【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)at HISTORY2
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8) - 暇つぶし2ch221:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/02 02:27:45.52 1dhXHDFk0
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しかし、幕末に人々が急に武張ってきたら、嫌気がさして不意に止めてしまう。
「居合刀はすっかり奥にしまい込んで、刀なんぞは生まれてから挟すばかりで抜いたこともなければ抜く法も知らぬというような顔をして」(162頁)過ごしたのである。
幕末の騒動の頃、学者たちまでが護身のために長い刀を佩くようになった風を見て、諭吉は刀をあらかた売り払ってしまう。
佩刀している二本も長刀は鞘だけ長刀で中身は脇差、脇差の方は鰹節小刀である。
その頃、友人の高畠五郎を訪れると床の間に長大な刀が飾ってある。そんなものを飾るなばかばかしいと諭吉が言う。
第一君には抜けまい。
高畠はむろん抜けはしないと答えると、諭吉は庭に出てその四尺ばかりの長刀で居合の形を遣ってみせてから「抜ける者は疾くに刀を売ってしまったのに、
抜けない者が飾っておくとは間違いではないか」と小言を言うのである。(228頁)
居合をやったことのない人にはぴんと来ないかも知れないが、四尺の刀を抜くというのは半端な武芸ではない。
私の居合刀は二尺五寸五分、真剣は江戸時代のものだが、これが二尺四寸。
身長175センチの私でも二尺六寸となると抜くのにいささか手こずる。三尺を超えたら、まず私程度の身体能力では居合の形は遣えないであろう。
だいたい武道具店のカタログには居合刀は二尺六寸までしか載っていない。

当今の居合は抜刀と剣尖の速度を競う傾向があるので、選手はできるだけ短く軽い刀を選ぼうとする。長く重い刀を抜く技術の重要性を私は一度も聴いたことがない。
しかし、本来の居合のかんどころは重く長い刀を操ることのできる高度の身体運用にある。
勝小吉には『夢酔独言』の他に『平子龍先生遺事』という逸文がある。小吉が師事した平山行蔵という武芸者の言行録である。
小吉がはじめて会ったときはすでに老齢であったが、八尺五寸の木刀を遣い、七貫余の鉞を片手で振り、差料はどれも三尺八寸。
小兵の行蔵が座っている図像が残されているが、刀の柄が腕の長さとほぼ同じ。鐺はぴんと跳ね上がったまま紙の外に消えている。
行蔵の道場には看板が掛かっていて「他流仕合勝手次第なり。飛道具矢玉にても苦しからず」と大書してあったそうである。
だんだん話が逸脱してゆくが、この人の軍学の師匠が山田茂平という御仁で、「或る時、男は男根ある故に女色に溺れ、
志を立てざりと、男根を切られけり」というハードコアな人だったそうであるから弟子筋に破格な人が輩出するのも納得である。
何の話をしていたのだっけ。
そうそう、長刀を遣うことの困難さについてであった。
その平山行蔵の差料が三尺八寸。福沢諭吉は「四尺ばかり」を抜いたということから諭吉の武術家としての技量のたしかさは推察しうるのである。


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