丸山眞男によって人間平等を主張した
「典型的な市民的自由主義」者と美化され、その虚構がまだ生きている。次に、朝鮮半島を奪うための日清・日露戦争を露骨に正当化した
司馬遼太郎の「坂の上の雲」が、よりにもよって昨年からNHKで放映されました。--
この二人の「罪」は、重いでしょうね。共通しているのは、近代日本の「二項対立史観」とでも呼べる発想です。丸山は福沢が「明治前期の”健全なナショナリズム″」
を代表しているとみなし、「昭和前期の”超国家主義”」と対比しました。司馬は、「明るい明治」と「暗い昭和」です。
両者とも、各「二項」が互いにどうつながっているのかについて説明がありません。丸山は福沢がすでに「暗い昭和」の時代を先取りしており、
司馬は日清一日露戦争が本質的に一五年戦争と同じであったという、歴史的事実を無視しています。
--特に丸山の誤った福沢論については、先生が三冊の著書で完璧に論破しておられます。その影響もあってか、
本誌で連載された『マンガ日本人と天皇』の原作者である雁屋哲氏も徹底的に福沢研究をやり、来春には「福沢諭吉こそが日本を一九四五年の破綻に追い込んだ元凶であり、
……日本とアジア各国の関係を悪くしている張本人]であると断じた著書を刊行するそうです。--
雁屋氏の認識は、基本的に十分正しいと思います。福沢がやったことは、朝鮮と中国に対する丸ごとの蔑視・偏見の垂れ流しであり、おっしゃったように侵略の扇動でした。
明治国家が朝鮮への介入を強化していく一八八〇年代前半には、「朝鮮人は未開の民……極めて頑愚……凶暴」「支那人民の怯儒卑屈は実に法外無類」
「チャイニーズ……恰も乞食穢多」「朝鮮国……人民一般の利害如何を論ずるときは、滅亡こそ・・・其幸福は大」などと発言している。福沢の侵略思想を表明しているのは、
『脱亜論」が有名ですが一八八二年の「東洋の政略果たして如何せん」など沢山あります。そこでは「印度支那の土人等を御すること英人に倣ふのみならず、
其英人をも窘(くるし)めて東洋の権柄を我一手に握らん」「日章の国旗以て東洋の全面を掩ふて、其旗風は遠く西洋諸国にまでも」などと、大英帝国に比肩する植民地獲得を主張しています。
94:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 17:14:12.95 f9+3t8Gm0
差別・侵略主義者の福沢
--いったい、どこが”健全なナショナリズム”なのか。
一八七五年に朝鮮は「小野蛮国」で、「仮に我属国と為るも之を悦ぶに足らず」とし、
『時事小言』の翌年の「朝鮮の交際を論ず」で、「朝鮮国・・・未開ならば之を誘うて之を導く可し、彼の人民果して頑陋ならば・・・武力を用ひても其進歩を助けん」と述べています。
つまり、「文明」に誘導という名目で、武力による侵略か合理化されている。
--極めて危険な思想ですね。--
同時に福沢は、戦前の「滅私奉公」や「一億玉砕」論の先駆者でもある。日清戦争か始まると、「日本臣民の覚悟」なる論説で、「我国・・・四千万の者は同心協力してあらん限りの忠義を尽くし、
・・・事切迫に至れば財産を挙げて之を擲(なげう)つは勿論、老少の別なく切死して人の種の尽きるまで戦ふの覚悟」を呼びかける。まさに、「暗い昭和]期の天皇制ナショナリズムの先取りそのものですよ。
--こうなるともう「思想家」というよりはアジテーターですが、特に感じるのは福沢の表現の汚さ、下劣さです。案外それは、逆に大衆受けしたように思うのですが。--
おっしゃる通りです日清戦争や義和団戦争で日本軍が中国に出兵した際には、「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」「支那兵の如き・・・豚狩の積り」などと罵る。
挙げ句には「北京中の金銀財宝を掻き浚(さら)へて、・・・チャンチャンの着替までも引っ剥で持帰ることこそ願はしけれ。」と、略奪まで煽っています。
「時事新報」は漫画や「漫言」にも力を入れていましたから、大衆にはアピールしたと思います。
--司馬の一番のひどさは、ぬけぬけと[坂の上の雲』について「事実に拘束されることが一〇〇パーセントにちかい」などと自分で公言している点でしょうね。--
あれは、逆に「始めがウソなら終わりもウソ」と言える小説ですよ。NHKか昨年一一月にスタートさせたドラマにもありましたが、
福沢について「あしがこの世で一番偉いと思う人」などと主人公に言わせている。しかし、福沢は自由民権派から「法螺を福沢、嘘を諭吉」と侮られ、
元外務省勤務の吉岡弘毅から彼のアジア侵略路線は「我日本帝国ヲシテ強盗国二変ゼシメント謀ル」道のりであり、「不可救ノ災禍ヲ将来二遺サン事必セリ」ときびしく的確に批判されていました。
--その点では福沢を美化・擁護した丸山など戦後の「進歩派」も同罪ですが、司馬によれば、日清・日露戦争は「祖国防衛戦争」なのだそうです。--
司馬は日清戦争について「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」とし、あるいは「ロシアが・・・極東での侵略道楽をはじめたがために日露戦争がおこった」などと書く。
これでは、どうして韓国強制併合にまで行き着いたのかという歴史経過が説明つきません。この小説には、「日本はこの(日露)戦争を通じ、
前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始」しただの、「日本政府の要人のほとんどか戦争回避論者であった」だのと、いくつも大ウソが出てきますね。
95:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 17:15:40.45 f9+3t8Gm0
歴史の無反省が虚構を生む
『坂の上の雲』の致命的な欠陥は、日清・日露戦争を舞台としながらも、①江華島事件、日朝修好条規、壬午軍乱、甲申政変などの
朝鮮開国から日清戦争に至るまでの諸事件②日清戦争のきっかけとなった朝鮮王宮占領や戦争中の旅順住民大虐殺、戦争後の
朝鮮王后・閔妃殺害、雲林虐殺事件③三次にわたる日韓協約の武力を背景にした押し付けといった、「明るい明治」のイメージとは逆の数々の歴史上の犯罪的行為を、
すべて意図的に隠している点です。それによって、朝鮮侵略と植民地化への道のりが日清・日露戦争であったという本質を見えなくしている。
--改めて丸山の福沢諭、司馬の日清・日露戦争論という壮大な虚構が、韓国強制併合に至る歴史を正しく理解する上で極めて大きな障害になっているという感を強くします。--
やはり根底には、戦後において戦争責任と植民地支配責任の問題かしっかり論議されなかったという点があるのでしょう。ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ世界の「三大巨悪」
と呼ばれた昭和天皇の戦争責任も裁かれなかった。侵略した側は、侵略された側に立って考えるのは難しいのでしょうか。だからこそアジア蔑視・侵略扇動の福沢を丸山のように
「民主主義の先駆者」として都合よく美化してみたり、司馬のように堂々と「日本は維新によって自律の道を選んでしまった以上・・・他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をもたねばならなかった」
などと方言する人物が、「国民作家」と呼ばれているのでしょう。
--韓国や北朝鮮の国民が、司馬のこんな記述を読んだら「まだ日本人はこんなことを言っているのか」と怒るでしょうね。しかも戦後の日本政府は、
韓国強制併合の責任者である伊藤博文を紙幣に印刷して隣国の憤りを買いましたが、それにかわって、今もまだ福沢が最高額面紙幣に印刷されている。--
日本軍による性奴隷(「従軍慰安婦」)問題に取り組んできた尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんか、「日本の一万円札に福沢か印刷されているかぎり、日本人は信じられない」とつねづね語っていますか、
当然でしょう。こうした発言は彼女だけではありませんが、問題は福沢がアジアの近隣諸国からそろってこのように批難・批判・憎悪されているのに、
日本人かなぜそれを知らないかにあります、韓国強制併合一〇〇年を迎えた今、アジアと日本の歴史認識の深い溝と亀裂を埋める努力の必要性を改めて痛 感せざるをえません。
八月五日、長野県南牧村の山荘にて。聞き手・まとめ/編集部・成澤宗男
