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Web東奥・天地人20120314
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「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉と、江戸城を平和的開城に導いた勝海舟の喧嘩(けんか)は有名だ。
「幕臣なのに新政府に仕えるとは、やせ我慢のできないやつ」。福沢がこう言えば、海舟も「金もうけのうまい山師のようなやつ」と一刀両断する。
とても傑物同士のやりとりとは思えない。
それでも、海舟は晩年に養子にした精(くわし)(徳川慶喜(よしのぶ)の末っ子)を福沢が創設した慶応義塾に入学させ、こう言った。
「これで福沢もわしの気持ちが分かったろう」。
それを聞いて、福沢も大いに喜んだらしい(「明治・大正・昭和史 話のたね100」)。
お互いに評価し合っていても、喧嘩になることがある。外ケ浜町と今別町の広域消防今別分署の運営費負担割合をめぐる対立が本紙をにぎわした。
こちらは互いに町のため、町民のための主張がぶつかり合っているから複雑だ。
財政再建中の今別町が支出を抑えたいと思うのは当然だ。外ケ浜町が飛び地の三厩地区住民の安全を守る分署員を減員したくないとするのも分かる。
が、私憤で喧嘩した福沢と海舟が分かり合えたくらいだ。公のことで起きた両町の対立が解けないはずはなかろう。
三厩と蟹田を結ぶ外ケ浜町の循環バスが新年度から中間にある今別町に停車しないという。
病院通いの今別町民が不便になるのは明らかだ。「外浜(そとがはま)」は平安期に歌枕として都人(みやこびと)の憧れを掻(か)き立てた。
西行も<みちのくの奥ゆかしくぞ思ほゆる壺(つぼ)の石ぶみそとの浜風>と詠んだ。対立やバスの素通りは西行憧れの地に似合わない。