【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)at HISTORY2
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8) - 暇つぶし2ch385:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/26 00:42:51.70 vqiz0rPG0
今週の本棚:川本三郎・評 『佐幕派の文学史-福沢諭吉から夏目漱石まで』=平岡敏夫・著
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◇「敗者」が切り開いた明治文学を読み直す明治文学は、佐幕派の文学だった。

その太い論理で明治文学を読み直してゆく。面白い。熱がこもっている。佐幕派びいきの人間としては、研究書でありながら、
一貫して佐幕派寄りのこの文学史に興奮を禁じ得なかった。これほどいい意味で偏(かた)よった文学史も珍しい。
佐幕派とは、いうまでもなく、日本の近代の命運をわけた戊辰(ぼしん)戦争の敗者、つまり、薩摩、長州藩を中心とした官軍に敗れた、幕府側のこと。
近代を敗れた側として迎えた。
明治文学を担ってきた多くの文学者は、よくよく見れば、大半が、この敗れた佐幕派に出自を持つ。著者はそのことに着目し、
敗れた人間たちこそが明治文学を切り開いてきたのだと力説してゆく。文学とは、敗者のよりどころであることが分かってくる。

著者に教えられるままに明治文学を振返れば、明治の文学者、文人には、実に佐幕派が多い。敗れた幕府側の人間たちである。
たとえば福沢諭吉は、「痩我慢(やせがまん)の説」で、旧幕臣(佐幕派)でありながら明治維新後、薩長の主導する新政府に仕官し(それも出世し)た勝海舟と榎本武揚を激しく指弾した。
徳川幕府に仕えた人間が新時代になったからといって、おめおめと旧敵に仕えていいのか。在野であるべきではないのか。
いうまでもなく、そう峻烈(しゅんれつ)に勝と榎本を痛罵する福沢は、佐幕派の豊前中津藩(大分県)の下級武士の出身。
新政府に出仕することなく、在野の思想家として官尊民卑の風潮と戦った。

さらに夏目漱石がいる。『坊っちゃん』は、一般に明治の明るい青春小説と語られるが、よく読めば実は佐幕派小説である、と著者はいう。
主人公は、東京から松山(小説中はそれと明示されていないが)の中学に赴任してきた、「これでも元は旗本だ」という佐幕派。
彼と共に学校の管理体制と戦う数学の先生「山嵐」は、戊辰戦争で最後まで戦い、そして敗れた会津藩の出。「うらなり」も佐幕派、松山の士族の出。
つまり漱石の『坊っちゃん』は、まぎれもなく「佐幕派小説」である。坊っちゃんを可愛がる、かの清(きよ)も、出身は佐幕派と教えられると、なるほどと納得せざるを得ない。
さらに明治文学の主要作家である北村透谷、山路愛山、尾崎紅葉、幸田露伴、樋口一葉、国木田独歩の出自をよく見ると、すべて佐幕派(旧幕派)であるという。
この事実には改めて驚く。まさに明治文学は佐幕派の文学だった。文学というものが、本来、敗れてゆく者の拠であるから当然といえば当然のことだが、
ここまで近代日本文学史を敗者の側に寄り添って語った研究書は珍しいのではないか。

明治初期の政治小説として文学史上有名な『佳人之奇遇』の著者東海散士は会津藩士の子。
当然小説のなかでは戊辰戦争に敗れた会津藩の苦難が語られる。明治文学は当初から佐幕派の文学だった。
また、本論とは少しずれるが、樋口一葉が、翻訳で出版されていたドストエフスキーの『罪と罰』の影響を受け、『にごりえ』を書いたのではないか、という推論も面白い。
純文学の話だけでなく、司馬遼太郎の『燃えよ剣』や、藤沢周平原作で、映画にもなった『たそがれ清兵衛』まで「佐幕派」の視点から熱っぽく論じられている。
考えてみれば、日本文学の大きな柱である時代小説もまた「佐幕派」の文学である。彰義隊で戦った祖父を持つ子母沢寛が、『新選組始末記』を書いたことで佐幕派を復権させたことにそれがあらわれている。


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