やすかわじゅのすけ 不戦兵士・市民の会副代表理事。本誌2000年9月8日号で「福沢諭吉を透かしてみれば」を執筆。著書に「福沢のアジア認識』「福沢と丸山眞男」など。(撮影/編集部)週刊金曜日 2010.8.27(812号)より転載
96:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 17:16:37.00 f9+3t8Gm0
上記の安川論文対し佐高信氏は週刊金曜日814号(2010.9.10)の「風速計」で次のように批判した。
敵から見たら(佐高 信)
八月二七日号の安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)の「福沢諭吉、丸山眞男」批判は「敵から見たらどうなのか」という視点が決定的に欠けている。
「独立自尊」ならぬ「孤立自尊」で生きていける学者だからだろうか。
そこで安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判しているのだが、たとえば三島由紀夫は安岡正篤への手紙の中で、丸山に「左翼学者」のレッテルを貼り、
「大衆作家の司馬遼太郎」を「まじめな研究態度が見え」て心強いと讃えている。つまり、丸山を敵視する一方で、司馬をわが友とし、区別しているのである。
安川はきわめて単純に、福沢を「民主主義の先駆者」として美化したと丸山を断罪しているが、三島から「左翼学者」と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。
大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。三島が安川を問題にすることはない。
私が言いたいのは、標的にされる者に対して、敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのかということである。
福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は“鬼畜米英” の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。
また、悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。
当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。
どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。また、実社会にもまれないので自分だけが正しいと独断的な主張を声高に繰り返すようになる。
私は安川に “天上天下唯我独尊居士” というニックネームを進呈したいくらいだが、それではやはり、反ファッショの幅広い統一戦線は組めない。
全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、マスターベーション的頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。
───────────────────
97:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 17:19:29.95 f9+3t8Gm0
この佐高信氏の批判に対し反論が掲載された。
論争 議論は理性的に 雁屋 哲
(かりやてつ・68歳、まんが原作者、エッセイスト)
本誌八月二七日号に、成澤宗男氏による安川寿之輔・名古屋大学名誉教授に対するインタビュー記事「虚構の福沢諭告』論と明るい明治』論を撃つ」が掲載された。
それについての文章を、本誌九月一〇日号に本誌の発行人である佐高信氏が、「風速計」に書かれた。
八月二七日号のインタビュー記事の中で私の名前が上げられていたので、一言口を差し挟ませていただく。
佐高信氏の書かれた文章は近来稀に見る文章である。氏が書かれた五〇行の文章のうち、一六行が、安川氏に対する根拠と論拠のない誹謗に使われている。
一つの文章の三分の一近くを、そのような文章で占める例は他の雑誌・新聞では有り得るが『週刊金曜日』で目にするのは、創刊以来の定期購読者の私として初めてのことである。
佐高氏は、安川氏が述べた「福沢諭吉の論は『文明』誘導という名目で武力による侵略が合理化されている」
「アジア蔑視・侵略扇動の福沢を丸山のように『民主主義の先駆者』として都合よく美化したり……」 などの点に反論するべきであった。
しかし、佐高氏は、三島由紀夫を持ちだして論点をずらしている。安川氏の議論の主要点を攻めないのでは議論にならない。
さらに佐高氏の文章の中には、見逃せない過ちが有る。
①安川氏は丸山眞男の福沢諭吉に関する評価を批判しているが、「敵以上の激しい侮蔑の言葉を投げつけて」はいない。学問上の批判と侮蔑は別物である。
丸山眞男も安川氏の批判を侮蔑と取るほど幼稚ではなかっただろう。
②福沢諭吉と金玉均の関係について佐高氏には事実関係の誤認が有る。 金玉均は宮廷内での権力を争う「開化派のリーダー」であり、朝鮮独立運動とは関係がない。
金玉均と朴泳孝は、自分たちが権力を握るために起こしたクーデター、甲申の変に失敗して日本に逃げた。
この件に関しては福沢諭吉の弟子、井上角五郎が、次のように言っている。「金・朴の一挙については先生はただに、その筋書きの作者に止まらず、自ら進んで役者を選び役者を教え又道具立てその他万端を指図された事実が有る」
福沢諭吉は、金玉均に軍資金を与え、武器をそろえ、壮士という暴力団を助っ人として用意し、金玉均のクーデターを指図したのである。
福沢諭吉が『脱亜論』を書いたのは、金玉均のクーデターが失敗した後である。『脱亜論』には自分が手助けをしたクーデターの失敗が色濃く影響している。
佐高氏には、金玉均という人間と、『脱亜論』が書かれた時期と事情に対して誤認が有る。
『週刊金曜日』では、他人を非難する際には、確実な事実を基に、誠実に論を組立てて行ってほしい。
インターネットで根拠のない誹謗が飛び交っている現在、『週刊金曜日』は言論の鑑なるべきだ。
週刊金曜日 2010.10.1(817号)より転載 ───────────────────
98:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 17:30:33.36 HS2pbFOj0
金曜日はどれくらい本気で安川の主張を推しているんだろうか
社説の偽作問題にはふれていないようだけど
99:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 18:26:20.12 Rj8pIWjk0
>>97
ブログで「腐れ自民党ども」とか書いてた御仁が、「他人を非難する際には、確実な事実を基に、
誠実に論を組立てて行ってほしい」「インターネットで根拠のない誹謗が飛び交っている」とか
言っても、何の説得力も感じない。
100:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/07 22:34:37.52 f9+3t8Gm0
福沢諭吉が勧めた箱根の道普請
URLリンク(nng.nikkeibp.co.jp)
ナショナル ジオグラフィック協会 写真資料室から
福沢諭吉が勧めた箱根の道普請
日本庭園の小さな滝の前に、和服姿の女性がたたずむ。100年ほど前、箱根・宮ノ下にある富士屋ホテルで撮影された一枚だ。
箱根は東京や横浜からほど近く、「湯治」の理由で旅の許しを得やすいことも加わって、開国後の日本を訪れた外国人に早くから知られた景勝地だった。
洋行帰りの山口仙之助がこれに注目、宮ノ下にあった老舗の温泉旅館を買い取り、外国人向けのリゾート宿として富士屋ホテルを開業したのは1878(明治11)年のことだった。
そのころ箱根では幹線道路の開削が進行中。地域の発展には交通の便が重要と説いた福沢諭吉の提言に応え、地元の有志らが資金を出し合い、苦労を重ねながら、
小田原から箱根に至る車道を次々と開いていった。人力車や馬車が通れるようになったこの道が、のちの国道1号線となる。
標高差864メートルの山道は、箱根駅伝でも屈指の難所。
毎年1月、熱い声援を受けてランナーたちが駆け抜ける。
101:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 08:14:51.94 tyue8Cf10
>>99
カリヤの福沢批判本はどうなったの?
