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日本の開国時代、外来語を適切に翻訳することはひと苦労だったようだ。特に抽象的な概念は。
スピーチを演説、トークを談話と訳したのは福沢諭吉。
名訳家の福沢をして翻訳不可能だと言わしめた「ライト」を、啓蒙(けいもう)思想家の西周は「権利」と訳したが、
その訳では不十分だと作家の故井上ひさしさんが著書『日本語教室』で書いている。
外国語を適切な日本語に換える難しさは、原発再稼働の鍵を握るストレステストも。
本紙は安全評価だが、耐性検査、耐性評価の報道も。その上、評価が「妥当」でも、なお稼働へのストレスは残る。
(編集局次長・伊藤博道)
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