12/06/19 22:04:24.21 r6k4XLc10
>>655
読みました。
「第三章 天皇論」は、『福沢諭吉 「官」との闘い』にも、
収録されていましたね。デジャヴュかと思ってしまいました。
付録の資料「時事新報社説(福澤諭吉自筆原稿確認分)」には
5編の社説が収録されていました。
①1884年(明治17年)2月26日・27日 「仏法ノ運命如何」
②1884年(明治17年)4月1日 「不景気ニ狼狽スル勿レ」
③1892年(明治25年)6月3日 「海軍省所管」
④1893年(明治26年)8月9日 「株式市場の変動」
⑤1896年(明治29年)3月17日 「日本銀行課税」
これらは小川原さんが自ら現物を見て確認したそうです。
つまり執筆者問題は既に前提とされている訳ですね。
あと、つまらないミスですが、晩年の『福澤全集緒言』から
「学問のすすめの評」の一部が引用されていて、晩年の
文章と説明されていたようですが、「学問のすすめの評」自体は
明治7年11月7日付けで新聞に掲載されたものなので、晩年の
文章とは言えないですね。