書き始めているようなことがブログにアップされていたが。
102:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/08 22:40:52.30 hBOapJnQ0
NHK でこんな番組やってたんだ~。ただいま放送中です。
「日本人は何を考えてきたのか」
1月8日(日)午後10時~11時30分
第1回 日本はどこへゆくのか ~福澤諭吉と中江兆民~
URLリンク(www.nhk.or.jp)
103:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 07:42:29.13 Vs8qVwC20
k62ptju(^-^)/ EBkczpGtO 京都の王者 岡本監督
104:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 09:05:41.26 WX2JzmC/0
脱アローン
105:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 09:26:37.19 DQYPqxJU0
>>102
クソ番組やな。
中江篤介(兆民)は福澤の弟子の漢学者・高谷龍洲の弟子だろ。
なにが「明治日本を代表する二人の思想家」なんだかw
さすがNHKクオリティやな。
106:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 14:26:35.99 QysV/KsK0
>>101
2011年1月30日付けのカリーのブログでは、一応「取りかかっている」と書いてますね。
↓
----
これで、気合いがしこたま入ったから今取りかかっている「福沢諭吉」の本がぐわーっと進むだろう。
最後に、シュートを決めた、リー・忠成は在日韓国人だったのだが国籍を日本に変えたのだそうだ。
リー選手は、日韓友好のためにも活躍している訳で、本当に嬉しいことだ。。
----
URLリンク(kariyatetsu.com)
>>105
高谷龍洲は福澤の弟子ではなくて、帆足万里の弟子で、福澤の母・順の再従兄弟で、
福澤の父・百助とも親しかった漢学者ですね。
↓
----
又(また)高谷(たかや)竜洲(りようしゆう)先生は元(も)と旧中津(なかつ)藩士にして、余が母の再従兄弟(またいとこ)なれば自(おのず)
から親戚の交際もあり、且(か)つ先生は豊後帆足万里(ぶんごほあしばんり)先生の門に在(あつ)て余が
父にも交り、漢学に於(おい)ては深く経義(けいぎ)に通じて文章に名ある人物なり。維
新後、東京に住居せられ、或時(あるとき)余が家に来訪、談話は例の如(ごと)く文談にして、
先生の云(い)わるゝに、足下(そくか)は幼(よう)にして薄命、何も知らぬ事なれども、在昔(ざいせき)尊
厳(そんげん)福澤百助(ひやくすけ)先生が豊前(ぶぜん)中津藩の文壇を専(もつぱ)らにして敢(あえ)て争う者なかり
しは拙者の親しく見る所なり
----
福澤全集緒言 - 17 ページ :
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)
107:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/09 17:51:09.34 tbwUvKNu0
>>106
ありがとう。それにしてもよく調べているね!
108:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 13:21:12.68 jnnwin7O0
【きょうの名言】結局女性が好きな男性ランキング1位
URLリンク(media.yucasee.jp)
>「結局女性が好きな男性ランキング1位は福沢諭吉だよね」
諭吉△
109:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 19:23:03.95 8VGTSnaX0
奥平家の大奥に芳蓮院(ほうれんいん)様と云う女隠居がある、この貴婦人は
一橋(ひとつばし)家から奥平家に下(くだつ)
て来た由緒ある身分で、最早(もは)や余程の老年でもあり、一家無上の御方様(おんかたさま)
と崇(あが)められて居る。ソコで嶋津(しまづ)が先(ま)ずその御隠居様に対して色々西洋の話をする中に、彼(か)
の国には文学武備、富国強兵、医術も精(くわ)しく航海術も巧(たくみ)なり、その中には随分(ずいぶん)
日本の風俗習慣に違(ちがつ)た事も数々ありますが、爰(ここ)に西洋流義に不思議なるは男女の間柄で、男女相互
(あいたがい)に軽重なく、如何(いか)なる身分の人でも一夫一婦に限(かぎつ)て居ます、是(こ)れ丈(だ)けは
西洋の特色で御座(ござ)ると云(い)う所を持込んだ所が、その御隠居様も若い時には
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)
染井は奥平家の老夫人芳蓮院に近侍する老女。この手紙は芳邇院への歸京挨拶で、
賣人に對する俄禮上その側近の者に宛てたのである。〕甚下里貞吉宛明治十九年四月十三日過日は參堂御繁用中御妨仕候
。其後御使にて御國?の珍品澤山御惠投に預り芳情不知所謝
福沢諭吉全集, 第 18 巻
URLリンク(books.google.co.jp)
この「芳蓮院」様とは何者であろうか?
110:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 20:09:26.33 fPeZE7Pt0
URLリンク(ja.wikipedia.org)
増田宗太郎
利用者:上州力
URLリンク(ja.wikipedia.org)
かなり荒らされておりますなあ。
111:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/10 20:13:38.08 YfTFlNaVO
なんとなくスゲー
112:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 08:17:31.06 Ewye6ApN0
平山論文の韓国語訳。原著者の了解は受けているのだろうか。
URLリンク(blog.daum.net)
113:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 08:28:42.03 Ewye6ApN0
>>109
奥平昌暢の妻で一橋斉敦の娘の国子(芳蓮院)のようだね。今は検索で簡単に分かる。
114:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 08:35:09.40 Ewye6ApN0
そしてなんと芳連院は島津斉彬の正室の妹だ。
115:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 12:33:37.09 DB2u3cJ40
>>112
アルかニダ連合には著作権という概念はありません。ましてや日本人に対する犯罪行為も義憤にかられてと言えば全て許されるお国
116:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 13:49:45.56 Ewye6ApN0
>>115
いや、この論文>>112は韓国の立場からは不都合な論文なんだよ。だから不自然。
117:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/11 20:46:33.91 28n4/Ykh0
>>112
どれどれ。どうやら、以下の論文の翻訳のようですね。
福澤諭吉の西洋理解と「脱亜論」
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
>>116
「脱亜論」って中国や韓国では悪名高い論説なんですが、
実際に全体を読んだ人はほとんどいないらしいですね。
いっそのこと「脱亜論」自体を翻訳すればいいのにね。
118:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 00:38:44.93 Z0jPeWW00
ホームアローン
脱アローン
119: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 【東電 80.1 %】
12/01/12 09:13:06.94 izZgkMBM0
>>113-114
大奥ではないんだね?なるほど。
120:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 12:32:57.95 4GR7xNRe0
韓国での安川本の反響
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
121:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 13:03:12.89 xZM7uCaB0
>>120
韓国のマスコミは安川や総連と同じ主張なのか!
122:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 16:04:37.65 UR3CsG0w0
幼い頃から日本人は悪人だと教えられ
日本人に悪態つけば、家では我が子は天才だと褒められ、学校では優等生だと表彰され、職場では愛国者だと評価され、近所を歩けば僕も私も町の人気者
*
ラ、ラ、ラ、日本人に対する犯罪は愛国的行動
ラ、ラ、ラ、日本人から盗む事は民族の誇りを取り戻す事
ラ、ラ、ラ、日本人への嫌がらせはご先祖様の恨みを晴らすこと
(*繰り返し)
123:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 16:26:31.17 FhnNEGjA0
>>122
そもそもそういう態度がイカンと福沢さんは批判していたのでは?
これは決して蔑視ではなくて。
124:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 19:35:27.06 EKD/+JdZ0
>>120
韓国人の福沢観は安川と同じということになるな。こりゃあたいへんだ。でも誤解を解く方法なんてあるのか。
125:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 19:37:25.88 Bpv5Am8Y0
勝海舟もひいきにした明治の味 浦賀「うなぎ梅本」
URLリンク(www.asahi.com)
き日の福沢諭吉
幕末、浦賀から咸臨丸に乗ってアメリカに渡った勝海舟は、出航を控え近くの海神である東叶神社で断食修業をした。
そんな浦賀が懐かしかったらしく、後年よく訪れていたらしい。うなぎ好きだった彼は前述の浅草の老舗の常連でもあり、梅本にもよく立ち寄ったという。
そんなおり、梅本のふすまに書をしたためたりもした。表具して保存していたが、「多分昭和の恐慌の時だろう、先代か先々代が金に換えてしまった」という。
余談だが、咸臨丸には後に慶応義塾大学を創設した若き福沢諭吉も乗っていた。
出航前、仲間と遊郭に上がった諭吉は、そこにあった大き目な器を、「船で飯をかっ込む丼に都合がよさそうだ」と、持っていったそうだ。
しかしそれは、その筋の女性たちが手を洗うためのものだった。周囲はその時気が付かなかったのか、
あるいは若い侍のすること、知らぬふりして後から笑い話の種にでもしたのだろうか。私は後者のような気がする。
126:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/12 23:21:30.22 IG/vlDA60
>>120
安川さんは病気だったのか。
どうりでNHK「坂の上の雲」批判ができなかったわけだ。
>>125
その話は『福翁自伝』にありましたね。
諭吉は浦賀で「遊郭に上がった」のではなく、茶屋みたいな所で酒を飲んで、
その茶屋の廊下の棚の上にあった嗽茶椀を失敬してきたのです。
↓
----
浦賀に上陸し
て酒を飲む
咸臨丸(かんりんまる)の出帆は万延元年の正月で、品川沖を出て先(ま)ず浦賀に行(いつ)た。同時
に日本から亜米利加(アメリカ)に使節が立(たつ)て行(ゆ)くので、亜米利加からその使節の迎
船(むかいせん)が来た。ポーハタンと云(い)うその軍艦に乗(のつ)て行くのであるが、そのポーハタ
ンは後(あと)から来ることになって、咸臨丸は先に出帆して先ず浦賀に泊(とまつ)た。浦
賀に居て面白い事がある。船に乗(のり)組(くん)で居る人は皆若い人で、もう是(こ)れが
日本の訣別(おわかれ)であるから浦賀に上陸して酒を飲もうではないかと云出(いいだ)
した者がある。何(いず)れも同説で、夫(そ)れから陸(おか)に上(あがつ)て茶屋見たような処に行
て、散々(さんざん)酒を飲(のん)でサア船に帰ると云う時に、誠に手癖(てくせ)の悪い話で、その茶屋
の廊下の棚の上に嗽茶椀(うがいぢやわん)が一つあった、是(こ)れは船の中で役に立ちそう
な物だと思(おもつ)て、一寸(ちよい)と私が夫(それ)を盗(ぬすん)で来た。その時は冬の事で、サア出帆した
所が大嵐、(おおあらし)毎日々々の大嵐、中々茶椀に飯(めし)を盛(もつ)て本式に喫(た)べるなんと云
うことは容易な事ではない。所が私の盗だ嗽茶椀が役に立て、その中に一杯
飯を入れて、その上に汁でも何でも皆掛けて、立(たつ)て喰(く)う。誠に世話のない話
で、大層(たいそう)便利を得て、亜米利加(アメリカ)まで行て、帰りの航海中も毎日用いて、到頭(とうとう)
日本まで持(もつ)て帰(かえつ)て、久しく私の家にゴロチャラして居た。程経(ほどへ)て聞けば
その浦賀で上陸して飲食(のみく)いした処は遊女屋だと云(い)う。夫(そ)れはその当時私は
知らなかったが、そうして見ると彼(あ)の大きな茶椀は女郎の嗽茶椀(うがいぢやわん)であ
ったろう。思えば穢(きた)ないようだが、航海中は誠に調法、唯一(ゆいいち)の宝物(たからもの)であっ
たのが可笑(おか)しい。
----
福翁自傳 - 192 ページ :
URLリンク(project.lib.keio.ac.jp)
127:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 10:23:40.96 mXK85Ihu0
>>126
病気のわりには元気なんじゃないか安川さん
128:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 11:35:20.94 ZI3haai30
安川本、1000部のうち800部売れた、か。10紙で紹介されたというのにこれくらいじゃ、
反響はあまりなかった、ではないかな。定価23000ウオンが高いのかも。
といっても日本円にして1800円くらい。
ようするに韓国民は福沢諭吉に関心などないということなのか。
安川一派としては、韓国大統領選挙にからんで、キム・デジュン、ノ・ムヒョン系の候補を
当選させたいのだろうが、それも不発に終わりそう。
129:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 16:17:53.55 wFhWgjjw0
中国や韓国では、脱亜論以外の福沢の著作は翻訳されてないの?
