【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)at HISTORY2
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8) - 暇つぶし2ch563:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/02 06:16:51.03 LjzBbvnb0
>>547>>549
平山サイトの検索窓を使って「添削」で検索すると、「添削」の用例は14カ所で、
そのうち関係ありそうなのは次の二つだ。

①『続全集』「時事論集例言」
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
「時事新報」の社説中には先生が其趣旨を記者に語って起草せしめられたものもあり、
又記者の草したる原稿を添削して採用せられたものもあるが、
元来先生の筆政は極めて厳密にして、文字は勿論その論旨までも自身の意に適するまで改竄補正を施し、
殆ど原文の形を留めないものもあった。
或は此集を注意して通読する読者は間々生硬不熟なる文字用語を発見することがあろう。
先生の削正は常に一字一句の末にまで及んだけれども、
非常に繁忙の際もしくは印刷の急を要する場合などには多少の字句は看過せられたこともあるが、
併しながらかかる場合は極めて稀れであった。
而して先生の校閲を経て社説に掲げたものでも他人の草稿に係る分はこれを省いた。

②『続全集』「附記」
URLリンク(blechmusik.xii.jp)
次記の一篇 (管理人による註)は明治四十四年彼の大逆事件のあったとき、
編者が起草して「時事新報」に掲げた社説である。
私は明治十八年時事新報に入り暫くの間は外国電報の翻訳等に従事していたが、
同二十年頃から先生の指導の下に専ら社説を草することになった。
当時「時事新報」の社説は先生が自ら筆を執られ、或は時々記者に口授して起草せしめらるることもあったが、
其草稿は一々厳密なる修正添削を施された上、
紙上に掲載せしめられた。
固より社説記者は私一人のみではなかったが、
私が筆に慣るるに従って起稿を命ぜらるることが多くなり、
二十四五年頃からは自から草せらる重要なる説の外は主として私に起稿を命ぜられ、
其晩年に及んでは殆ど全く私の起稿といってもよいほどであった。

①には添削の時期は示されておらず、②では明治20年から明治24、25年ころまでのように書いてある。



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