【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)at HISTORY2
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8) - 暇つぶし2ch581:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/04 21:31:54.47 HWcsh3lH0
つづき

 井田氏や平山氏は、この認定法で検証すると、従来福沢批判で用いられていた
『時事』論説は、ほとんど他の記者が起筆したものであるという。混入している
論説の多くは石河起筆のもので、水戸出身の彼の論説は国権主義的色彩が強く、
この影響で福沢の思想が歪んで理解されるようになってしまったというのだ。

 この議論の盛り上がりによって、全集の盲点が多くの研究者に議論されること
となったのは、大きな意義があったといえよう。しかし、この認定方法は、
また多くの問題を抱えているように思われる。たとえば、社説を起草していた
記者がいつ何人いたかは正確に分かっていない。有名な記者は署名記事が存在
して語彙比較が出来るとしても、無名の記者や短期間しか在籍しなかった記者が
多く存在する。そういった記者の起草論説は福沢と語彙が似ているかも知れない
し似ていないかも知れない。また、この認定法では文章の全体的な傾向を評価
できるかもしれないが、検証できる語彙は文章の中での分布に粗密が生じるはず
なので、「ここの部分は福沢が書いた」、といったことを断言できるほどの精度
を持ちうる話とはなりえない。一見客観的な認定結果も、その精度は検証不能
なのである。さらに、植字工が正確に原稿を写さなかったり、校正係が表記や
送り仮名のゆれを統一した可能性もあるだろう。記者の気分や偶然による綴りの
変化、福沢が起草記者の筆癖を知っていて戯れに加筆でもそれを真似た可能性、
福沢の加筆修正を経てさらに別の記者が修正や清書をした可能性など、いくらでも
例外を想像でき、しかもそれらはありそうな話である。最近ではこの議論に対して、
再反論を試みる福沢批判も発表されているが、それは井田氏らの認定結果を誤り
として別の認定結果を提示するもので、事ここに至れば執筆者認定論は水掛け論
になってしまったといわざるを得ないだろう。

 それでは結局、『時事』論説をどう読むべきなのだろうか?…と、ここで
今回は紙幅が尽きたので次回筆者なりの卑見を述べてみたい。
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第10回:『時事新報』論説をめぐって(2) ~「我輩」は『時事新報』である~
URLリンク(www.keio-up.co.jp)
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 この論争を積極的に総括するとすれば、福沢全集の『時事』論説が、実は
石河幹明によって選ばれた一部だけを収録した、いわば『時事』論説のダイジェスト
(より正確に言えば、石河の考えるところのダイジェスト)であることを
気付かせたという点において実に有意義であったと思う。これからは、むしろ
全集に入っていない論説も含めた、大きな流れの中で個別の論説を位置付ける
読み方が必要であろう。そして、今後福沢全集を編むことがあるならば、紙面
に掲載後「福沢諭吉立案」として単行本化され福沢生前の全集にも入っている
『時事』論説以外は収録せず、別に「時事新報論説集」を編み、論説を全日分
収録するのが最も適切な扱い方であると思う。
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