『学問のすゝめ』とか。英訳は今月出るけど。
130:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 17:04:16.04 mXK85Ihu0
>>129
よい着眼点だな。で、韓国国立中央図書館のHPに行って、検索してみた。
まず「福澤諭吉」で13冊。ようするに日本で出た本。
その振りハングルをたどって、フクザワユキチのハングル表記をコピーして
再検索したら、66冊(編)でてきた。翻訳・研究書・研究論文。
『文明論之概略』には翻訳がある。女性論の一部も。それから政治論の一部。
おそらく「脱亜論」も含まれる。
とはいえ、全部専門家向けのようで、韓国人が『学問のすすめ』を日本人のように
読むことはなさそう(当然か)。
で、安川による「ひどい奴だ!」というシュプレヒコールが盛大に唱えられるわけで。
131:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 17:29:13.79 xikJfhye0
石原都知事のフランス語蔑視問題が、記憶に新しいのですが、最近の靖国問題
と周辺の問題を調べていたら、次のようなことに気づきました。
確か、フジテレビの安藤と木村による報道ですが、フランス語の問題につい
ては、石原都知事は、謝罪しました。その際は、二人のアナウンサーも、差別を
問題視するような怪訝な表情を浮かべました。しかし、その後、イタリア文化
会館の壁の塗り替え問題を報道する際には、「街の景観の条例」を武器に、イ
タリア文化会舘の塗り替えを強く要求しました。その際は、あたかも正義を振りかざすかのごとく、塗り替えの正当性ばかりが強調されました。
しかし、実際には、国際問題としてかなり深刻であり、芸術蔑視にあたり、これは、フランスの問題と同様に、「イタリア差別」にもかかわら
ず、イタリア人には、むしろ、フランス人に対するような、石原都知事の謝罪を求めるべきではないでしょうか?
なかったわけ当然、何食わぬ顔の安藤・木村のようなマスメディアも、
差別に対する謝罪報道が必要ではないでしょうか。
132:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 22:34:41.03 UZwBlSpw0
>>128
まあ韓国民にすれば、福沢諭吉など百年以上前に亡くなった外国人に過ぎない
のだから、普通は関心などないのでしょう。
>>130
調査乙!
慶應のリストによると、2003年に韓国語版『学問のすゝめ』が出ていますね。
福澤諭吉『学問のすゝめ』(南相瓔,笹川孝一共訳)ISBN 8984102229
URLリンク(www.aladin.co.kr)
福澤諭吉参考文献目録<6.福澤諭吉の著作(外国語版)>
URLリンク(www.mita.lib.keio.ac.jp)
2006年03月17日には韓国語版『福翁自伝』が出ています。
福澤諭吉『福翁自傳』 ISBN 8987608530
URLリンク(www.aladin.co.kr)
ISBNでググるといろいろ引っかかるようですよ。お試しあれ。
133:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/13 22:59:46.25 UZwBlSpw0
>>130
安川さんの『福沢諭吉のアジア認識』の韓国語訳を忘れていました。
安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』2011年4月4日 ISBN 9788976967282
URLリンク(www.aladin.co.kr)
Google翻訳の結果はこんな感じです。
URLリンク(translate.google.co.jp)
134:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 06:57:01.51 lsP9vjN10
>>132>>133
調べ方にはいろいろあるんだ。正直ためになる。
韓国語でも一通りは読めるわけだ。
韓国の一般社会での福沢評価は低いね。
日本の左翼思想が流入しているから。
青木さんの福沢とアジアによれば、
パクヨンヒョの政策提言は福沢によるそうだ。
キムオッキュンはいうまでもなく。
甲申政変の評価が低いから、福沢の評価も低くなる。
135:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 19:07:01.79 lpnTR34i0
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
NHKは、Eテレの大型特集シリーズとして、「日本人は何を考えてきたのか」を、来年1月からスタート。
2年間にわたって放送する。日本が開国してから150年の間に、人々は時代と向き合い、何を考えてきたのかを2年がかりで描いていく内容だ。
2012年1月は「明治編 文明の扉を開く」(全4回)で、第1回は8日午後10時から「日本人はどこへ行くのか~福澤諭吉と中江兆民」を放送。
モデルの知花くらら(29)がアメリカ、フランスにその足跡を訪ねる。
7月は「大正編 『一等国』日本の岐路」(全4回)、13年1月には、「昭和編 戦争の時代を生きる」(全4回)を予定。
136:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 19:08:13.27 lpnTR34i0
「ちまちま人形」120体、小樽で展示
URLリンク(mytown.asahi.com)
朝日新聞夕刊道内面に「北の文人立ち話」を連載している札幌市のイラストレーター、
高山美香さんのミニチュア人形などを集めた「よくまぁこんなに展」が、小樽市色内の市立小樽文学館で開かれている。4月1日まで。
高山さんはイラストを描く傍ら、8年ほど前から文豪や偉人のミニチュア人形を作り始めた。
手のひらサイズだが、粘土を何度も焼いて細かな表情や衣装、小物類まで精巧に作り込んだ。
「ちまちま人形」と命名、口コミで人気が広がり、最近は道内のほか東京でも個展を開いた。
今回の展覧会では人形120体のほか、子供のころに描いた絵や、印刷会社などに勤めていたころに描いたイラストなどを展示。
人形を作るに至った自分史も紹介している。
ソクラテスやリンカーン、エジソン、福沢諭吉、織田信長といった国内外の偉人のほか、宮沢賢治や森鴎外、樋口一葉ら有名な文人、
赤塚不二夫や石原裕次郎といった戦後の著名人の表情豊かな人形たちが並ぶ。個性的な偉人たちのキャラクターを紹介するパネルも楽しめる展示内容となっている。
137:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/14 21:13:27.39 a6pLqmApP
>>133
すげーなグーグル翻訳。ほとんどそのまま日本語になっている。
<本の末尾の"福沢諭吉のアジア認識の軌跡"を一目瞭然に整理されている
400以上の発言は、両方の福沢諭吉が生涯を通じて残したものだ。
国際関係の認識、戦争指導、アジア蔑視など、それぞれの発言の要旨に基
づいて分類し、時期ごとにどのような発言が主遂げたのか、生涯にわたっ
てどのような発言をどの程度したか一目で確認することがあるほどだ。>
でもこれって、安川平山論争の結果、根拠なしってことになったんでは?
138:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 07:12:59.30 Xgl9k2pMP
>>137
日本での研究動向を知らない韓国人の間では通用するというんだろう。
安川寿之輔は韓国人をバカにしているということさ。
139:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 20:08:57.59 m4aV57uj0
>>138
安川さんの『福沢諭吉のアジア認識』は2000年発行で、
安川・平山論争は2001年以降だから、韓国語の翻訳では
論争の結果が反映されていないのでしょうね。
安川・平山論争
URLリンク(ja.wikipedia.org)
140:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 20:09:28.84 sYw3CqeeO
要するにそれがいいたかったわけか
141:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/15 23:44:42.88 m4aV57uj0
>>137
グーグル翻訳で翻訳した著者の紹介です。
↓
安川ジュノ介は、今、日本
で厳密な現実認識としっかりした理論で武装して発言し、行動している代表的な
良心的知識人だ。
著者: 安川ジュノー介
最近作:"福沢諭吉のアジア侵略思想を問う>
はじめに:1935年兵庫県生まれ1964年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程を
修了した。その後、宮城教育大学、埼玉大学を経て、1998年に名古屋の大学を定年
退職臨むまでの社会思想史的観点から、福沢諭吉の教育思想などを研究した。
<日本の近代教育の思想構造"(1970)、"15年戦争と教育"(1986)、"女性差別は
なぜ存続するか"(1986)、"日本の近代化と戦争責任"(1997年)、"日本の近代
教育と差別>(1998)、"大学教育の革新と実践"(1998)などの著作を発表した。
定年退職後、日本戦没学生記念会、障害兵士市民の会などで活動し、市民運動を
繰り広げ、従来の福沢研究を、日本の戦争責任を告発するアジア民衆の観点から
再検討し、"福沢諭吉のアジア認識>、<福沢諭吉と丸山眞男"(2003年)、"福沢
諭吉の戦争論と天皇論"(2006年)などをソネトダ。安川ジュノ介は、今、日本
で厳密な現実認識としっかりした理論で武装して発言し、行動している代表的な
良心的知識人だ。
142:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 10:11:09.69 GPT2huMYO
論争結果が反映されていない、って、
きちんと報道するべきだろ、韓国の知識人は
143:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 13:10:37.47 uxP955Vt0
>>厳密な現実認識としっかりした理論で武装して発言し、行動している
代表的な良心的知識人だ
ここまで事実と真逆の事書いてると逆に清々しく見えるな
144:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 13:50:14.08 S8TjnsBI0
>>141
安川が武装しているのは現実離れした現実認識と、福沢に対する
一方的な憎悪で凝り固まったイデオロギーだろ。間違っても
安川の脳内には「厳密な現実認識としっかりした理論」なんて存在
していない。
145:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/16 15:32:44.65 HPmib9IxP
>>144
というような事実を純真な韓国人にどう伝えるかだが、
ここで、福沢の真実系の日本語サイトをグーグル翻訳して
韓国語のサイトに貼り付ける活動を提案したい。
146:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 01:27:43.10 V70fDqp00
>>145
以前は日韓の意見交流サイトNAVERがあったけど、
今はリニューアルして変わっちゃったみたいですね。
探しあう検索NAVER(ネイバー)
URLリンク(www.naver.jp)
147:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 07:59:02.28 M7KUiVbdO
安川本の書評サイトに
ハングルで投稿しては?
148:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/17 16:32:03.15 NyUUVXYj0
>>145
韓国人の民族性からいって、めったなことをすると逆効果。
>>147も。
現在韓国に流通している福沢観は安川由来のものにかんがみて、
これにばしっと反論できるなるだけ短い文章を
韓国語訳して向こうのしかるべきサイトに投稿するのは?
(どれがしかるべきサイトなのかという問題は残るが。)
149:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 07:59:27.16 0izZBIeeO
昨日のなかよしテレビ見た?
150:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 09:51:21.17 13mdWEZI0
>>149
見た。中韓は決して謝らないというのは確か。安川支持者は何があっても自分の意見を
変えたりはしないだろう。ただ、一部福沢や甲申政変を評価する勢力もあるようだから、
そちらの勢力をより強めるような働きかけにするべき。
安川平山論争の展開を韓国人に適切に伝える方法は?
151:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 15:45:21.94 fur0p7TW0
>>150
韓国語版ウィキペディアに安川平山論争の項目をもうければよい
152:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 16:11:27.67 Meas7BGV0
最善の方法は『福沢諭吉の真実』の韓国語版と中国語版を
出すことだろうが、難しいだろうな。
153:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 16:32:24.82 13mdWEZI0
>>151
ありがとう。これはやり方次第で可能かも。でも、ウィキペディアというのは、
外国からの工作活動を防ぐために、外からは編集できないようになっているんでは?
それに韓国語の読み書きもできない。あちらに同志がいないと不可能。
>>152
どこが出すのか? ということだね。安川本でさえ韓国で八百しか売れていない。
文春新書の販売数は数万だろうが、それは日本人向けの福沢論だから。
韓中にはごく少数しか慶応関係者はいない。書かれている中身は
韓中にとってどちらかといえば不都合になる内容。まず無理。
154:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/18 19:23:19.48 sTYaW89z0
>>153
韓国側が安川本を使って福沢攻撃をしても、日本側は平山本を使って撃退できるから
べつに無問題なんじゃない?
155:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 11:36:31.29 OHocaiP60
>>154
韓国内の世論形成の問題もあるから、韓国語での情報発信も必要
156:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/19 12:32:13.70 CQ7ji7/R0
安川は日本共産党員なわけだから、国家保安法で排除できるんでねえの?
KBSで共産主義賛美が問題になっている。
157:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 08:08:25.45 L6RqArs10
党員かどうかは分からないが、安川が総連と密接な関係があるのは事実。
韓国で安川訳本が紹介されているサイトにどんどん貼るべし。
158:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 09:54:37.42 FUklZZPn0
NHKよ、「坂の上の雲」のままでいいのか
URLリンク(tetsuono123.seesaa.net)
159:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 10:19:46.56 L6RqArs10
↓なんて事実、あったっけ?
183:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 11/04/10(日) 07:42:45.80 ID:Wan2qSMS(1)
日本国内での福澤研究の総本山である福澤諭吉協会でさえ、
今問題になっている福澤の時事新報社説のほとんどが、
福澤が執筆したものではないことを認めている。
今回の韓国語翻訳については、まず福澤協会に献本して、
福澤協会に、時事新報論説すべてが福澤の思想に間違いない、という、
確認を求める必要がある。
そうでないと、この安川本韓国語版は、
福澤とは無関係な論説を批判していることになって、
日本国内で無視されてしまうことになる。
160:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 23:04:07.61 xVjfIoUU0
大学入試センター試験【分析速報】倫理、政治・経済
URLリンク(www.asahi.com)
【第3問】青年期の心理、日本思想、生命倫理
自我同一性拡散、性格の分類、吉田松陰、福沢諭吉、クローンや遺伝子技術から出題された。
リード文はなく、「倫理」単独科目の第1問、第3問、第5問から設問がピックアップされている。
リード文がないため他の大問との不整合感は否めないが、本文の趣旨読み取り問題がない分、受験生の負担は少なくなっている。
問5はクローン技術や遺伝子組み換え技術、農作物の問題点についての出題で、時事性のある出題となっている。
161:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/20 23:52:39.54 jjX7HnAQ0
>>160
情報ありがとう。こりゃ引っ掛け問題ですね。問題と解答は次の通りです。
↓
----
大学入試センター試験/倫理、政治・経済
〈第3問〉
倫理,政治・経済
問4 明治期日本の啓蒙思想家たちは,神仏など信仰の対象が実証に堪えず,それ
ゆえ生の拠(よ)り所とするには足りないとみなす傾向があった。例えば,福沢諭吉
は『学問のすゝめ』で「信の世界に偽詐(ぎさ)多し」と述べている。次の文は,彼がその
ように述べた理由についての説明である。[a]・[b]に入る語句の
組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。[18]
[a]の涵養(かんよう)と[b]の導入による文明化こそが近代日本の歩むべき道
であるとみた彼は,神仏などへの「信」によって形成される依存的な体質が,真
理を見失わせ,文明の進歩を妨げると考えたから。
① a 独立自尊 b 民本主義
② a 東洋道徳 b 実学思想
③ a 忠孝心 b 人権論
④ a 独立心 b 数理学
----
URLリンク(www.asahi.com)
解答ページはこれ↓
URLリンク(www.asahi.com)
162:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 08:51:52.13 5ueqN71e0
>>161
aで1か4に絞られて、民本主義が吉野作造と知っていれば、すぐに4を選べるね
163:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/21 17:37:47.77 S0gyuqUL0
>>162
そのとおり!
