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明治初期に庄内地方で起きた農民運動「ワッパ騒動」の指導者で、酒田市出身の自由民権運動家・森藤右衛門(とうえもん)(1842~85年)をたたえる顕彰会が、
生誕170周年にあたる3月28日に設立される。板垣退助や福沢諭吉と並ぶ民権運動家と評されながら、地元でも注目度が高くはなかった森の功績を後世に残すため、
郷土研究家や元教師らで作る顕彰会では、同市内での記念碑建立を目標に、募金活動を展開していく予定だ。
ワッパ騒動は、1874年に庄内地方の農民や一部の士族、商人ら1万人以上が参加し、当時の庄内地方南部ではほとんどの農民が立ち上がったとされる農民運動。
明治政府は72年、税金を米ではなく金で納めることを決めたが、当時の酒田県が米で税金を取り続け、米価高騰を利用して米を売り、差益を得ていたことに反発したのが発端だった。
「ワッパ(弁当箱)1杯分の金を返せ」と求めたため、ワッパ騒動と呼ばれた。
運動を指導した森は、力ではなく、合法的に解決することが必要と考え、訴訟を提起。78年に6万3000円分の返還を認める判決を勝ち得た。
東北公益文科大の三原容子教授(日本近現代史)は、ワッパ騒動が最終的に法的に解決した点について、「日本が法治国家になる上で画期的なできごとだった」と指摘する。
当時の森の活動は全国的な反響を呼び、79年に出版された自由民権運動家・植木枝盛の著書「民権自由論」では、時代を代表する運動家として、板垣退助や福沢諭吉らとともに森が表紙に描かれた。
顕彰会設立にかかわる鶴岡市大西町の星野正紘さん(75)は2004年から、地元有志ら約20人でワッパ騒動の研究を開始。
当時の資料を調べる中で、先祖が騒動に参加していたことを知り、改めて運動の意義を見直す人も多かったという。
研究の過程で、運動に大きな役割を果たした森について地元で注目されていないことに気付き、顕彰会を設立することに。
昨年1月から準備を始めたところ、庄内地方の郷土研究家や農業関係者、元高校教師など約60人が参加を表明した。
顕彰会では、勉強会を開催して功績を検証するほか、森の命日の9月16日に酒田市内に顕彰碑を建てることを目指し、募金を集めていくという。
星野さんは「酒田の豪商だった森は、自由民権運動のために、ほとんどすべての私財を費やした。
公共のために尽くした彼の功績は、現代の社会でこそ見直されるべき」と話している。
森藤右衛門 酒田の豪商で、明治時代に自由民権運動家として活躍。ワッパ騒動では明治政府の元老院に酒田県の不正を訴える建白書を提出して法廷闘争を展開。
1878年に農民への還付金支払いを認める判決を勝ち取った。その後、庄内地方初の政治結社を創設したほか、新聞も発行。酒田戸長(現在の酒田市長)や山形県議会議員も歴任した。
(2012年2月11日 読売新聞)