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とはいえ、井田進也によれば、日清戦争に先立つ一〇年前の「脱亜論」自体はやはり
福沢のものであると判断してよいようである(『歴史とテクスト』一〇四頁)。論者としても、
先にも述べたように、論の運びの巧みさと語彙の平明さからいって真筆であると考えている。
例えば「脱亜論」の中盤は『文明論之概略』第五章の要約になっているのであるが、
そのまとめかたの手際のよさは作者ならではといえよう。
また後半には朝鮮と中国における明治維新のような革命実現への期待が述べられているが、
すでに見たように、同様の考えは一三年後に口述筆記された『福翁自伝』に示されている。
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