質問で『学問のすゝめ』から引用したコメントを出しておいて、
解答で『福翁自伝』からのコメントを選ばせるのがポイントですね。
164:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/22 12:00:21.97 edkuVjKp0
>>157
安川が1950年代はじめの福岡高校時代から北朝鮮軍に協力していたのははっきりしている。
それが韓国で暴露されれば安川本なんて一発でアウトだ。
165:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/22 17:25:36.94 BLSqFoq/0
>>164
安川さんが北朝鮮軍に協力していたソースってあるの?
166:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/22 20:27:35.41 3n95dL2n0
去年出た文庫版・北岡伸一『独立自尊 福沢諭吉の挑戦』や、小川原正道『福沢諭吉 「官」との戦い』などが、
平山さんの著書は参照してるのに、安川の著書は全く参照していないのが、どちらの意見が最近の学界では
支持されているかをよく表してる。両書特に後書は、安川本には全く言及してないものの、全体の論旨は
安川の主張を完全に否定したものだし。
167:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/22 20:40:02.13 uNPsEuzd0
北岡『独立自尊』(文庫版)は、単行本版(2002年刊)刊行後に出た
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年刊)はもちろん、
刊行以前に出た『福沢諭吉のアジア認識』(2000年刊)も
参照してなかったな。>>安川本
単行本版刊行後に出た平山さんの『福沢諭吉の真実』
(2004年刊)と『福澤諭吉』(2008年刊)はいずれも新たに
参考文献に追加されたのとは対照的に。
168:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 10:10:27.07 wZUAoZwz0
>>166
福沢年鑑に掲載された小川原による福沢研究動向は、奥歯にものがはさまったような書き方だった。
福沢協会ではおおっぴらに平山支持は公表できないみたいだ。
169:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 10:29:17.19 fA8qARi90
>>165
【偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】
345 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/11/09(火) 11:42:09 ID:YOzWFe8z0
今度安川さんたちを招いく松山市議の武井多佳子(無所属)は、
小金井市議の漢人あき子(無所属)と仲がいい。
漢人は大賀と仲がよくて、
その大賀の実兄がこぶちさわ9条の会で、この8月に安川さんを
講演に招いた人物。
どうも、守田典彦の門下生グループが、福沢や坂の上の雲の批判を
しているようだ。
【偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】
346 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2010/11/09(火) 12:35:29 ID:YOzWFe8z0
こんなエントリも見つかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、59年に九大でも、福岡でもブントの結成になりました。
ブント結成のリーダーは守田典彦さんで、1951年、単独講和反対闘争で九大を放校、
除籍処分になり、それ以後共産党の活動に専従をしてきた人です。
彼の指導が決定的でした。年長の者は、共産党ないしそのシンパですから共産党、
そのシンパから離脱をして、57年以後に現役で入学した私とか篠原浩一郎君とかは、
初めから共産党のみならずソ連にも批判的であり、違った経路でブントに参加しました。
URLリンク(www5d.biglobe.ne.jp)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
守田さんと安川さんは6歳違いで、安川さんが福岡高校の生徒だった頃、
守田さんは九州大学を放校になったことになる。
二人は、その頃からの知り合いだったのかもしれない。
170:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/23 18:48:32.76 6c+Z3jOlO
状況証拠にすぎんな
171:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 13:04:43.69 7Qn1rYZ50
1950年の6月に朝鮮戦争が始まって、日本国内でもアカ狩りが本格化した。
当時の政府とGHQは日本国内の内戦を警戒していたから、そうなるのは必然だった。
「アカハタ」は禁止となり、「平和のこえ」なる反戦新聞が発刊された。
それを配布するだけでも犯罪とされた。
福岡でも多数の逮捕者がでた。
172:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 16:35:45.18 16EwBl3E0
安川と守田をつないでいたのは、おそらく大藪龍介あたりだろう
173:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/24 16:49:47.47 Y8s7ILII0
春彦かと思った。
安川と大藪はしょっちゅう同じ行動の呼びかけ人になっているよう。
『情況』にも書いている。
174:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 00:41:32.91 kyCZnIE50
福沢山脈 〈上〉小島直記
URLリンク(www.nikkeibookvideo.com)
というのを立ち読みしたんだが、増田宋太郎と朝吹英二を主人公にした小説だった。
出だしの所は中々おもろかったな。
175:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 07:32:39.10 oCEugzSx0
>>174
朝吹はもともと増田の舎弟だった
176:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 19:19:00.51 5i+pvFmA0
福澤の弟子というなら、もっと実業界の人物を描かないとね
177:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 20:15:38.83 ER/IFh1+0
武藤山治とか?
178:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 21:55:11.78 5i+pvFmA0
>>177
そう。高橋義雄や日比翁助や中上川彦次郎や池田成彬とかね。
179:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/25 23:09:23.11 x2kUi/uC0
【慰安婦問題】 脱亜と興亜~福沢諭吉の残した「脱亜入欧」の亡霊がまだ日本を覆っている[12/15]
スレリンク(news4plus板)
今の時代は脱亜入球だね
180:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 00:37:44.12 AqqwH8TL0
>176
福沢=実業界という考えがいかにも短絡的だな。
福澤の弟子で次に吉川弘文館の人物叢書に出そうなのは、九鬼隆一、三宅米吉、釈宗演あたりだろうね。
ちなみに、尾崎行雄と武藤山治は既に刊行済み。
右翼系の季刊誌なんかでよく特集されてるのは、おなじみの金玉均、岡本柳之助、井上角五郎。
181:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 00:46:45.25 AqqwH8TL0
あとは初代帝大総長で有名な渡辺洪基なんかも、まだまだ全然研究されてないからダークホースだな。
この人の明治期の業績は副島種臣に匹敵するといっても過言では無いだろう。
182:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 01:08:11.94 OzovE9RH0
>>179
福澤先生は脱亜入欧を唱えたことは一度もかった。
↓
----
福澤は署名著作・時事新報論説のすべてにおいて「入欧」という言葉を一度も使用していない[2]。
[2]「「入欧」という言葉にいたっては(したがって「脱亜入欧」という成句もまた)、
福沢はかつて一度も用いたことがなかった。」
丸山眞男「『福沢諭吉と日本の近代化』序」『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年6月、282頁。ISBN 4-00-381041-4。
----
脱亜入欧
URLリンク(ja.wikipedia.org)
183:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 09:27:14.91 AQ38uKMQ0
脱亜入欧の由来は、岡義武の「国民的独立と国家理性」(1961年6月)だろう。
外交史の記述が「脱亜」の時代と「入欧」の時代に区別されているから。
日英同盟(1902年)からパリ講和会議(1919年)までが「脱亜」の時代、
国際連盟の体制下での日本の役割が「入欧」の時代で扱われている。
こうなると福澤本来の脱亜の用法からも逸脱しているが、
日英同盟から国際連盟脱退までの日本の外交政策が「脱亜入欧」ということになる。
平山洋「何が「脱亜論」を有名にしたのか」にも少し触れられている。
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
184:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 12:11:32.72 EnBuNYgx0
>>181
渡辺に関しては、時期は不明だが、ミネルヴァから瀧井一博氏による評伝が
出る予定とのこと。
185:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 12:26:05.03 MDNFccDz0
>>184
渡辺洪基って、そんなタイソーな人物だったの? 別に学内選挙で帝大総長に選ばれたわけでもないだろ。
それでは歴代東大総長の伝記を出さなければならなくなる。
186:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 13:56:31.17 EnBuNYgx0
>>185
渡辺は初代帝大総長の他にも、元老院議官・副議長、東京府知事を
歴任してるし、政友会の創立にも参加している。教育面では帝大初代総長の
他に、工手学校(今の工学院大学)を創立してる。
187:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 14:53:29.24 MDNFccDz0
>>186
おおスマソ。知らなかったデスよ。
188:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 17:14:07.52 bIOlvQ1Q0
平山と安川の論争を見ていると
論争そのものよりもそれを取り巻く環境から
福沢研究の歯切れの悪さが見えてくる
平山の論を全面的に肯定する論者はいないが、さりとて安川の議論を否定する者もいない
ところで気になったんだが、中学・高校の教科書では「脱亜論」を含めた福沢評価はどうなっているだろう
「自民党発行「中学教科書7社の比較調査」を参考に、教科書展示会場に行ってきた」
を見ると福沢が脱亜論を書いたと断定しているような教科書もあるみたいだが
安川の議論を採用している教科書はどれほどあるんだろう?
教科書の福沢言説の変遷を追っている研究があれば見てみたいものだ
189:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 17:34:03.75 tbaEJw5M0
>>188
結局身びいきと言われるからな。慶応出身者が福沢を弁護すれば。
それでは何の解決にもならないんだが。
慶応出身者を多数含む福沢協会や大学内の組織である
福沢センターが賛同しないのは、
その設立者が石河だから。メンバーは社説がおかしいと思っていても
それを口に出せなかったよう。
いまさら認められるか、というところ。硬直化した組織にありがちな反応だ。
左翼の攻撃側も変だと感づいたって、弁護側に回るワケもない。
東大の加藤陽子なんかも相変わらず「脱亜論」を侵略思想に位置づけている。
それから、誤解していないとは思うが、平山洋も「脱亜論」は
本物だと言っている。ただし、侵略ではなく督励の社説として。
190:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 18:23:27.56 MDNFccDz0
日本史や政治思想史の専門家でも伊藤之雄や田口富久治なんかは平山支持ダロ。
191:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 22:25:16.83 OzovE9RH0
>>189
加藤陽子はどうしようもないですね。
そんなことだから「エセ保守史家」呼ばわりされるんですよ。
渡辺 望「エセ保守史家の系譜~加藤陽子に騙されるな」『正論』(通号 475) 2011年9月、240~250頁
URLリンク(www.sankei.co.jp)
192:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 07:36:10.56 dv3EIXLr0
>>191
加藤の問題は最初から結論ありきで立論しているふしがあること。
脱亜論についても、昔抱いたイメージにとらわれている。
これでは新しい史料が発見されても、そこから柔軟に研究を深めることは
できないだろう。
性差別発言になるかもしれないが、女性は歴史家に向いていないと思う。
193:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 09:57:02.66 wkPvJ/VW0
>>188
現行版の全集の「時事新報論集」は信頼できない、はもはや動かせない。
大部分石河が書いた、と石河本人が言っているのだし。
つまり、無署名社説についてはいったんチャラにして、どうすれば福沢のものが選び出せるか
について、関係者で議論するのが本来の筋。
それをなぜしないのだろう?
194:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 12:34:56.85 ZhbCrZcA0
>>189
本当にそうなのか?学位論文審査の要旨にはこうあるんだが
URLリンク(www.ritsumei.ac.jp)
>これに対して平川洋『福沢諭吉の真実』(2004年)は「時事新報」の社説をすべて福沢一人が書いたのではないこと、
>{「脱亜論」などアジア蔑視、侵略主義が色濃く示す論説の多くは福沢の弟子である石河幹明の筆によるものであることを示して
>西洋的な個人の独立に基づく市民的自由主義と普遍的国家平等主義を説いた啓蒙思想家としての福沢像をあらためて浮き彫りにし、
>福沢の肯定否定論にまつわる論争は新しい段階で展開している。
>こうした研究状況の丹念なサーベイを果たした本論文が以下の3点で学術上の意義があることを、3名の審査委員は一致して確認した。
これを見る限り平山は脱亜論を石河執筆と認定している
それに
>逆に福沢を「植民地主義者、帝国主義的膨張論者」として断罪する安川寿之輔の見方も、こうした既存研究の偏りの批判に有効
と安川の研究が評価されてる
195:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 12:53:52.58 dv3EIXLr0
とはいえ、井田進也によれば、日清戦争に先立つ一〇年前の「脱亜論」自体はやはり
福沢のものであると判断してよいようである(『歴史とテクスト』一〇四頁)。論者としても、
先にも述べたように、論の運びの巧みさと語彙の平明さからいって真筆であると考えている。
例えば「脱亜論」の中盤は『文明論之概略』第五章の要約になっているのであるが、
そのまとめかたの手際のよさは作者ならではといえよう。
また後半には朝鮮と中国における明治維新のような革命実現への期待が述べられているが、
すでに見たように、同様の考えは一三年後に口述筆記された『福翁自伝』に示されている。
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
196:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 13:13:10.95 wkPvJ/VW0
社説「脱亜論」の発表は1885年3月16日で、これは石河が時事新報社に入社するより前だから、
石河が「脱亜論」を書いた可能性はないんだよ。
197:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 13:57:18.61 jAwQOy+H0
>>194
立命館の博士論文審査員に左翼的な偏向があったのかも
198:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 14:32:42.86 ZhbCrZcA0
>>195
となると平山は自説を修正したのか?
199:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 16:27:42.61 dv3EIXLr0
>>198
んなばかな。『福沢諭吉の真実』205ページからの引用だよ。
200:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/27 23:09:53.06 fJjrD6p70
平山さんの持論は、1882年の時事新報創刊から10年間は福沢が指導し、
あとは福沢の手を離れた、というもの。
201:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/28 03:33:08.34 vmgLtR820
>>200
平山さんは『真実』の98頁で「九二年春ごろから福沢真筆の論説が稀になる」と
指摘していますね。